バルビゾンの風

バルビゾンの風

バルビゾン派(バルビゾンは、École de Barbizon)は、
1830年から1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派である。
フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、
自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。1830年派とも呼ばれる。

 

居眠りする羊飼いの少女  1869年作

種類    キャンバスに油彩  (本画)

作品名 The Shepherdess 1869年作

CHARLES-ÉMILE JACQUE
シャルル=エミール・ジャック(1813~1894)
種類 pastel on brown wove paper
サイズ 52.6×94.9 cm
※ワシントンナショナルギャラリーに

パステル画の習作(下絵)所蔵

 

"本作品の習作である作品が同じ

大きさで同じ構図で同じ1869年に描かれたパステル画が

ワシントンナショナルギャラリーに所蔵されています。

本作品は羊飼いの少女が居眠りをしている構図です。

そして見張り番の牧羊犬が代わりにしっかりと、

見張りをしております。

 

色彩も明るく大変のどかな秀逸な作品であり

ジャックの最高傑作でもあります。"
 

ピックアップ作品集

ミレーの名作が世界の美術館で

常設して見られるのは 20世紀も後半のこと、

19 世紀のミレ ー・ファンはまとまった個人画集もなく、

何を頼りに鑑賞していたのかと言えば、

ここに掲げたミレー原画の複製であった。

 

ミレー人気の安定した 1860年代から、農民画を中心に

数十種の複製が世に広まったのである。

 

もちろんミレーも自作の銅版画は制作したが、その数は希少であり、

 一般の愛好家は当時の美術雑誌や複製名画集に掲載された

モノクロの銅版画や写真製版の複製 画を鑑賞して、

原画の色彩や迫力を想像するに過ぎなかった。

 

しかしその複製想像力があってこ そゴッホは数多くの

ミレーの模写作品をなし、明治大正の日本のミレー・ファンの支持を

集めたことを忘れてはならない。とくに 6) 「帰路に着く羊の群れ」は

1890 年第2回明治美術展覧会 に林忠正の

将来品として展示された「帰群」である可能性が高い。

 

日本で初公開の「ミレー」も 実物でなく

複製版画であったと十分考えられるのである。

ここに出品展示された複製画は有名な

専門版画家と工房による手刷りの名人芸であり、

今日でも豊かな芸術性を保っている。5)8) など

油彩原画の現在行方不明のものもあり、ミレー研究上も貴重である。

 

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2014年に開催された“生誕200年 ミレー展 

愛しき者たちのまなざし”展の府中市美術館と

宮城県立美術館で配布された井出洋一郎氏

(当時府中市美術館館長)執筆のパンフレットより

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1) 「木を切る人(樵人)」

J.-A.ショヴェ作 Jules-Adolphe Chauvet (1828-1906)
1890年 27X21cm ヘリオグラビュール(写真凹版) 

原画は油彩 1853-54年 ルーヴル美術館」

 

2) 「箕をふるう人」

E.ヴェルニエ作 Emile Vernier (1829-87) 

リトグラフィー 1124X17.5cm 

原画は油彩 1853 - 57年 ルーヴル美術館

 

3) 「夏、蕎麦の収穫」

Ch.J-L. クルトリ作 

Charles Jean-Louis Courtry (1846-97)
エッチング 1875年 13.8X17.8cm 

原画は油彩 1868 - 74年 ボストン美術館

 

4) 「落ち穂拾い、夏」

同上 クルトリ作

エッチング 1876年 19.5X15cm
原画は油彩 1853年 山梨県立美術館

 

5) 「羊の番をする女」

G.グルー作 Gustave Greux (1838-1919) エッチング
1884年 25.0X19.5cm 

原画は油彩で行方不明、

パステルはメトロポリタン美術館

 

6) 「帰路に着く羊の群れ」

同上 グルー作エッチング
1881年 18.7x24.8cm 

原画は油彩「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

山梨県立美術館

 

7) 「草を焼く女」

A.フィス作(経歴不詳)

