オバケの学校
あるとき
ジャングルの庭で姉と遊んでいたら
ずっと奥のほうに古ぼけた小屋を発見しました。
小屋があることにはまったく気づいていなかったので
姉と私はドキドキしながら近づき中を覗くと
ホコリだらけのその中には、
小さな木の机と椅子が並んでいました。
姉と2人で
その古ぼけた様相と、そんなに古いのに
椅子がなんだかさっきまで人が座ってたように
おいてあったことにびっくりして怖くなり
あわてて逃げ出したのですが、
どーしても気になる私たちは、毎日のように
今日は、もっと奥まで探検しよう!今日は小屋の中に入ろう!
と企てて向かうのですが
何かモノ音がすれば逃げ出したり、
腐った板を踏んでは逃げ出したり、
一進一退を繰り返していました。
そして、ついにある日、姉が学校の友達たちを
ひきつれて帰ってきました。
そして私をいれて総勢5人の大探検隊を結成。
小屋の探検に繰り出しました。
傾きかけて建付も悪くなり開き難くなった扉を
力いっぱい開け、中に入ると、
ぷうんと古びた香りがしました。
学校で使うような木の机と椅子がいくつか並び
扉の横の壁には黒板がありました。
5人はびくびくしながらも、捜索を開始・・・
いったい何に使うのかわからないような
道具ばかりで何がなんだかわからず
ホコリまみれになった5人は
「やっぱりここはオバケの学校だ・・・」
と確信し、
確信したとたん怖くなってみんなで逃げ出してしまいました。
さて、結局この小屋なのですが、
後日 私がじーさんに
「じいちゃんにだけこっそり教えてあげるけど、
実は庭の奥にオバケの学校があるの。」
と言ったところ、じーさんは大笑いしながら
「あれは、昔 ばあさんがあそこで英語の塾をしてたんだよ」
と教えてくれました。
祖母は若いころは女学校で英語の教師をしていたのですが
結婚して退職した後、庭で英語塾を開いてたそうでした。
小屋はそのときの名残だそう。
どうりで、学校のように机や黒板があったんだ。
絶対オバケの学校だと思ってちょっとわくわくしてたのにな。
カール・ツァイスのプラネタリウム
小さいころ、父親とばっかり行動していたワタクシの
一番うれしいお出かけは
プラネタリウムでした。
その昔、大阪の四ツ橋というところにあった
「大阪市立電気科学館」というところ。
父の仕事の関係で、しょっちゅうここに行くことがあったようで
時々 私を連れて行ってくれました。
なんと行ってもここに行くとうれしいのは
プラネタリウムが見られること。
父の仕事が終わるまで、私はこの上映室で
何度も何度も繰り返して上映を見ていました。
入口にはいつも同じおっちゃんが立っていました。
おっちゃんは私が行くと
「おお。また来たか。ほな中はいり。」と
行って扉を開けてくれます。
一歩中に入るともうそこは子供の私にとっては
本当の宇宙のような別世界でした。
真っ白な円形のスクリーンが天井一杯に張られ、
円形の部屋のど真ん中に
大きな大きな黒いアリのような形の
投影機がどっしりと構えているのです。
ドイツのメーカー カール・ツァイス社製のこの
巨大アリにはたくさんの丸い穴があいており、そこがおそらくレンズに
なっているのでしょう。
その姿はとにかく未来からやってきた生き物!
この巨大宇宙アリこそ私を宇宙まで連れて行ってくれる
いわば宇宙船そのものでした。
そして、大きな背もたれの椅子に腰掛けて
上映が始まるまで待ちます。
上映が始まると、部屋が暗くなり、
大阪の夕暮れのシーンから始まります。
赤い太陽が西の空に沈み、
一番星から順番に星が投影されていくのです。
そしてここはそのBGMとしてワグナーやルビンシュタインなど
のクラシック音楽がかかっており、その音楽と星の姿
があいまって、私にとっては本物の宇宙そのものでした。
何度見てもその星の美しさに感動し
普段は10分でさえ座ってじっとしていることもできない私が、
じっと45分間空(天井)を見たまま座っていました。
やがて上映時間の終わりが近づくと
決まって流れていたのが
ロッシーニのウィリアム・テルの序曲から「静けさ」。
この曲が流れてくるともう夜明けです。
すっかり宇宙に吸い込まれていた私はそこで
ようやく「あ。お父さんどうなったかな。」と
われに返り、扉が開くと父の姿を探しに展示室に
行きました。
今では国産でもすばらしい投影機が作られ、
このカール・ツァイス社製の投影機は
電気科学館の閉館とともにその役目を終えました。
数年前に仕事で行った移転した新しい科学館の
片隅に展示されている姿を見ました。
あのとき、上映前にたくさんの子供たちが
憧れの目で見上げていたあのツァイスが
ぐっと小さくなって
ぽつんとそこにいました。
仕事の合間だったので、ほんの少しの間にそばに
行っただけでそこを離れなくてはならなかったのですが
こいつは本当にすばらしい機械なのになぁ・・・と
なんとも切ない気分になりながら後にしました。
そういえば、あのころ
大人になればこのツァイスを自分のものにするのが夢だったなぁ。
塩牛乳。
子供のころのワタクシの中の世界は姉が中心でした。
姉は当然私より先に学校に行きだしていますので
たくさんの友達をつくったり
いろんなモノを持ってたり
漢字もかけるし、本もたくさん読めるし
日に焼けて真っ黒ですらりと手足が長く
運動神経もよくて、元気いっぱいでした。
それに対して
友達も少なく、運動音痴で色が青白く
チビで、しかもまだほとんど漢字も読めないので
一人で本が読めないような私とは
まったく正反対。
うちの母はじーさんの経営する幼稚園を手伝っていたため
日中は留守が多く、姉がその代わりに
私の面倒をみなくてはなりませんでした。
思えば子供の姉にしてみたら、もっと自由に友達と
遊びたかったりしたことでしょう。しかし
責任感の強い姉のこと。なんやらかんやら言っても
いつも私を連れて遊びに行ってくれてました。
でも、当時の私はそんなことのかけらもまだ理解していません。
(ごめんよ。姉。)
遊びの合間や、家にいたりするときに
しょっちゅうつかいっぱしりをさせられることは
チビの私、ただただ面白くありません。
寒いその日、コタツに当たってテレビを見ていたところ、
姉が「ホットミルク作ってきて。」と私に司令しました。
くそーおねーちゃんめーいばりんぼめー
こんな小さい私にホットミルク作らすなんて
ひどいぞーくそーえぐっえぐっ・・・
とすね泣きしつつ寒い台所で、ミルクを鍋に入れ温めました。
その間にお砂糖の準備です。
お砂糖の入れ物を手に取ろうとすると
となりにもう一つお砂糖の入れ物がありました。
あれ?2つもあったっけ?と
中を見ると、そこには、まっ白、サラサラのきれいな結晶の
お砂糖が入っていました。
「うわー。きれい。きっとこれお客さん用だな~。よし!
