妹が夢で見た通り、
母が指差していた
桐の箪笥の引き出しからは
1983年と
1985年発行の
造幣局の貨幣セットが
2種類3セットずつ、
合計6セット
出て来ました。
それはおそらく、
祖父が孫である
私達三姉妹の為に
贈ったものだと思われました。
祖父は記念硬貨や記念切手を
購入するのが
趣味だったからです。
「ママ、
どうして私達に
すぐ渡さなかったんだろう❔」
「子供だから、
すぐに使っちゃうと
思ったんじゃない❔
私、
そこからこっそり
500円を抜いて使った
覚えがある。」
「本当だ
全く、
何やってんのよ…。」
祖父の私達への思いと
母の思いを大切にして、
貨幣セットは
1種類1セットずつ、
1人2セットを
それぞれ分ける事にしました。
500円が抜いてある
1セットは、
責任をもって下の妹が
もらいました。
私の分は私がもらい、
上の妹の分は
姪っ子に連絡して
今度会った時に
渡す事にしました。
他にも、
私が母に贈った手紙と共に
JTBの旅行券が
出て来ました。
「せっかく贈ったのに
なんで使って
くれなかったんだろう❔」
「ママって
1人では絶対
旅行しない人だったから、
使えなかったんじゃない❔」
「そうか…。」
旅行好きの母は
まだ貯金を使い切って
いなかった
20年くらい前まで、
お友達とスイスやイタリアなど
毎年海外に
旅行していました。
私は旅行代の足しに
してほしくて
一時期旅行券を毎年
贈っていたのですが、
ある時
「使う機会がないから
買い取ってほしい」と言われて
母から何万円分か
買い取って以来、
母に旅行券を贈るのは
やめていました。
(当時はお金がなくて
一気に買い取るのは
キツかったです)
母は手紙の中に入れたまま
旅行券を忘れていたのか、
それともわざと
少し取って置いたのかは
今となっては
わかりませんが、
旅行券は贈った私が
もらう事にしました。
手紙は「給与」と書かれた
百貨店の封筒の中に、
どれもなぜか封筒はなく
便箋だけが
名刺サイズくらいに
小さく折り畳まれて、
全部で3通
入っていました。
遺品を片付けていて
わかった事ですが、
母は仕事をする時
着物の帯の間に挟む
薄い筥迫のような
お懐紙入れに、
ペンや口紅などと一緒に
私達からの手紙を
小さく折り畳んで、
お守りがわりに
持ち歩く習慣が
あったようです。
私と妹が今回
母の部屋の片付けを
していると、
印鑑や手紙を入れた
小箪笥の引き出しや
裁縫道具入れなどの
あちこちから
色んなお懐紙入れが
出てきて、
私達が中を見ると、
そこには決まって
私達から母への
他愛ない手紙が
挟んであったのです。
「ママって、
自分は全然
人に手紙を
書かなかったのにね…。」
「だからこそ、
手紙が一番
嬉しかったのかも
しれないね…。」
1通目は
日付とその内容から
母が私を妊娠した事が
わかった時の、
父から母への
手紙でした。
白い無地の縦書きの便箋に
万年筆で
書かれていました。
2通目は
父から母への手紙で、
3通目は
父から私達への
手紙でした。
この2通は
同時に書かれていて、
日付から
新潟から父の義理の姉が
お見舞いと称して居座って
我が家がめちゃくちゃになる
前のものと
わかりました。
2通とも
私が当時使っていて
大学進学で家を出る時
家に置いていった、
無印良品の
茶色い横書きの便箋に
黒いボールペンで
書かれていました。
私の記憶にある限り
母同様
父が誰かに手紙を書いているのは
見た事がなかったし、
父から手紙をもらった事も
一度もありませんでした。
私は妹に促されて
父の手紙を順番に
読みました。
便箋を開くと
見覚えのある
父の筆跡が
現れました。
続きます。