エッチング 1889年 17X12.2cm 

原画は油彩1860 頃 ルーヴル美術館

 

オーギュスト・ブラール(息子)作「草を焼く農婦」エッチング、について
  *作者は「A・フィス」ではなく、

オーギュスト・ブラール(息子)(1852-1927)である事が判明しました。

 

息子を意味するフィスが作家名とされてしまったと思われます。
   オーギュスト・ブラール(息子)はフランスの画家・版画家。

画家のオーギュスト・マリー・ブラール(1825-1897)の息子。

パリの美術学校でフェリクス・ブラックモンに学びました。

また父のもとでバルビゾン派の巨匠たち、

特にコロー、ミレー、ドービニー、

フランセ、アルピニーと知り合いになり彼らの

作品を基にしたエッチング版画を制作しました。


原画は1860年頃に描かれたミレー作「「草を焼く農婦」(37.0x28.0㎝)で、

1902年に所有者であるティエリー氏(1823-1902)によって

フランス国家に遺贈されました。現在はルーブル美術館に展示されています。

この版画は1889年に制作されたとの記録があります。

1886年のオークションで原画を落札した会社(もしくは個人)が

販売用紹介図版としてブラールに制作を依頼した可能性があります。
 

(左) <ブラール(息子)作のエッチング17.0x12.0㎝> 

(右) <ミレー作「草を焼く農婦」、37.0x28.0㎝>

 

 

8) 「インゲンの採り入れ」

E.エドゥワン作 Edmond Hedouin (1820-89) 

エッチング1875年 20.5X16.5cm 

原画は油彩で行方不明 

 

9) 「グレヴィルの断崖」

B.L-A.ダマン Benjamin Louis-Auguste Damman (1835-1921)
エッチング 年代不詳 18.8X22.2cm 

原画はパステル 1871 頃 大原美術館 

 

10) 「春、ダフニスとクロエ」

D.トリップ刊 Editeur D.Tripp 

年代不詳 写真製版40.7x23cm 

原画は油彩 1865年 国立西洋美術館(松方コレクション)

 

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1)バルビゾン派の画家の作品を原画とする複製版画

 バルビゾン派の画家たちは版画も多数制作しました。

その中でもコロー、ルソー、デュプレ、ドービニー、ミレーらの版画は

デルタイユ氏によって1906年に発行されたレゾネで紹介され、

シェニョーの版画は1985年にバルビゾン市によって

発行されたレゾネで紹介されました。

 これらのオリジナル版画のほか、

美術雑誌や複製名画集に掲載する目的でも

バルビゾン派の画家たちの版画は制作されました。

 

入手が難しかったオリジナル版画に代わって

一般の愛好家はモノクロの銅版画や写真製版の

複製画を鑑賞して原画の色彩や迫力を想像していたのでした。

 画家たちも勉強のために複製版画を求めました。たとえばミレー。

1864年2月5日のサンスィエ宛ての手紙に「僕は二三日前に、

見物人としてフォンテーンヌブロオに行つて來たが、

あそこには悠くりと調べるべき面白いものが澤山あったので満足した。(中略)

ファールダンはブルテーレの賣立の目録を

二冊送つて來たが、繪のではなかった。」と書いていました。

 ゴッホはミレーの「耕す人」の模写を描こうとし、

1880年11月1日のテオ宛ての手紙に「シュミットさんのところで

ミレーが描いたデッサンの『耕す人』を見つけた。

 

それはブローン氏によってプリントされた複製写真だった。

シュミットさんは私にそれを貸してくれた」と書きました

(しばらく後にゴッホはミレーの銅版画の

「耕す人」を入手する事が出来ました)。

 このように複製版画は情報が少なかった時代、

国をまたぐ移動が困難な時代に美術のマニア

や画家のみならず、一般の人々にもバルビゾン派の芸術を

知ってもらう役目を果たしたのでした。

ミレー原画の複製版画
4)クルトリー作「落ち穂拾い、夏」エッチング、

について(制作されたのは1876年ではなく1875年だと思われます) 

