肉体ある制限期間内に定められた自然界のルール。その幾つか。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
テーマ:月刊 『 育つ場所がちがう 』 号外  
    
    ロックで偲ぶ…ナンタラのページのつづき   
    http://ameblo.jp/badlife/entry-10036958216.html  
    
    title:肉体のあるうちにしか己の役割をまっとうできない自然界の掟について 
    
    
    俺の肉親、実の父親も母親も
    いまのところは、まだ生きている。
    兄弟も、弟が独り。
    俺の息子も、ミレニアムの年から
    もうすぐ8年目を生きることになる。
    自分を基準に考えるなら
    この地球上で俺自身も、
    親よりも先に死ぬという
    勝手な親不孝を実行してしまうことに逸ることもなく
    いまのところは、肉親を失った哀しみというものを知らないで生きている。
    8年、7年もすると、世の中も大きく変化して
    世間には、自分の家族の父の日や母の日、子供の日を
    平穏無事な心境では過ごせない人もいる。
    その人たちには、一年のうち、
    父の日、母の日、子供の日以外にも、
    その誕生日や命日もあるので、すくなくとも3回以上は、
    自分の直ぐ近くにいた存在のことを想い出すことがあるのかも知れない。
    また今の世の中は 、想い出しても、なんとも思わない人もいるかも知れないし、
    明るく笑って、
    「はい、プレゼント」
    と、生きているなら自分で買った何かを手渡す相手がいる人もいる。
    生きるってことの素晴らしさの中に
    生かされているという実感。そこに感謝があるのみなら、
    自分の死ぬまでの間は
    父の日も、母の日も、子供の日も関係なく
    自分らしさを見失わずにいられるのか? 
    肉体が健全で、気持ちも穏やかなまま
    身も心も常に健やかでない限り、それはありえない。
    いつから、何を見失い、
    どこから外れて、なんのために肉体の自由を損ない、
    その肉体を動かす心に歪みを生じさせたのか? 
    問題はそこだ。結果ではなく、原因。
    すべてが、己自身にある。
    過去なくして現在はなく、今をなくして未来の再生も修復もありえない。
    
