地球を減速させるな。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
From this world to the next And from the next back to this
By our actions we are bound
We're running out of love, Running out of hate, Running out of space For the human race
Planet Earth is slowing down
   
   
ふと、思ったことで。
トランジスタ・ラジオを自分で組み立てるとき
非常に細い銅線(エナメル線)が何十周にも巻きつけてあるコイルやコンデンサーを
プリント基板の穴へ差し込んで
裏側から配線処理された部分へ半田づけをしたりする。
そういうことが とにかく楽しかった時期が俺の思春期だったんだけど
男としてマトモな彼女ができたのは二十歳過ぎだった。
童貞の壁は19の時に破った
中学生のとき、友達のラブレターを何通も書いてやった。
俺が書いた内容を、家へ帰ってから本人が書き写す。
それを翌日か、本人が日のいい日とタイミングを見計らって
相手に渡すわけなんだけど、だいたい実ってたな。
バレはしない。
たとえば、いろいろな日常の思いを綴った途中に、さりげなく、
「今の自分が地球も丸ごとぜんぶ君を大切にするほどの思いで
できることなら、いつまでも一緒にいたい。」
とかなんとかに、I sweet on you とかのメッセージを添えて 
そんなような手紙を、相手の目を見て
「そういう眼の輝きがいいよな」
とかの一言を云ってから手渡せよ。っちゅうアドバイスもくっつけてやるわけなんだけど
何かしらスポーツ系の部活動を一生懸命やってる感じの、
そういう青春くんなら何でもいいわけだ。
映画へ行くにも、遊園地へ行くにも、本人達は楽しけりゃいいだけのこった。
中高生の場合はな。
ただ、同じような文章を書く能力は、その本人にないので
相手が冷めるのも速い。
友達は次なる相手に狙いを定める奴もいたけど
何度やっても無駄だ。
男の浪漫に目が眩んで、相手の魂までも愛せる人なんてのは、
オ●ヨーコさんくらいなもんだ。
俺は俺で、自分で書いたラブレターを
募る想いの最寄の彼女に渡してみても 
この通り、ふつうに相手にできるガラじゃない。
誰をどう好きになろうが全滅だったな。
そもそも、学校とか教室という偏差値で分別されたような限られた集団人数の中に
俺を理解しようとか認めようなんて思える人間がいるわけがない。
社会へ出てから、それがよく判った。 
   
たとえば、南半球にいる人間と
北半球で生まれ育った人間というのは
生活の中で自分の肌に感じる自然との触れ合いがちょっとちがう(と思う)。
基本的には同じなんだろうけど 
北半球の人は、何か危険を察知したとき
右の方へ逃げる傾向があるかも知れない。
南半球の人は左へ…。たぶんな。 (反対だったか?
洗面所で水を流すと、北半球は右に回って排水口へ流れてゆく。
南半球だと逆向きに流れる。
するってぇと、日本人の女の人とかは、ベッドでも布団でも
自分が寝ているときに隣にいる相手が右側がいいとか左側がいいとか
どっちだったか?…が、あるわけなんだけど 
その女性の子宮っていうのが定位置にあるかないかでも、それは変わるな。
んまぁ、こんなことはどうだっていい。
どうぞ自分たちの好きな方角で寝てくれ。
彼女のいない人は、“その手のお人形さん”を自分の好きな位置に置いて寝てろ。
   
