本の間に絆創膏が挟まっている

 

セミナーが始まる時間にはまだ早かったからか、教室は人が少なかった。いつもの席に腰を落とし、リュックから筆箱を取り出す。

 

 

「痛っ、」

人差し指に痛みがはしる。リュックに突っ込んでいたチラシが指をかすめたからだ。ジンジンと痛みが広がっていく。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

隣の女の子が心配そうに話しかけてきた。斜め前の子もここぞとばかりに振り返る。

 

「どうしたの??」

 

 

話を広げたくない俺は軽く首を横に振った。黙る俺にそれ以上話しても無駄だと思ったのか彼女たちは元へ戻る。

 

痛ったいな・・・紙ってなんでこんなに痛いんだ。

 

そこへ突然誰かに指を摑まれる。へっ?…俺はその行動についていけない。それは白くて細く小さな手だった。思わず漏れていた。

 

「へっ?」

 

見上げると彼女が立っていた。

驚いた俺は口を半分開けたままポカーンと見ていた。はっきり言えば固まっていたのだ。そんな俺を気にすることなく彼女は指を左右に傾けながら、ゆっくりと傷を見ている。そして確認が終わったのか指を離した。

 

目が合った。

俺は思わず瞬きをする。すると彼女はたった一言。

 

「洗ったら…来て…。」

 

そう言って歩いて行った。

俺の心臓はバクバク跳ねている。いつ爆発しても可笑しくない。

 

 

彼女に話しかけられた!

 

彼女が話しかけてきた!!

 

 

テンションが上がり頭で処理できるキャパを超えて、もはや冷静に判断ができる状態じゃなかった。

 

 

今、今、俺の手を‥触ったよな?なっ、なんで!!

 

 

パニクッている俺をよそに女の子たちは話すだす。

 

「びっくりしたー、喋べるの初めて見たかも。」

 

「うんそうだね。凄く綺麗な人だよね。」

 

「わかる!わたし、ドキドキしちゃった。」

 

「私もドキドキした!」

 

 

そんな少女たちの声をよそに俺は席を立つ。ちらっと彼女をみると何事もなかったかのように本を読んでいる。一体なんだったんださっきのは…。触れた感触が指に蘇り胸がざわつく。

 

高鳴りを鎮めるように速足で歩く。駆け込んだトイレには誰もいなかった。動揺を隠せない俺は誰もいなくてホッとしていた。ジクジクと傷む指をみると、血は出ていないがぱっくり割れていた。

 

とりあえず、水で流すか。

 

 

蛇口をひねり水に触れた途端、思ってもいなかった痛みに思わず悶える。

痛てぇー。やっぱり水に濡らすと染みるな。

 

振って水を切ったら・・更に痛い。

マジ泣けてくる。

 

さて、どうしたらいい??

 

 

このチャンスを逃す手はない。でも彼女になんて声をかけたらいいのか分からなかった。本を読んでいたしそれを邪魔するのも…なんだし。もしかしたら本に没頭して忘れているかもしれない。

 

はぁ…どうするよ、俺。

 

どれぐらい考えていたのか…慌てて時計をみると、ゆとりがあったはずの時間はあと5分でセミナーが始まるまで迫っていた。急いでトイレを出る。教室に戻り彼女を見ると、まだ本を読んでいた。

 

うん、とりあえずこのまま通り過ぎよう。

 

 

何事もなかったかのようにさっと横を通り過ぎるつもりだった。だが、すれ違う手前で彼女が声をかけてきた。

 

 

「あの・・。」

 

その声に驚いたのは俺だけではなかった。一瞬でその場が静まりかえる。それはそうだ。誰もが声をかけたかったその彼女が話しかけてきたからだ。皆が彼女を見ては俺を見る。そんな状況に俺は硬直する。そして、どこから出てきたのか分からない声が出てしまった。

 

「はぃ~?」

 

気の抜けた声だった。

恥ずかしかった。

 