 クルトリー(1846-1897):フランスの版画家・挿絵画家。

14才の時に建築家のもとで学び、その後版画家の

レオポール・フラマン(1831-1911)に学ぶ。

生涯で500点余りの版画を制作。

 

1874年、1875年、1887年、1889年にパリのサロンに出品し入賞、

1881年にはレジオン・ドヌール勲章を受賞。

19世紀の最も偉大な版画家の一人。

 「落ち穂拾い、夏」のエッチングは、

1875年のオークション・カタログの挿画として制作されました。

1875年は書籍の挿絵として写真が使われる前の時代で、

美術書や展覧会の図録、新聞などの読者に

画像を伝える方法として版画が多く使われました。

 このオークションは1875年4月20日にドゥルオー

(パリのオークションハウス)で「H氏のコレクションの売立て」と

いうタイトルで行われました。

 出品番号54に「落ち穂ひろい 故ジャン=フランソワ・ミレー

1857年のサロンに出品された油彩画の

別バージョンクルトリーによる図版あり」と

書かれています。油彩画を紹介するために

制作されたのがこのエッチングです、

この当時は書籍に写真を掲載する事が出来なかったので、

版画が画像を読者に紹介する方法だったのです。

 

下記に載せたオークション・カタログに

この版画は含まれていませんでした

(持ち主が切り取って鑑賞したのだと思われます)。

 

<1875年4月20日のオークション・カタログの一部

(フランス国立図書館のHPより)

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【川辺の風景】

シャルル=フランソワ・ドービニー(1817~1878)

キャンパスに油彩 47.0×80.0cm


ドービニーの作品に付いて

オランダのゴッホ美術館が当館としても美術史上
とても大事な展覧会を開きました。
それは、「ドービニーとモネとゴッホの風景の印象」と
言うタイトルの展覧会です。

 これは、この題名にあります風景の印象とは
どういうことなのか、それこそ非常
に意味深いものがあります。

 まず印象派の印象と言う言葉が一番大事になります。
そもそも風景の印象とはこの風景は
どう思うかと言うことに発しています。
もちろんご存知のようにモネは正に印象派の代名詞であります。

それにドービニーは印象派の魁と呼ばれます通り
バルビゾン派の画家でありながら印象派にも
多大な影響を与えた画家であります。

ですから印象派と言っても過言ではありません。
それに若い頃のモネやルノアールやシスレーと
言った印象派の代表格を育てた画家であります。

しかしゴッホは違います、
ゴッホはポスト印象派と言われ後期印象派の画家です。

そこにはドービニーやモネとの画家としての接点がありません。
では、なぜドービニーとモネとの風景の印象展なのかと言いますと、
その前に、印象派の名前の由来はモネの
「印象日の出」の作品から来ております。

がゴッホは印象派ではなく印象派の前、いわゆる前期印象派の画家たち
すなわちバルビゾン派の崇拝者なのです。

そのゴッホがバルビゾン派の画家たちの様な
あんな美しい絵を私には描けないと最大限の賛辞を送っています。

特にバルビゾン派の巨匠であるジュール・デュプレには
あの色彩はまるで絵画のヴェートーベンとまで言い切っています。

そしてドービニーについては生涯尊敬していました、
ドービニ‐亡き後ドービニーの住まいがある
オーヴェル=シュル=オワーズで人生最後の時間を過ごし、
70点もの作品を描いたことで知らています.

そして、絶筆の作品であろうと言われます
「ドービニーの庭」と言う作品を
2点描いております。そのゴッホが
ポスト印象派と言われ印象派とは
まるで違った作品を展開しております

表現主義的な激しいタッチでありながら筆運びは
或る意味整然と色彩を華やかに色合いで
並べたキャンバスになっております。

ゴッホは弟テオに宛てた手紙では私には
バルビゾン派のあんな美しい絵は描けないが
私の絵として自分の絵を描いてゆくと言っております通り
その時には日本の葛飾北斎の浮世絵からヒントを得て
北斎の特徴をすっかり自分の絵にしているのです。

