俳句のすすめ(禁煙468日目) | ムッチーの禁煙日記3

俳句のすすめ(禁煙468日目)

これほどの屈辱があるだろうか。尻を蚊に喰われたのだ。しかも、季節外れの、余命幾ばくもないよろよろに弱った蚊にだ。

油断していたのは確かだ。昨夜、少し蒸し暑く、尻を出して寝てたのは浅はかで下品だったと認めよう。
しかしだ、ここは我が部屋、どんな格好で寝ようと、蚊ごときにとやかく言われる筋合いではない。にも関わらず、あの蚊の野郎はオレの尻を喰いやがった。

思い出すのも忌々しいが、最初に何か鋭い小さな痛みを感じた。おや、と思い尻に手をやると、腹をたっぷんたっぷんに太らせた茶色の蚊が、ふらふらと飛び去るところだった。
それからすぐに、激しい痒みが我が尻を襲ったのは言うまでもない。

だが、屈辱的だったのはそれだけではない。
尻を掻きながら気づいたのだが、なんと尻の右と左の二箇所がぷくんと腫れていたのだ。
おのれー、蚊奴め、尻の左右を喰いやがったな!

オレはついにキレた。正直に言おう。この時、はっきりとした殺意が芽生えていた。絶対に許してやるものかと。

逆上したオレは部屋の照明を付け、さっきの蚊を探したがいなかった。それから、武器になるようなものはないか部屋を見渡し、クイックルワイパーが良い感じだったのでクイックルワイパーを片手に、さっきの蚊が隠れていそうな所を片っ端から引っ掻き回した。しかし、やっぱり蚊は見つからなかった。

その時ふと、最近ハマっている俳句がポンと浮かんだのだ。いつもの習慣で、忘れない様にノートにメモする。

哀れ蚊にケツを喰われて我哀れ

『哀れ蚊』とは秋の季語で、弱々しく人を刺す力もない季節外れの蚊の事。確か太宰治に同名の短編小説があった筈。そんな切なげな句がふっと湧いてでたのだ。

すると不思議な事に、さっきまでの殺意や憎しみが消え、心がほんわかしているのに気づいた。それどころか、さっきの蚊に、「拙者の小汚い尻を喰ってくれてありがとう。お蔭様で良い句が出来ました」と心から感謝している自分がいた。

何故か、痒みもすーっと引いていくのがわかった。

あとで分析して見ると、俳句というのは、自分や自分を取り巻く宇宙を心で感じて五七五の言葉に紡ぐ文芸。

大きな心、澄んだ心で宇宙を感じる事によって、哀れな蚊に対する瑣末な怒りの感情など消え、宇宙の命の営みに喜びを感じたのかもしれない。世界は一つ、互いに慈しみ合わなければならない。今回は俳句でそれを教えてもらった。世界中の人が俳句を捻れば、戦争なんてなくなるのではないか、とさえ思う。

私はまだ下手クソな句しか作れないが、これからも俳句を続けていこう。そう思った十月の朝であった。

でもやっぱ、ケツ痒いわ。