    妻の父親も生きている。
    母親も…まだ一応は、人間の姿に近い状態で
    全身の筋肉を変形させ、精神を奇形に変貌させながらも 
    周囲の者に迷惑をかけて、のうのうと生きている。
    家族は、俺の息子以外は全員が
    「一刻も速く死んでもらいたい」という気持ちでいる。
    そのために、立派に惚けているご本人様よりも 
    周囲の者の精神が荒む。今生における魂の汚れ。
    自分でも嫌になる。つくづく。俺も、妻も。妻の父親も。
    介護や福祉、人権なんて言葉そのものは
    社会の中でキレイゴトでも、
    実際に、その乾涸びさせた脳味噌、惚けと闘っているのは
    決して本人ではなく、周囲の者だけだな。
    世の中の表面で言われてることは、すべて嘘に近い。
    そんな妻の母親の誕生日が、昨日、6月15日だった。
    妻は、チョコレートケーキを焼いた。理由は
    「一龍【いちろう】(もうすぐ7歳)が食べたい」
    ただそれだけのこった。
    実の娘でも前向きに成長する人間には親切でも
    母親の誕生日を祝うなどという気持ちは毛頭ない。
    そんなことを親孝行などとも思わないほど
    最早、何の母親だったのか人間なのかも判らない妻の母親は、
    周囲の誰がテーブルの皿の上へきちんと用意してやっても食べない。
    すべてにおいて面倒らしい。
    そのくせ、人目を盗んで、鍋の中身を手掴みで喰ってみたり 
    牛乳が配達された朝は
    必ずいちばんに、コソドロのように玄関を出入りして
    部屋の寝床へ持ち込んで、飲み干すと
    必ず、空の牛乳瓶を横にして床へ置いておく。
    仏壇のソナエモノも平気で口へほおばり 
    最近は取れたての生の梅まで喰っちまう。
    その瞬間から、自分がやったことを覚えていないようなフリをする。
    人相や身体の格好は日に日に醜く変形している。
    喰って寝てクソこいてショウベン垂れて、あとは一日中、
    部屋に籠もってるだけで、そこいらの犬や猫よりも動くこともない。
    自分でなんとかできても、風呂もめったに入らない。
    周囲が風邪をひいても移らない。
    バケモンだな。
    最近はどうも、そういう人間ではない状態を
    わざわざ自分から買って出るほど、
    生きながらにして奇怪な気配の者に魂を売り渡した様子。
    俺の夢にまで出てくる始末だ。
    変形させた肉体は蜘蛛の手足のように腕と脚を逆さに折り返して
    黄ばんだ醜い格好で、こっちを嘲笑いながら、周囲に悪垂れをついている。
    映画『エクソシスト』にも勝る薄汚い状態。
    俺も、そんな夢は観たくないんだけど
    生霊も怨霊も魑魅魍魎も、あそこまで行くと、一種、芸術の域を超える。
    人間がああも醜くなれるものなのか? 
    どうやら、本人そのものばかりでなく
    何世代か…近い先祖にも問題あった模様。
    妻の母親は独り娘だったんだけど、
    その父親がどうしようもないノンダクレで、
    戦争から還ってきてから別に女をつくって家族を捨てている。
    今の家系は他所から来た妻の父親に受け継がれたんだけど
    俺や俺の息子が跡継ぎとなる以前、
    これが絶える寸前になっちまう以前には
    実際、産まれついてなのか途中からなのか
    頭脳に障害を来たしていた女性が2世代前にいて
    墓場には、その無縁仏がある。
    俺の実の父親の家系ほどの複雑さはないので
    詳しく調べるのも寺へ行けば判るらしいけど
    そういうことを自分の先祖や兄弟のこととして
    いちばんにちゃんと覚えておいて、
    次の世代に供養を任せるための語り継ぎをすべきは、妻の母親の責務だ。
    そういう大切なことまでを放り投げて、無責任にも惚けちまって
    最早、知らぬ存ぜぬのテメェだけの勝手な人生で幕を閉じる気でいやがる。
    俺が人間として一歩も譲れない、絶対に赦せない怠りはそこだ。
    それはそれで俺の管轄外かも知れないけど
    俺の子供が直径の血筋になるので、そうは問屋が卸せない大根2本だ。
    人参で沢庵は作れないだろ。 ???? 
    本人が生きているうちに
    本人が自分の人生を投げ出すキッカケとなったこととあわせて
    供養以外の方法で封印か消滅…クタバリ損ないの魂の抹消…浄化に近いことを
    考え出さなきゃならない。
    自分の人生ではないので、そこまでやってやる必要もないかもしれないけど
    その手段を導き出す時間を無駄にするより
    ほかになにか方法はないのか? 
    生憎、俺の息子も含め、この人生にも関わっちまった家系なので
    本来なら凄然としていたはずの血族、家系継承が、どこからひねくれていたとしても
    それを途中から正常な人間として生きて死ぬことに目覚めたからには
    なんとかせにゃならん。
    これは今の世の中で、過疎化地域に住む俺ばかりの問題でなく、それこそ、
    今の時代の日本全国で至る所にある問題で、その修復は不可能なことかも知れない。
    考えるだけ馬鹿らしい。
    そもそも、そういうことが可能な力を持った存在が
    今の俺の周りにはいない。 かつてはいた。つい7年前までわ。
    
    わるいな。そういうことで、
    世間では父の日だとか母の日だとかあっても
    俺には、人間がこの世に生かされている本質を無視したウワベだけの
    旧い常識やシキタリをひきずった崩れた慣わしにしか思えない…というより、
    この40年間、そういう日を迎えても、ちっとも清々しい一日と感じたことはない。
    そんなものの祝い、暦上の人間常識はクソ喰らえとも思っている。
    先祖供養が足りない? 
    それもクソ喰らえ。
    そんなことで世間にあわせることや努力が
    ここまで荒んだ世の中で、自分が生きる上で必要なことなのか? 
    旧い常識は捨てて、鮮しく世の中を塗り替えた方がいい。
    肉親の命あっても、父の日や母の日が楽しい人からすると
    こういう薄汚れたヤツもいるんだよ。
    