そうまさに印象派から脱却した絵を描いております。
ドービニー、モネ。ゴッホは或る意味非常に関係が深いのです

それらは作品に対する感覚の鋭さは同じでキャンバスに対する
自覚した色彩のタッチそれぞれの印象の表わし方の違いだけなのです。

 この前期印象派から印象派そして後期印象派と
言われるポスト印象派への移り変わりの変化を
特徴付けている展覧会でした。

その中に会ってドービニーの作品がいかに
彼らに影響を及ぼしたかが分かるほど素晴らしい作品群でした。

半分以上のドービニーの作品は圧巻で
ドービニーが果たした役割は絵画史上
特記されるべきものでありましょう。

ドービニーのこの作品は
淡い光を帯びて照らす川面の情景の静かさと沈みゆく
陽の名残りの色合いを暮れなずむ丘の樹陰が
しっかりと堅牢な空気感を浮かび上がらせている。

まさにドービニーの真骨頂の作品です

 

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【遠くに風車の見える収穫する農夫のいるモンマルトル風景】

ジョルジュ・ミシェル(1763-1843)

キャンバスに油彩 59.2×73.5cm

政治家でもあり、ロマン主義文学の指導者でもあった

シャトーブリアンは、18世紀の末に、早くも芸術家たちに、

自然の中へ出て行って、自然から直接学ぶことをすすめていた。

 

彼は同一の風景を一日の異なった時間に、

同一の風景を異なった季節に描くことをすすめていた。

彼の忠告はイギリスのコンスタブルやターナー、

フランスのバルビゾンの画家たちの絵によって具現されるが、

彼らよるも早く、同一の場所を様々な時間帯に、

さまざまな角度から、自然に即して描いていた画家がいた。

 

モンマルトルに住み、心にしみる荒涼たる

モンマルトル風景を数多く残したジョルジュ・ミシェルである。

若い頃から17世紀オランダ風景画家たちに

ひかれていた彼は、つくりものではない、

現実的な風景を最初に描いたフランス人といわれている。

 

時代に先行しすぎていた彼は、生存中はほとんど世に受け入れられず、

死後、ルソーとデュブレによってはじめて、正当な評価を与えられたという。

彼の絵には、初期の作品を除いては、

サインが入れられていない。「私は自分の絵にサインをしない。

 

絵はそれ自身で語らなければならないから」と言明していた

ミシュルの絵は、彼の時代の中で、際立った特徴をみせている。

 

光りを含む黄褐色の色調、荒々しい筆致、

風車のあるモンマルトル風景、どれひとつとりあげても、

十分にサインの役目をするものであった。そしてそれゆえに、

当時のアカデミーに受け入れられるものはなにもなかった。

 

彼はほとんどモンマルトル付近の風景しか描かなかったが、

自分のすべてを描くためには、丘へ登り、そこからつづく

小さな森の中を歩き、その近郊を訪れるだけで十分だと信じていた。

 

1810年頃からはサロンへの出品もやめてしまうが、

彼の絵はその後ますます力強くなっていったといわれている。

 

彼の絵は、1879年にルーヴル美術館に抑え入れられ、

近代風景画の先駆者として名を不滅のものとした。

 

バルビゾンでの制作はしていないが、

バルビゾン派の画家、バルビゾン派の先駆者ともいえる。

飯田昌平著・バルビゾンの画家たち 村内美術館名品選より。
 

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19世紀の優れた版画彫師による

バルビゾン派巨匠版画作品展

【彫師一覧】

 

彫師・・・版画を制作する際、
画家本人が行う場合と専門の彫師が行う場合とあります。
一般的には彫師が彫って擦る場合が多いです。

 