霊長類といわれる人間は、環境に順応して言葉を交わし、
意思の疎通もできるはずなので、「住めば都」かなんなのか 
自分を束縛するものに対しても、ある程度の我慢、犠牲を承知の上なら 
なんとか生き凌げるだろうし、そこで問題にぶつかったときの対処も考えようとする。
逃げ出さない限りはな。
そういう余裕があるかないかも、
俺は今、自分の目の前にいる人と接してもスグに判っちゃうんだけど
人間ではなく、機械の場合はそうはいかない。
完全に壊れたり、消耗してしまうと、車でもコンバインでもパソコンであろうとも 
ウンともスンともいわなくなる。
なんで壊れるのか? 
原因はいろいろとあると思うけど 
ひとつには、北半球と南半球での使用の仕方と構造上の違いにも問題あると思う。
要するに、電気部品や動力回転する部品の中に
すべてがストレートに右へ回転する物なら、それほど精巧な物はないんだけど
たとえば、プリント基板に乗っかっているコイルの中身の銅線の巻き方が
隣のコイルとひっくり返しに並んでいる場合。
一応、電流は通ると思うんだけど、本来はおそらく、
北半球で使う電気用品とかの場合は、その中の精密な部分へ流れる電流が 
規則正しくすべて右回りを基準にして配列されてればいいわけだ。
これは、磁力線にしてもおんなじだ。
右回りの場所も左回りの場所もゴッチャになってると 
いずれ、その動作にも不具合が生じてくるわけ。
そうやって物は壊れてゆく…場合もある…と思うよ。
かといって、ドイツという国の自慢のリニア・モーターカーが
そういう自然界の法則に反していたからああゆう事故になったとは思わないけど
コンピューターの機械を作ってる人も、それを買って配線する消費者も 
プログラムを開発する人もエンジニアも 
アメーバブログのサーバー管理をしてる人にしても 
すべての配線配列、部品の組み合わせの中身(電流、電磁波、電波の流れる方向)が 
規則正しく右回転するようにしてあるなら
このソフトとこのデータベースは愛称が悪いとか 
日、不具合が生じました件で~なんたらカータラ…
ということは少なくなるんじゃねぇのか? 
…と、おとといのコンバインの修理・修復 を見ながら思った。
あの、コンバインてのも変だ。
地球まるごと右回転で
北半球は水の流れも、人の流れも、右に回る傾向があるのに 
交通事故戦争を繰り広げる日本車のつくりもそうなんだけど運転席が右にあって
稲刈りをするときは左回りで作業するようにできてる。
でも田んぼの稲は、右に回って流れる性質の水で育ってるわけだ。
そいつが、右に回転する動力の反対側から見た左回転の軸の部分へ
ひっからまって詰まってしまう。ワラとか稲穂のクズが。
その日の湿度、稲の水分や機械の油やグリスの差し具合にもよると思うけど 
もの凄いスピードで回って、大変な勢いで稲が刈られるので 
機械にはそんなことを考えてる暇も頭もないし 
人間が手で稲を刈り込んでいた時代は
機械がぶっ壊れたために作業が中断するなんてことはなかったはずだ。
あんなに無駄な時間はねぇぞ。
何も悪いことはしてないのに。
誰のサシガネなのか考えると、やっぱり神様だ 。 http://ameblo.jp/badlife/entry-10017294016.html
「お前らが刈る稲は右まわりで刈れよ」という忠告はないかも知れないけど
自然界の法則は人間の文明に不具合をもたらす
いや、その逆だな。人間の文明が自然界に反抗的なだけだ。
んで、似たような話で…たとえば、
   
昔むかしの大工さんは、
一軒の家を建てるのにも一本の柱も梁も
どうでもいいものではなくって
山から採ってきた材木も
自然界の決まりに基づいて造っていたそうです。
朝陽が昇り夕陽が沈む四季の繰り返しの中で
山に生えた樹木は東西南北において
その育ち方や丈夫さのすべての質がちがう。
それを家の西側には山の西側斜面に生えていた木を
東側の柱には山の東にあったものを
南向きに構える玄関まわりの支えには
山の南で育ち伸びた樹木を
北側は北側のものを…
というように、そうやって材質を吟味した骨組みを
一年以上は雨風にさらしておいて
梁や柱の締まりを整えさせる。
置けば置くほど頑丈な骨組みになるらしい。
その家の座敷(客間)も実に広々としていた家々の造りがあった。
今はもう、おそらく、そんな技術を持った大工さんもいないだろうし
2x4のプレハブ住宅も2週間もあれば、ほぼ完成してしまう。
「耐震強度も安心設計」「100年は大丈夫」
などというフレコミもいっぱいある。
だけど書類にハンコを押して造る家の中は狭い。
ほとんどが四畳半~6畳で
広くても10畳、12畳のリビングは少ない。
内側の空間が広ければ広いほど
支えや突っ張りは頑丈でなくてはならないので
最近のマンションや一般住宅には当然、
ある程度の限界があった。
それを風水とかの知識で建てている人もいれば
設計技師や施工業者の職人の経験とは関係なく
ブランド名や流行の建築資材に乗せられて
家を建てて購入している人も少なくない。
それは果たして、人間の住む家なのだろうか? 
人間の五臓と対象に創られている自然界では
かつて、城でも砦でも
5階建て以上の建築建造物は存在しなかったという。
とくに四季の移り変わりがハッキリとしていた、この日本においては…。
それでも、中に住んでいる人間同士の仲が悪かったり
他力本願な病人ばかりだったり、仮面夫婦だったり、それ以上に
お父さんという大黒柱がしっかりしてないと
そういう家屋は傷みも激しく、崩れやすくなってしまうこともあった。
また、人がまったく住んでいない場所は、どんな家でも損傷が激しい。
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10015657213.html#cbox  より
   
