時間講師で英語を小学校高学年に教えるのを今週でやめた。もたない。

紙切れ一枚だけ管理職に渡して、誰にも知られずに、やめた。かんたん。

生徒にも言わなかった。ALTには、毎週の授業の後、もう限界だ、やめると伝えてあった。血圧を上げ続けるには身体が持たない。

英語教育にまったく関心がない公立小学校のありかたが、40年近く高校で英語を教えてきた身には,異様なことばかりで、それに耐えきれなかったこともあった。教科書はデジタルでボードに音声と画像が出ないと勉強が出来ないのに、教室のボードにデジタルが入ったのが、授業が始まって四週間目、もう新学期の月末だった。担任が休むと、そのPCからしかデジタルが作動しないので、授業が始まらない。僕にはタブレットもPCも、渡されることがない。何も出来ない。管理職はそのことを知っていてもなにもしない。他のクラスの担任に頼んで、そのPCを借りてくるしかない。

生徒にはノートが配られていなかった。教科書しかない、という。これまで四校で教えてきたが、ノートが配られない学校は初めてだった。感想を書かせたり、アルファベットの練習をさせたりすることすらできない。

父兄に頼んで個別に買ってもらうしかないと、平然と笑顔で担任達は言い放つ。学校ではノートを支給しないのだという。他の教科では,2冊も支給している。英語は、ノートが支給されない。誰もおかしいと言挙げしない。

新学期では、生徒の名前と、顔が一致しないので、歩き回ったり、おしゃべりしかしない生徒の名前が分からない。担任がそばの机にいつもいた他の学校とこの点も大違いだった。

誰も、英語教育などには関心がないのだ。文科省がどんなに大きな宣伝バルーンを打ち上げて、かっこつけた言葉を並べても、公立小には無縁。

国際理解、外国との異文化交流、労働移民達との共存を図る、大企業が続々と英語を使って業務をする時代に対応する基礎教育をする、と数え上げていけば切りがない。区長や教育長は、新年名刺交換会では決まって、世界に向かって日本がはばたくと、空想とも幻覚ともつかない空疎な言葉を並べるが、時間講師の僕の目には,今の小学校教育は,その低劣さの度合いが身に刺さってくるほどに、ひどい。

教室では,理解とか、学習とか練習とか、を低学年で訓練されていないから、今さら高学年では理解できない病的な生徒が8人くらいはいる。4分の1だ。毎回怒鳴りまくるしか僕には出来なかった。他の生徒の教育を受ける権利を侵すな、それは憲法違反なのだよ。勉強したくなくてもいいから他の生徒の邪魔をするな。と繰り返すが、端然とただにやにやして,理解していないことが分かる表情だ。

この生徒達は,家庭で、しつけ、ということがなされたていないのが明瞭だし、低学年の教員も,教室での言葉や行動を教えていない。

上級生になって今さら、机をたたいて、授業の邪魔をするのはいけないと言っても、そんなこと言われたことないよ、と無表情で返事するだけ。

地方自治体も、教育委員会も、学校に配置されている統制管理者達も、担任も、自分の利益にならないことには,言葉を発しない。哀れな犠牲者は何も教えてもらえず大きくなってしまう、あの「問題児」たち、なのだ。彼等は何も教えられず、何も学ばせてもらえず、社会に出て行く。こわい。