先日からスタートしました、

『あやかな人生ストーリー』シリーズ。



 今日は5回目です指差し指差し指差し


 


先日、夏の思い出に

横浜の山下公園へ行きました。





ただただ海風に吹かれてぼぉ〜っと。

なあ〜んにも考えずに、

その場の雰囲気に流されてみました。



中華街では、

母が大好きな華正樓さんの月餅も購入し、

初めて横濱媽祖廟も拝観。

リフレッシュできました。




あなたは、

どんな夏の思い出ができましたか?


 

【 繊細で心の病気のじぶんと

向き合う名人 】

マインドコーディネーター

あやかなニコニコです

🚧もっと皆様のお役に立つための

自分を『ゼロベース』作戦実行中🚧


【あやかな】ってこんな人指差し気づき

✓うつ病、不安障害で通院中
✓繊細さん気質
✓毎日フルタイムの会社員

✓心理学のNLPトレーナー

✓交流分析 TAコンサルタント

社内研修講師経験は数え切れず

 

様々な苦悩を心理学を活かして

乗り越えてきた経験、学びで


\ あなたらしい生き方にカスタマイズ/

サポートいたします!!

 

前回4回目で、
5年半勤めた
スーパーマーケットを退職。

とりあえず派遣社員で働きながら、
新たな夢、目標を探します。





派遣先職場は、
ある電子メーカー本社の営業部門。
部門全体の事務管理部署。

今までの経験が活きたのか、
しばらくして派遣社員なのに、
課内女性陣のリーダーになりました。

派遣社員の私の下に、
正社員の子たちがいるんです。


はい。


真面目で負けず嫌いで完璧主義。
そして、
鋼のメンタル。



ここでもめちゃくちゃ頑張った。
リーダーだからね。
責任感も強かった!


その一方で。

『フードコーディネーター』という
目標が出来て!
週2回、退社後に資格取得のスクールに
通学してました。


同僚や友人たちとの
飲み会やカラオケも毎回行きました。
当時はタバコも吸ってました。



つまり。


交感神経がかなり優位な毎日。
『休む』という概念がありません。
副交感神経は、
かなり低かったと思います。




ある夏の日。

真面目で完璧主義なあやかなは
仕事で、堪忍袋の緒が切れましたムキー

原因は先方のわがままなのですが、
立場が上の方だったので、
課長にお叱りを受けました。




その1週間後。










病院のベッドにいました。





病室のすぐ向かいのトイレにも
車椅子で行かなきゃいけない。
歩行禁止命令が出ました。






さかのぼること、
会社で堪忍袋の緒が切れた2日後。


お盆休みに自宅で友人と飲んで、
談笑してました。

すると、ふとした瞬間。
首がカクッと一瞬左に傾きました。

『飲みすぎが、タバコの吸いすぎかな』




友人帰宅後、いつものように入浴。
しかし、髪の毛を洗ってたら、
脳みそがぐわ〜っ!
前方に偏るような感覚がありました。




翌日から、めまいや吐き気が出て、
どんどん強くなりました。

かかりつけ医を受診したら、
検査はなく内診のみで、
めまい止めの薬を処方されました。



しかし、その翌日。

なにかにつかまらないと
立てない状態になりました。



しかし、その日は
会社でめちゃくちゃ大事な会議が。
←派遣社員なんですけどね😥

また、通っていたスクールでは
チームごとの課題発表会がありました。

チームでも、あやかなはリーダー。
会社もスクールも休めない。
無理矢理笑顔で元気なフリをしましたが、
めちゃくちゃしんどかった。



翌日、家族のすすめで
地元の総合病院を受診。

すぐにCTとレントゲンの検査。
先生が画像のある箇所を棒で指して
言いました。


『あやかなさん、小脳で出血してます。
このまま入院してください』




いわゆる、脳出血です。
※これは、数年前に経過観察で撮ったMRIです。
黄色枠内の箇所が出血してました。






最初は、先生が何言ってるんだか
全く理解できませんでした。


看護師長に『絶対歩いちゃダメ!』
って言われてから、
だんだん事の重大さがわかりました。



両親は初日、先生→主治医から
こう言われたそうです。

『この若さで脳出血は、
学会でも症例がありません。
重篤な病気の可能性が高いので、
万が一の覚悟をしてください』





そして、3日目。



午後3時から
血管にカテーテルを挿入して
造影剤を使う大掛かりな検査。
(一般的に血管造影撮影と言います)

