どうして彼がここにいるの・・・
どうして、どうして、
なんで今なの。
彼が私の様子を伺っている。
「雪、ずっと探してたんだ。少し話せるかな・・・」
言葉を選ぶように話しかける。
今?ここで何を聞きたいの?・・・私には話すことはない。行かなきゃ!
「すいません。急いでいるので失礼します。」
葵の手を取る。
彼の言葉を遮るように歩き出す。
「待って!雪、待ってくれ。少し話がしたいだけなんだ!」
彼が手を伸ばす。
やめて、お願い。
わたしを引き止めないで。
その手を振り払うようによける。
彼の目は大きく見開いていた。
わたしの態度に困惑している様子がわかる。その行動が度を越えているのは分かっていた。それでも葵と話をしてる彼をみて動揺せずにはいられなかった。
目が合ったままお互い黙っている。たった数秒なのに何故かとても長く、苦しく感じる。
止めて。そんな目で私を見つめないで。
どうしよう。このままでは疑念を抱かれるかもしれない。どうする、どうしたらいいの。もし彼が・・・。ここにはいられない!
私は彼から目をそらした。
彼の声に気がついた周囲が騒ぎ始める。
早く、
早くここから逃げなくては。
葵の手を引っ張り出口へ向かう。
「ゆき・・・」
彼の声がわたしの耳をかすめたような気がした。
ダメ、早く!
早くここから離れなきゃ。
病院を出る。
私はただ歩いていたつもりだった。
「ママ痛い!」
葵の言葉にハッした私は手を離す。眉間にしわを寄せる葵。その後ろにはユイ君が鞄を持って立っていた。私はユイ君に近づき鞄を受け取る。
「ユイ君、ありがとう。タクシーで帰るわ。」
「えっ、でも車で来てるので送ります。」
「いいえ、いいの。」
私は彼に微笑む。
ユイ君は心配そうな顔をしている。そんな様子をみた葵が、
「なんでママ!お兄ちゃんわざわざ迎えに来てくれたんだよ。お昼ご飯を一緒に食べる約束したでしょう!」
少し怒ったような困惑した顔をする。わたし何をしているんだろう。今のわたしは誰から見ても変だ。自分で自分の首を絞めている。動揺しすぎだ。
「そうね、そうよね。ごめんなさい。うっかり忘れていたわ。」
ユイ君が私の手から鞄を受け取る。
「大丈夫です。一緒に行きましょう。すぐ近くに停めてありますから。」
わたしは頷く。
歩きだすと隣の葵がわたしの様子を伺うように聞いてきた。
「ねぇママ、なんで『森本涼』を知ってるの?」
「ママの高校の先輩なの。」
「へぇ!すごい!じゃ、サイン貰えたりする?あーぁ、。さっき貰えば良かった。ママが手を引っ張るから・・。」
「ごめんね、だってファンの人がいたでしょう。迷惑になるかと思って、それに友達じゃないから。」
「でも、ママのこと知ってるみたいだったよ、名前呼んでたし。」
「昔、千佳と一緒にコンサート行った時に楽屋へ花束を渡しに行ったの。だから覚えていたんだと思うわ。」
「えー、そうなんだ。あーぁ、、写真も撮れなかった。残念。」
私はユイ君にどこに食べに行くのかと声をかける。葵の質問をできるだけ避けたかったから。
あんなところで彼に会うなんて考えもしなかった。
もう彼とは15年も会っていない。番号を変えてから連絡さえしたことがない。いつだったか彼が探していると友人から聞いた時、正直怖かった。その友人には教えないで欲しいと頼みそのままだ。
でもこんな日が来るかもしれないと心のどこかで思っていた。何回も、何十回を想像もした。どんなに考えても結局どうしていいか分からなかった。テレビの中の彼を見ては不安に苛まれる日々が続いた。でも時と共にそれは小さくなっていった。スクリーンの中の彼は、私たちとは別世界の人だと思うようになっていたから。
