俺は雪さんに電話をかける決心をする。
繋がった。緊張しつつも話し出す。
「雪さん?ユイです。今少しいいですか?」
応答がない。
「雪さん?」
話しかけても何も聞こえない。でも携帯は繋がったままだ。
「雪さん、聞こえてますか?」
間違いかもしれない。よくあることだ、無意識にボタンを押してしまって本人の気が付かないうちに繋がっていたりする。
「もしもし、雪さん?
どうかしましたか?」
何かが変だ。
「もしもし、雪さん!大丈夫ですか、雪さん!雪さん!」
話してる途中で「ゴトン!」と電話口がら大きな音がした。
なんだこの音は?
「雪さん、聞こえますか。僕、ユイです。」
微かにカサカサと音がする。なんだか無騒ぎがする。千佳さんに連絡したいが電話を切るに切れない。そのまま鍵を取り家を飛び出す。
「雪さん聞こえますか?今からそっちに行きますから。」
車に乗り込み、スピーカにする。やはり何も答えてくれない。嫌な予感がした。アクセルを踏み込む。何かあったに違いない。でも、あの少女は?
家にいないのだろうか?今日は週末だ、出かけていてもおかしくはない。
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車を停め走る。部屋番号を押す。返事がない。どうしたらいい。俺は千佳さんの部屋の番号を押した。するとすぐに返事があった。
「はーい、あれユイ君どうしたの?あは、間違えた?雪の部屋は303よ。」
「違うんです。さっき雪さんに電話したら取ったんですが何も言わないんです。今も電話つながったままなんです。」
「え、さっき雪のとこに行ったわよ。とりあえず、上がってきて。」
ドアが開きエレベーターへ急ぐ。エレベーターを降り部屋向かうと、千佳さんがインターホンを押している。
「あ、ユイ君。変ね、出てこないわ。でも出かけるなんて言ってなかったし。」
鍵を差し込みドアを開ける。
「雪、ユイ君きてるけど。」
返事がない。
「やっぱり家にいるわ、鍵があるもの。」
玄関の壁に鍵が下がっている。靴を脱ぎ千佳さんの後に続き歩いていく。キッチンに入ったその時、千佳さんが悲鳴をあげた。
「ヒィ!!雪!!」
俺は駆け出し、横たわっている彼女の耳元で声をかける。
「雪さん聞こえますか?雪さん?」
「どうしよう。雪、ねぇ起きて。」
千佳さんが雪さんの肩を揺さぶろうとする。俺はその手をつかむ。
「頭打ってたら危険なので、動かしたらダメです。そのままで声をかけてください。僕は救急車呼びます。」
「わ、わかったわ。ゆき?雪?聞こえる?」
急いで救急車を要請する。事情を説明し電話を切り、そしてもう一本電話をかけた。
「救急車は今向かっているので、襟元だけ緩めてもらえますか?」
「えぇ。」
周りを見渡す、テーブルの上に広げた折り紙とあの飛行機のキーホルダがあった。
「千佳さん、あれ見てください。」
彼女は、雪の手を取りながら見上げる。
「あっ、それ今朝返したの。キーホルダーが下がったままだったから私外して中に隠したの。きっとそれを見つけて・・もしかしたら記憶が戻ったかもしれない。」
きっとそうだ、記憶が戻りパニックに陥ったに違いない。
奥の雪さんの部屋から何か見えた。俺は足を踏み入れる。荷物が散乱している。何かを探しているようにも見えるし、ただの片付けかもしれない。ふと、地面に目が釘付けになる。開いた折り紙が2つ落ちていた。さっき、テーブルにあったあの折り紙と同じようだ。手に取ってみると予想した通りだった。そうあの宿の折り紙だ。
でもなぜここに?しかも2つも。
その折り紙は少し時間が経っていて一部が変色している。どう見てもこの前もらってきた物ではない。周囲を見わたす。クローゼットに椅子が置いてあり何かを取り出した跡がある。床にはスーツケースが開いたまま。まさかスーツケースの中にあの折り紙が入っていたのか?それを見て倒れたとしたら・・・俺は愕然とする。
いや間違いない。きっとそうだ。記憶が何かを探していた。それを見つけ驚いた彼女はパニックになったんだ。そして、たまたま俺がかけた電話にでた。
「ピーンポーン!」
チャイムが鳴る。俺は折り紙をポケットへ入れた。
消防員が声をかけるが返事がない。