ということで、自然界の法則に従った建築技術ってのも、その昔はあった。
あったんだけど、そんなことには関係なく
マンションやビルが、テキトぉ~な向きで建てられている場所もある。
ゴミ置き場に当たる太陽熱の、日の出日の入りなんて
どこの青写真にも設計図にも関係ない。
交通機関とか学校が近いとか、
その程度の便利さに都合よくなってるならいいわけだろ。
生きている人間の勝手でな。
自然界に反抗的な人間の文明。
恋愛にしても家庭生活にしても、その方々の夜の営みにしても似たようなもんだ。
自然界に叛した状態で、人間の性…セックスや“子づくり”の現場を破壊している。
教育も、宗教の戒律も、メディアもな。
人間の肉体の中に流れる血液の循環も 
背中側から診たときと前側から診たときでは
右回りと左回りの循環が決められているわけだ。
その血液の流れには、気も一緒に回っている。
その手の機械で測定すると、磁力も回ってるので「何ガウス」とか 
そういう数値も出てくる。
現代の科学や医学で、そこまで判っていながらも 
人体に悪影響を及ぼす数ガウス以上の電磁場を
平気で家電や動力回路が発するようにもしている経済や産業開発。それを監督する行政。
消費者相談窓口にもクレームは絶えない。
「今の自分が地球も丸ごとぜんぶ君を大切にするよ」
という考え方にも近い、エコロジーや環境保全の連中が
いかにして地球の環境汚染を考えようとも 
目に見えない部分での汚れや破壊は、もっと酷いぜ。
CO2削減がどうとか、あんなことが、人の心の汚れまでもキレイにできるわけじゃない。
墓場であろうとなかろうと、そこへ眠っていた者の念いや辛さまでも 
慰めるどころか、「そこをどけ!」といわんばかりに 
山々に元からあった樹木を伐採し、谷川を切り崩し 海や岸辺も平気で開発してきた。
そりゃぁ、怒るかも知れないわなぁ、眠っていた連中にしてみれば。
奴等も(肉体はないので)必死ではないが 
今までは、ある一定の法則の基に、そこへその場所へ居座ってたり 
生きている者からの慰めの施しがあってもなくても、
なんとかして、おとなしくしていられた場所なのに 
そういうことが見えない今の文明人てのは 
見える場所も見えない場所も平気で破壊し尽くそうと、やっきになってる。
…魑魅魍魎界の動きにしても、微生物の動きにしても。
たとえば、一時的に抗菌状態にされた場所ってのは
なんにもないので、「次になんでも繁殖してください」ってな状態になっちまってて 
微生物や細菌にとってはパラダイスみてぇなもんだ。
そこへもしも、自分がさっきウンコをしたのに
ちゃんと手を洗わなかったような給食のオバサンがやってきて 
食材やら調理道具やらを触りまくる。
もうそこは抗菌しすてむキッチンでもなんでもない。
給食工場であろうとなかろうと、アンパンマンのいない場所はバイキンマンの王国だ。
そうやって、あのカイワレ騒動が勃発した。
畑だかカイワレ生産場所へ流れ出る水を疑って
近くの牧畜農家の牛の水飲み場を調べたって無駄だ。
牛は何も悪いことはやってねぇ。
人間に仕込まれた通りに草を喰って水を飲んで寝ては起きしながら
乳を搾られたり、屠殺されて肉屋や焼肉飯店のメニューに並んでるだけだ。
あれは、業者や当時の厚生省が悪かったわけじゃない。
「なんでも抗菌」を流行らせた情報産業と
手を洗わないような連中の労働意識の問題だ。
「時間から時間までいればカネになる」
「今日は●時までだから家でのんびりできる」

