stupid girl's peaceful life -6ページ目

空 トンダ ?

小学生のころでした。

当時飼っていた犬、「秀吉」を連れ、毎日散歩に出かけていました。


当時の家の周りは宅地造成した一面の空き地。

そんな空き地を私と秀吉は走り回り、

花を摘んでは秀吉の頭にのせたり、

蛇の抜け殻を見つけては秀吉の首輪にまきつけたり、

ひっつき虫を取っては秀吉の体にいっぱいつけたりして遊んでいました。


一度外にでた秀吉はものすごい勢いで走り出します。

雑種の犬とはいうものの、当時の私がとびきりのチビでしたので、とても力強く

どうしても秀吉が先に先に進んでいきます。


秀吉に引っ張られ必死の形相で全速力で走る私の姿は

近所のおばさんたちの間では少々笑えるようで

「あら、今日もまた秀吉に散歩させられてるのねー」と

走り去る私の耳によく聞こえてました。


その日もゲージから出た秀吉は勢いよく走り出しました。

周囲は一面の空き地なので車がくればすぐにわかります。

秀吉と私は全速力で空き地を飛びまわっていました。

土手から向こう側の道路に、秀吉が勢いよくジャンプしたその後に

続いて私も飛び降りようとしたそのときでした。



目の前に大きな尖った杭が飛び出ていたのです。


土手の高さが想像したより全然高く、その杭は土手の上からは

見えませんでした。




(じゃーん。初の図説です。 )

㌧だ

 (・・・・・・すみません・・・・これが精一杯です・・・)





危ない!!!!!!


そう思っても、すでに飛び上がった私は

もうどうすることもできません。

杭に刺さったらどんなことになるだろう・・・

一瞬のうちにいろんなことが思い浮かびました。




ところが



ところがですよ。



先に飛んだ秀吉がその私をぐぃっと

引っ張ったのです。


上へ。




上?


そう。上へです。


普通なら、私の目線より確実に下にいるはずの秀吉です。

しかも重力が働くのですから身長差以上に私より下にいるはずです。

それが、ね  私の記憶の中では


もうダメだ!と目をつぶった瞬間

見えたのは 秀吉の後姿と空でした。




次の瞬間私は無事に?道路に着地、転がりました。


いったいどうなにが起こったのかわかりませんが、

横では秀吉が

「はぁ・・・・はぁ・・・はぁ・・・」と荒い息で

見たこともないような険しい顔で呆然と立っています。


振り返ってみると、折れてボロボロに突き出した

1メートルほどの高さの杭がありました。

見ると私の右の太ももの裏には少しばかりの傷と

いくつかの棘が刺さっていました。



とりあえず、刺さった棘を抜き、少し血を絞り出しておきました。

秀吉は?

体を見ると特に大きな怪我もなく、

ただ触れた体からはバコンバコンと大きく心臓が動いているのが

わかりました。



何が起こったかはよくわかりませんでしたが

あの杭にもし刺さっていたら、私は大怪我をしていたはずで

「・・・よかった。お母さんに心配かけずにすんだよ・・・」

そう思いながら、2人で夕暮れの町を家に帰ったのでした。



ちょっとだけ不思議なこと

今日はライブを見てきました。


ギタリストばかりが集まったライブ。

父の影響で音楽が大好きな私ですが

ギターに特別関心があるわけではないのです。

(弾けないからですけど・・・)