「意識が戻らないので搬送します。1人付き添ってください。」
俺は千佳さんをみる。
「私、家に子供置いたままなの、友達に預けて行くからユイ君お願い!」
「わかりました。僕が付き添います。」
サイレンの音で聞きつけてきた人たちが遠めにこちらを見ている。救急車に乗り込む。
「今、搬送先確認しています。」
「あの聖詠総合病院へ向かってください。知り合いがいて連絡済みです。」
「わかりました。確認します。」
雪さんは動かない。毛布からスルリと落ちた手を受け止め握り締める。
「受入れ確認取れました。聖詠総合病院へ向かいます。」
救急車のサイレンが大きく鳴りだす。周囲には、人だまりができていた。
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病院へ着くとすでに看護師が待っていた。その後ろに長身の男性が立っている。
「仰向けで倒れていて意識がありません、呼吸が不安定なので・・・・」
看護師に話す消防員をよそに俺は長身の男性に近づく。男性は彼女に呼びかけた後看護師に的確に指示をする。彼女が運ばれていく。その男性は俺をみた。彼と目が合った途端、安心からこみ上げる感情を抑えきれなくなり声がつまる。
「彼女は、、彼女は大切な人なんだ。だから助けてほしい。」
「これから検査するから待ってるんだ。今は何も言えない。」
「わかってる。」
「ユイ、彼女があの人なのか?」
彼はじっと俺の目を見ていた。静かに頷く。
「そうだよ。」
「母さんには言ったのか?」
「さっき電話で話した。」
「そうか。とりあえずしばらく検査に時間かかるから、母さんとこに行って説明してこい。」
「わかった。」
「心配するな、俺がいる。」
「頼んだよ、兄さん。」
兄は頷いた。兄とは久しぶりにあった。いつも忙しい兄は俺が実家へ帰った時でさえも、会うことはなかった。俺は千佳さんにメールをした後、ある場所へと歩きだした。
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院長室のドアをノックする。
「はい、どうぞ。」
中から声がする。ドアを開け中へ入る。女性が立ち上がりこっちへ来る。
「久しぶりね。元気なの?」
「元気だよ。」
「最近帰ってこないから、仕事忙しいと思っていたけど。彼女を見つけたのね。」
「見つけたんだ。」
「座って、今コーヒーお願いするから。」
その女性は僕の母だ。母は内線でコーヒーを頼む。受話器を置く。
「それで、何があったの?」
「わからないんだ。家で彼女が倒れてて、意識がなかったから救急車を呼んだんだ。」
「そう、検査しないと何もわからないわね。それで彼女とはいつ会ったの?」
俺は、最近あった出来事を手短に母に話した。
「雪さんよね?彼女は結婚してるの?」
「結婚してる。でも旦那さんはだいぶ前になくなっているんだ。」
「お若いのに可哀想に。お子さんは?」
「高校生の女の子が1人いるよ。」
「そう、その子には会ったことある?」
「あるよ。」
「それなら良かった。こういう時に初めて会うとお互い動揺するから。とりあえず、お兄ちゃんに任せなさい。あとは待つしかないから。ここで待つ?」
「雪さんの友達が来るから俺は下で待ってるよ。」
「そうしなさい。何かあれば電話してちょうだい。ナースステーションでもいいわ。何も心配しなくて大丈夫よ。だって彼女はユイとお母さんの恩人なんだから。」
「ありがとう。」
「ユイならきっと見つけると思っていたわ。お兄ちゃんは信じてなかったみたいだけどね。お兄ちゃんと話した?」
「さっき会ったよ。」
「驚いてたでしょ。」
「そうだね、あの彼女かって確認してた。」
「やっぱりね、あなたの電話の後にお兄ちゃんに連絡したら信じてなくて、きっと友達だよって言うのよ。」
俺は苦笑いした。
兄ならいいそうだ。図書館で助けてくれたお姉さんが好きなことを家族はみんな知っていた。初めは周囲も笑っていたが、大きくなるにつれ現実的な事を言う人がほとんどだった。でも母だけは応援してくれた。雪さんに会っていたからだ。彼女の人柄を知っていたし、俺の想いも知っていた。でも兄はこんな広い世界で名前も年さえも知らないのだから絶対に無理だよと言っては、小さな俺を泣かせた。成長した頃にはもう結婚してるぞって言って、俺を怒らせたこともあった。