そこまでは  …まぁ許すことにしとこう! 
「栄養学にのっとっての給食づくりは素晴らしい仕事だ」
これは許せないな。俺の場合は。
   詳細 ☞  http://ameblo.jp/badlife/entry-10003972375.html
          http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html

来年から、俺の子供も小学生だ。
毎月の給食費を俺は払っていけるのか? 9年間も。
煙草はやめるべきかな…。
そんなこたぁ、どうだっていい。
来年から、一龍【いちろう】
完全な学校給食を喰わされることになる。
保育園の給食とはチガウと思う。
一緒に喰ってみたいもんだ。毎日毎日。
どうなっちまうのか? 
衛生面での問題は、たぶん心配ないと思うけど。たぶんな。 (疑い深い親)
もっと問題なのは、給食の内容だ。
どんな栄養なのか? 
それを喰わされつづけることで、ほとんどの女の子の初潮が
何年も早くなっちまってる事実がある。
ここ30年以上前から、まだずっと続いてる現実だ。
食い物は人間の思考も変える。
男子生徒にラブレターなんて貰っても嬉しくもなんともないかもしれない。
マセてしまうので。
俺の子供に彼女ができるかどうかは本人次第だけど 新たなる世代に手紙作戦は通用しない
小学校3年生で生理がはじまってる子供もいる世の中だ。
どうやって生きてゆくんだ? 
生理がはじまるってのは、受胎態勢を整えるってことだ。
結婚するとか妊娠できる・できないとかの以前に 
子供の身体と、子供を産める大人の女の身体ってのは全然ちがうじゃん。
それなのに、生理が早められて性の意識だけがモヤモヤと身体中を駆け巡って 
オタッキーな男子教師はムラムラきてたりするわけだ。一部の学校(?)ではな。
おそろしいぞえ。
校長先生や教頭先生が男であろうと女であろうと 
男子生徒も、そんなことは知りもしない。
「あの子かわいいね」の程度だ。当たり前の思春期。
でも小学校高学年から今の義務教育の中学生の女の子はちがう。
あこがれ大人の目にアピールできるなら平気で胸元もさらけだす。
小遣いになるなら年上のカレと共謀して
ハチ公前をうろつくオヤジからカネをひっぱる子供までいる。
破壊したのは肉体だ。心ばかりではない。
こういう戦後の日本社会の教育現場を
国はどう考えておられるのか? 
立派に勉強してマニュアル通りに高級官僚に馴れた人も 
女性であれば自分の生理がいつはじまったのかは知っている。
生理中なのにバンバン運動して、そういう部活動を頑張った人もいる。
   
   Nips\u0026Japs
   
結果、ものの見事に幼児体形になっちまって
子宮は生理が終っても下垂したまんまだ。
正常に妊娠できるのか? 
それ以前に、正常に性行為ができるのか? 
結婚しないキャリアウーマンてのは 
男よりも優秀に生きて、何の資格を持って働いているんだ? 
「彼氏ができる(はず)の認定証」って資格は取得できたのか? 
「お~い、お茶」
無理だ。あなたの老後には
そんな旦那さんの呼び声はない。
ああ、そうか! それでペットボトルのお茶がブームなわけ? 
キレイになりたい。健康でありたい。
ウソつけ! 
皺やシミは化粧でひた隠してるじゃん。
下り物の臭いはコロンと香水を遣い別けて 
エレベーターや地下鉄に乗ってるじゃん。
なんだ? あのウルトラマリンて匂いは? 
キモイよ。 もう流行ってないだろ) 
あれが流行った時期が地下鉄サリンの直後からだった。
だからみんなで勘違いの異臭騒ぎ報道まであったぜ。
ああ? どうすりゃいいかって? 
自分の子宮に訊いてみな。 
「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、ワタシの子宮になあれ!」
とかなんとか唱えて、
自慢の高級化粧品のコンパクト鏡でも覗いてみりゃぁいい。
書いてあるでしょ、その顔に。自分の今の子宮の位置が。
ああ、判らない。そりゃ残念。
でも、俺が見りゃぁ、一目瞭然だぜ。
後屈も前屈も、ぜんぶ判る。
人相学じゃねぇよ。人間の基本だ。
鼻の位置も曲がり具合も
眉毛の色と、頬や目尻の筋肉の垂れ具合も 
整形手術でごまかそうと、俺にはお見通しだ。
なんせ、つながってるんだからな。
目は肝臓。鼻は肺。耳は腎臓。口元は胃。
心臓は舌で、歯茎は脾臓お腹ぜんたいの筋肉)。皮膚も肺。その他、略。
して、そういう五臓の状態をよく表わした中に
生殖器の形まで判る状態が浮き彫りになって見えてくる。
陰毛の生え方がどうなってるのか? 
ワレメの状態がどっちへズレて片寄って盛りあがってるのか? 
そのスキマから入っちまう風呂の水が、いつも寝床を濡らしてるとか 
それこそ、下り物の色も5色あって、陥没乳首やその人の乳首の色まで判っちまう。
バッチリ、顔だけで判るよ。だいたいな。
「イヤラシイ」ではない。見えてしまうから仕方ない。
最近は、そういうことをあまり意識しなくなったけど 
以前はひどかったぜ。電車の中でぜんぶ見えちまう。
あれも痴漢行為にあたいするのか? 
…ああ、医者になりゃぁ よかったかもな。産婦人科の。
無理だ! 俺が医者になれるわけがない。
勉強は嫌い。本なんて、もう読みたくもない。
数学も苦手。
時計がマトモに読めるようになったのは中学一年のときだ。
それまでは10時10分と2時50分の区別がつかなかったよ。
「いま何時?」
「…時計が怒ッテル顔の時間?」
て応えてた。
そんなアホが今では、人類のことを考えて愛して止まない。 
   
