主君と家来、弟子と師匠、歌の同志にしてライバル、後鳥羽院から見た藤原定家。
後鳥羽院御口伝(久松潜一編『中世歌論集』岩波文庫)より。
この口伝は、承久の乱(1221)以後、隠岐で成立とされていましたが、
近年は建暦2年(1212)ころの成立という説もあるそうです。
最勝四天王院の建立は1207年。
褒め称えながら貶してます。深いなあ。

「定家は左右なきものなり。さしも殊勝なりし父の詠だにも、あさあさとおもひたりしうへは、まして余人の歌沙汰にも及ばず。」
定家は、困った奴だ。あれほど優れた歌人だった父(藤原俊成、釈阿)の歌でさえ、「まあまあ良い」程度に思っているのだから、まして、それ以外の歌人の歌など、問題にもしない。

「優しくえみえみとあるように見ゆる姿、まことに有り難く見ゆ。道に達したる様など殊勝なり。」
優美で妖艶な体の歌を詠めば、実に希有のものになる。精進して、歌の道を極めたさまも、人並み外れてすぐれている。

「歌見知りたる景気ゆゆしげなりき。ただ引汲の心になりぬれば、鹿をもて馬とせしがごとし。傍若無人、ことはりも過ぎたりき」
しかし、歌の知識でわたしに適うものはない、とか言いたげな感じが、はなはだしい。
論争で自説を擁護しようとするときは、鹿を馬だと言い張るような有様だ。
その他人を無視する態度、理屈っぽさは、度が過ぎている。

「他人の詞を聞くに及ばず、総じて彼の卿が歌存知の趣き、いささかも事により折りによるといふことなし。」
歌については、人の言葉など、聞く気がないのだ。
だいたいあの卿の、歌のことなら何でも知ってるぜ、とか言いたげな態度には、まったくTPOの弁えというものが、ない。

「又ものに数寄たるところ無きによりて、我が歌なれども、自讃歌にあらざるを、良しなど言へば、腹立ちの気色あり。」
そもそも、歌人なのに、風流人としての嗜みに興味がないし、風流を分かち合う心とかもないから、自分で傑作と思ってない自作を人が褒めたりしたたら、若干、キレ気味になる。
なんなんだ、あ奴は。
つづく...
後鳥羽院御口伝(久松潜一編『中世歌論集』岩波文庫)より。
この口伝は、承久の乱(1221)以後、隠岐で成立とされていましたが、
近年は建暦2年(1212)ころの成立という説もあるそうです。
最勝四天王院の建立は1207年。
褒め称えながら貶してます。深いなあ。

「定家は左右なきものなり。さしも殊勝なりし父の詠だにも、あさあさとおもひたりしうへは、まして余人の歌沙汰にも及ばず。」
定家は、困った奴だ。あれほど優れた歌人だった父(藤原俊成、釈阿)の歌でさえ、「まあまあ良い」程度に思っているのだから、まして、それ以外の歌人の歌など、問題にもしない。

「優しくえみえみとあるように見ゆる姿、まことに有り難く見ゆ。道に達したる様など殊勝なり。」
優美で妖艶な体の歌を詠めば、実に希有のものになる。精進して、歌の道を極めたさまも、人並み外れてすぐれている。

「歌見知りたる景気ゆゆしげなりき。ただ引汲の心になりぬれば、鹿をもて馬とせしがごとし。傍若無人、ことはりも過ぎたりき」
しかし、歌の知識でわたしに適うものはない、とか言いたげな感じが、はなはだしい。
論争で自説を擁護しようとするときは、鹿を馬だと言い張るような有様だ。
その他人を無視する態度、理屈っぽさは、度が過ぎている。

「他人の詞を聞くに及ばず、総じて彼の卿が歌存知の趣き、いささかも事により折りによるといふことなし。」
歌については、人の言葉など、聞く気がないのだ。
だいたいあの卿の、歌のことなら何でも知ってるぜ、とか言いたげな態度には、まったくTPOの弁えというものが、ない。

「又ものに数寄たるところ無きによりて、我が歌なれども、自讃歌にあらざるを、良しなど言へば、腹立ちの気色あり。」
そもそも、歌人なのに、風流人としての嗜みに興味がないし、風流を分かち合う心とかもないから、自分で傑作と思ってない自作を人が褒めたりしたたら、若干、キレ気味になる。
なんなんだ、あ奴は。
つづく...
」と陸奥に左遷されます。なお、定家も若い頃に宮中で乱闘して蟄居した一人。





