前にも何度か記事に書きました。
それが一つ前の記事を書いていても疑問なんです。
「運命」の意味を僕は知らない。
良い人生って?良い生き方って何ですか?
尊い「人の一生」に、優劣があるとでも言うんですか?
右か左かの選択に、優も劣もあるんですか?
運命を変える?人生を作る?
一体どんな人生を作るのが「良い」んですか?
みんな精一杯生きてるんでしょ。
迷いながら。
「怠惰」?
怠惰って何ですか?
もっともっと緊張感を持って生きろって事ですか?
もしよければ、どなたか教えてください。
前にも何度か記事に書きました。
それが一つ前の記事を書いていても疑問なんです。
「運命」の意味を僕は知らない。
良い人生って?良い生き方って何ですか?
尊い「人の一生」に、優劣があるとでも言うんですか?
右か左かの選択に、優も劣もあるんですか?
運命を変える?人生を作る?
一体どんな人生を作るのが「良い」んですか?
みんな精一杯生きてるんでしょ。
迷いながら。
「怠惰」?
怠惰って何ですか?
もっともっと緊張感を持って生きろって事ですか?
もしよければ、どなたか教えてください。
この記事は、昨日の記事から派生した文章です。
私は正しいことを知っている。
みんながそう思っているんでしょうか・・・。
僕はずっと正しいことを知りたかったし、
正しいことってのはきっと何処かにあると思うから、
早く早く、今日にでも知りたい。
そう思ってた。
それもそれでよかったと思う。
でも今はそんなに急がなくていいと思ってる。
明日それがわかるなら、それでも十分早いほうだ。
僕はその程度の存在なのだから。
人は傲慢だ、神様みたいに正しいことが今日にでもわかると思っている。
自分は正しくなきゃいけないと思ってる。
正しくないものは排除すべきものだと思っている。
殺人犯は死刑だ。殺してしまえ、
法律を犯すものを捕まえろ。
社会に適応できない者は排除しろ、
長いものに巻かれないものは排除しろ、
それは悪だ。
消えてしまうのが一番いい。
人は所詮、人だ。
悲しいけれど、僕は人類はそんなに大した存在じゃないと思う。
事実、人は小さい、
僕はもしも人類が悪の存在だったとしても、
それよりも遥かに広がっている宇宙がそうでないのなら、
かまわないと思っている。
ある人は爆弾を落とすことが正義だと思っている。
別に僕はかまわない。
所詮、人類なんてその程度だと思うから。
悲しいけれどそれは事実。
歴史を見ればわかるでしょ、
今日の昨日でそんなに変わっているとは思えない。
僕は平和を祈ることが正義だと思ってる。
それが間違いでも僕はかまわない。
所詮、僕なんてその程度だと思ってるから。
悲しいけれどそれは事実、
今日、高校生の頃の日記を整理してて実感した。
まるで昨日のことのように感じたんです。
今こうしていることさえ恥ずかしいと思うのは傲慢だからなのかもしれない。
でも事実、僕は神様じゃない。
何も知らなくて当然だ。
じゃあ僕はどうしたらいいんだ?
僕が今日のうちに正しいことを見つけられないのであれば、
僕は全てを疑って迷ってしまう。
結局、最後に信じられるのは自分の心だけ、
[cogito ergo sum]
理屈では何も確かに見ることはできない。
あるのは自己の実感だけ。
君はどう思うの?
君の心の赴くままに,
思う通りにやればいい。
君がもしも悪魔だったとしても、
それが事実なら。
君が君自身であること、
宿命は誰にも変えられない。
いけないこと?