でも今日の兄さんは違った。「心配するな、俺がいる。」これほど心強い言葉はなかった。兄さんと目があった時、熱いものがこみ上げてきたのを覚えている。
「俺行くよ。」
「え、もう?コーヒーくるわよ。」
「友達が来てるかもしれないから。」
「そうね、じゃ行きなさい。」
院長室を後にした。ロビーへ行き、千佳さんを探す。いた。少女も一緒だ。
「千佳さん!」
「いた、ユイくん!雪、雪はどこ?」
「今,検査中です。しばらくかかりそうです。ここで待つように言われました。」
「そうなの。」
千佳さんは力が抜けたように椅子に座る。少女が俺に話しかけてきた。
「あの、私娘の葵です。この前は封筒届けてくださりありがとうございました。」
「あーぁ、そうだった。彼はね、星野唯一さん。みんなユイ君って呼んでるの。こっちは雪の娘の葵ちゃん。」
「ユイです。この前はちょっと急いで会社に戻らないといけなかったから挨拶できなくてすいません。」
事実、あの後会社に戻って残業をしていた。
「いいえ、忙しいのにすいませんでした。書類、次の日必要だったので助かりました。」
「良かった。届けた甲斐があった。」
俺は微笑む。少女も微笑んだ。
「なんて呼んだらいいですか?」
「そうよね、ユイ君におじさんはないわ。ユイ兄さん?なんか言いにくそうね。」
「あの、お兄ちゃんて呼んでもいいですか?」
「え、お兄ちゃん?確かに年が私たちより近いけど、お兄さんは?」
「お兄さんは、蓮兄さんがいるもん。それに葵、お兄ちゃん欲しかったから。カッコいいお兄ちゃんがいたら、学校でも自慢できるもん。」
「なんか葵ちゃん元気ね。心配じゃないの?」
「うちのママ?たぶん大丈夫だよ。最近は毎月のように定期検診行ってるし。それに記憶が戻りつつあるせいだと思うから。たぶん、それで倒れたんだと思うけど?」
「えっ、記憶戻ってきてるの?そんなのこと聞いてないよ私。」
「んー、心配させたくないから言わないでって。まだ断片的みたい。夢に出てくることもあって、夢なのか現実なのわからないって言ってたよ。」
俺と千佳さんは目を合わせる。彼女の記憶が戻りつつある。
「記憶が戻る時、よく頭痛いとかフラフラするとか言ってたし。でも倒れたことはなかったけど。」
「信じられない、私に隠してたなんて。なんか緊張が抜けてお腹空いてきた。」
「僕売店で何か買ってきます。」
「あー私も行く!」
「じゃ、私は待てるね」
千佳さんは手を振る。
カゴの中にお菓子をポンポンと入れて行く少女。今時の高校生だなと見ていたら、
「こんなに買うのって思ってるでしょう?だって、たぶん今日帰れないから予備が必要なの。夜空いてないでしょ売店。」
そう言って少女は笑う。
「いっぱい買っていいよ。僕が払うから。」
「やった!じゃ、これも食べたい!次は飲み物、お兄ちゃんは何がいい?お茶?コーヒー?」
お兄ちゃんと呼ばれて驚いたが、嬉し恥ずかしかった。
支払いを済ませ歩き出す。彼女は近くのベンチに座る。俺は少女に話しかけた。
「葵さんは幾つ?」
「葵か、葵ちゃんて呼んでください。みんなそう呼ぶから。16歳です。」
「じゃ、葵ちゃん。高校1年生かな?」
「そうです。ちなみに彼氏なし。ママも彼氏いないです。あと、私のパパはママが結婚した人ではありません。実は私も知らないんです。パパのことは何も話してくれないから。強く聞くとママ泣き出してごめんねってずっと謝るの。だから、もう聞くのやめたんです。」
「そうなんだ。」
俺が聞きたかったことを彼女はスーと話してくれた。
「ママ、最近ずっと落ち込んでて元気なかった。たぶん、お兄ちゃんのメール待っていたと思います。私のこと聞いてなかったんでしょう。お兄ちゃんもショック受けたと思うけど、ママもショック受けてました。
でもママには悪気はないから嫌いにならないでください。もし聞きたいことがあるなら私が何でも話しますから、だからママを責めないで欲しいんです。
最近のママは明るくなりました。よく出かけるようになって友達の家にお泊りもするようになったんです。自分の時間を大切にしているのがわかります。お兄ちゃんのメール見てるママは幸せそうで、そんなママがわたしは好きです。毎日楽しそうで幸せそうだから、ずっとこのままでいて欲しいと思ってます。」
