グリュシーの農家(ミレーの生家) | バルビゾンの風

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バルビゾン派(バルビゾンは、École de Barbizon)は、
1830年から1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派である。
フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、
自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。1830年派とも呼ばれる。

 

作品名    グリュシーの農家(ミレーの生家)
種類    鉛筆デッサン(ドローウィング)
サイズ    33.0×44.0cm 
 

ミレーの風景の中に自分を入れ描いた作品は、
油彩、パステル、素描エンピツデッサンのこの三作品しか無い。

1873年作  春(ルソーが亡くなって寂しさの余り描いた絵)68年から5年掛ルーブル蔵86×111cm

1871年作 グレヴィルの断崖(パステル)普仏戦争1870/7月〜1871/5月で故郷に帰っていた。

1854年作 ミレーの生家(自分が生まれ育った家の感慨が滲む作品)

この三作品はミレーにとって人生の思い出となる非常に大事になる作品である。
ミレーの絵には自分の気持ちを特に切ない感情を込めて描いた作品は2点ある、
1860年作油彩の待つ人、これはミレーの母が外の風の音に息子のミレーが帰って来たのかと
外に出て見て今か今かと帰るのを待つ母の気持ちを表現した絵である。

もう一点はドローイングのミレーの生家である。
ようやく自分の生まれ育った家の前に佇み母が亡くなった悲しみに扉を前に、
戸惑うミレーを見ている様です。色の無い白と黒の思い出の詰まった切ない作品であろ。

 21歳で父を亡くし、9人の長男でありながら、
家を捨て画家の道に走り、家を崩壊に導いた悔恨の情に苛まれながら、
とうとう最愛の母や祖母に会えずじまいに故郷の家の前に

佇みこの生家 を想う人生を描いた作品である。


何十年も思い描いて帰るに帰れない故郷の我が家に

やっと帰れた時には母も祖母も、もういない、この地獄の責め苦に似た悔恨

故郷の生まれた我が家だけが、この心を満たしてくれるのか、
ミレーの手に握るエンピツが素描に走る家を描くそれは自分の人生を描いているのだ。
そしてこの家が自分の原点であり人生の出発点でもある。全ての始まりがこの家なのだ。
この家の扉の前に立っている子が家を捨ててからの過ぎた時間を意味している。
早、10年母も祖母ももういない。大きな感慨の下に生まれた作品である。

なぜ?この作品は価値があるのか?
ミレー自身が描かれている意味のある作品
3作品ある。これは大事な事

1853年母の死の知らせに一度帰り翌年、

財産分与のため6月に帰った。丁度絵が売れたので帰れた。
その時に近隣の風景をデッサンしたり油彩を描いたりし、その時の作品である。
 

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