僕も時々使ってしまう。
「いけないこと、それはいけない」
でもそれは言語表現が不正確なだけ、
本当にいけない事なんてないんだよ。
自分が本当にそうしたいと思うならすればいい。
「考えることはいけない事だ。」
僕は少年時代から、原理を果てなく追求したがる、
典型的な西洋タイプの人間だった。
数学でもなんでも、一つ一つの定理から納得できないとイヤだった。
塾の先生は言った。
「公式の意味がわかんなくても、使えればいいんだよ。
まずは受験で点数を取る事が先」
だから数学は難しかった。
意味のわからない公式を使って問題を解いても、
全然面白くないから。
「考えるな、追求するな」
親は僕によくそう言った。
でも逆の場面もあった。
僕が根本を追求した質問をすると褒めてくれる人もいた。
うれしかった。
結局僕は誰のいう事もきかなかった。
聞きたくなかった。
後悔しないために、
だからね、今は思うんです。
とにかく自分が思ったようにやればいいんだって事。
それが間違った事だっていいじゃない。
自分を苦しめる事だっていいじゃない。
君自身が本当にそれを選ぶのなら。
「考えることはいけない?」
「人を恨んだり、憎んだりするのはいけない?」
「ネガティブはいけない?」
いいじゃない。君がそう思いたいなら。
とことん苦しめばいいんだよ。
気がすむまで、自分のやりたいようにやりなさい。
そしたら、その時君は初めてポジティブになれるよ。
本当の事がわかるよ。
自由でも放埓でもいい、罪でもしょうがない。
それが君の分なんだから。
周りの静止も軽蔑も結局は無駄なんだよ。
誰がなんと言ったてわかるもんじゃないし、
得心もできない。
本人が痛い失敗をして始めてわかる。
それが成長じゃない。
いいじゃない、見守ってあげる事はできないの?
許せないぐらいの罪。
でもそれが人の世の事実。
どんなに悲しい思いをしたって、
僕は後悔だけはしなかった。
「僕は無気力です。
何にもやる気が起きません。
だるくて、憂鬱です」
鬱っぽい人がよく証言する症状だ。
それには様々な複合的な原因があるので、
一概にこうだから、とは言いきれない。
ある時は、ただ睡眠が足りないだけだったり、
お腹に物を入れたらいきなり元気になった。
なんてこともよくある。
僕はこの症状が一体なんなのか、
ずっとよくわからなかったのですが、
最近、それには心理的な「衝動」が関係している事に気づきました。
「無気力」というよりも、それは「無衝動」である部分があるんです。
「ヤル気はあるんだけれども、どうも思い立ちが悪い。」
という事が最近よくあります。
最近この「衝動」という物を強く実感します。
もしかして人生ってヤケクソな物なんですか?
ある意味、人生っていうのはある程度ヤケクソでないと、
前には進めないのかもしれません。
例えば好きな人に告白するのだって、
ヤケクソにならなければできない事だと思います。
恐がって、考えていても、告白するその「衝動」がなければ、
それはできません。
僕は「無気力」と「無衝動」はちがうような気がするんです。
僕はここ数年の僕は無気力というよりも、衝動がない日々でした。
「恐いな、不安だな」とか、
「やりたいとは思うんだけども、情熱的にはなれない」とか
衝動というのはこれとは違って、
頭の中が真っ白なんです。
ある意味心理的な「パニック」の状態です。
もうヤケクソになって行動を起こしているんです。
いつでも冷静でいたい。
いつでも自分を見失いたくない。
そう思ってきた僕の作り出した未来は、
衝動のない日々でした。
人生にはヤケクソになれるような元気が必要かもしれない。
けれどいつもそんな状態でいたら、
大事な事も忘れてしまって、自分も失くしてしまいそう。
そのバランスが必要なのかも。
でもそれって難しくないんですか?
