2019.3.17 三か月ぶりの更新となってしまった。 | 明日への轍

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

暫く、ブログを書いていなかった。

自分の備忘録だから、書かなきゃと思いながらも気が進まない時はあるものだ。

それが、気が付けば既に三か月以上にもなってしまった。

 

前回は、昨年12月。治験がようやくおわって退院位の時だった。

あれから、色々あった。 今までで一番体調が悪くなる時期もあった。

お陰で、体重も十キロ以上減ってしまったのは、大きい。

 

治験は、結果的に効果がなかった。一月のCT検査の結果で明らかだった。

腫瘍は、なおも大きくなっていた。特に肝臓は大分広がっていた。

 

翌週に今後の治療をどうするか。医師と相談することになったが、医師の提案は、以前に中止していた抗がん剤の再開だった。

通常は、効果がなければ、それ以降の同じ抗がん剤は投与しないと言う原則がある。

しかし、今回提案された抗がん剤は、効果がなかったわけではないが、副作用として肺炎になる可能性が高いと判断されて、やむなく中止となった抗がん剤の類似品との説明だった。

つまり、「効果がなかった」場合ではなく、「肺炎の可能性がある」と言う理由で中止したものである。だから再開は理由が立つようだ。

 

でも、医師からは「お勧めするわけではないんですが。」とも付け加えられた。

つまり、医師としては積極的に進めるわけではない。

「選択肢がないのであれば、肺炎の危険性を理解の上で、自分の判断で再開するなら可能です」と言う訳である。

 

正直、当初は迷った。

今までも抗がん剤は、どれを投与しても効果がないからと次々に薬を替えて来た。

今回も、どうせ駄目だろうと思っていた。

 

だが、今回は多少なりとも効果があるのではないかと思っている。

二月の六日に最初の投与をしてから、二週間ごとに抗がん剤を投与しているが、呼吸も楽になり、背中の痛みも殆んどなくなって来た。

夜に眠れない日々も少しずつ解消しつつある。

 

最悪だったのは、治験を中止した一月末から二月の中旬ごろであった。

食事がとれなくなった。何を作ってくれても体が受け付けない。

体は怠く、何もしたくない。

呼吸が思うようにできない。深呼吸さえできていない感覚だった。このまま呼吸が出来なくなってしまうのではと恐ろしくなった。

背中に出来た腫瘍の部分も寝ているだけで痛くなり、起きていた方が楽なくらいだった。

石油ファンヒーターを止めて、エアコン暖房に切り替えた。

中々暖かくならない。でも、石油の排気が息苦しさを増していると考えた。

多分、この頃が最悪だったように思う。

 

体重は十キロ以上減った。

自分としては多少頬がこけたように思っていたが、鏡を見てみると体全体が痩せて来ていた。

特にお尻から太腿辺りは顕著だった。

どうりで便座や浴槽で尻が骨に当たって痛いと思っていた。尻が痩せて骨ぼったくなったのが原因らしい。

 

抗がん剤の二回目の投与位から、次第に食事も取れるようになって、体調も回復してきた。

だが、抗がん剤を投与している三日間及び、その後の三・四日は、やはり怠く副作用も出てしまうようだ。

それでも、投与から一週間程度過ぎれば、普通に生活できるように回復してきている。

 

現金なもので、最悪だった一月末頃は希望もなく、暗黒の日々だった。

でも、抗がん剤の効果を実感できるようなって、体調がよくなると色々と希望も湧いてくる。

 

仕事は、続けている。時間短縮の勤務であり、仕事の内容も軽作業で負担の掛からない内容である。

給与も依然と同様に支給されており、医療費の補助も相当の額である。有難いものだ。

いっそのこと、退職して治療に専念しようと考えた事もある。一番酷い状態の時は本気でそう考えた。

でも、今回の抗がん剤の効果があり、体調も回復して来た現在となっては、仕事を続ける判断は間違ってなかったと思っている。

退職してしまえば、経済的にも相当大きな損失であったかもしれない。

但し、全てが解決したわけではな。 今後、同様の事態がいつ起きても不思議ではない。

 

医師からも今回の抗がん剤は効果が出ているようですねと言われた。

それはそれで嬉しいが、また肺炎の可能性が出てくれば、やはり中止になるかもしれない。

その場合は、代替する抗がん剤はない。

効果が出ている今の抗がん剤が続けられれば続けていく。その選択しか、現段階ではない。