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明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

抗がん剤を再開して三回目が終了、四回目で診察、CT、検査があった。

自分としては、最悪だった一月末の時期と比べれば格段に体調が良い訳だし、悪い結果が出ているとは考えなかった。

但し、肺炎の可能性は判らない。以前に抗がん剤が中止になった時でも、特に症状があったわけでもなくCT検査の画像結果をみて、医師が肺炎の可能性ありと言う事で中止となっていた。

もしも、同様の肺炎が疑われるようであれば、やはり中止になるかもしれないのが、心配だった。

 

結果から言えば、採血の結果は良好。肝臓の数値も良好。癌マーカーの数値も大分下がって良好だった。

気になるCTの画像も、肺、肝臓とも腫瘍が小さくなって居た。今までこれほど顕著に小さくなった画像を見たことがない程だった。

この画像の変化は自分でも驚いた。自覚症状でも依然より楽になった事が、今回のCT画像の変化でも納得できた。

 

これを続けていければ、更に小さくなって、しまいには消えてしまってくれと思いたかった。

医師に期待せずに聞いたが、それは難しいですねとやんわり言われた。

 

この抗がん剤がいつまで続けられるかも聞いたが、それも医師としては明確に判断できないと言われた。

肺炎の症状がでたりしなければ、そして定期的に撮影するCT画像でも効果がないと判断されるまでは続けられるとは言われた。

抗がん剤を続けて行けば、腫瘍の方が耐性を付けてくることもあり、そうなればやはり効果が続かなくなる事も説明された。

だが、今は効果が出てきているのだから、先の事をそんなに心配してもしょうがない。

 

正直うれしかった。

でも、これから先の心配が無くなるわけではないし、先延ばしが出来ただけの事かもしれない。

それでも、人間いつかは死ぬわけだし、それは誰にでも当てはまる。

誰だって死ぬまでの残された時間を生きるわけだ。それがまだ長いなと思える人もいれば,短いなと思える人もいるわけである。

病に侵された人と健康で長寿と言われる人では、確かに残された時間は一般的には違いがあるのだろう。

たとえ、先延ばしが出来ただけの事であっても、残された時間が少しでも延びたと思えば,やはり嬉しいものである。

これは、病等により残された時間を考える機会のない人にとっては判らない感覚だろうし、それはある意味羨ましい事でもある。

だからこそ、毎日を大事に感謝して生きる必要があるのかもしれない。そんな風にも考えさせられた。

 

さて、今までは抗がん剤の治療をした日以降は、二・三日はぐったりしていたが、今回は体調が良い事もあって普通に生活できている。

それも嬉しい事だ。 希望も湧いてくる。 もうしばらく続いていってほしいものだ。

暫く、ブログを書いていなかった。

自分の備忘録だから、書かなきゃと思いながらも気が進まない時はあるものだ。

それが、気が付けば既に三か月以上にもなってしまった。

 

前回は、昨年12月。治験がようやくおわって退院位の時だった。

あれから、色々あった。 今までで一番体調が悪くなる時期もあった。

お陰で、体重も十キロ以上減ってしまったのは、大きい。

 

治験は、結果的に効果がなかった。一月のCT検査の結果で明らかだった。

腫瘍は、なおも大きくなっていた。特に肝臓は大分広がっていた。

 

翌週に今後の治療をどうするか。医師と相談することになったが、医師の提案は、以前に中止していた抗がん剤の再開だった。

通常は、効果がなければ、それ以降の同じ抗がん剤は投与しないと言う原則がある。

しかし、今回提案された抗がん剤は、効果がなかったわけではないが、副作用として肺炎になる可能性が高いと判断されて、やむなく中止となった抗がん剤の類似品との説明だった。

つまり、「効果がなかった」場合ではなく、「肺炎の可能性がある」と言う理由で中止したものである。だから再開は理由が立つようだ。

 