最近感じます、わかるんです。
新しい友達を作りたい時って、頭が真っ白なんですよね。
初めて会う相手と親和するためには、
自分の中で哲学なんてしてられないんです。
考える事を忘れて、頭が真っ白になる時の感触。
これなんですよ、長い間僕が置いてきた物は、
常に閉じていたんです。
それが心地よかった。
それによって得たものも多かった。
例えば授業中なんか、閉じてなきゃできないと思うんですよね。
だってそうじゃなきゃ隣の子とおしゃべりしちゃうでしょ。
何か創作する時もそう、完全に自分の中に閉じこもって、
自分の魂とトランスする、つまり夢中になること。
でなきゃ僕は何も作れません。
哲学はもちろんそう、閉じてなきゃダメ。
逆に人と接する時は開いていなきゃダメ、
自分を忘れて頭を真っ白にする、
相手の呼吸やその場の空気に染まらなきゃ。
何か事を動かす時、
自分の中のスイッチが変わる時。
頭が真っ白になる、それが「衝動」。
強い衝動に駆られた時、首の後ろがツンとする、
何ともいえない感覚。 「カライ」感じww
自分の未来を動かす時の感触です。
わかる人いませんか?
僕は深夜の字幕の映画が好きです。
吹き替えになってしまうと、本来の役者さんの声の演技が
わからなくなってしまいますし、
字幕の映画は外語の勉強のいい機会です。
映画を見終わった後、しばらくの間余韻が続いていて、
ママに話しかけられた時にとっさに「YE~S」とか言ってしまったりしまう。
恥ずかしいね、うん。
でも英語の勉強なんかした後もしばらく頭の言語回路が英語にシフトされてる。
深夜の映画を見すぎてか、ロックやラップの聴き過ぎか、
口癖が「FUCK」になってしまったのはいつからだろう・・・。
でもね、言葉っていうのはそうやって覚えるんだと思うんだよね。
汚い言葉は幼稚な言葉、要するに「覚えやすい」
美しい言葉は難しい・・・。
音楽を聞くことでもそう、
ギターの音を聞けば自分もギターを弾きたくなる。
自分もそのフレーズがやりたくなる。
歌を聴けば、自分もそのフレーズを歌いたくなる。
ピアノを聴けば自分も鍵盤にふれたくなる。
英語を聞けば自分も英語をしゃべりたくなる。
関西弁の漫才をみてると、自分もねんやねん言いたくなる。
美しい言葉を聞けば自分も美しい言葉をしゃべりたくなる。
彼女と過ごす日が続くと話方がやわらかくなってしまったり、
兄や先輩と一緒にいる日が続くとで話し方が男男してきたり。
「影響」というんでしょうか、「まねをしたくなる」というよりも、
その衝動は無意識レベルの生理的な、感覚的な、本能的というか、
そういうものだと思う。
でもその「衝動」というのか「影響」みたいのがなきゃ、
人はそれを学ぶ事がなくなってしまうと思うんです。
だからそれは大事なんです。
だって、僕がギターの練習を三日坊主で終わらせずにこれたのは、
「ギターの音が聞こえる度に自分も弾きたくなるから」それがあったからなんです。
これが何なのか知りたいんです。
これは一体なんという心理現象ですか?
これは文化的なものだけにあるもの?
道ですれ違った人がアイスクリームを食べながら歩いていて、
嗚呼おいしそう、自分も食べたい。
そう思うのも僕の今言っている現象も同じもの?
「人が煙草を吸ってる所を見ると、自分も吸いたくなる。」
これもアイスクリームの例と一緒、
でもさっきのギターや言葉の例とはちょっと違うような・・・。
なんだかよくわかりません。
何かわかる方がいましたら教えてください。
これは心理学で説明できるような現象なんでしょうか?