せめてもの仕返しで、お姉ちゃんにはいつものこのカチカチに
固まったお砂糖、私はこのきれいなサラサラのお砂糖を
使おう!」と思い、
愛用のコップにそれぞれお砂糖を入れました。
自分のコップには今日は特別にたっぷりと。
そーっとこぼさないようにミルクを注ぎ、
コタツで待っている姉に姉のコップを渡し
飲んでいる姉を見ながら
「へへへ・・・私のミルクはちょっと違うもんね~。やーい。」
とほくそ笑み、自分のコップのミルクをごくっと
飲みました。
・・・・・・・
@:*・。ぉげ*・?!#&‘!!!!???
姉に私の悪事がばれてはならんと
吐き出すわけにも行かず、
死ぬ気で飲み込みました・・・。
テレビの画面に見入りながら美味しそうに
ホットミルクを飲む姉。
そして私は、
この悪事の「ツケ」をさりげなく処理する
知恵もまだついていないため
どう処理してよいかわからずに
泣く泣く最後まで飲み干しましたとさ。
じーさんの沈丁花。
ワタクシのじーさんは明治生まれの長洲気質で
大変気難しく厳しい人でした。
覚えているのはお正月には庭で
先祖代々の日本刀の居合い切りをしている姿。
小さい私はじーさんのその姿に
びびっておりました。
祖母や父母の前ではいつもいつも難しい顔をしながら
居間の決まった場所で碁の本を読んだり、
刀の手入れをしていたり
そんなじーさんでしたが、
実は孫の私たちにはとてもとてもやさしかったのです。
しつけの厳しい祖母の目を盗んでは
内緒でお小遣いをくれたり、
一緒に散歩に行くと、
祖母から禁止されてる買い食いでこっそり
たこ焼きを食べさせてくれたりしてくれたりして、
じーさんは私の相棒でもありました。
じーさんは春先になるといつも毎日毎日、
庭の片隅で目を細めていました。
そこには白地に赤紫の小さな花が
いっぱいいっぱいつぼみをつけている木がありました。
じーさんは目をを瞑って腕を組み、
花の香りを楽しんでいました。
私が一番最初に覚えたその花の名前は、「沈丁花」。
花の季節には私も毎日毎日じーさんとそこに行っては
日に日に香りの強くなる沈丁花の花を楽しんでいました。
やがてじーさんがなくなり、祖母もなくなり、
父と母は近くにできるニュータウンに家を新築することになりました。
そしてそのふるい家ともお別れすることになりました。
私はまだ小学校3年生であまりよくわからなかったのですが、
ようやく友達のようなキレイな新しい家に住めるぞ!と喜んでいました。
引越しということが今の庭ともお別れになるとわかったのは
引越しのまさに当日でした。
庭には毎年夏になると大きな大きな実をつけてくれるザボンの木や、
学校から帰って一分でも早く遊びに行きたいときに
おやつがわりにもいでいったイチジクの木、
じーさんと棒で必死になってとっていた柿の木や
いっぱいいっぱいあるそれらの大きな木・・・。
新しい家にはその10分の1にも満たないような小さな庭しかありません。
父に「ザボンの木どうするの?」と聞くと「もっていかれへんからなぁ・・・」と
さびしそうに答えが返ってきました。
あれからもう25年ほどたちました。新しい家も、すっかり古くなり、
昔の家に住んだよりもずっと長い間暮らしたことになります。
狭い狭い家ですがこの家の片隅に小さな白いつぼみを
膨らませてる沈丁花の老木があります。
実は父もどうやらこの沈丁花だけはどうしても
じーさんの思い出として気になっていたらしく
引っ越した後、一人で元の家に行き掘り出してきたみたいでした。
家の裏手にそっと移植されてたので、私はしばらく気付かなく、
数年後、新しい庭に慣れた沈丁花が懐かしいその匂いを漂わせてくれるまで
私はあの沈丁花が家に無事に居てたことを知りませんでした。
それから、毎年毎年、春になって
沈丁花の香りが漂うと
着流し姿で庭の片隅に立つじーさんの顔と、
会社帰りにこっそりこの木と格闘していたのであろう
父の姿が 目に浮かびます。


