夫の浮気
はじめての育児でたいへんな時、夫は毎日酒を飲んで帰ってくる。
その晩も酔っていた夫は、酒の勢いで私を抱いたのだ。
私はまだ産後間もないし次の子供のことなど考える余裕もないのに。
そして、私は妊娠した。産むと年子になるのだ。今以上に育児が
たいへんになることを想像したが、折角授かった命、生むことを決めた。
お腹が大きくなるにつれて、上の娘も手がかかるようになる。
私は大きなお腹で上の子を抱いたりしていたので、かなりたいへんだったが、
それは承知のことなのであまり苦にはならなかった。
臨月になり、上の子を連れて実家に帰った。今度はあいまいな返事を
しなかった。実家にしか行かないと告げた。
それから、私は実家でお産をした。年子という事もあり結構楽な
お産だった。その上、生まれてきた子は目の大きいとても愛らしい娘
だった。私は上の子には感じなかった母性愛を感じた。
もちろん、上の子も可愛くないはずは無いのだが、私の不安定が
伝わったのかとても甲高い子供になっていたので、そう思えなかった。
2人目の子供が生まれる時、夫はこなかった。
連絡が取れなかったのだ。その次の日の夕方やっと夫は来た。
「可愛い子だね」そう言って喜んでくれた。
けれど、その連絡がつかないことが今の夫のしている事のすべてを
暗示していた。そしてそれは、夫の浮気のはじまりだった。
それが解るまで時間はかからなかった。
実家から戻り、前の月の給料を渡して下さいと夫に言うと
使ってしまって無いと言う。
「おまえがいないんだから、外食もするし金も使うさ」
そう言った。
私はそうなら仕方がないと思ったが、夫は少しずつ変わっていった。
よく、奥さんの方が夫の浮気に敏感・・・と言うが、こんな鈍な私でも
それは感づいた。私を産後、一度も抱かない。それどころか
子供の泣き声がうるさいと言って別の部屋で寝るようになった。
いつの間にか結婚指輪をはずしている。おしゃれになる夫。
顔のつやもいい。
もしかして浮気をしているんだろうか?私は不安にかられ
夫の持ち物を調べ始めた。
定期券入れの中にたくさんの電話番号のメモ書きがあった。
当時は携帯が無かったので、連絡の手段は電話だけだった。
やっぱり浮気しているんだ。
私は夫を問い詰めたが夫は答えなかった。私はどうすることも出来ず
ただ疑うことしか出来なかった。
それから私は次第におかしくなっていく。
よく夫の浮気を知った妻が嫉妬に狂うと言うが、それは夫に対しての
嫉妬でもあり、女としてのプライドを傷つけられることに
他ならないのだ。だから許せないのかもしれない。
私は、毎晩帰ってくる夫に暴言を吐く。
だんだん追い詰められていく精神状態。
私は、夫に
「浮気してないんだったら私を抱いてよ」
と言った。けれど夫はこんな暴言を吐いた。
「産後のしまりの無いおまえの体なんて抱けるか、気持ちが悪い」
その一言で私は完全に打ちのめされた。そして私の精神状態は
粉々に砕かれていく。
それでも夫とは別れたくなかった。別れることはその相手に
負けることだ。悔しい、私には意地があった。
それは、私を崩壊に導くだけのものだったのに。
出産
結婚をして3年目、私はまだ子供を授からないでいた。
私は結婚後も辞めずに働いた。もともとがむしゃらに働くタイプで
会社からも信用されるようになっていた。
けれど、夫の実家に行くと舅に
「3年子無きは去る」とまで言われ、私はどうしても子供がほしくなった。
それで、産婦人科に通うことになった。
卵管検査や基礎体温などを調べ、私はホルモンバランスが崩れ、
無配卵性月経だった。医師からホルモン剤を貰った。
仕事も辞めて家で落ち着いた頃、妊娠することが出来たのだ。
夫は喜んでくれ、両方の親からも喜んでくれた。
予定日が近づき、私は実家に帰ることにした。
夫は一人で家で過ごすことになるが、初めてのお産なので理解してくれた。
今でもそうだと思うが、出産は実家でと思う人が多いと思う。
私は、実家近くの病院でお産をすることになった。
実家の母は一人暮らしで働いているので、産後あまり
面倒は見られないと思ったのか夫は産後は、
自分の実家へ行くように言った。
私は産後に気を使うのが嫌だったので、
考えておく・・と一言だけ言った。
その後予定日になったが産気づかなかった。