制作

・ルフォ-ル作LEFORT(1825-)
・ジュール・アドルフ・ショベ Jules-Adolph CHAUVET(1828-1898)
・テオフィル・ショヴェル作 Theophile Chauvel"(1831-1891)
・ダマン作Benjamin-Auguste-Louis・DAMMAN(1835-1925) 
・G.グル―作G.GREUX(1838-1919)
・ラギ-ユレルミ-作Frederic Auguste LAGUILLERMIE(1841-1934)
・A.ブラ-ルAuguste BOULARD Jr.(1852-1927)
・ジャナン Frederic=Emile JEANNIN(1859-1925)
・19世紀ジョルジュ・プチ画廊
(フランス1877年からバルビゾン派や

印象派の画家たちに貢献して1933年閉店)
・レシニュ作L,LESIGNE
・ブソ-作BOUSSOD グ-ビル商会関係者
(19世紀のフランスで活動した美術商会社)
・ロドリゲス RODORIGUEZ
・クロ-ド・フェヴル Claude FAIVRE


(1)画家名  コロ-(1796-1876)
   作品名  ワジェ通り
   種類    エッチング
  シ-トサイズ 39.6×43.0cm                
   彫師   F-E・ジャナン Frederic=Emile JEANNIN(1859-1925)
       〈左下に”コロ-作画”、下部中央に”ドゥエ-近くのワジェ-ル通り”、
        右下に”F.Eジャナン彫版”の文字有り〉



(2)画家名 コロ-(1796-1876)
   作品名 イタリア風景
   種類  ヘリオグラヴュール
   シ-トサイズ  40.2×29.6cm
   彫師  作者不詳



(3)画家名  コロ-(1796-1876)
   作品名  夕景
   種類   エッチング 
   シ-トサイズ  18.7×26.2c
   彫師  テオフィル・ショヴェル作(1831-1909)
        〈作品下部左に”C.コロ-作画”、下部中央に題名、
        下部右に”T.ショヴェル彫版”の文字あり〉    



(4)画家名 トロワイヨン(1810-1865)
   作品名 家路に就く羊飼い      
   種類  エッチング(1884年作)
   シ-トサイズ  28.8×41.0cm
   擦師 G.グル―作G.GREUX(1831-1891)
       〈作品下部左に”トロワイヨン作画”

下部中央に題名、下部右に”グル―彫版” の文字あり〉  

          

【5】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
   作品名 近づく嵐
   種類  エッチング 
   シ-トサイズ  29.6×41.2cm
   擦師 G.グル―作G.GREUX(1831-1891)
       〈作品下部左に”デュプレ作画”、

下部右に”グル―彫版”の文字あり〉


 
【6】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
   作品名 千し草を積んだ荷車
   種類 エッチング(1879年作) 
   シ-トサイズ 26.4×39.5cm
   擦師 テオフィル・ショヴェル作Theophile CHAUVEL(1831-1909)
   〈作品下部左に”デュプレ作画”、下部右に”Th.ショヴェル彫版” の文字あり〉



【7】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)

   作品名 潮流
   種類  エッチング 
   シ-トサイズ 25.5×33.5㎝
   擦師 ルフォ-ル作LEFORT(1825-)
〈作品下部左に”デュプレ作画、下部右に”ルフォ-ル彫版”の文字あり〉


    
【8】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
   作品名 水飲み場
   種類  エッチング
   シ-トサイズ 27.5×18.3cm
   擦師 ラギ-ユレルミ-Frederic Auguste LAGUILLERMIE(1841-1934)
〈作品下部左に”デュプレ作画”、下部右に”ラギ-ユレルミ-彫版の文字あり〉


【9】画家名 テオド-ル・ルソ-(1811-1867)
   作品名 フォンテ-ヌブロ-の池
   種類 エッチング(1876年作)
   シ-トサイズ 30.0×42.0cm
   擦師 テオフィル・ショヴェル作(1831-1909)
       〈作品下部左に”TH.ルソ-作画”、下部中央に題名、
        下部右に”T.ショヴェル彫版”の文字あり〉



【10】画家名 シャルル=エミ-ル・ジャック(1813-1894)
   作品名 水飲み場
   種類  ヘリオグラヴュール 
   シ-トサイズ 22.3×17.2cm
   擦師 ジョルジュ・プチ画廊版(フランス1877年から