それが今日彼を見た時た途端、その不安が現実になった。
しかも葵がいて、ユイ君もいた。
誰がみても、自分でさえも動揺しすぎだったと思う。どうしてもっと普通に振舞えなかったのだろう。そう、友人として紹介すれば何も問題なく通り過ぎていたはずの出来事を私が打ち砕いた。
気がついただろうか?いいえ、結婚してると思ってるはず。でももし『懸念』を抱いてしまっていたら?彼が本気で私を探し始めたら・・彼ならきっとすぐに見つけてしまう。今の彼に出来ないことはないはずだから。
>>>>>
注文した料理が出てきた。美味しそうに食べる葵ちゃん。その隣でほほ笑みつつも、どこか心ここにあらずの雪さんがいた。食事も進んでいない。どうしたんだろう。
『森本涼』に会ってから様子が変なのは気付いていた。高校の先輩と言っていたが、あんなに動揺した雪さんは初めてみた。彼を見た時の彼女の表情が今でも気になっている。驚いた顔をしていた。いや、あの顔は恐怖と困惑の表情と言った方がピッタリだ。
食事を終え、葵ちゃんの頼んだパフェが運ばれてくる。
「うわー!凄い!写真よりすごいよママ。」
彼女は「ホントね!」と笑い、コーヒーを口にする。カップを置く時、目が合った。彼女が微笑む。いつもの雪さんの笑顔だ。
「帰りにスーパー寄って行きますか?」
「それ、いい!冷蔵庫なんもないよ、ママ。」
「そうなの?」
「うん、傷むからって千佳ねぇが持っていったし。千佳ねぇのとこでご飯食べていたから。冷蔵庫空っぽだよ。」
「そうね。じゃ、お願いしてもいいかしら。」
「わかりました。」
その後の彼女はいつもと変わらなかった。
よく笑い楽しそうに葵ちゃんと話す彼女に安心する。買い物中に葵ちゃんが俺の腕を組んできた。その様子をみた雪さんが声をあげる。「ダメでしょう」と言いつつも笑ってる。
そんなやり取りが楽しくて嬉しかった。この状況に不思議と馴染んでいる自分にも驚く。まるで家族で買い物をしてるそんな気分だ。僕の存在がどの役割なのかはわからないが楽しかった。
>>>>>>
エレベーターに乗り込む。三人とも両手に袋を持っている。俺は水のケースと袋を持っていた。
「ユイ君、大丈夫?その袋、わたし持つから。」
「大丈夫ですよ、重くないですから。」
鍵を開け玄関に入る。俺はキッチンへ運ぶ。
「じゃ、僕帰ります。」
「えー、お兄ちゃんご飯食べていってよ。ねぇ、ママ。」
「そうね、ユイ君さえよければ。」
「いいえ、退院したばかりで疲れていると思うのでゆっくりしてください。」
雪さんは頷く。
「ありがとう。」
俺はテレビの前の葵ちゃんに手を振る。靴を履いて振り返ると雪さんが立っていた。微笑んでいたが、どこか元気がない。奥から声がした。
「ママー、ポスト見るの忘れてた。」
「いいわ、ママが見てくるから。」
そう言って鍵を取りサンダルを履く。エレベーターに乗り扉が閉まる。疲れている彼女の横顔を見える。そっと手をつかむ。ギュッとつかみ返してくる。
急に2階でドアが開き驚く。
二人とも慌てて手を離す。老人が犬を連れて乗ってきた。「こんにちは」と彼女が挨拶をする。俺も挨拶をする。1階に着き、老人は先に降りた。彼女はポストに手を入れ封筒を取り出す。その瞳はやっぱり元気がなくどこか寂しげだ。僕は声かける。
「少し散歩しませんか?ほんの少しだけ。」
「でも、携帯も置いてきちゃったし。」
「僕が葵ちゃんにメールしておきますから。」
「うん。」
近くの高台にある公園に着いた時、辺りは少し薄暗くなっていた。街灯がつき始める。すると、ちょこんと小指と薬指をつかんできた。背中に電気が走る。嬉しかった。その手を広げしっかりと握る。
