天災は忘れたころにやってくる、と言いますが、私の場合は闘病は忘れたころにやってくる、です。

今年の春、検診で肺の異常を指摘され、CTで肺がんの疑いと診断。のちの検査で大方、肺腺癌であろうとの診たて。10月には10日間の入院で、胸腔鏡でのオペ。右肺上葉切除をうけました。

仕事は計40日お休みし、11月下旬に職場復帰できました。

後遺症は、途中痛みや呼吸苦等ありましたが、日にち薬で段々と改善してきているように感じます。

特に、肺腺癌の内視鏡手術を受けられた方がおられましたら、お友達になりたいです。どんなことで困っておられるか、情報交換ができればと思っています。

因みに、私は70歳男性です。住まいは京都市。まだ自営業の仕事をしています。ご連絡、待ってまーす。

 

何故だかブログ書く周期があって、ちょっと間が空いて、久方ぶりに書いています。

先回にか、書いた映画評、あの映画、とっても良かったですよ。

いろとりどりの親子

原題 Far from the tree

家族は似通ったものだ、という諺らしいですが

 

映画はドキュメンタリーで、5組の親子の事例が紹介されます

で、親子なのに互いに壁がある

なかなか一方が他方を理解しにくい事情がある

そのハードルは、性同一性障害だったり、自閉症だったり、ダウン症だったり、

小人症だったり、犯罪加害者だったり・・・

そのハードルのためになかなか家族でありながら両者の間には越えがたい壁がある

原作者のAndrew Solomonさん、彼自身がゲイなのですが、様々な家族のケースを通して気づいたこと。

それは、ゲイである自分のことを親が理解できなかったことと、親が自分を愛していないということを一緒くたにしていたこと、

その結果、親を恨んでいたことに気付いたという点でした。

彼はこのことに気付いてから、長年抱いてきた親への憎しみから解放されたのだと思います

彼は言います。自分は確かに愛されていたんだ、と。愛されていることと理解されることとは異なるのだ、と。

 

I can't stop loving you.* という名曲がありますが、まさにその通り、一般に親なる者はその子を愛することを止めることはできない、ということなのです。

しばしばこのような誤解が愛着関係のある両者の間にはおこりそうです。

DVD 楽しみです。実は映画館、最終日に2回目、観に行きました。それこそ、もう一度観たい気持ちを止められませんでした。

 

https://www.youtube.com/watch?v=aQXsM1l2wZ8&index=1&list=RDaQXsM1l2wZ8

 

 

 

良さそうな映画のご案内です。

過日朝のNHKニュースの中の報道で知ったのですが、

「いろとりどりの親子」という題の映画、お薦めです。

これは是非観たい、と思いました。

 

何が良いと思ったのか、、、、普通という感覚を問い直しているのです。

普通って何ですか?普通でないといけないんですか?

普通でおれない人はどんな気持ちで生きているのでしょう?

違いを認めるってどういうことですか?

このような疑問に、実際の多くの親子を通して正面から向き合おうとする作品のようでした。

当地では12月からの上映なので、まだ予告しか観ていませんが、今から楽しみです。

 

関心のある方はどうぞ。

 

同映画公式サイト、予告編  http://longride.jp/irotoridori/

 

 

昨日ある方のブログで、術後10年が無事に過ぎたことや世話になった人たちへの感謝の思いを綴っておられる記事を読んで、

私自身も、ちょうど9年前の今日が左胸の外科手術を受けた記念日であることを思い出していました。

当時入院中にしたためていた日記があり、久しぶりに本棚から取り出して目を通しても見ました。

忘れていましたが、手術当時の私の罹っていた肉腫の5年生存率は50%であると自分自身認識しており、

当時の結構切羽詰った心境が想起され、改めて、今生きて在ることのありがたさに感じ入りました。

他の方のブログ、それはご本人が闘病の末、亡くなられてしまった方のブログであったりするのを

読ませていただくと、改めて、このいのち大事にしなくてはいけないぞ、との想いに至ります。

病気で苦しんでおられる皆さんの幸運を心より祈りたいと思います。

また、闘病の末に逝ってしまわれた方々のご冥福を祈らずにはいられません。

 

