今回もドイツの指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「音楽を語る」という本を読んで考えたことを書きます。
まずはフルトヴェングラーの文章の紹介です。
緊張と弛緩の上下は生命のリズムをあらわします。
私どもが呼吸している限り、緊張と弛緩のどちらか一方に関係していない瞬間というものはありません。
2つの状態のなかでは、第二の、つまり弛緩の状態のほうが、はじめの、【より自然的】ともいえる状態です。
(中略)
弛緩から緊張が生じます。
弛緩と緊張は、おたがいにきわめて密接な交替関係をなしているのです。
弛緩が平静で完全なものであればあるほど、この弛緩にもとづいて生じうる緊張は、いっそう強烈なものとなります。
それどころか、緊張に対応して先行せねばならない弛緩によってのみ、はじめてあらゆる種類の緊張が可能になり、ふたたび弛緩にもどる工程を見つけることができるのです。
私の感想。
フルトヴェングラーが言う「緊張と弛緩」とは、筋肉にギュッと力を入れた緊張と筋肉の力を抜いた弛緩のことではありません。
意識的に力を入れたり抜いたりという話ではないのです。
「緊張と弛緩の上下は生命のリズム」と言っているので、上下の動きのあることですから、おそらく「落ちて上がるリズム」のことだと思います。
バレエのようなダンスでは、落ちたエネルギーによって次の動きが引き出されます。
(下に紹介した、コンテンポラリーダンスの振付の記事「落とし切れば戻ってくる」を読んでみてください)
+(プラス)の動作の前に、ー(マイナス)がなければ、踊りにはならないのです。
「1」の前には「0」があります。
ブランコと一緒です。
だから、緊張と弛緩は1セットです。
ブランコは停止した状態から上に上がることはありません。
必ず、落とすから上がります。
この、落としたら上がる体、床を踏んだら上がる体を作るのが、日本人にとっては極めて難しいことです。
それが出来ないので、日本人バレエダンサーは上下左右に張り続けて踊ることを目指している人が多いのですが、その踊りにはフルトヴェングラーの言う「緊張と弛緩の上下」は無いのです。
バレエや踊りだけでなく、人間の動きも落ちたエネルギーによって次の動きが引き出されます。
それは、まさに生命のリズムです。
この生命のリズムから音楽が生まれ、この生命のリズムから踊りが生まれます。
ですから、落としたら上がる体は音楽家にも必要です。
この感覚から生まれる感性の無い人は、どれだけ歌や楽器が上手くてもクラシック音楽を表現できないと思います。