母は亡くなる前
脳転移の影響なのか、

意識があるのにもかかわらず
全く話すことが
出来ませんでしたえーん


その事は私達にとって
身を切られるように
辛かったのですが、

母にもやはり
心残りが
あったらしく、

亡くなってちょうど1ヶ月目に
妹の夢に出て来て、

桐の箪笥の引き出しを開け
ここにお金があるからと
言ったのですびっくり


そして、
夢で言われた通りの場所から
お金が出て来たのには、

不思議な事には
普段慣れている私達も
本っ当に
びっくりしました❗ガーンガーン


それにしても、
説明のつかない不思議なことや
奇跡的なことって、
あるものですね。


詳しくは下のブログを
お読み下さい。
下矢印







母の部屋の片付けにあたり
私と妹は、
納戸に置いてある
桐の箪笥の中をあらためる気は
ありませんでした。


そこには母のよりすぐりの
取っておきの着物だけがあると、
2人ともよく
知っていたからです。


そんな訳で
せっかく反物や着物を
あんなに処分したというのに
まったく桐の箪笥には
触らなかったので、

母はこのままでは
誰も永遠に見つけてくれないと
焦って妹の夢に
出たのでしょうね爆笑アセアセ


いつもながら
妹グッジョブ❗ウインク


父から母へのラブレターが
見つかった後、

私達は台所の整理に
とりかかりました。


すると、
戸棚やシンクの下から
わぁーっ!!というくらい
またまたたくさんの食料品が
ゾロゾロ出てきましたガーンガーン


母は新しもの好きで、
シャンプーでも化粧品でも
便利グッズでもダイエット用品でも
色んなものを試しては
飽きて置いておくという
癖がありました。


昔の人だからか
乾物や調味料の賞味期限なんて
全然気にしていなかったようで、

1人暮らしなのに
どうして!?と思うほど
大量の食料品が
ストックされていました。


きっと、
昨年の春、骨転移の為に
腰が痛いと言ってやめるまで、

妹家族の食事をせっせと毎日
喜んで作っていた名残りだろうな…と
私はキュッと
胸が痛みました悲しい


まあ、
そうだとしても
多すぎでしたけど❗チュー


結婚するまで一切料理を
作った事がなかった母は、

料理人の父に
イチから料理を教わった為に
フライパンやバットも
プロ仕様で、

色んな大きさや種類のものを
持っていました。


妹はパーティー用の
フルーツポンチの器とカップを
譲り受けました。


私は巨大なすり鉢や
すりこぎの他、
色んなフライパンやバットを
もらうことにしました。


私がお茶をやめた後
母に譲った
松花堂弁当の5客セットを、

母は妹夫婦の会社に
毎日お弁当を作って
届けてあげていました。


父から料理を仕込まれた母は
本当に料理上手で、
しかも絶えず新しいメニューを
開拓していました。


母の部屋に遊びに来る度
美味しい母の料理を
いつも私達は当たり前のように
食べて来ましたが、

昨年腰が痛いと言って
台所に立てなくなってからは
私達は母の料理を
食べていませんでした。


「ママの料理、
食べたいね…。」

「うん…。」


私と妹は
母の料理が懐かしくて
恋しくて、
しんみりしました。


とっても嵩張るので
私達は2人とも松花堂弁当は
もらわなかったものの、

捨てるのは抵抗があって
とりあえずそのまま
置いておく事にしました。


こんな風に
気持ちの整理がつかずに
捨てるにしのびないものが
結構残ってしまいましたが、

母の部屋は妹夫婦の会社が
物置兼休憩所として
今後は使う予定ですから、

猫たちがいたお陰で
急いで片付ける必要が
なくなって、
良かったです照れ


この後、私と妹は
食器棚の上であるものを見つけて
しんみりしたのでした悲しい悲しい


続きます。