2019.3.20 CT及び採決の結果 | 明日への轍

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

抗がん剤を再開して三回目が終了、四回目で診察、CT、検査があった。

自分としては、最悪だった一月末の時期と比べれば格段に体調が良い訳だし、悪い結果が出ているとは考えなかった。

但し、肺炎の可能性は判らない。以前に抗がん剤が中止になった時でも、特に症状があったわけでもなくCT検査の画像結果をみて、医師が肺炎の可能性ありと言う事で中止となっていた。

もしも、同様の肺炎が疑われるようであれば、やはり中止になるかもしれないのが、心配だった。

 

結果から言えば、採血の結果は良好。肝臓の数値も良好。癌マーカーの数値も大分下がって良好だった。

気になるCTの画像も、肺、肝臓とも腫瘍が小さくなって居た。今までこれほど顕著に小さくなった画像を見たことがない程だった。

この画像の変化は自分でも驚いた。自覚症状でも依然より楽になった事が、今回のCT画像の変化でも納得できた。

 

これを続けていければ、更に小さくなって、しまいには消えてしまってくれと思いたかった。

医師に期待せずに聞いたが、それは難しいですねとやんわり言われた。

 

この抗がん剤がいつまで続けられるかも聞いたが、それも医師としては明確に判断できないと言われた。

肺炎の症状がでたりしなければ、そして定期的に撮影するCT画像でも効果がないと判断されるまでは続けられるとは言われた。

抗がん剤を続けて行けば、腫瘍の方が耐性を付けてくることもあり、そうなればやはり効果が続かなくなる事も説明された。

だが、今は効果が出てきているのだから、先の事をそんなに心配してもしょうがない。

 

正直うれしかった。

でも、これから先の心配が無くなるわけではないし、先延ばしが出来ただけの事かもしれない。

それでも、人間いつかは死ぬわけだし、それは誰にでも当てはまる。

誰だって死ぬまでの残された時間を生きるわけだ。それがまだ長いなと思える人もいれば,短いなと思える人もいるわけである。

病に侵された人と健康で長寿と言われる人では、確かに残された時間は一般的には違いがあるのだろう。

たとえ、先延ばしが出来ただけの事であっても、残された時間が少しでも延びたと思えば,やはり嬉しいものである。

これは、病等により残された時間を考える機会のない人にとっては判らない感覚だろうし、それはある意味羨ましい事でもある。

だからこそ、毎日を大事に感謝して生きる必要があるのかもしれない。そんな風にも考えさせられた。

 

さて、今までは抗がん剤の治療をした日以降は、二・三日はぐったりしていたが、今回は体調が良い事もあって普通に生活できている。

それも嬉しい事だ。 希望も湧いてくる。 もうしばらく続いていってほしいものだ。