今朝の新聞に小学校4年生の魚田あやかちゃんの詩が掲載されていました。(『大切な命』/金魚が死んだ/とても悲しかった/2年もいっしょに過ごしたのに/病気で苦しみながら死んだ/小さくても大切な命)。
一昨日、我が家の猫が死にました。名前はルナ(雌)。16年もいっしょにすごしたのに。
ルナは16年前、ダンボールに入れて捨てられていました。それを娘たちが拾ってきたので我が家で飼うことになったのです。ルナは黒いキジ猫で尻尾が長くチャーミングでとても人懐こい猫でした。誰彼構わず寄って行ってはペロペロ舐めるのです。それが彼女の愛情表現だったようです。人を噛んだことなど一度もありません。とても優しい性格の猫でした。ルナは子供を産むことはありませんでした。飼い始めてすぐに、我々家族の都合で避妊手術を受けさせられたからです。でも、うちの娘たちに可愛がられて幸せだったと思います。晩年は子供達がここを出て行ったのでルナも寂しかった事でしょう。
ルナの最後を僕の知る限り書きたいと思います。それが僕がルナにしてあげられる唯一の弔いだからです。
ルナが死ぬ前日の事です。母(80歳)が夕食を食べてるテーブルの上に、ルナが飛び乗ったそうです。普段はそういう粗相はしないのに珍しい出来事でした。それで母は激怒し罰としてルナを家から締め出したそうです。しかし、普段ならルナは自分で頃合を見計らって帰って来るそうなのですが、その夜は帰って来ず、母もルナが帰って来ていない事に気付かなかったと、後になってポツリポツリ言っていました。
翌朝、玄関の門扉の横でルナが横たわっているのを母が見つけました。すぐにルナに声を掛けて抱き上げたのですが、すでに冷たくなっていたそうです。その上、昨夜から強い雨が降っていたためルナの身体はびしょ濡れだったそうです。どうして死んでしまったのか原因はわかりませんが、かわいそうな最後でした。
ルナの死で一番ショックを受けているのは母です。あの夜、ルナを締め出した事を激しく悔やんでいるようです。ルナが死んで二日が経ちましたが、我が家の玄関はずっと猫が入れる分だけ(15cmほど)開けてあります。僕が無用心だからと玄関を閉めるのですが、気が付いたらまた15cmほど開いているのです。きっと、ルナがいつでも帰って来れるように、母が開けているのだと思われます。
さて、命とは何でしょう?死ぬとはどういう事でしょう?例えば、あやかちゃんの金魚の命と、ルナの命と、明日潰えるかもしれない僕の命と、何か違いがあるのでしょうか?僕の寂しい命なんかはどうでも良いとして、あやかちゃんの金魚の命はあやかちゃんの4行詩の中で命が輝いているし、ルナの命は母の健気な悔恨の中にこそ救われているように思われます。そして、ルナの訃報を知り電話を掛けてきてくれる娘たちの心の中にも、ルナの命や魂は生き続けると信じています。僕もルナのことは忘れません。
ルナ、我が家に来てくれてありがとう。
安らかに眠ってくださいニャー。