独り自分の限界が人類の限界じゃないことは確かなんだけどな。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
自分の寿命を設定できるとしたら何歳にしたい?  己の目醒まし☂ネタ:自分の寿命を設定できるなら何歳に設定してぇか? 
    ブレードランナーのレプリカントじゃあるまいし、 
    そんな妄想してるほど悠長な世の中じゃねぇだろ!?
参加中 
 
 
いま世の中で とくに なにか兇いことしたわけじゃないのに
つぎつぎに そんな小さな小さなモノ に殺されてるヒトがいるらしいのに 
それを ほとんど他人ゴトとしてるような自分たちが許せなくてな。 
 
反対に 「もっとやれ!」って気持ちもあるよ。 
やるなら容赦なく、こういう奴らを徹底的にやってくれ!」  
そういう 善くない考え方だ。
わずか数十円、原価にして数円もしないようなマスクが 
いまスグ必要なのに それを手に入れられないヒトもいる。 
そのたったの一枚で 一瞬でも心が安心できるなら 
たとえ・・・・省略。 
それが今、今日スグ、この日本にも? 
「ありえない」とは もう誰も言い切れない。 
 
表向きの用語が新種、新型のウィルスってことなのか?
一度に大きくカネ動かす財力者や
一部の権力者連中にとっては 生物兵器なのか? 
誰の目論見や謎解きがどうあれ 
確かに 誰がバラ撒いたとも知れぬ毒槍にビビってはいられない。
どんな死に様になろうと 人間いつかは死ぬ。 
なぜ、そんなことに慄くのか? 
どうして そんな、作為的に突発的なことのような問題に 
脅威、恐怖を感じるのか? 
いま自分が
ヒトとして肉体あって生きている現実に満足してないのか? 
それとも なにか大きく 遣り残したことでもあるのか? 
 
いや、そうしたモノに感染して
それによって必ず死ぬという事実が 
今まだ明確にされていない部分も多い。
 
 
問題は ここだ。 (③~④な。) 
 
  世界中の民間人は今、
  
  なにに踊らされているのか? 
 
どう考えても おかしいじゃねぇか。  
 
アメリカなんて 現実に
あの日から  …もっともっとずっと それ以前からなんだけど。) 
嘘だと信じたい漫画の話の如くマトモな世の中じゃなくなってきてる。
 
  今どこがマトモなんだ? 
 
どうしてみんな平気なツラして 
目先鼻先の自分のことダケやってられるんだ? 
いや、なにやってたっていいよ。  
でも もし自分が今、人間という姿カタチした人類の一部であるなら 
なにか自分の考えとか意見てもんがあるだろう。  
決して黙って見て その場を取り繕ったりする無責任さとは別に 
誰かが誰かの犠牲になってる事実を
ハッキリと自分の言葉で指摘したり 
それが間違ってるとか正しいという以前に 
人間が人間として 
やっていて素直に「おかしい!」と感じたことに
腹を立てたり、反発、反抗したり… 
 
  それが アタリマエじゃないのか? 
 
それを どうして 自分以外の周囲の顔色うかがってから 
てきとうに哂っていられるんだ? 
どなた様も そんな醜い根性のまま 
この先ずっと生きていくつもりなのか? 
親兄弟、孫から親戚一同、何代にもわたり 
優秀さを気取るニッポン人ヅラさげて?  
 
安全に思える方へ逃げることのほうが
危険だということを感じないように 
植えつけられたモノが邪魔してるのか? 
 
  いつから?  
 
たとえば 
自分が疲れて横たわってるときに 
スグ顔の横に 誰かがこいたクソ が置いてあったなら、
 
  どう想う? 
 
ふつう、
 
    臭いっ! 
 