   
   
   
して、
       今日の “Message In A Bottle ” 
   
   ある絵師が素晴らしい蛇の絵を描いたのに
   誰がどう見ても蛇ではなかった。足をくっつけてしまった。
   「お前の書く文章はそんなもんでしかない」
   学生時代、ある教師にそう言われた。
   蛇に足があってもいいんじゃん。
   もしかすると、その絵師は
   龍を描きたかったのかも知れない。

   
   
   
   
   
   
   
   追記 2006-09-24 20:43:21
   
   
昨日のコメント欄の勢い のまま、つづけて書いたせいか、
ここまでの内容に、どうもまとまりがなく、話が乱雑になってる。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003006483.html  July 23, 2005
  このページで俺は… 
   
各内容に表現力が乏しく、途中で話が纏めあげられなくなったとしても、
必ず俺自身の言葉で纏める時間がやってくる。
意識の中にある言葉にはならないモノも、
やがて原液を薄めて、みんなが安心して飲めるようにしてゆく。

   
と、自分で云ったことを忘れてはいないので
ここで一気に、ここまでの話をまとめあげる。
今日の朝から このページに書いたことで
何を云いたかったのかというとだなぁ 
要は、前へ進んで生きているってことの基本に
“右へ回る”ってことがあるということだ。
   
太陽を中心に右回りに自転と公転を繰り返してる地球という、
60兆種類の生命体が生息するこの惑星には
北極と南極があって、それぞれにSとNの磁力が働いてる。
そういう地球上にいる我々人間の一固体、
一人の人間の細胞の数も60兆の数で構成されてて 
その細胞の中に (これは霊長類の人間ばかりではないんだけど)
ある種の生命活動の源となるモーターが入ってるわけだ。
通常、機械のモーターってのは、一本の軸にコイルが巻いてあって
その外側にS局かN曲かの磁石がある。
でもって、そのコイルへ電流が流れると 
プラス・マイナスの電流方向によってS曲かN曲かが決って
右や左に回転する仕組みになってるんだけど 
こういうことは小学校だったかの理科の時間にもやってっるよな。
んで、時計の針の回り方も、基本は右回りで、 
それは、北極を基準とする地球の回転方向とおんなじだ。
ときどき左回りの時計もあるけど…美容室とか鏡に映して見るヤツな
超伝導という摂氏マイナス273.15度とかで発生する動力(?)現象にしても
確か、あの手のコマの実験では右回転だったと思うけど 
人間の細胞の中にある動力、モーターの回転も
縦に右回りで回ってる。常に。
その上で、規則正しい正常な細胞分裂の繰り返しもある。
   