あやかなの場合は、脳だけでなく
全身が対象でした。



昼から絶食、体に管を挿れられ、
身動きできない状態。
視界には白い天井しか見えません。



不安が加速し、体がふるえて止まらず。
生まれて初めて、
死への恐怖
を感じたのです。




検査前に筋肉麻酔を打たれ、
そのうち意識がなくなり、
気づいたら検査は終了。

ぼんやりとした意識のなか、
うっすら見えたのは両親の姿でした。





それから、どのくらい
経ったでしょうか。







『手術しなくて大丈夫よ!』




大きな母の声がして
意識を取り戻しました。


そのあと主治医から説明があり、


✔️出血は1cmくらいですでに止血


✔️全身のどこにも異常がない


会議の結果、
経過観察で大丈夫と決まったそうです。




『アンタの会社に電話してくるね!』

母は勢いよく病室を出ていきました。

そのすぐあと、
父は私の手を握りながら言いました。

『ほんとうに良かった』

その声は、涙ぐんでいました。
あやかなも、涙が止まりませんでした。

『生きられるんだ!』







入院から3週間後。
自分の足で歩いて退院できました。


手術しなかったし、
1週間後には歩行開始できたから、
大したことない人騒がせな結末でしたが。
(いや、大したことかな、脳出血は😵‍💫)



脳神経外科病棟は、意識がない方や、
自由に動けない方が少なくない。

忙しく動き回る看護師さんたち。

少しでも役に立ちたくて、
向かいのベッドのおばあさんの
食事をよく手伝ってました。


数人の看護師さんが冗談交じりに
『あやかなさんが退院すると、
人手が足らなくなるわあ〜😂』
って言ってましたね。


そして2週間の自宅リハビリ後、
職場に無事復帰できました。



実は、だいぶあとに聞いたのですが。

入院初日、部長が課長に、
『助かるかわからない派遣社員なんて、
すぐクビにしろ!』
と言ったそうです。

しかし、課の全員が嘆願してくれて。
数ヶ月前に異動した主任が
一時的に戻って来て、
私の仕事を肩代わりしてくださったそう。

みんなが私を守ってくれましたおねがい


その部長。
あやかなが復帰時に挨拶と謝罪に行ったら。
『ほんとうに心配してたんだよ〜。
元気に戻って来てくれて良かった〜』
(人間の裏表って怖いわ〜🫠🫠🫠)



職場復帰までの約1ヶ月半。
あらゆることに気づきと学び、
あらゆる人たちへの感謝おねがい



そして、なにより。


毎日病室に来てくれた両親



それまで、仕事を中心に
毎日自分のことしか考えてなかった。
私には大事な家族がいたんだ。
28歳にしてようやく自覚できました。




半年後に軽い後遺症はあったものの、
入院から10ヶ月後には
ラスベガス旅行できるくらい
回復しました。楽しかった〜。
これは無料画像ね。








しかし。




これは『暗黒時代』の
始まりにしかすぎません。



病気を通じて、
たくさんの気づきや学びを得たのに、
あやかなは沼にハマっていくのです。


 




余談ですが。

何年も立った後。
あやかなの将来を心配した母が、
知り合いのツテで占いに行きました。

そしたら、
占い師さんにこう言われたそうです。

『この娘さん、ホントなら
とっくに亡くなってます』

どうも、脳出血で
亡くなる運命だったそうな。

助けたのは、
脳出血の2ヶ月前に亡くなった、
母方の祖父だった可能性大びっくり

じいちゃん、ありがとうおねがい




 

あやかな流

「交流分析」個人セッション(仮称)

メインテーマ

自分を知る

自分に優しくする

STEP.1その時のあなたに合った   『心理テスト』の実施

STEP.2概要や結果をもとに      あやかなが解説

STEP.3気づきのアウトプットと深堀り