    ひとついい方法がある。
    親につけてもらった名前を変えてから、
    戸籍上も新たに姓を独立させて
    完全に自分の代からスタートする家系をつくる。
    生きてる人間は蒸発でもしないかぎりは死亡届も出せないので
    法律上はそうやって命を替える切り替えもできるらしい。
    簡単にいうと、すべて同意の基に紙の上で離婚してから
    財産を相手に譲渡して、そこへ再びくっつき直す。
    べつに犯罪ではないだろ。過去の家系を一掃して捨てるだけだ。
    どうなるのか? 
    あとは己次第か? 
    自分が一代目の先祖として
    途中で自殺者や無縁仏を出すような
    人類継承の奇形・変形・彷徨い残りやクタバリ損ないをつくらぬように
    この世に生かされる人間として、その後のすべての継承者が
    肉体的にも精神的にも健全に生きられる術をもってして
    ここから脈々と正しく、命を受け継いで逝けばいい。
    そう考えると、勝手に臓器を売買したりした人よりは
    借金を苦に戸籍を売り払っちまった人の方が利口かもな。
    自分の先祖霊のシガラミともキッパリ縁が切れてラクになる。
    普通の一般常識の中で生活している人や
    そういうことが「ヘン!」と想っちまうような人には無理だ。
    そんなアホな覚悟を決めるよりは、
    今まで通り、普通に、人並みに、盆や彼岸に墓参りへ行って
    やがてはそこへ自分も納まるだろう勝手な想像の中で生きるしかない。
    その方がラクだろうし、生きていて幸せだ(と思う)
    
    死に方がどうのこうのではなく、肉体のあるうちの生き方の問題。
    このまま大勢の人類が死後を彷徨うことになっても 
    俺は自分の死んだあとに、完全なる魂の分解と
    滞りのない再生(生前に肉体を持っていた意識は持たない状態の正しい再生)
    を希望しているので、今後は
    今のままの状態で生きて、肉体を引きずりながら精神を歪ませるような
    そんな生き方も死に方も臨まない。
    これは、空を飛ぶ鳥が運ぼうと 風にさらわれようと
    いつしか種が堕ちた土へ雨が降り注ぎ、
    そこから芽が息吹いて、やがてその緑が陽の光を浴びて…
    東から西へ暮れる日の流れを積み重ねる“時の中”で育ち 
    花を咲かせ、実を結び、枯れる。そしてまた鮮しく息吹く命が
    種を変えずに育まれる。
    最近の人間の多くが、そういうことからも外れちまっていても、
    その、創られ、産まれ、育ち、死に逝くという当り前の繰り返しと同様に
    自然界が整然として営まれるうえでの物事の道理であって
    何かの思想や宗教ではないし、
    そこいらの適当に出来あがって世間に祭りあげられた財界のトップの人生哲学でもない。
    自分が生きていて、目先鼻先の欲を満たすことに囚われ、
    その“惑わされ”だけに夢中になってちまってるような人には
    こういうことを言葉にしてしまった時点で 
    『なにかの本』を読んだような余分な知識に結びつけてしまうかも知れないけど
    人間てのは、肉体を持って生きて人間やってる期間だけが人間ではないの。 
    わりぃけど。
    男でも女でも、健全な肉体を動かす精神、心、魂は
    死んだあとには正常に分解処理され、浄化される仕組みにある。本来ならな。
    しかも、生きている間に悔いを残さず、様々なことを経験した魂の成長は
    次の再生のときに構成される魂の持つ、そのひとつの能力として利用されても
    それがかつては肉体を持って生きていたときの感情や意思は持たない。
    というより持てないし、持たせない。誰が? 持っていては困るわけ。
    そういうことが、俗にいう潜在能力としても備えられいて、
    ヒトの馬鹿・利口の創られ方の程度でもあり、肉体を持って生きているときに
    何をするかの役割も決められることになる。
    そのために生まれながらに歌が上手な人も、足が速い人も、営業が得意な人も
    楽器の演奏が先天的に巧い人もいる。一人一人に創られ方の違いがある。
    今の社会は、ゴミ拾いやってりゃぁラクな人や泥棒が政治化とか企業主になってたりしていて
    己の器に分相応な役割分担がメチャクチャになっちまってる。
    そういう現代ってのは、誰がどう考えても、自分に正直に生きようとする人ほど苦しくなる。
    ヒト・モノ・カネの回し方が争いや殺戮に偏ってる理由もそこにある。
    なにが自然界の道理を狂わせたのか? 
    教育そのもの。その何者でもない。
    過剰なまでの男女平等思想、必要以上の男女同権の主張なんてのは
    人類の母体を破壊した諸悪の根源そのもので、今や男女の区別さえも、
    ヒト一人が新たに この世に産み落とされる以前から判りにくくさせちまってる。
    (人類の母体が今、どのように悉く破壊された現状にあるのか? については、
     後日あらためて、今まで以上に克明に記すことにする。
     これについては、読者ばかりの問題ではなく、すべての現代人に
     それなりの覚悟が必要となる…ので、そのつもりで…ね
。) 