穴が合ったら入りたいとはこういう時に使うのだろう。だがそんな俺をよそに彼女はスペースを空けるように横へと動く。そして机をトントンと軽く鳴らした。

 

「座って…。」

 

優しい声だった。

 

 

 

テーブルを指でトントンと鳴らす女性

 

軽く頭を下げドキドキしながら隣に座る。彼女がさっきまで座っていたその温もりが伝わってきて、温かい…そんな事を考えていた時、ふいに彼女が手を差しのべてきた。そしてこっちを見て頷く。へっ?固まってる俺の態度に彼女がクスっと笑った。かっ、可愛い!それに仕留められた俺は更に頭が真っ白になり彼女の目から離せない。その様子にこれはダメだと思ったのか微笑みながら「あの…手‥」と、俺の前に更に手を伸ばしてきた。

 

あっ、そっか!?

 

慌てて切れた指をだす。

彼女は本に挟っている絆創膏をスッと抜き、ゆっくりとテープを外す。白く細いその指で軽く抑えるように片方のテープを張る。彼女の指が俺の手に触れる度に背中がそわそわした。

 

近い、近すぎる!!

 

彼女の顔が三十センチ、いや、もっと近い!俺の鼓動がまた走りだした。それと同時に周囲の騒めきと女子のキャっ!という声があっちこっちで聞こえる。思わず唾を飲み込んだ。その音が聞こえてしまうかもなんて、そんな余裕なんてない。それよりも鼓動がヤバかった。あまりに強く早い鼓動に、このまま倒れないか!とさえ思ったぐらいだ。

 

そんな俺の心臓とは別に、頭は別のことを考えていた。長いまつ毛が綺麗にカールしている。くるん!と綺麗に上を見ていて、ピンク色の唇はふっくらと潤っていて、それはまるで柔らかいゼリーのように…すぐそこにあった。突然、彼女と目が合う。見透かされた?

 

そうではなかった。あろうことか俺は無意識に近づいていた。少し驚いたように彼女がサッと距離を引いた。俺はゆっくりと上体を後ろへと動かす。不自然にならないように少しずつだ。イヤ、もう遅いだろ俺!

 

でも彼女はそんな俺の動揺に気が付いていない振りをしてくれた。少しだけ顔を寄せて傷口を抑えないようにふわっとテープを巻く。視線を戻した彼女と目が合い、慌てて手を引っ込める。

 

「あっ、ありがとうございます。」

 

彼女は優しく微笑んだ後、また本を読み始めた。俺は席を立つ。すると、時が動き始めたかのように周囲も動きだしていた。席に戻ると女の子たちが冷やかしてきた。

 

「ねぇねぇ、顔赤いよ」

 

からかわれても今は気分がいい。なぜなら、彼女に触れたのはあの時以来だ。忘れていたあの感触が蘇るようだった。鼓動が早く、体が熱くなっているのがわかる。

 

ヤッば…暑いな。

 

ジャンパーを脱ぐ。このあとの講議は、何一つ俺の耳に入ってこなかった。

 

 

 

 

セミナーが終わり、彼女を探したがもういない。出口に向かうと陸が待っていた。

 

「おぅ、飯食いに行こうぜ。」

 

「あぁ、書類出してくるから。」

 

「わかった、外で待ってるよ。」

 

陸に手を振り事務局へ歩きだす。ドアを開けると目の前に人がいた。ぶつかってしまったのだ。次の瞬間俺の心臓は跳ね上がる…そう彼女だ!

 

だが自動ドアのように勢いよく開いた扉に彼女は驚き、バランスを崩して後ろに倒れそうになる。俺は思わず右手で彼女の腕を引っ張り、左手で背中を支えていた。

 

やっ、やばい!!