俺は、雪さんと自分のことしか考えていなかった。一番傷ついたのは葵ちゃんだ。彼女の目を見て俺は言った。
「驚いたのは確かだけど、お母さんを傷つけるつもりはないよ。ただ何を聞いたらいいのか分からなかったんだ。僕はお母さんから離れるつもりはないから。だから心配しなくていいよ。」
「じゃ、お兄ちゃんが私とママを守ってくれる?」
「もちろん二人を守るよ。」
彼女は笑った。その屈託のない笑顔は雪さんにそっくりだ。そのあと携帯を貸してと言われ手渡すと、彼女は番号を入れて鳴らした。
「はい、これでいつでも連絡できる。」
携帯を手渡し千佳さんのところへ小走りに歩いて行く。俺は嬉しかった。あんなに2人で悩んでいたのに葵ちゃんがあっさりと解決してくれた。あとは雪さんの検査結果を待つだけだ。
戻ると、葵ちゃんが嬉しそうに言う。
「ママ、検査異常ないって。」
俺は千佳さんに聞き返す。
「もう結果出たんですか?」
「ええ、女性の方がきたの。ユイ君を探していたみたいだけど、知り合い?年配の柔らかい感じの女性だったけど。」
「たぶん、母です。」
「えっ、お母さん?どうしてここにいるの?」
「えーと、ここ母の病院なんです。さっき、千佳さんたちが来る前に話してきたんです。」
「えー!!お兄ちゃんお金持ちだ!」
「あの方、お母さんなの?白衣着てなかったけど。」
「出かけるところだったんだと思います。」
「なるほど、、驚いた。そういえば部屋用意してありますからって言ってたけど。」
「たぶん、特別室を準備しているんだと思います。」
「うっそー、お兄ちゃん凄い!」
「僕はなにも凄くないよ。」
苦笑いをする。千佳さんが葵ちゃんをたしなめるようにいう。
「ダメよ!そんな高い部屋、雪も驚くし!」
「そうだと思ったので通常の個室にしてもらいましたから。」
「はぁー、驚いた。ありがとう。」
「えー葵、特別室でもよかったのにー。」
「もう、変なこと言わないでよ。」
「千佳ねぇ、汗かいてるよ。」
「葵ちゃんが怖いこと言うからでしょ。特別室なんて幾らすると思うのよ」
「大丈夫だよ、お兄ちゃんいるもん。」
「全然、大丈夫じゃないって。ママが目覚めた途端、また倒れたらどうするのよ。」
「あはは、その時はその時でしょ!ここ病院だし。」
「もう!信じられない。」
俺は雪さんの結果が何もなくてホッとしていた。そして、俺に信頼を寄せる葵ちゃんの言葉を思い出していた。2人のやり取りはしばらく続いたが、診察室に呼ばれて中断した。
部屋に入ると看護師と先生が座っていた。
「検査結果ですが脳に異常はありません。体に外傷なかったので、きっと自分で横になったあと意識がなくなったものと思われます。今後は意識が戻るのを待てから話をしたいと思います。何か質問はありますか?」
千佳さんと葵ちゃんは黙ったままだ。俺は聞いた。
「骨折などもなかったんですか?」
「はい、ありません。」
「意識はいつ戻りますか?」
「早ければ今夜、遅くても明日には戻るものと考えています。」
「意識が戻らないと言うことはないですか?」
「それはないと思います。」
「意識が戻れば帰れますか?」
「患者さんの話を聞いてからになります。今の状態では何故倒れたのか分かりませんので。」
俺は千佳さんと葵ちゃんに聞く。
「何か質問はないですか?今なら何でも答えてくれますよ。」
2人は顔を見合わせる。
立っている看護婦さんがクスクス笑っている。でもその言葉に反応したのは先生だった。
「オィ、何でもは無理だよ。本人と話さない限りは医者も検討がつかないんだから。検査は異常ないからな。とりあえずは心配しなくていい。」
2人はキョトンとした顔で俺を見る。
「あっ、すいません。この人、僕の兄さんです。」
「おい、この人って何だよ。ひどいな。こんにちはユイの兄です。」
この状況に一番に声を上げたのは葵ちゃんだった。
「やったー!!お兄ちゃんが2人だ!」
俺は笑った。兄さんも笑っていた。千佳さんだけが引きつり笑いをしていた。
>>>>>