2006-06-15の記事 「必要のない人間」
この記事を書いた当時は自分でも何が言いたいのか、
文脈からして書いてる自分でもメチャクチャだしww
どうにもはっきりした言葉にできなかったのですが、
今なら彼が言いたかった事が少し言葉にできます。
要するに僕がこんな記事を書いたのは、
人類社会という基準で物事を考えるよりも、
宇宙という広いレベルで考えた方がより真理に近いはずだと思ったからです。
井の中の蛙が隣の蛙に「お前なんかいらない」
と言われただけで、「自分は必要ない」と考えるのは安易です。
宇宙に存在意義があるのだとしたら、
あなたにもあって当然です。
それでも自分は必要ないと思うのなら、
あなたは自分の存在意義ではなく、
井の中で必要とされる事を望んでいるんです。
僕もそうでした。
だからあなたもそれでいいんです。
僕は辛くて辛くて耐えられなかったので、
その願望を捨てただけです。
それで僕は苦しみから解放されました。
神と呼ぶべき宇宙が、僕の存在を認めてくれるなら、
僕はそれで幸せなんです。
空は何も言いません。
草花や樹木も何も言いません。
この星も、月も太陽も、風も、みんな僕を受け入れてくれるんです。
ただただみんな、強くて大きくて美しいです。
無償の愛は自然がくれます。
とても優しくて時々、今も書きながら、
どうしてか涙が出そうになります。
「宇宙ヤバイ」 ホントにそうだ。
あなたはその広さが想像できますか?
「宇宙人はいるか」
「俗の常識」からすれば、「そんなのいるわけない」
なんて言われてしまいそうですね。
それが俗の言う「自然な答え」なのでしょうが、
僕はむしろ「宇宙人はいた方が自然」だと考えます。
こんなに「無限」とも言われてしまうような広さなんです。
神様からA4サイズの宇宙の地図をもらってきてください。
この星の大きさじゃ点にもなりません。
こんなに広い空間が広がっていて、
「この地球一つにしか生命が存在しないと考える方が無理がある」と思います。
それじゃあまるで地球のために宇宙があるみたいじゃないですか、
自己中も大概になされよ。
宇宙が地球さえあればいいと思っているなら、
もっと小さくてもよかったかもしれないし。
海だってこの大陸さえあればいいなら、
もっと小さくてよかったのかも。
宇宙にとっての中心は地球じゃないのに、
昔の人が果てしなく広い海を見て思ったこととまるで同じだ。
あの向こうには何があるのか、何もないのか。
実は海をこえた向こうには全く違う文明を持った、
自分達とは少し風貌が違った人間が住んでいて、
見た事もないような環境や、自国にはない生物がたくさんいた。
おまけに地球は丸かった。
ならこの宇宙の向こうにだって地球と同じような星があったっていいんじゃね?
確かに地球は奇跡の星です。
生命なんてそう簡単に生まれる物じゃありません、
それには太陽からの距離をはじめ、たくさんの条件を満たして・・・
あとは運ですよそんなの、神のみぞ知る。
ですがそんな事を言うのなら、この宇宙だって奇跡ですよね、
こんなデカイ空間があるなんて奇跡です。
もうすでに奇跡は起きています。
みなさんがそれを当たり前だと思ってしまっているだけです。
はるか昔から毎日当たり前のようにこの星に恵みをもたらす太陽、
その力のすさまじい事、
それはあなたにとって「驚くほどの事じゃない」んですか?
だとしたらあなたは今からでも太陽を2つに割ってきてください。
昔の人はきっとそういって太陽を神として祈ったのでしょう。
もうすでに奇跡は起きています。
この宇宙の存在自体が奇跡です。
「ありえない事」が今まさに進行中です。
ならばもう何が起こったっておかしくないでしょう?
宇宙人がいちゃおかしいですか?
この奇跡の中で?
僕は全てを疑いました。
でも何一つ根拠などなかったのです。
宇宙人はいないという根拠もないし、
死後の世界はないという根拠もありません。
「可能性」ならばいつだって0にはならない。
どんな立派な人にだって知らない事はある。
「宇宙人なんて」と思ってしまうのは、
それは変なテレビ番組などのイメージしか知らないからです。
僕はここで「ああいうのが実際にいる」なんて言いたいわけじゃありません。
神様についても同じです、髭を生やしたお爺さんですか?