高台から見る景色は綺麗だった。
遠くを見つめる彼女の横顔も綺麗だ。
振り向いたその時、彼女が胸に飛び込んできた。突然で驚いたが、しがみ付く彼女がとても可愛いかった。抱きしめると・・・震えていた。
「雪さん、寒いですか?」
「ううん。」
「大丈夫ですか、震えているみたいですけど。」
「・・・・。」
返事がない。顔を埋めたままだ。
「どうかしましたか?」
更にギュッと抱きつく。訳がわからず心配になる。やっぱり、あれから様子がおかしいままだったようだ。
「話したくないなら、話さないでいいんですよ。大丈夫です。」
彼女は泣くわけでもなく、腕を緩めるわけでもなく、ただしがみついていた。どれくらいだろう。かなり時間が経っていた。すると彼女は小さな声で呟いた。
「あの人は、、葵の父親なの。」
「えっ。」
俺は驚いた。
予想していなかった答えに動揺する。彼への対応に不信感がなかったわけではない。不信感を持ちつつも考えないようにしていた。触れていけないようなそんな感じがしたからだ。彼女が人に対してあんな態度をとったことに驚いたが、何か理由があってのことだと感じていたから。。
彼が父親なのか。
だからあんなに拒絶するような態度をとったのか。千佳さんは、父親が誰か自分も知らないと言っていた。ということは、まさか彼も知らないのか?その答えはすぐにわかった。
「彼は知らないの。誰も知らないの。知ってるのは、私とユイ君だけ。ユイ君には、嘘も隠し事もしたくない。だから・・・。」
彼女は泣きだす。衝撃的な告白に手の力が抜けそうになる。俺は彼女をしっかりと抱きしめる。これか、千佳さんが言ってたあの言葉の意味は・・間違いないこれだ。
彼女は彼に会い動揺した。そして、葵ちゃんに悟られないかと不安と恐怖でいっぱいだった。更に俺に対しても不安だったに違いない。
この話を俺にしたと言うことは、そういう事だ。俺を信用してくれている。
それなら俺がするべきことは1つだけだ。再会した時から決めていた。俺はどんなことがあろうと彼女を守りたい。それがどんな関係になろうと問題ない。彼女の側にいれることが今の俺のすべてだ。いや、彼女の側にいれなくても彼女が幸せなら、それでいい。
彼女が望むなら、できることは全てしよう。そして彼女が望むなら、俺はなんにでもなる。たとえそれが俺にとって別れを意味する事になったとしても。
彼女の頬にそっと触れる。不安そうな表情で俺を見つめている。きっと何年も悩んできたのだろう。自分の行動に後悔は無いと言い聞かせつつも、いつか取るべきその代償を考えながら生きてきたに違いない。
「大丈夫です。どうしたらいいか一緒に考えましょう。だから、そんなに不安にならないでください。」
「・・・」
今彼女にどんなに声をかけても届かないかもしれない。この苦しみは彼女にしかわからない。
「泣き止んでください。目が腫れると葵ちゃんに心配かけますよ。」
その言葉で彼女は俺から離れる。ゆっくりと呼吸を整え深呼吸をする。
不安に押しつぶされながらも頑張る彼女をみて、胸が痛んだ。思わず彼女を抱き寄せる。そして言った。いや、俺は誓った。
「俺がいるから、もう1人で悩まないでいい。大丈夫、何も心配しなくていい。大丈夫だから。」
彼女はゆっくりと頷く。
その時、ホッとした彼女が少しだけ微笑んだように思えた。
次回、『困惑の記者会見』
添付・複写コピー・模倣行為のないようにご協力お願いします。毎週金曜日連載予定。
誤字脱字ないように気をつけていますが、行き届かない点はご了承ください。
【その他の記事】