じゃあなぜ?というと

これにはちょっぴり不思議な話があるのです。



私は、数年前から北海道に定期的に行ってます。

それは、とても不思議な縁からです。

いつかひとつひとつ思い出して、忘れないように

していくために書き留めるつもりですが

今回は今日の話を書き留めておきます。



毎年夏には 日高の山奥にある アイヌの聖地といわれるある村に

いくことにしています。

ここで出会った縁があり、8月に行われるアイヌのお祭りに参加をするためです。

アイヌの祭りに参加すると、なぜだか決まって不思議な出来事が

続くことが多いのです。


そのお祭りに参加した後、私は少しばかりやることがあったため

北海道の東の端にある、とある施設に行きました。

そして、その施設からその日宿泊する予定の次の目的地までの間に

小さな町があります。

見渡す限り、「雪印乳業」みたいな光景(笑)のその町。

その町は、私が数年前、信じられないような不思議な奇跡に出会った町でした。


そのときの出来事があまりにも信じられなさ過ぎて、私はその後

どうしてもその町になかなか再び足を踏み入れることができなかった場所でもありました。


懐かしいその町を通り、いろいろなことを思い出しながら車を走らせ

町からだいぶ離れたところで、ふと赤いサイロの建物が目に入りました。


小さなレストラン。


朝からほとんど食事もとっていなかったためおなかがすいていた私は

そこに急遽入りました。

すると、そのレストランはなんと残念ながら閉まってしまったところ。

がっかりしながら見ると、すぐ隣に小さなギャラリーがありました。


開いているのかどうかもわからないのですが

近づいて覗いてみると、小さな絵がかかっています。


でも誰もいません。


入っていいのかどうかわからずドアの外で思案していると

一人の男性が通りかかりました。

「中、見てもいいですか?」と聞くと

「いいですよ。でも今日はこれからギターのライブがあるので

その準備をしているのですこし散らかっていますよ。」

「はい。ありがとう。じゃあ見せていただきます。」

「今日のギターの人、大阪出身の人ですよ。」

スタッフの方は、私のイントネーションからでしょうか(笑)

その日のギタリストさんが今は別のトコに住んでいますが

もともと大阪の人だということを教えてくれました。


私は、こんな遠い小さな町でよりによって大阪かぁ~へぇーと

少し驚きつつ、中に入ってみました。


中には、たくさんの版画が飾られていました。



そのうちの一人の作者の方の名前。

それには、見覚えがありました。


すこし、驚きながらも、ひとつひとつゆっくり見せていただいてると

机の上に記名帳があるのを見つけました。


私は、普段はあまりそういうものに書かないのですが

誰もいないギャラリーでなんだかとてものんびりした気分だったので

そのギャラリーの方にお礼がてら

書いてみようと思い、名前と住所を書いておきました。



そして、さぁ出ようと思ったとき、パンフレットに目が留まりました。


それはその日のライブの案内でした。

時間は夜の8時から。

8時には目的地で次の約束があるので聞くことはできませんが

気になっていたので手に取り中を見ました。


そしてそこに書かれてるギタリストさんのプロフィールには


なんと私の住む町の名前。



その方はなんと私の住む町の出身の方だったのです。


なんだか、とてもびっくりしてしまい、一度外に出たものの

もう一度引き返し、先ほどの記名帳に一言だけメッセージを残しました。

「今日のライブがうまくいきますように。」と。



そして、そのギャラリーを後にし、私は次の目的地に向かいました。





そして、その後日談。


かのギタリストさん、その記名帳を何気に見たところ

懐かしい自分のふるさとの住所を見て同じように驚いたそうです。



しかも、タイミングよく、大阪でのライブも予定されており

ご連絡をいただいたので

今日は、それを見に行ってきたということです。



なんだか、小さなことですが、

北海道に行くといつもいつもこういうような

不思議が起こるのです。

実はこの版画ギャラリーにもすこぉし不思議なことが

もう一つあったのですけどね。

ちょっと話が長くなるので今日はおしまい。




私はこんなときちょっと思うんです。

北海道ってやっぱり、そこかしこにまだアイヌの神様がいてるんじゃないのかなー?って。




         ・・・・・・って、ちっとも不思議なことでもないのかしらん?


給食とほうれん草

給食が大の苦手だったことは以前にも

書いたと思いますが・・・


給食の話をすると必ず思い出すことがあります。


只でさえ嫌いな給食の中でも

ワタクシを最高に悩ますメニュー、それは・・・



ほうれん草のゴマ和え。



今でこそ、ゴマ和えも大好きで

自分でつくってまで食べるほどですが

(というか、大人になった私は周囲の(?)環境のせいか

相当な悪食に育ち、かなりなレヴェルの高いゲテモノまで食すことが

可能になりましたので、それから言えば

たいていの人間の食べるものは、「大好き」なのです。)

子供にはかなり不人気度の高いメニューでは

ないでしょうか???