    それは、これまで無駄な枝別れをしてきた宗教の教えや思想の分裂も含め
    最初に何かを唱えはじめた連中…釈迦であろうとキリストであろうと、いかなる聖人君子でも、
    連中による人類継承の未来の捉え方も中途半端だった。
    自然界に生かされる人間。その在り方が、心身ともに、どのような仕組みにあるのかを
    不明瞭なまま、視えない世界をその場しのぎに都合よく騙り継がせたので
    弟子の一人が「なんかおかしい」と気づくと、また団栗の背比べの繰り返し。
    それがのちのち今この時代まで、大勢の人類を悩み苦しませ、
    下等な殺し合いまで繰り返させてる。
    
    そういう意味で、原種・原型は数種しかいなかった犬や猫を様々に掛け合わせて
    雑種をブランドにした現代のペットブームと、今の世の中の宗教は同じようなもんだ。
    その証拠に日本の新興宗教や下種な宗教法人の教祖には
    クタバリ損ないの犬や猫などの動物霊がくっついた能力を
    それがあたかも神がかりの透視能力だと勘違いしてるアホも多い。
    信者や組織票集めのみなさん(特に高齢者)
    そのキツネやタヌ公の化かしあいに喜んで騙されてる。
    今の日本人だけだろ。そんな他力本願寺の檀家のようなのが
    何をマトモな世の中にできるもんか。医学も、教育も、経済も、政治も、宗教も、
    世界中の人類として落ちぶれの代表が今の日本人と日本人の社会。
    狭苦しい思想の枠に縛られて、肉体や精神がラクになるわけがない。
    人間の成長は宗教や思想、学問や学識では育めないし、
    創られ方の取り決めを無視してもしなくても、人間は人間を教育できない。
    道理は道理。基本は変えられない。
    生理が嫌で子宮を採っても、ポコチン邪魔で切り取ってホルモン注射バンバン容れても
    産まれる以前から女は女。男は男。
    子孫繁栄の義務はゴキブリでもマジメに遂行してるぜ。
    世の中の教育や科学の常識は、そのうち人間を
    カエルのような両生類に改良できるとでも想ってんのか? 
    ジャンクフードと抗生物質で全身血液がヘドロ状態の毒ガエルか? 
    いっそのこと、遺伝子操作でカエルそのものを丸ごとヒューマノイドにしちまうか? 
    子供は水中出産。皮膚のヌメヌメしたベロが長い人類…。オエっ。ああキモイ。
    アホなSFネタやってる場合でない。でも、今の時代、それに近いよな
    