平日のほぼ毎日、二人の孫を保育所に送っていくのだが、よくボブディランさんに出会う。

勿論、この名前は本者じゃなく、何となく似ているから、我が家では彼のことをそう呼んでいるだけ。

ボブさんは齢80も過ぎたお爺ちゃんだが、いつも決まった位置に立ってデイサービスの車を待っている。

ある朝、声をかけてみようと思い立ち、お早うさんと言うと、ボブさん、ちょっと怪訝そうな顔をしながら、お早うと返事が返ってきたんだ。

それ以来、出会えば少し近づいて行って、お早うさんと挨拶を交わす。

といってもボブさんはあまりウェルカムな表情は見せてはくれないのだが。

で、一昨日。

いつもの曜日とは違う少し肌寒い朝、ボブさん散歩をしておられた。

僕「お早うさん」

ボブさん「・・・お早うさん。・・・・・・・・・寒うなって来ましたなぁ」

こう来たのだ。

このボブさんの、「寒うなって来ましたなぁ」のお言葉を聞いた時に、僕の中にとてもナチュラルな歓びの感情が湧き出て来たんだ。

一見何気ない出会いの場面で、自分の中から、こんな類の歓びが生じて来たことに、僕は驚き、かつとても嬉しく思ったのでした。

僕の郷里の丹波。この郷土の丹波新聞の愛読者であるが、それに載っていた記事。

これまたご紹介。いい記事です。と僕は思います。

 

「吃音」のこと知ってほしい 自作曲の披露も 春日の越賀さん東小で講演 

 20181020   カテゴリー: ニュース, 丹波市

説明: https://tanba.jp/system/wp-content/uploads/2018/10/1018-5-1-300x200.jpg

吃音の当事者として思いを込めた自作曲「もう一人の僕」を歌う越賀さん。ギターは足立さん=兵庫県丹波市氷上町石生で

 東小学校で11日、人権講演会「知ってほしい!吃音のこと、吃音をもつ私たちのこと」があり、吃音を持つ当事者で、吃音に対する理解を深めてもらう活動に取り組んでいる越賀美穂さん(54)=兵庫県丹波市春日町牛河内=が講演、吃音を持つ人の気持ちを歌った自作曲「もう1人の僕」(越賀さん作詞、足立大地さん作曲)を足立さんと共に披露し、静かな感動を呼んだ。要旨を掲載する。

 吃音は、どもるとも言われ、ひと言を出すのにすごく苦労し、自分の名前を言うのに1、2分かかる人もいる。普段普通に話せても、電話や人前に出ると急に話せなくなる人もいる。私も普段は普通に話せるが、言いにくい言葉があり、困る事がある。

 西小学校時代、学校は大好きだったが、本読みや発表がある授業は大嫌いで保健室に逃げたりした。答えが分かるのに言えない、返事ができないことも多く、近くのお寺で毎日本読みの練習をした。でも、教室では読めない。

 中学生の時、「お前の歌があるんやぞ」と男子に言われた。どもる私の歌を作り、おもしろがっている人がいるのを初めて知った。悲しく恥ずかしく、泣きたい気持ちだったが、知らん顔をした。泣くと余計にみじめになるから泣かなかった。

 吃音がない人には、吃音を持つ人の気持ちが想像できないと思うが、からかわれたり笑われたりすることがつらく、学校に行けなかったり、職場で苦しんでいる人は大勢いる。

 だから私は、吃音がどんなものか、吃音を持つ人がどんな気持ちなのかみなさんにお話ししようと思った。うまく話せない人の話し方を笑ったり、まねして心を傷つけないように。みんなが進学してこれから先、思うように話せない人と出会うかもしれない。不思議な人、怪しい人でなく、吃音を持つ人かもしれない。そんな時に優しい気持ちでその人の話を聞いて。それだけで楽になる。

 

「逆境という言葉は好きじゃない。人生なんてご飯と一緒。おいしい時もまずい時もあるんだからさ」

 

これは過日亡くなられた元横綱の輪島さんが語った言葉であるとのこと(10月10日付朝日新聞天声人語より)

なかなかに味わい深い言葉を残しておられる。

 

ご飯と一緒、、、、か。

例えるものが面白いね。

 

先日、ニュース番組でとある舞台演劇の上演の話が出ていた。

山田洋二監督、吉永小百合さん主演の映画にもなった作品だったと思う。

原作は井上ひさしさん、タイトルは・・・(ここでググってみる)

 

「母と暮せば」

グーグルによると、井上ひさしさんの晩年の構想をもとに、山田洋二監督がその遺志を引き継いでつくられたものだそうだ。

映画化は2015年、だから3年前の12月に公開されているが、

同監督の監修で、こまつ座により舞台化されたものであるという。

 

その初演が本年10月。その舞台の様子をニュースで部分的に取り上げていたが、非常な迫力だった。

最後の場面、たぶん原爆で焼け死んだ息子と生き残った母親との間で交わされる最後の遣り取りは、これまたこころを打つ。

 

全国数か所を11月に向けて廻るというので、是非ともその舞台を観たいと思った。

 

http://www.komatsuza.co.jp/