 

思わず抱きしめていた。華奢な肩、細い腕、柔らかい胸そのすべてが俺の限界を超えていた。自分の心臓の音がはっきりと聞こえている。口から飛び出そうなぐらいだ。その心地よい温もりに思わず強く抱きしめそうになる。動けなかった。いや離したくなかった。

 

ふと彼女の大きな瞳がこっちを見ているのに気が付く。恥ずかしそうに顔を赤らめた彼女は一歩後ろへ下がり、

 

「ありがとう。」

 

と言って急ぎ足で出ていった。

 

 

 

やってしまった。。。

でも彼女をこの手で抱きしめた。始めて彼女を抱きしめた。上を見上げ深呼吸をする。太鼓のように鳴り響く鼓動が今もなお聞こえていた。マジか…。

彼女の温もりがまだ残っている両手を広げ、じっと見つめる。その余韻に今にも叫びそうな俺がいた。大きく息を吐き手を下した。

 

 

 

 

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「うまいな!」

 

冷たいビールが喉を潤す。最高に気分がよかった。

 

「なんか、お前ご機嫌だなー。なんだよ、何か良いことあった?」

 

「まぁな」

 

意味ありげに笑う俺に陸が食いつく。

 

 

「教えろよ、なんだよ一体。まさかまた告られたのか?」

 

ビールを飲み干す俺。首をかしげる陸。

 

 

「告られたら、機嫌悪いもんな。じゃぁ、なんだよ焦れたいな」

 

目を合わせることなく、焼き鳥を口に放り込む。

 

 

「旨いな。」

 

「あー、めんどくさいな。宝くじでも当たったのか?なわけないか。それならここにいないしな。あっ、まさかあのお姉さんか?」

 

 

二本目の焼き鳥に手を伸ばす。悩む陸の姿に思わず笑う。

 

 

「やっぱりそうか、お前セミナーの後は決まってあの人の話だろ」

 

「そうか?」

 

「そうだよ・・で、何があった?消しゴムでも拾ってもらったのか?」

 

いつも何もないことを知ってる陸は俺をからかうように聞く。

 

 

「残念ながら、それ以上さ。」

 

「なんだよ、早く話せよ。勿体ぶると、聞いてやらないぞ」

 

二杯目の俺のビールを注文した陸に絆創膏の出来事を話した。でもそれだけだ。彼女を抱きしめた話は伏せたままだ。

 

 

 

「うーわ、それ、いいなー。俺が変わりたい。さすがのお前でも周りの目が痛かっただろ」

 

 

「男はな。」

 

「そりゃそうだろうよ、俺でも文句言いたいわ。なんでよりによってお前なんだよってな。」

 

ニヤニヤしながら陸が言う。

 

 

「そうか?ちなみにお前が押し付けたチラシで指を切ったんだぞ?慰謝料だ、今日はおごりだな。」

 

「おーぉ、俺のお陰じゃん、俺ってキューピットかも!彼女と話せたんだろ?じゃ、今度俺にも紹介してよ。」

 

俺の問いにはスルーだ。

 

 

「ないな」

 

「なんでだよ、ケチるなよ!なーぁ、今度紹介しろよ」

 

首を横にふり話をそらす。

 

「醤油とってくれ」

 

醤油を受け取り、小皿へ入れる。

 

 

「いいだろ?紹介してよ。ユイの友人の陸ちゃんでーす!ってさ」

 

始めはあははっと楽しそうに笑っていたが急に黙ったかと思えば、のぞき込むように顔を近づけた。

 

「なんだよ。うっとおしいな。」

 

「ライン交換した?」

 

 

その言葉に、俺は声を荒げる。

 

「はぁ?お前、どのタイミングで聞くんだよ!?あの状況で俺にナンパしろって言うのか?」

 

「だな。」

 

「バカかお前。。。」

 

 

 

呆れ顔で陸をみる。そして二人で笑った。そんな馬鹿な会話だが楽しかった。いや嬉しかった。彼女に話しかけられ彼女に触れた俺は、その時舞い上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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タオルを首にかけ髪を拭きながらソファーに座る。リモコンを手に取りテレビをつけた。何気なく絆創膏をみる。そっと触れ今日の出来事を思い返して頬が緩む。ふと俺でなくても彼女は同じことをしたのだろうか?俺だから?と考える。

 

そもそも、俺に気が付いているのだろうか?忘れている?…だろうな。あの時は一瞬だっだし、きっと覚えていないだろう。

 

 

でもセミナーでは何回も一緒だったから、今の俺の存在ぐらいは知ってくれているだろうか?