小学校1年の時でした。



私の通っていた小学校の給食は

①大おかず(メインディッシュ。)

②小おかず(副菜)

③パン(うずまきパンや仲良しパン、あげパンなどですね。)

④デザート

⑤牛乳

といった感じでした。


私が問題なくクリアできるのは④と⑤のみ。

まず、チビの私には量的に①~③までを

完食するのは不可能なのです。


その上に、好き嫌いの激しい子供だった私にとっての給食は

ほぼ拷問に近く、

毎回、給食係に「ちょっとだけにしてください。」

と言ってイジワルされてどっさり入れられる

恐怖と戦っていました。(笑)


中学校になってお弁当を持っていく日まで

あと6年間、この苦しみに耐えなくてはならないのか・・・

毎日毎日そう思ってました。


そこへ、


でたよ。でましたよ。



給食メニュー最大の難関。



家でも祖母や母にも毎回、食べなさい食べなさい

体に良いから大きくなれないからと責められる

史上最強最悪のメニュー



「ほうれん草のゴマ和え」



グリンピースの攻略法はかのガキ大将に

教えられたものの、

ゴマ和えに関しては、さしものガキ大将も

目の前に置いたまま思案顔。

あいつも食べれないのかと

ちょっとホッとしてたところ

ヤツはおもむろに顔を机に近づけ

左手に牛乳のビンを握ったまま

右手でスプーンを持ち、まさに犬食いの状態で

ほうれん草を口の中にかきこんだかとおもうと

一気に牛乳で飲み込んでしまいました。


・・・やられた・・・・。


体のでかいヤツなら一気に飲み込むことも

できますでしょうが、

背の順では常に前から2番目をキープし続ける私には

到底まねのできるような芸当じゃあございません・・・。



しかし、このままでは

また掃除の時間まで残される。

掃除の間もぽつんと一人給食を前に残される

惨めさったらありません。


何とか、しなくちゃ。

そう思った私はある名案を思いつきました。

ガキ大将を見習ってとにかく口に入れる。


そして、


食器を片付けました。



一年生は給食が終われば、終礼。

掃除は六年生がしてくれます。

(給食を食べれないと、この六年生たちに

からかわれるのです。)


終礼が終わり、友達と一緒に家に帰ります。


小学校から家までは歩いて、20分は

かかるでしょうか。

黙々と私は歩いていました。

友達と別れ、家の近くまで来た私は

辺りをキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認。

道の排水溝に向かってべろべろべろ~~~と(汚い話でごめんなさい!)

吐き出しました。



しかし、今考えても

あれだけ長い時間口の中に入れておけることができるなら

何が嫌で飲み込めないのか、我ことながら不可解でなりません・・・。



ああ!あのときの私ったら・・・!

エレキくん

小さいころ、寝る前にお父さんの話を聞くのがスキでした。



父親っ子だったワタクシは、お父さんとあちこち行動を共にしていたため

やはり気になるもの興味を持つものはお父さんと似たようなもの。


どうしてテレビはあんなに一杯絵が入ってるの?

どうして電池を入れるとおもちゃは動くの?

電池って何?

電気って何?

この機械はどうしてこんな風に動くの?

電球はなんで寿命があるの?


とにかくなんでもかんでもの質問ぜめ。


そして父はそういった質問の回答をひとつひとつ

絵を描いて、図面を書いて説明をしてくれました。


その解説の中で必ずといってもいいほど出てくるのが

「エレキくん」


決して絵の上手なほうではない父の

笑えるほど簡単なキャラクターで

ピーナッツみたいな人形のお腹に

「E」と描いているのが特徴。


お父さんに「なんで『ヨ』っていつもかくん?」って聞くと

「『ヨ』やなくて『イー(E)』や。電気を英語で表すと『electric』ちゅうから

その頭の『E』や。」

と言ってました。


難しい電気の話もこのエレキくんが出てくると

ついつい一生懸命聞いてしまいます。

私はエレキくんの大ファンでした。



あるとき、いつもの市立電気科学館の展示室の改修が

終わったということで父親に連れられていきました。


今度はいろいろな電気の実験を子供たちが自分で

触って体験できる展示となりました。

そしてその原理の解説板がそれぞれの上に取り付けられています。



ひとしきり夢中になってその展示物で遊んだあと

ふと頭上の解説板の存在に気づき見上げたところ・・・


そこには!

なんとあの「エレキくん」!!!!