でも、医師からは「お勧めするわけではないんですが。」とも付け加えられた。

つまり、医師としては積極的に進めるわけではない。

「選択肢がないのであれば、肺炎の危険性を理解の上で、自分の判断で再開するなら可能です」と言う訳である。

 

正直、当初は迷った。

今までも抗がん剤は、どれを投与しても効果がないからと次々に薬を替えて来た。

今回も、どうせ駄目だろうと思っていた。

 

だが、今回は多少なりとも効果があるのではないかと思っている。

二月の六日に最初の投与をしてから、二週間ごとに抗がん剤を投与しているが、呼吸も楽になり、背中の痛みも殆んどなくなって来た。

夜に眠れない日々も少しずつ解消しつつある。

 

最悪だったのは、治験を中止した一月末から二月の中旬ごろであった。

食事がとれなくなった。何を作ってくれても体が受け付けない。

体は怠く、何もしたくない。

呼吸が思うようにできない。深呼吸さえできていない感覚だった。このまま呼吸が出来なくなってしまうのではと恐ろしくなった。

背中に出来た腫瘍の部分も寝ているだけで痛くなり、起きていた方が楽なくらいだった。

石油ファンヒーターを止めて、エアコン暖房に切り替えた。

中々暖かくならない。でも、石油の排気が息苦しさを増していると考えた。

多分、この頃が最悪だったように思う。

 

体重は十キロ以上減った。

自分としては多少頬がこけたように思っていたが、鏡を見てみると体全体が痩せて来ていた。

特にお尻から太腿辺りは顕著だった。

どうりで便座や浴槽で尻が骨に当たって痛いと思っていた。尻が痩せて骨ぼったくなったのが原因らしい。

 

抗がん剤の二回目の投与位から、次第に食事も取れるようになって、体調も回復してきた。

だが、抗がん剤を投与している三日間及び、その後の三・四日は、やはり怠く副作用も出てしまうようだ。

それでも、投与から一週間程度過ぎれば、普通に生活できるように回復してきている。

 

現金なもので、最悪だった一月末頃は希望もなく、暗黒の日々だった。

でも、抗がん剤の効果を実感できるようなって、体調がよくなると色々と希望も湧いてくる。

 

仕事は、続けている。時間短縮の勤務であり、仕事の内容も軽作業で負担の掛からない内容である。

給与も依然と同様に支給されており、医療費の補助も相当の額である。有難いものだ。

いっそのこと、退職して治療に専念しようと考えた事もある。一番酷い状態の時は本気でそう考えた。

でも、今回の抗がん剤の効果があり、体調も回復して来た現在となっては、仕事を続ける判断は間違ってなかったと思っている。

退職してしまえば、経済的にも相当大きな損失であったかもしれない。

但し、全てが解決したわけではな。 今後、同様の事態がいつ起きても不思議ではない。

 

医師からも今回の抗がん剤は効果が出ているようですねと言われた。

それはそれで嬉しいが、また肺炎の可能性が出てくれば、やはり中止になるかもしれない。

その場合は、代替する抗がん剤はない。

効果が出ている今の抗がん剤が続けられれば続けていく。その選択しか、現段階ではない。

 

 

 

 

明日28日が退院予定日であるが、前日の27日が三回目の治験薬投与日であった。

 

徐々に治験薬投与後の検査等が少なくなってきた。それほどの必要性も少なくなって来たと言う事だろう。

退院後は外来で一月中は投与を継続するようであるが、その一月にCT撮影をしてその効果を判断する。

それによって、今回の治験薬の効果を見極めることになる。

結果が良ければ継続して治療をするし、効果がないと判断されれば打ち切りになるのであろうか。

 

どちらに転ぶかは自分でどうにかなるものではない。なるようにしかならない。

悲観的に考えている訳ではない。

でも、期待が大きすぎると、そうならない時の挫折感や喪失感も大きいだろうからと考えてしまうのも、事実と考えるのである。

 