 

「そりゃ知ってるだろうよ、お前を知らないわけないだろ。」

だってどこにいても目立つからさっと陸は言った。

 

期待していいのか。いや、この段階で期待するべきでないなと自分に言い聞かせる。二の舞はごめんだ。あれから少しは成長したはずだ。確信がない今

動揺してはいけない。

 

 

彼女には人を惹きつける何かがある。

 

 

その一つがあの大きな瞳だ。

 

 

いつも綺麗にカールされた髪、背筋が伸びていて姿勢がいい。だから立っていても座っても目立つ。細めのリングを好み、小さめのペンダントをつけている。常に本を持ち歩きエアーポッズで何かを聞いていて、でも何を聞いているかはわからない。彼女の爪は薄いピンク色で、助けた時ほんのり石鹸の香りがした。

 

あの時とっさに腕を引っ張ってしまった。強くつかみすぎてないだろうか?大丈夫かな。左手で背中を支えたあの感触をいまだ鮮明に覚えている。僕が支えなければ折れてしまいそうなくらいにか弱く感じた。

 

今、彼女は何をしてるのだろう・・・

 

 

 

 

 

 

 

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ふぅ、やっと終わった。

お弁当の準備は夜じゃないと!朝は朝食や支度でバタバタと忙しい。数ヶ月前から始まった毎日のお弁当作りはやっぱり大変だった。

 

疲れた。

もう寝るだけだしワインでも飲もうかな。

 

ワイングラスに氷を1つ入れ赤ワインを注ぐ。冷蔵庫から、お気に入りのチョコを一つ取りだす。キッチン用の椅子を組み立て、youtubeを見ながら一口ワインを飲む。

 

氷が少しずつ溶けていくのが好き。

 

グラスを傾けながら思い出していた。いつも教室へ入ると、つい彼を探してしまう。何故か彼が気になる。理由はわからない。どうしてだろう。何をしている人だろう。若いのは外見からみてわかる。幾つなんだろう。

 

ケガをして痛そうにしかめっ面をしている彼を見て、つい手が伸びていた。なんであんなことをしてしまったのか、未だ自分でもわからない。その行動に自分が1番驚いていた。

 

バックから絆創膏を取り出し本へ挟む。彼が戻ってくるのを待っていた。同じページを何回読んだかかわからない。本読む視線の先に彼の姿を見つけた時の高揚感ときたら…声をかけてくれるのを待っていた私は、彼は通り過ぎようとしていることに気が付き、胸がチクっと痛んだ。思わず遠のくその袖をつかみそうになる。でも小さく呟いた私の声に彼は気付いてくれた。嬉しかった。絆創膏も上手く貼れて良かった。手が震えないかと心配だったけど、彼の方がもっと緊張しているのが分かったから…思わず笑ってしまった。

 

二杯めのワインをグラスに注ぐ。一口飲んでまた思い出していた。

 

腕を引っぱられた時ドキドキした。抱き寄せられたあの感覚、久しぶりだった。いいえ、いつ以来なのかさえ分らない。思い出すだけで鼓動が早くなる。頬がポカポカしてきた。きっとワインのせいだ。腕をつかまれた時の感触が体中を駆け回る。その熱が全身に広がりほろ酔い気分になる。あのドキドキを思い出しては、今日何回幸せな気持ちになったかわからない。

 

ふふ…しばらく

幸せな気分で過ごせそう…

 

その余韻に浸りながら、最後の一口を飲んだ。

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

次回、『彼に捕まってしまって・・・』

 

 

 

 

 

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