ところが、血液が滞ってる先の細胞とかには、酸素もロクに供給されずに
そういう活性化を失ってしまう場合もある。
そういうことが一部であっても、他の細胞が補ってくれているので
たとえば、うちのクソ婆さん のように 
惚けていたり、テキトぉ~に趣味でやってるような病気があったとしても 
生きている限りは60兆の細胞ぜんぶが死んでるわけじゃないんだけど
“先へ進む”ってことに無理が生じてきたりする。
つまり、全身の細胞のうち、幾つかの細胞分裂や細胞の活性化が
通常の道理に叛してるってことった。無様にも。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10014887424.html  (一応、フォロー。
んまぁ、ひとつひとつの細胞の中で回ってないような動力、あるいは
減速ぎみのモーター”があっても、
生きてる上では前へ進んでることには変わりねぇんだけど
こういうことは、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014612599.html  July 12, 2006
このページでも いくらか説明してる通り、癌細胞の増殖と繁殖についても
おんなじことが云えるかも知れないな。
本人がいつどこで、くたばろうと、くたばるまいと 
本来の人間は自分独りだけの力で勝手に死ぬことはできないことになってるので 
自分の身体の細胞が生きることを怠けてるようなカワな場合であっても 
その全体の肉体という容器から魂が抜けるまでは 
ほかに一生懸命に生きようとする人間には無様に見えたりしたとしても 
一応は生きてるってことなんだろうな。 
   
ということを自然界の道理、基礎、原理原則を踏まえた上で
今日の俺はひとつの謎が解けたよ。
TheTheというバンドのマット・ジョンソンという人が
Lonely Planet という曲で、どうして 
Planet Earth is slowing down 直訳地球は減速している
と歌っていたのか? 
本人による歌詞 http://www.thethe.com/sections/library/lyricbook/lonely.html
これには、この地球上に生きて、生かされている生命体のうち
人類そのものが、万物の霊長でありながら、
地球上に存在させてもらっている物事の道理に叛して生きてるってことなんだろうな。
おそらく。
するってぇと、この歌に秘められたパワーには
改めてスゲェもんがあるってことも認識させられるんだけど 
マット・ジョンソンそのものが、自分でこの歌をつくって
ジョニーマーのギターまで入れて演奏していることが
大変な価値があることを日に日に強く感じているんじゃねぇのかとも思う。
   
    Lonely Planet       from Dusk    The The (1993年)
                               http://www.thethe.com/sections/jukebox/jukebox.html
   
まずもってして、地球は右回りで前へ進んで生きている。
その中にいる人間一人一人も前へ向かって生きている。本来ならな。
だからこそ、“自分の子供をつくる”という子孫繁栄の義務の遂行を果たそうともするし 
そのために、ラブレターも書けば、それを相手に渡そうともする。
音楽も演奏する。
自分が前向きに生きるために。
そういう意味で俺も、今のこの人類を愛してやまないわけだ。
…判るかなぁ。判るよな。
何かが伝わってるでしょ、今日のこのページでは。
   
時計は右へ回る。地球も右へ回る。前へ進むためにな。
たとえ知識が乏しく、その文字盤が読めなくたっていい。
この地球上に生きて、生かされてる限り、自分自身も前へ進んでいるんだ。
時計が逆方向へ回ることはない。時間は戻せないんだ。
常に、あらゆる命の育みとともに前へ進んでる。
北半球での文明の発達は、そういう意味でも発展してきたし 
かといって南半球が後退してきたわけでもない。
「ガラパゴスやニュージーランドには、古代生物に近い生き物がいる」などと 
考古学や生物学の上だけの進化論がどうあろうと 
人間は前へ進むことを惜しまなかった。
その証拠のひとつに、ニューオーリンズの黒人音楽の発展もある。
http://ameblo.jp/badlife/theme-10001249694.html
だから、俺たち人間は、地球を減速させちゃぁいけないんだ。
いつどこで、テロや戦争が繰り広げられようとも 
そういうことを操るような、どこの誰の果敢なき野望が、この世に君臨しようとも 
人類はいつまでも互いに殺し合い、また、
殺しあわせることを容認するような意識であってはならない。
俺はそう思う。
人間だからな。
最近は時計の文字盤も読めるようになったし・・・・時間は命だ
   
   
   
   
   
   関連先リンク 
   
   
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50552173.html  2006年07月04日