「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド -12ページ目

「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド

ブラジル移民から世界放浪 若い頃にフラッシュバック
消せないアルバムの話。

今日の仕事が終わり、明日から7日間の休み。

 

今働いているのは、パリの小さな日本レストラン。

俺はここでバイト生活、そんな俺にも休みが来た。

「店が休店のおかげです」

 

同じバイト仲間と少し旅をする事にした。

 

夜の11時30分位で、マルセイユに向かう汽車に乗る。

 

ところが、急にもう一人も行きたいと言って来た。

 

汽車の時間に間に合わず、よく朝一番の汽車に変えた。

「当然、駅で酒盛りをして夜を明かした」

 

汽車の中では爆睡、気がついたらリヨンを過ぎていた。

 

着いたマルセイユで簡単なランチをして、バルセロナに向う。

 

汽車の中では陽気なスペイン人、ペラペラ うるさい。

「こう言う奴は危ない、スリが多いヨーロッパです」

 

そんな時間が過ぎて、バルセロナに着く。

 

古い石畳を歩き、サクラダファミリア向かいながらバールで飲み食い。

「美味しい 楽しい 笑いが一杯」

 

その日の内に、マドリードに向かい汽車に乗った。

 

まだまだ続く汽車の旅「マドリードは明日の朝」

間も無くサンパウロに着く。

あれから2年以上過ぎたが     又 ブラジルに来てしまった。

 

農業移民で移住して山奥での農作業の毎日、そんな生活に疑問を感じて帰国。

「こんな事でいんだろうか」帰国しても苦悩の毎日を送った。

 

そんな俺を見て親父が「頭で考えるより、体を使って答え出した方がいい」

「自衛隊でも行って体を鍛えてこい、そうすれば何か答えが出るじゃないか」

それも一理あると思い海上自衛隊に入隊。

 

体の方は学生時代はラグビーで全国大会や、国体に行った事もあり自信はある。

でも、農業移民していた期間もあり体が少し鈍っていた。

 

横須賀の教育隊で鍛えられ、体は元気になってきた「ラグビー時代から見れば楽」

教育訓練期間中は最優秀で終了し、自衛艦での勤務に「船酔いがきつく慣れるのが大変」

慣れてくると自衛艦もいいもんで「特に航海訓練での瀬戸内海、夕暮れ時が最高に綺麗だった」

 

そう言えば、休みで実家に戻った時、着いて間も無く電話、直ぐに自衛艦に戻れ命令だ。

内容は親達にも言えないでの帰艦「国家での仕事とはこう言う事かと知った」

 

勤務命令で厚木基地に変わった時の事、忘れられない出来事があった。

「艦を降りる時、全艦の隊員が帽子をふって見送ってくれた。海軍時代からの名残だそうだ、

戦争を知らない自分にも涙のお別れ」

 

「陸上勤務は艦よりも楽」厚木基地は米軍と一緒の基地なので異国感があり国内とは違う。

 

数ヶ月が過ぎた頃に、硫黄島での日米合同訓練に選抜され参加した事があった。

あの時代は一般の人は来れない所、島の彼方此方に戦争跡、基地には遺品も展示した所もある。

「悲しい場所を直に目にすると、決して戦争はしてはいけないと感じた」

 

自衛隊生活での時間がマンネリを感じた頃、江田島での下士官教育訓練の命令が出た。

親に話したら喜び、又、部署の先輩隊員から羨ましがれ、上官からおめでとうと言われた。

 

「俺はこのまま自衛官で人生が終わっていいか、本当に悩んだ」

「あのアマゾン川で別れてジャングル消えた研修所時代の仲間達、サンパウロの農地での人達、

あの時代を封印してもいいのか、あの時間を捨ててもいいのか、悩んだ」

 

結論は自分の心のままにブラジルに行く事にした「永住権もあるので働ける、何とかなるか」

「若い自分の答えは年配の人には理解出来ない」親には文句言われた。

 

初めてブラジルに行った時は45日間の船旅だったが、今度は飛行機なので早い。

 

「俺の変人な生き様。自慢の消せないアルバム」

その夜は暑く、いつもの様の洗濯物干し場に涼みに登った。

家の中で、俺の一番のお気に入りの所。

空の星は綺麗に見え、東京タワーも見えた。

 

一人で空を見ていると、皆から先生と呼ばれている人がここに登って来た。

「君も暑いのか」「うん」先生は、少し酒臭かった。

「勉強はしているか」「うん」俺はあまりこの人とは話したくなかった。

先生だっただけに、勉強の話が好きで色々と聞いてくる。

 

その時、もう一人上がって来た。「ケイゾウさんだ」

その日はお酒あまり飲んでいなくて、普通に先生と話しをした。

ケイゾウさんは、田舎の夏祭りの話をした。

田舎は東北の秋田で、夏祭りの楽しい思い出を語った。

 

するともう一人、鳶のケンちゃんも来た「狭い物干し場は結構いっぱいになった」

ケンちゃんは、物干し場の隣の屋根に座った。

 

「みんな他人だけど、この家で寝泊りしているので家族見たい」

「何も語らなくても話が通じる」

 

その時、下の方で声がした「そっちに行った」「反対に回れ」

物干し場から下を見ると、警察の人達が何人もいて騒いでいる。

俺は先生に「何かあったのかな」「ドロボーでも入ったじゃないか」

「怖いね」「大丈夫、ここには来ないから」

「何で」「この家じゃ盗む物もないし、ここの住民を見て逆に怖がるよ」

「家が貧乏だから、ドロボーも入らないのか」

他の人達から見れば、ここの住民は怖いおじさん達かもしれない。

 

そこへお父さんが来た「ここから、変な人間が見えなかったですか」

「皆、誰も見えなかったと答えた」お父さんは慌てて降りて行った。

 

入れ違いに人がきた「この人は、家に来て間もない人で名前もよく知らない」

「暑いですね、ドロボーが近所に入った見たいですよ」

先生は「そうなの」「世の中が貧しいから、そんな人間が出来る」

下の方で警察の人達の声が聞こえてきた「この辺のどこかに隠れている、捜せ」

すると、俺の隣に座っていた最近に来た人が「ヤベー」とつぶやいた。

さっと屋根に方に走り、隣の家の屋根からあっと言う間に下に降りて行った。

警官の人の声が「ここにいたぞ」笛がピーピーと鳴った。

「家の住民の人がドロボーだった」

 

今までいて話していた人がドロボーなんて、怖いようだけど何となく興奮した。

先生は落ち着いて「俺達にはなんにもしないよ、同じような境遇の人間だから」

 

お父さんが又来た「何にもなかったですか」「大丈夫」と先生が言った。

「彼がここに上って来た時、足の裏が真っ黒だったので、こいつがドロボーだとピーンきたよ」

すると、お父さんは「お前、いつまでも起きていないで寝なさい」

「明日になると、今夜のドロボーの話が学校でいっぱいだろうな」

友達から聞かれても「ドロボーは、家の住民とは言えない」

でも、ドロボーと捕まる前まで隣に座り、話していたと自慢したかった。

 

そうした長い夏の夜も、佐久間荘にはあった。

あの時の貧乏は「ドラマ見たいな昭和の裏舞台」