    ただ人間の場合、一人この世に存在している今も、その寿命を迎えるまでに
    受胎の瞬間にはじまった細胞分裂と同時に
    やがては人間の形になってゆく肉体に容れられた心、精神、魂の成長は
    この地球上において、他の生命の育み、その魂(?)の構成よりも特殊な部分…
    簡単にいうと創造した側の存在言葉でいうところの神を感じられる能力が
    普通なら誰にでも公平に備えられてあるので
    かつて、これまでの人類の、あらゆる宗教の分裂や枝別れが曲解してきた神の存在。
    それを騙ってきたことには、ほとんど中途半端な考察が多かった。
    また、フロイトやユングとかに始まった歴史の浅い、『ヒトの精神分析』とかいう単なる学問とか
    生きてる時代が異ってるのに、それで人の心を悩ませる哲学や科学理論、現代医学も
    地球が自転と公転を規則正しく繰り返す中でのヒト(人類)の魂の成長には
    追いついていかない。今はもう、とくに。
    学問・学識・思想・宗教・科学・現代医学・最近の教育常識ってのは、どれも
    根本的に人間を解らない中途半端な考察でしかない。
    そんなモノで出来あがる完成品には魂の成長はありえない。
    地球を肉眼で見てしまった瞬間に宇宙空間で中途半端に解脱して
    心身のバランスがおかしくなってる宇宙飛行士と大差ない。
    とくに、肉体と心の基本的な部分。基礎がない。
    そういう浅墓で幼稚で滑稽なものを ちょっとだけ参考にする程度ならまだしも、
    特定の分野に囚われて自分自身を見失うってことは、最近の現代人のうち
    先進諸国で教育水準が「無駄に高い」とされる、
    立派な文明人のみなさんが得意とするところで、
    結局は、自分に嘘をつきつづけることになっちまう。
    俺はもう、そういうくだらん旧い時代の常識とはオサラバしたの。
    やってらんない。そういう連中と軽く友達になったりして
    適当な居酒屋で酒を浴びて終る人生も嫌だ。疲れるじゃん。そんなのは。
    
    そういう意味で、今の俺はこのまま 
    肉体を引きずりながら精神を歪ませるような生き方も死に方も臨まない。
    正常な寿命を迎え、自分の肉体が崩壊して死んだあとには、
    そこから正常に離脱した魂の完全なる分解という浄化の果てに
    次なる滞りなき再生と次の人類の構成の一部になるという、自然界における道理。
    そういう当り前の生命としての進行を望んでいる。 
    そのためには、人間の場合、今日という一日に悔いがあってはダメなんだ。
    やりたいことは すべてやってから死ぬ。
    できないことは やらなきゃいいだけのこった。
    自分の器、力量、容量以上のことを望むから、
    人間はおかしくなっちまう。
    しかも、機械に踊らされて。
    クルマにしてもケータイにしても、在る物を遣う。
    ひっぱたいてでも動きゃぁいいんだろ、そんな物は。
    (今日はもう、人間がこの世に生きて生かされている理由。
     それについて、だいぶ正確な解答を出したぞ。途中に脱線もあったけど。
    …まだ伝わってねぇか? 死なないと解らないヒトも多いのか? 
    今のまま肉体を失ってからでは遅いっつーの
。)

    
    それでも難しいのは他人のモノと自分のモノの区別だ。
    人間に備えられた基本的な性欲も食欲も
    野望も夢も、一見して複雑そうに見える世の中の情報には 
    あまりにも余計なモノが多いために
    それに絡み合う様々な諸問題が肉体と心をちぐはぐにさせちまうこともある。
    でもって、人は無意識のうちに自分が何者なのかを見失う
    心身ともに。
    果たして、この肉体も俺のモノなのか? 
    俺自身も過去40年間、独りでいる時間が無駄に長かったために
    その答えをハッキリさせる実践が身について、こんな薄汚れた今よりも
    心がキレイになるまでは、まだ少し時間がかかりそうか? 
    どうなんだ? 
    おい、応えろ! 
    
    ったく、どんどん先にクタバルんじゃねぇよ
    最期までちゃんと教えてからにしろよな。
    でないと、回答だすのに ひと苦労じゃん。
    あと60年は生きてやろうってのによぉ。
    
    おお、そうか! 
    みなさんより長生き。
    ラッキー! 
    さようなら! 
    
    過酷だけどな。
    
    
    
    
    後日、このページも、もっと具体的にした内容として、つづく。 
    
     あなた、内臓あげますか? それとも、人生なげますか?  
       http://ameblo.jp/badlife/entry-10039764750.html