バルビゾン派や印象派の画家たちに貢献して1933年閉店)


   
【11】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
   作品名 ブドウ畑の休息
   種類  エッチング 
   シ-トサイズ 26.5×37.4
   擦師 レシニュ L.LESIGNE作

〈作品下部右に”レシニュによる彫り”の文字あり〉

 

 


【12】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
   作品名 薪拾い
   種類  ヘリオグラヴュ-ル  
   シ-トサイズ  39.3×38.8cm
   擦師 ショヴェ作Jules-Adolph CHAUVET(1828-1898)

〈作品下部左に”J.F.Mの版上サイン”、

下部中央に”J.Chuvetによるヘリオ”の文字あり〉


【13】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
   作品名 休息する羊飼い
   種類 エッチング(1865年作)
   シ-トサイズ 29.3×42.3cm
   擦師 ダマン作Benjamin-Auguste-Louis DAMMAN(1835-1925)
   原画: グレヴィルの断崖、パステル、

43.7×54㎝1871年作大原美術館蔵



【14】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
   作品名 洗濯する女
   種類  ヘリオグラヴュ-ル  
   シ-トサイズ 28.8×20.6cm
   擦師 ブソ-作BOUSSOD(グ-ビル商会関係者)




【15】画家名 シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878)
   作品名 水飲み場
   種類  エッチング(1889年作)
   シ-トサイズ 25.4×38.0cm
   擦師 A.ブラ-ル作Auguste BOULARD Jr(1852×1927)
〈作品下部左に”ド-ビニ-作画”下部右に”ブラ-ル彫版”の文字あり〉 



【16】画家名 ジュリアン・デュプレ(1851-1910)
   作品名 囲いの中
   種類  エッチング(1890年作)
   シ-トサイズ 28.4×39.0cm 
   擦師 ロドリゲス作RODORIGUEZ
       〈作品下部中央”ロドリゲス エッチング。

下部右上に”ジュリアン・デュプレ”の版上サインあり〉



【17】画家名 オット-・ウェバ-(1832-1888)
   作品名 放牧
   種類  エッチング(1889年作) 
   シ-トサイズ 27.1×36.5cm
   擦師 クロ-ド・フェヴル作 ClaudeFAIVRE
       〈作品上部に”オット-・ウェ-バ-”、下部左に”

   

CL.Faivre"(クロ-ド・フェヴル)彫版、下部右下に”
        A.サルモンとアルダイユ印刷所の文字あり〉
   *** Otto WEBER 1832年ベルリンに生まれ、
            1888年ロンドンにて没。
            ドイツの画家。
       フランスのポンタヴェンのブルトン村で制作をした最初の
       画家の一人であった。

【バルビゾン派】
バルビゾン派(バルビゾンは、École de Barbizon)は、
1830年から1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派である。

フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、
自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。1830年派とも呼ばれる。



ミレー『落穂拾い』(1857年、オルセー美術館)などが有名

【主な画家】
コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、エミール・ジャック、
ディアズ、デュプレ、ビクトール・デュプレ(弟)、ドービニー、の
9人が中心的存在で、「バルビゾンの七星」と呼ばれている。

広義にはバルビゾンを訪れたことのある
あらゆる画家を含めてそのように呼ぶこともあり、総勢100人以上に及ぶ。

なお、写実主義の画家と位置づけられるクールベは
バルビゾン派には含まれていないが、
同派と交流しフォンテーヌブローを描いた作品もあることから、
関連する重要な画家と位置付けられている。



バルビゾンの画家達
フランスの19世紀は激動の時代であった。
ナポレオンの帝政、ブルボン王朝の復活、
七月革命、七月王政、2月革命、共和政府の樹立等が相次ぎ、
さらに産業革命が急速に進行して、人々の生活を根底から覆していた。

その激動の時代に、自分の手で自分の道を切り拓き、
今もなお多くの人々に愛され、親しまれている名画を残した画家たちが輩出した。
彼らはそれまでのフランス美術にはあまり見られなかった、
田園風景、働く人々、牛や馬や羊をありのままに描いて、画壇に新風を巻き起こした。