夫からまだか、まだかと電話がかかって来た。
何故焦るのか私には理解できなかった。
予定日を2週間過ぎた頃、やっとそれは始まった。
私は先に破水したのだ。そして病院へ急いだ。
破水はしたものの子供が生まれるところまでいかず私は丸2日苦しみ、
最後はかんし分娩だった。
生まれてきてすぐ子供は泣かなかった。
お医者さんが処置をして始めて泣いた。
私は感動した。はじめて産んだ子を見て涙を流した。
しかし、その長く苦しんだお産は私の体力を消耗させていく。
退院の日を向かえ、母と夫の両親が来た。退院後、
どちらの家へ行くか?と聞かれたけれど、私は実家を選んだ。
母も家で気を使わずいる方が良いと言ってくれた。
ところが実家に戻った夜、夫から電話がかかってきた。
「何故、うちの方にいかないんだ!行くように言っただろ!」
それは凄い剣幕で怒りはじめた。
電話の向こうの夫が怒っている姿がわかる。
「ごめんなさい。」
私は謝ったが、夫はさらに続けた。私は泣いた。涙が止まらない。
それは出産後の不安定な精神状態に、追い討ちをかけることになる。
こうして、私のマタニティーブルーは始まった。
電話を切ってから、それはすぐにやってきた。
今まで出ていたお乳が出ないのだ。
娘は泣き叫ぶし、母は仕事でいない。不安が私を襲う。
私はミルクを作ることさえできないほど、混乱してしまった。
ようやく母が帰ってきたが私の様子を見て驚いた。
「どうしたの?」
「お乳が出なくなった・・・」
母は慌ててミルクを作り娘に与えた。
泣き叫んでいた娘だったがようやく
落ち着き、母に電話があったことを話した。
母は「産後の不安定な時に何を言ってるの?」と言って怒っていた。
それからの私は娘の泣き声が怖くなり、不安にばかり襲われ娘を可愛いと
思えなくなっていた。その上、産後の体調も戻らず、腎盂炎にもなった。
よく産後間もない母が育児疲れで赤ちゃんをどうにかしてしまう、
そんな事件がある。まさにその時は人事ではなかった。
幸い自宅に戻ってからは、近所の親切な人に助けられながら
なんとか頑張れた。今思えば暖かい人情のあふれる町だからこそ
乗り切れたのだと思う。
結婚生活の影
結婚する前は、夫はとてもやさしい人だった。
私のわがままはほとんど聞いてくれたし、何より私を大切にしてくれた。
そんな夫とはじめて関係を持ったのは婚約も終わったあと、
婚前旅行の時だった。岡山から倉敷へ観光の旅・・。
温泉旅館へ泊まった2人は、その夜はじめて結ばれたのだ。
私は満足し、この人となら大丈夫だと思った。
それからの2人は合うたびに、求め合った。
そして私ははじめて性の悦びを知ったのだ。
今までの出あった男たちは、ただ私の体の上をすり抜けて
行っただけで、悦びなど与えなかった。
彼にしても、ただ自己中心的なものだったのだと思う。
夫は言った。
「僕たちは相性がいいんだよ。結婚で何より大事なのは、体の相性かな」
確かに、結婚において性生活は大切であると思うが
私たち夫婦間では今もう、それは成り立たなかった。
心が通わない夫婦に良い家庭は生まれない。
そしてその性の相性も、だんだん途絶えがちになっていったのだから。
こうしてはじまった新婚生活であったが、それはすぐに影を落とし始めた。
夫はカッとなると、すぐにキレる人だった。お酒が入るとそれはさらにひどくなった。
新婚旅行から帰ってすぐに家に戻るとリビングのレイアウトが悪いと言っては、
キレて怒鳴り散らした。
実家の親に電話を掛けると、
「俺と親のどっちが大事やねん!」
とキレて、2階のふすまやドアを粉々に壊した。
私は泣きながら、振るえが止まらなくなり過呼吸なる。
それから私はよく泣くようになり、精神的不安は
ひどくなり、これが私の精神病のはじまりになる。
けれど、いつもこんな怖い目にあっても、別れなかったのは
暴れたあと、夫が土下座して謝り、
「愛してるのはおまえだけなんだ。許してくれ。
俺にはお前だけしかいない。たのむ嫌いにならないでくれ」
そう言っては、私をやさしく抱いたからなのだ。
よくDV女性は、殴られても蹴られてもどんな暴言を吐かれても
別れられないのは、私と同じからなのだ。
キレて落ち着いたあとの、あのやさしさに騙される。
それで別れられない。そして今まで離婚もせずにいるのだから。