見ぬ世まで思ひ残さぬながめより昔にかすむ春のあけぼの
みぬよまで おもいのこさぬ ながめより むかしにかすむ はるのあけぼの
むずかしい歌です...
九条良経(後京極摂政前太政大臣)(1169-1206)は新古今時代の公家、歌人。太政大臣、若くして人臣最高位に。良経を中心とする九条家・御子左サロンが後鳥羽院サロンに発展、新古今和歌集へつながっていく。
丸谷才一は『後鳥羽院』で「旦那芸」と評していますが、そんなことないと思う。
ある意味で、テクニックにこだわってギクシャクする定家よりも、個人的には好きです。仏教的な無情感の影響も感じたりする。
1206年3月6日、深夜に原因不明の死を遂げます。享年38。
見ぬ世まで思ひ残さぬながめより昔にかすむ春のあけぼの
「見ぬ世(見ない時代)」は、未来だと思う。
それは、自分がいなくなった後、を含意すると思います。
というのは、この「見ぬ=未来」は、続く「眺め=現在」と対照をなし、
すなわち「そこに眺める私はいない」というニュアンスに読めるから。
もっといえば、自分の死後、という感じすら受けるのですが...
その未来に「思ひ残さぬ(思いを残すことのない)」美しい景色。
それを見ている自分の「ながめ」(現在)。
さらにその景色が「昔」に霞んでいく、そんな春の曙。
自分の生きてきた過去、現在、自分のいなくなった後の未来、その全てが、
目の前の霞んだ光の中に解け合っていく。
でも別に無情感を詠んだ釈教歌という訳じゃなくて、そういうことがなんだか官能的に歌われてるところがポイントなんではないだろうか。
本歌とかはよくわからないですが、『枕草子』
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、むらさきだちたる雲の、細くたなびきたる。
あと、
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふる眺めせしまに 小野小町
とか、いくらでも関連する歌や物語はありそう。
あと「思ひ残さぬ眺め」、『源氏物語』読んでたら見つけた。
若紫巻の、「弥生のつごもり」、光源氏がマラリア治療の加持祈祷に「北山」の山寺に詣でるとこ。気晴らしに見下ろすと、屏風絵的な風景が広がっている。そこでまだガキんちょの若紫を見つけるんだけど。
京のかたを見給ふ。はるかに霞わたりて、四方の梢そこはかとなうけぶりわたれるほど、「絵にいとよく似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」
「かかる所に住む人」は、遁世の風流人、とも読める。
そんな感じで、
私が眺める、この瞬間、この景色、
もはやそれ以外、今生の後に残すべき、何の思いもなく、
さらにこの春の曙は、遠い想い出へと私を霞ませていく。
みたいな感じでしょうか? むずかしい。
みぬよまで おもいのこさぬ ながめより むかしにかすむ はるのあけぼの
むずかしい歌です...
九条良経(後京極摂政前太政大臣)(1169-1206)は新古今時代の公家、歌人。太政大臣、若くして人臣最高位に。良経を中心とする九条家・御子左サロンが後鳥羽院サロンに発展、新古今和歌集へつながっていく。
丸谷才一は『後鳥羽院』で「旦那芸」と評していますが、そんなことないと思う。
ある意味で、テクニックにこだわってギクシャクする定家よりも、個人的には好きです。仏教的な無情感の影響も感じたりする。
1206年3月6日、深夜に原因不明の死を遂げます。享年38。
見ぬ世まで思ひ残さぬながめより昔にかすむ春のあけぼの
「見ぬ世(見ない時代)」は、未来だと思う。
それは、自分がいなくなった後、を含意すると思います。
というのは、この「見ぬ=未来」は、続く「眺め=現在」と対照をなし、
すなわち「そこに眺める私はいない」というニュアンスに読めるから。
もっといえば、自分の死後、という感じすら受けるのですが...
その未来に「思ひ残さぬ(思いを残すことのない)」美しい景色。
それを見ている自分の「ながめ」(現在)。
さらにその景色が「昔」に霞んでいく、そんな春の曙。
自分の生きてきた過去、現在、自分のいなくなった後の未来、その全てが、
目の前の霞んだ光の中に解け合っていく。
でも別に無情感を詠んだ釈教歌という訳じゃなくて、そういうことがなんだか官能的に歌われてるところがポイントなんではないだろうか。
本歌とかはよくわからないですが、『枕草子』
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、むらさきだちたる雲の、細くたなびきたる。
あと、
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふる眺めせしまに 小野小町
とか、いくらでも関連する歌や物語はありそう。
あと「思ひ残さぬ眺め」、『源氏物語』読んでたら見つけた。
若紫巻の、「弥生のつごもり」、光源氏がマラリア治療の加持祈祷に「北山」の山寺に詣でるとこ。気晴らしに見下ろすと、屏風絵的な風景が広がっている。そこでまだガキんちょの若紫を見つけるんだけど。
京のかたを見給ふ。はるかに霞わたりて、四方の梢そこはかとなうけぶりわたれるほど、「絵にいとよく似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」
「かかる所に住む人」は、遁世の風流人、とも読める。
そんな感じで、
私が眺める、この瞬間、この景色、
もはやそれ以外、今生の後に残すべき、何の思いもなく、
さらにこの春の曙は、遠い想い出へと私を霞ませていく。
みたいな感じでしょうか? むずかしい。


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ということになる。
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