肉体あって生きて生かされている間は、「これでいいや」では済まされねぇよ。 #3  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
    
    
おはようっス! 
映画『ピカレスク - 人間失格 の病棟シーンで、太宰治 役の主人公を押さえつけ 
注射を打っている医師の一人をやってる、みなみです。
彼はロック歌手なので、イレズミのない反対側の腕を狙ってます。
非常にしなやかな腕でした。
ええっと、ロケ地は秩父の山奥で、ちょうど こんな季節だったか…。 
ヒロイン役の…誰だったか? 名前は忘れた。すまん
照明スタッフの非常に手際のよい仕事ぶりは今も鮮明に記憶に残ってます。
    
ふと、数年前のそんなことを想いだした今日は2007年7月22日。 
今日の午前中に、妻の母親を介護施設へ連れてゆくことになってる。
ここ数日、
「今このままだと、ここ(自宅)にはいられないよ」
この台詞は、本人の肉体をほぼ完全に乗っ取っている状態の
“別の意識のモノ”にも、そうとう応える模様で、
これを云われたあとは、数分~数十分は、人間の自分自身を取り戻し 
ハキハキとして、動作も人間ぽくなる。
何が憑いているか? の問題ではなく 
なぜ、周囲の者との関係を断ち切るほど自分自身を見失い 
自分で自分のことをどうすることもできなくなったのか? 
いつ頃に、自分自身の人生を投げ出す強い決意に至ってしまったのか? 
巷の世間様常識では、アルツハイマー博士の名前を譲り受けた病名をつけられると 
脳に障害を持ったことの原因を、脳内の異常がどーのこーの…
と考えられているかも知れないけど 
単に結果だけを診て、その名前をくっつけられた者が 
どうしてこのようになっちまったのか? 
そのハッキリした原因は世界的に究明されていない。
その原因をある程度まで突き止めたうちの一人としては 
福祉医療だの介護だの、そういう“ごもっとも”なこととはべつに 
同じ屋根の下に住む人間として、今後これから残された時間の間に 
本人がどこまで人間の状態…というか、自分自身を獲り戻して、いかにして 
「…ああ、今日まで人間として生きてきて善かった」
というような気持ちで死んでもらえるかどうか? 
ここんとこが重要な課題なわけ。
そのために、今の肉体と精神のバランス消失は、どこがどうなっているのか? 
これまでも通常の人間には到達できない原因究明の鍵を解いてきた。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014887424.html  July 18, 2006 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10017931895.html  October 03, 2006 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10019445859.html  November 05, 2006 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10021672762.html  December 16, 2006 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10036956958.html  June 17, 2007 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10039594454.html  May 30th ~ July12th 2006 
その他のリンク先 省略
とにかく、孫の顔(俺の息子。もうすぐ7歳)は判っても、言葉を交わすことは一切ない。
一週間のうち8日間は、自分の孫であることも忘れている模様。
これは、今の状態になる以前からのことだった。
孫が産まれたときは顔を見るために、わざわざ東京へも出てきたんだけど
妻と息子の3人で2004年の夏に佐渡へ来た当初から3年の間は
俺はともかく、孫に対しても、ほぼ他人の子供としての振る舞いでしかなかった。
そしてここ2年のうちに急激に肉体を変形させ、今は人相まで人間ではない。
…ちなみに、先日の介護施設利用のための審査結果は
70歳(女性)にして介護認定「4」という重度な審査結果なんだけど 
本人は風呂へ入るにもトイレを遣うにも面倒なので中途半端にしているだけで
直接の肉親である妻や妻の父親である本人の夫も 
ここまで気苦労が耐えないと自分たちが参ってしまうことを覚っている。
俺は瞬間的に、そのときの本人を視て 
「コイツは今、本来の人間の状態なのか? “別のモノ”なのか?」
を区別して対応するようにしているので、最近はかなり気味のわるい、
背筋がゾッとする雰囲気を醸し出してることが多いんだけど 
「ちゃんと人間をやれっ! 最期まで投げるな!」
ということに気を緩めることはない。
これまでの本人の人生がどうだったかについてを考えても
自分の人生ではないので知ったことではないけど 
疲れるっちゅやぁ疲れる。
でも、いちばん疲れて大変なのは妻の父親だ。
最近では
「オレは子供ができたから、ここにいたけど
 本当は、この家にいたくなかったんだよ…」
ということまで想い出すようになっちまった。
もう限界だな。
一緒にいたくないのに、仕方なく一緒にいる…という心理と 
選択した限りは最期まで諦めてはいけないという男の覚悟。
少し休息が必要だ。
そのために、今日一日。なるべく長い時間、妻の母親を施設へ預ける。
どうなるのか? 
ここ数日は「恐くて眠れない」などと、
明日の予定なんて、曜日も時間も太陽の動きも関係ない状態なのに
本人の肉体に居座ってるクタバリ損ないの意識が 
居心地いい場所から無理矢理に移動させられるので 
ソイツが一種の不安を察知しているのか? 
おそらく、今日は外出を拒むと想う。
素直には無理そうだけど、妻や夫ではなく 
いちばんの他人である俺なら、そこに潜んでるモノを
徹底的に洗い正す気合なので、ここ数ヶ月のグータラな日常に
必ずメリハリをつけてやる。
おたの隅に。
    
    
    つづく。 
    
    
    
    
    
    
    
    
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