新しい年が無事に明けそうである。 来年はまた楽しい事が多い年になるような気もする。

小さくても期待と希望を持っていければと考えている。 

 

ああ、一カ月は長かった。

 

22日から24日までは三連休で病院も外来は休みである。

これらの日は自分でも採血もなにもない三日間に当たるので、外泊とした。

しかしながら、それが治験の場合、規定により連泊の許可はおりないのである。

連泊はできないが、一泊して翌日に一旦病院に来て、それから再度外泊の許可を出せば可能だということである。

つまり、再度許可申請の為来院しなければならないのである。 杓子定規なものである。

多分、それを含めて治験の規定なのであろう。馬鹿馬鹿しいがそうなっているようである。

 

今回も、天気の良い日に外泊をしてバイクで出かけようと思っていた。

予報では24日の月曜日は良い天気。

気温は12度ぐらいであったが、風があった。体感温度は下がるだろうと気象予報士は言っていた。

予報通り、やはり寒かった。

それでも、今年最後のツーリングになるかもと思い、箱根方面に出かけた。

 

途中までは青空の広がる良い天気だったが、小田原厚木道路を小田原PAで休憩したところで、箱根の山が雲に覆われてしかも霧のように煙っており、雨が降っているのが予想された。これでは富士山の絶景は望めない。残念ながら、Uターンして雨を逃れた。

雨の箱根に比べて、都心の天気は良かった。雨の心配はなかった。

富士山を背景にしたバイクの写真を、今年の最後のツーリング写真にしようと思っていたが、残念ながら叶わなかった。

 

残りの四日間で、生検、各種検査、三回目の治験薬投与、そして28日には退院の予定である。

長かった入院生活もこれで終わる。 一月にCTを撮って、治験薬の効果を確認することになるが、がっかりしない結果となることを期待したいものだ。

朝から天気が良かったので外出した。 行先は、新宿の末広亭。

言わずと知れた寄席である。

 

昔から、落語は好きだった。 一番好きだったのは上方落語の「桂枝雀」だった。

テレビでラジオで何度も聞いたが、正直、生の舞台は見ることなく亡くなってしまった。 残念である。

 

生まれ故郷では、落語自体を生で見る機会は、なかった。

だが、東京へ来て四十年弱。 有難いことに少し足を伸ばせば寄席は身近にある。本物の芸を見ることができるのである。

特に新宿の末広亭は何度も来る機会があって楽しませて貰っている。

 

11時頃に末広亭についたが、既に15人ほどの会場待ちの人が居た。平日であるが、中々の人気だ。

末広亭は老舗の定席であり、落語を中心に聞かせてくれる。 

そして、ここは昼夜の入替なしで見ることができるのである。落語好きならお昼から午後の9時まで聞いていられるのである。但し、いい加減疲れて腰も痛くなってしまうだろうが・・・・。

 

演者に依るが、新作、古典、入り交ぜて聞けるのも良い。

そして、色物(漫談、コント、マジック、切り絵、漫才、講談、太神楽 etc)なども面白かった。

 

途中で上方の落語家が一人居て、東京と大阪の比較を話していたのが興味深かった。

それによれば、大阪では漫才が中心で落語を中心に演じるような場所が少ないと言っていた。

確かに、吉本興業を中心とした漫才文化が根付いていると言われればそうなのかもしれない。

東京は落語を聞くのが中心で、漫才は確かに少ないのである。

まあ、かつての漫才ブームのころは違っていたのかもしれないが。

自分としては、古典落語が好きなので、古典ばかりをしてくれる寄席があれば、なお良いと思ってしまう。

 

今回、一番前に座って聞いていたため、紙切りで指名されて作品をもらうことができた。

それまでは、観客からのリクエストを切っていたのだが、突然に指名された。横顔を切ってもらった。

正直言って、似ているのか居ないのか判らないが、確かに人間の横顔である。

芸人さんの名前の入った台紙と共に頂いた。記念になった。 後で、家に飾ろう。