百人一首についてのメモ。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ/藤原定家
こぬひとを/まつほのうらの/ゆうなぎに/やくやもしおの/みもこがれつつ
建保4年(1215)、54歳のときの歌。
万葉集巻6、笠金村の「朝凪に玉藻刈りつつ夕凪に藻塩焼きつつ」が本歌とされる。
王朝和歌で「夕暮れに待っている」のは、女の人の視点から詠まれた歌。
いかにも定家チックな、複雑な歌です。何句切れなんだ?
いちおう三句切れなのかもしれないけど、意味の上では、単純な切れがなく見える。
というのは、ぐるぐるまわる迷宮的な構造がしかけられているから。
...来ぬ人を、まつ
今、まつほの浦では、この夕暮れの彼方では、
夕凪に、行き通う風も途絶え、
海士の焼く藻塩草が、焦がれてけぶっているのか、
そのように、
わたしの身も焦がれ、こがれつつ、
...来ぬ人を、
クドい訳。でもまあ全体が倒置文で、ぐるぐるまわる。
結句の「身も焦がれつつ」は、また最初の「来ぬ人を待つ」に戻ってくる。
それが、焦がれ「つつ」、ずっと焦がれ続けることの表現になってる。
また、音読したときに感じるのは、不思議におもしろい音のかんじ。
一種の頭韻がしかけられていて、
「こぬひと」のK音、「松帆の浦」のM音、「夕凪」のY音、
「焼くや」はY音を引き継ぎ、「藻塩の」のM音、「身も」もMを引っぱって、
そして「こがれ」のK音。
K-M-Y-M-Kの、ゆるやかなシンメトリーを構成している。
硬質なK音と、やわらかいM音・Y音の対照もおもしろい。
その真ん中あたりに「やくや」がおかれている。パズルみたい。
だから、意味だけでなく、音の上でも、最後がまたはじめに戻るようになってると
読める。人を待ってる感じって、こんな感じかもしれない。
不思議でおもしろい歌だと思います。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ/藤原定家
こぬひとを/まつほのうらの/ゆうなぎに/やくやもしおの/みもこがれつつ
建保4年(1215)、54歳のときの歌。
万葉集巻6、笠金村の「朝凪に玉藻刈りつつ夕凪に藻塩焼きつつ」が本歌とされる。
王朝和歌で「夕暮れに待っている」のは、女の人の視点から詠まれた歌。
いかにも定家チックな、複雑な歌です。何句切れなんだ?
いちおう三句切れなのかもしれないけど、意味の上では、単純な切れがなく見える。
というのは、ぐるぐるまわる迷宮的な構造がしかけられているから。
...来ぬ人を、まつ
今、まつほの浦では、この夕暮れの彼方では、
夕凪に、行き通う風も途絶え、
海士の焼く藻塩草が、焦がれてけぶっているのか、
そのように、
わたしの身も焦がれ、こがれつつ、
...来ぬ人を、
クドい訳。でもまあ全体が倒置文で、ぐるぐるまわる。
結句の「身も焦がれつつ」は、また最初の「来ぬ人を待つ」に戻ってくる。
それが、焦がれ「つつ」、ずっと焦がれ続けることの表現になってる。
また、音読したときに感じるのは、不思議におもしろい音のかんじ。
一種の頭韻がしかけられていて、
「こぬひと」のK音、「松帆の浦」のM音、「夕凪」のY音、
「焼くや」はY音を引き継ぎ、「藻塩の」のM音、「身も」もMを引っぱって、
そして「こがれ」のK音。
K-M-Y-M-Kの、ゆるやかなシンメトリーを構成している。
硬質なK音と、やわらかいM音・Y音の対照もおもしろい。
その真ん中あたりに「やくや」がおかれている。パズルみたい。
だから、意味だけでなく、音の上でも、最後がまたはじめに戻るようになってると
読める。人を待ってる感じって、こんな感じかもしれない。
不思議でおもしろい歌だと思います。