 彼らはパリ郊外、フォンテーヌブローの森の片隅にある
バルビゾンの村を根城とし、勤勉、自由、平等、友情を尊んで、
自然に囲まれて素朴な人生を送った。バルビゾンの村は
人口300足らずの小さな農村であったが、彼らを慕って
多くの若い画家達が押し寄せ、画家の村を形成した。

 彼らは個性を重んじ、派閥を作ることをしなかったが、
当時の新古典主義派の過度な理想化を捨て、
ロマン主義派の誇張を排し、観たものをありのままに
描く自然主義の立場をとった。併し彼等の試みた仕事は
ひとつの主義に収まるものではなく広範囲に及んでいるため、
彼等は彼らの愛した村の名前に因んで、
バルビゾンの画家と呼ばれて親しまれている。

ルソー、ミレー、コロー、ディアズ、デュプレ、
トロワイヨン、ドービニー、ジャック、らがその中心であり、
クールベ、ドーミエ、ドカンらも彼らの仲間に入れられている。

[バルビゾン派]と言う呼び名を採用したのは
イギリスの画商でバルビゾン派を広めた
ディビット・クロール・トムソンである。

彼は1890年ロンドンで
「画家たちのバルビゾン派」と言う本を著した。
それから[バルビゾン派]と呼ばれるようになった。

因みにディビット・クロール・トムソンは
パリの画廊ブッソ・バラドン商会のロンドン支店、
グービル画廊の支配人になっている。

その時に彼は1885年にファン・ゴッホと
弟のテオをやといいれていた。

【バルビゾン派の代表的な作家たち】

● ラザール・ブリュアンデ (1755-1804)
● ジョルジュ・ミシェル (1763-1843)
● ジャン・バプティスト・カミーユ・コロー (1796-1875)★
● カミーユ・フレール (1802-1868)
● アレクサンドル・カブリェル・ドカン (1803-1860)
● ポール・ユエ (1803-1869)
● ナルシス・ヴィルジール・ディアズ・ドラ・ペーニャ (1807-1876)★
● オノレ・ドーミエ (1808-1879)
● コンスタン・トロワイヨン (1810-1865)★
● ジュール・デュプレ (1811-1889)★
● ピエール・エティエンヌ・テォドール・ルソー (1812-1867)★
● ニコラ・ルイ・キャバ (1812-1893)
● シャルル・エミール・ジャック (1813-1894)★
● ラヴィエ・オーギュスト・フランソワ (1814-1895)
● フランソワ・ルイ・フランセ (1814-1897)
● ジャン・フランソワ・ミレー (1814-1875)★
● シャルル・ルルー (1814-1895)
● アントワーヌ・シャントルイユ (1816-1873)
● レオン・ヴィクトール・デュプレ (1816-1879)★
● シャルル・フランソワ・ドービニー (1817-1878)★
● ギュスターヴ・クールペ (1819-1877)
● アンリ・ジョセフ・アルピニー (1819-1916)
● オーギュスト・ポール・シャルル・アナスタジー(1820-1889)
● ユージェーヌ・アントワーヌ・サミュエル・ラヴィエイユ (1820-1899)
● ロジイエ・ジュール・シャルル (1821-1882)
● アレクサンドル・ドフォー (1826-1900)
● トルイユベール・ポール・デジレ (1829-1900)
● シャルル・フェルディナン・セラマノ (1829-1909)
● ジャン・フェルディナン・シェノー (1830-1906)
● レニェ・ジャン・エミール (1835-1910)
● ルイ・エメ・ジャピィー (1840-1916)
● イボリット・カミーユ・デルピィー (1842-1910)
● カール=ピエール・ドービニー(1846-1886)
● レオン・リッシュ (1847-1907)
● ピエール・エマニュエル・ダモア (1847-1916)
● ジュリアン・デュプレ (1851-1910)
● ジャン=バティスト・ジョルジュ・ガシー (1829-1919)