父の絵とはずいぶんと違って、そこにいるエレキくんは

きれいな線でスマートに動きも滑らかに描かれ、

パッとみたところではもうまったく違うキャラクター

と言ってもいいかもしれませんが(笑)


隅のほうに小さく書かれた「エレキくん」という名前と

胸の「E」というマークはまぎれもなく

エレキくん。

私のエレキくん。



興奮して父親のとこに走っていき

「エレキくんがここにいる!!!!」

というと父は少し照れながらでも嬉しそうな顔で、

解説板の説明文を監修する仕事を手伝っていたとき

原稿についついこのエレキくんを描いたまま提出したところ

そのまま採用されたということを説明してくれました。


きっと、

私のような小さな子供に説明するつもりで

説明文を考えていたので

描いてしまったんでしょうね。



それから私は、電気科学館に行く度

プラネタリウムよりもまっさきに

このエレキくんに会いに展示室に行くようになりました。




父の電気科学館の仕事が終わってからは

行くこともそうそうなくなり、

そして私が大学生のころ、電気科学館は閉館されました。

エレキくんの解説板がいつまで置いてあったのか

どのくらい置いてたのかもまだ小さかった私は

わかりませんが

あのエレキくん、

きっと誰も気づいていないような

小さな絵だったけれど、

私にとっては本当にまるで絵の中から飛び出してきたような

特別な絵でした。

しゃべる犬

ワタクシの小さいころ過ごしていた家は

田舎の古い古いおんぼろ旧家で、

敷地の中に、祖父母の住む母屋と

私たち家族のすむ家がありました。

そしてその間に大きな庭がありました。

庭は手入れをしなくなってからずいぶんとたつため

すでにジャングルの様相。

小さな子供だけでは奥地のほうに何があるのかわからず

ちょっとした探検ごっこも可能なほどでした。


その庭で、私はいつも姉とその友達の後ろをついてまわり

一緒に遊んでもらうのに必死でした。

当時私は、ずいぶんと離れた場所にある母方のじーさんの

経営する幼稚園に通っていたため、近所に友達が

いなかったのです。


でも、姉にしてみれば3つも違う私の面倒をみることで

行動範囲も狭くなるし遊びにも制限ができるしと

たまには友達だけと遊びたくなるはずです。

時折、私はおいてけぼりにされました。(笑)


 

いつものように庭で遊ぼうということになり、

姉たちは大人たちに危ないから行ってはいけないという

庭の奥の古井戸探検に行こうと思ったようでした。

私を連れて行くにはちょっと危ない場所です。

私がいると気になるのでと、姉たちはこっそり出かけようとしました。


小さな私はまだそのことも理解できずとにかく

置いてきぼりは嫌だと必死に追いかけましたが

追いつかず、姉たちはすでに庭の奥のほうに

行ってしまってました。

それを見て、私はその場にしゃがみこみわんわん泣いていました。

姉に聞こえるように。


だけど、なかなか姉は迎えにきてくれません。

もうひとふんばりとばかり泣いてアピールしていると


ふっと私の頭をなでる手がありました。

「よしよし!お姉ちゃんが迎えに来てくれた!

もうちょっとでつれてってくれるだろうからもう少し泣いていよう。」と

(子供は大人が思っているよりずっと策略家なのです。)

泣き続けていると、

耳元で「泣かないで。」

とささやき声が聞こえました。

その声は、姉の声とまったく違いました。

びっくりして顔を上げるとそこには。


うちで飼ってる犬が産んだ黒い子犬が

ちょこんと座って

私の顔を覗き込んでいました。


子供心にもこれはどういうことだろう???と不思議に思い、

そのクロチビに「え?今お前が言ったの??」と問いかけましたが

クロチビは私の顔をぺろぺろとなめているだけです。

そうしてるうちに姉たちが戻ってきてくれました。

「さっきクロチビがしゃべった。」と言ってももちろん

姉たちは「そんなことあるわけないやん。」と大笑いしてるだけです。


それから毎日幼稚園から

帰ってくるとクロチビに話しかけていましたが

いつもきょとんと丸い目をして首をかしげていました。



そして、ある日私が帰ってくると

   クロチビは貰い手が見つかったということで

           どこかにいってしまっていました。


クロチビ、幸せになったかなぁ。