喚かなくても驚かなくても それが  
なにか とってもいいニオイに感じて 
その場で いつまでも笑ってはいられないだろ。
 
すくなくとも 俺にとっては
この世の どんな災害も惨事も 
人災としての病気の流行も 
それと同じようなもんだよ。 
 
とくに そうした情報の捏造や撹乱によって 
大衆意識を操作してる連中も含め 
この地球上に生かされている人間として 
本来の生かされるべき在り方から 
何百年も外れたまんまの人類。 
 
これが ヒトとして赦せない。 
黙ってはいられない。 
自然界を味方につけて徹底的に 
次の世まで つないでやる。 
自分のやり方でな。
トモダチ独りもいなくなったって かまわねぇよ。 
そもそも友達のつくりかたが もうわからん。 未だ、この歳になっても。) 
たとえば 
ファルコ というミュージシャンは 
なにを知って なにを歌っていたのか?  
なぜに あの若さで交通事故死したのか? 
そこいらへんで鼻クソほじってるような今日の日本人には
そんなこと関係ないだろうけど 
「あんた、そこまで 
誰かがなにか探る材料を世間に用意しちゃマズイんじゃない?」
 
そんなこと誰が気にするんだ? 
 
 
とまぁ、ロックな日々の日記BLOGで 
単に洋楽好きな野郎の御託ばっかりなので  
こんなのが体制側の どこをどう動かせるわけでもない。
今日のいま息して なにか書いてるヤツも 
その更新をはじめて覗いてもらって なにげなく読んでるヒトも
六十数億分の一に過ぎない  
そして今、どんなことも  
自分が想うほど 他人は見てない、気にしてない。  
厭きれば棄てる。 想い通りに動かないなら撤収!  
そんなヒマや余裕 は もうどこにもないほど 
みんな自分が生きること、自分ができることで手いっぱいだ。
それでも  
自分と他人は ちがう。  
気血害を相手にしても仕方ない!って奴も見捨てないつもりでいても 
誰も 自分の考え通りに相手は動かない。  
それが人間の世の中だ。 
最初っから 一人一人が創られ方ちがって当然なんだから  
比較する必要なんて はじめっから どこにもない。 
そういう意味で、 妬み僻み貶みの比較3減速な競争社会? 
わずか数千匹、檻の中にいる猿の大将なだけでしかない大日本盆栽帝國。 
そこいらで植えつけられた教育常識で 
煮たり依ったり犇めき合って 今さら何を比較しても意味はない。
 
 
そんなことをアタマに巡らせているとき。
さっき、ふと、
それまで聴いていたいつものネットラジオから 
 
 
    Dreaming With Tears in My Eyes  
    
    Lyrics  原詩 
 
 
この曲 が流れてきた。
歌詞がいい  
べつに そのぜんぶ 意味つうじなくてもいいんだけど 
なんだか ほっとする一瞬。
さっきまで殺伐としてたけど この曲 で救われたよ。
 
カントリーのスタンダードで
Jimmie Rodgers さんという人がつくった曲のカヴァーらしい。
似たようなタイトルで 
Dancing With Tears in My Eyes  
という曲があったけど 
UltraVox 時代のミッジ・ユーロさんは おそらく 
その、Jimmie Rodgers さんの歌も知っていて 
かつて自分が聴いた その曲の素晴らしさを次なるヒトの心へ伝えるために 
その想いを自作曲へ塗り替えることで世の中にヒットさせ 
音楽というモノが人間の世界で果たす役割を見出そうとしたのかもしれない。
U2というバンドのヴォーカリスト と そのバンド専属ドラムスのラリーさんは 
ジミー・ロジャースのトリヴュート・アルバム、
The Songs of Jimmie Rodgers: A Tribute  
その一曲目で 原曲に忠実なまま、ストレートに歌い、演奏している。 
 
 
今後これからも 
いま生きている数より死んだ者のほうが遥かに多い拡い世界なはずなのに 
自分だけが生きて死んで世の中が終わるような格好で 
もうどうにもならない昔を懐かしがってみたり 
その人生に沈む夕陽を眺めて たそがれるなんて嫌だけど 
そんな若さや張りつめた気持ちが 
いつまでもつづくほど誰も元気ではないのかもな。 
 
だけど、元気でいてくれ。 
自分自身を見失わずに。 
…たのむぞえ、ニッポン人! 
 
まだなにも終わってねぇし、
なんにも始ってもいないのが多いんだから。 
たとえ いくつになってもな。