僕もファンタジックな想像は楽しいから好きなので、
さっきも「神様から地図をもらってこい」なんて言いましたが、
ファンタジーはファンタジーです。
現実の神と呼ぶべき存在とは別です。
決して気分は良くない。
けれども僕はそれを甘んじて受け入れる事ができる。
それは全てが全部ダメという訳ではないからだ。
良い事もある、素敵な物も僕は持っている。
気分が優れなくて、体の具合が悪くて、
無性にイライラしていているのに、
別にたいした事じゃないと思っている。
よくここを見つめてみると、本当にたくさんの幸せと不幸があると気づく。
生きているとこんなにも心は複雑なのかと、
今日は自転車で横断歩道をわたる時に、
向かいから右折してくるトラックの運転手に睨まれた。
僕が少し遅れてわたってきたから邪魔だったんだろうか。
ジロジロみられて気持ち悪かった。
なんでそんな目で見られなきゃいけないのかと、
悲しくなったけど、悩むのがじれったくなって、
「もういいや、よくある事だし、このまま傷つこう」 と思った。
傷つく事を受け入れてしまえば、
それは以外と痛くないもので、不思議だった。
「傷つきたくない、悔しい、納得できない」
そんな風に思ってると、どんどん苦しくなってくる。
今日は決して気分の良い日ではなかった。
けれど僕はそれを受け入れる事ができた。
居心地は決して良くない。
車はうるさいし、人の喧騒は騒がしくてイヤだ。
でも、僕の素敵なものがそれで台無しになる事はない。
壊されるわけではない。
居心地が悪いのはいつもの事。
中高生の頃は悔しかった。
自分が理想を手にいれる事ができないのが、
でも今日はそれが悔しいとは思わなかった。
二千円のシャーペンを買いました。
前からずっと欲しかった素敵なペンなのです。
ガラクタのようなペンは家にたくさんあるので、
こんな高いペンは初めて買いました。
さすがに300円相当のガラクタとは比べ物にならない素敵なペンです。
小学校の頃の先生が言っていました。
「物を大事にしなさい」と、
でも貧乏症なのか家にはいつもガラクタばっかりがあふれていて、
使い捨て社会って感じで、
とても一本のペンを大事に使おうなんて気にはなれませんでした。
でもこのペンは絶対に大事にしようと思いました。
その感覚は僕にはとても新鮮なものでした。
これまでそんな風に物にたいして大切だなんて思った事がなかったんです。
気に入ったので僕のたからものにしようと思いました。
こんな風に思ったのは生まれて初めてかもしれません。
初めて恋をした時のような、「これが恋なのね」みたいな。
ある意味これも恋です、物に対してこんなに愛おしく思ったのは初めてなので、
一つたからものを見つけると、
自分の周りにある物にもたからものがたくさんある事に気づきました。
この自転車も、ギターも、CDも、みんなたからものだったんだと、
そういう目で世界を見渡してみると、
まるで世界中が宝箱みたいに感じられてきました。
そうです、メルヘンかディズニーのたぐいです。
帰り道、小さな子を抱いている母を見て、
「彼女にとってのたからものはこの子なんだな」と思って、
そしたら街中の人がたからものに見えてきたのです。
あなたも僕自身も、たからものなんです。
みんなたからものです。
僕は一人でいる夢をほとんど見た事がない。
ほとんどが学校の人達とかと集団行動している夢で、
「広い草原の中で一人、風を感じていました」
なんてゆうような夢は一度も見た事がないかもしれない。
「一人で街を歩いている」とかはあるが、
すれ違うエキストラさんの出演はあるわけで、
だ~れもいない!なんて夢は見た事がない。
現実では一人でいる方が安心なぐらいで、
集団、社会、組織、所属とかに対して良い印象を持っていないのに
僕の見る夢はいつも「社会」の夢だ。
みんなそんな物なんでしょうか・・・。