雪さんは個室に移された。彼女は眠ったままだ。表情は苦しそうではなかった。酸素マスクも外され呼吸も安定している。俺は彼女の付き添いを申し出た。葵ちゃんも残りたいと言ったが、付き添い用のベットは1台だけだった。明日また来るからと言って千佳さんと葵ちゃんは帰っていった。
俺はシーツから彼女の手を出してそっと握りしめる。その温もりにホッとする。本当に良かった。あの時電話していなかったらと考えると恐ろしかった。あのまま誰も気がつかなったら、どうなっていたんだろう。救急車の中では酸素吸入をしていた。どのくらいの間、あの状態にあったのか分からない。でも発見した時、電話を握ったまま彼女は倒れていた。あの時はまだ意識があったはずだ。朦朧とする中、俺の声を聞いていたかもしれない。
ノックがしてドアが開く。母だった。
「帰ったんじゃなかったの?」
「一度帰ったのよ。あなたが残ると思ったからお弁当持ってきたの。」
「ありがとう。助かるよ。考えていなかった。」
「そうだと思った。彼女の様子は?」
「変わらない。」
「大丈夫よ。明日には目覚めるはずよ。顔色もいいわね。」
母は重箱を広げる。
「さぁ、食べて。」
俺は小皿を受け取り食べ始める。
「雪さんは記憶が戻っているの?」
「娘さんの話だとそうらしい。でも、どれぐらい戻っているかは分からないんだ。断片的だと言っていたけど今回は違うのかも知れない。」
「そうね、強い衝撃を受けて倒れたとみてるようよ。お兄ちゃんが言ってたわ。」
「俺には分からないって言ってたのに。」
「それは家族がいたからよ。確信のない話は医者はしないから。」
「兄さんが医者っぽく見えるよ。」
久しぶりに母と色々な話をした。雪さんの話、仕事のこと、陸の話もでた。1時間ほどで母は帰っていった。簡易ベットに横になる。記憶が戻りつつある。ポケットから折り紙を取り出す。この2つは昔の雪さんの思い出なのだろう。いつの間にか眠っていた。
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時計を見る。6時だった。雪さんを見ると寝返りを打ったのか、昨日とは違う方を向いてる気がする。気のせいか?母から受け取ったタオルで顔を洗い歯を磨く。ナースステーションの前を通ると声をかけられる。
「院長の息子さんですよね?」
「そうです。」
「院長から彼女の容態を知らせるように言われています。昨夜は目覚めることはなく眠っていました。呼吸も安定しています。今のことろ大きな変化はありません。同じ体制で寝ていたので体を少し動かしています。」
動いたように見えたのはそれだった。
「ありがとうございます。詳しく教えて頂けて助かります。」
「いいえ、何かありましたら言ってください。」
看護師はそう言って作業に戻っていった。
病室へ戻ると雪さんが座っていた。俺は駆け寄る。
「雪さん!良かった。」
「ユイ君、あのここは?」
「病院です。」
「どうして病院にいるの?」
「昨日自宅で倒れたんです。」
「昨日?わたし倒れたの・・・」
「そうです。僕の電話を覚えてますか?」
「電話・・・。」
覚えていない?俺はボタンを押した。すぐに看護師がきた。
「あっ、上原さん起きましたね。気分悪くないですか?」
看護師は脈を取る。
「はい、大丈夫です。」
「では先生呼んできますのでお待ちください。」
そう言って部屋を出ていった。
数分後、兄が来た。
「主治医の星野です。気分はどうですか?気持ち悪かったり、どこか痛いとこはありませんか?」
「えぇ、ありません。」
「倒れたのは覚えてますか。」
「いいえ、覚えてません。」
「昨日、何をしていたか言えますか?」
「はい、朝友達が来てコーヒー飲んでいました。彼女が持ってきたかばんを片付けたら、キーホルダーが入っていてそれから・・・」
言葉に詰まり、空中をみるように何かを探す彼女。兄はじっと彼女を見ていた。いや、彼女が喋りだすのを待っていた。すると雪さんがまた話し出す。
「お財布から折り紙を出して、折り紙をみて・・」
また彼女は考える。
「あの折り紙見たことあるんです。クロゼットを開けて探しました。・・・見つけたんです。二つありました。それを読んでいたら、プロポーズされた時のことを思い出したんです。苦しくなって携帯を・・携帯をさがしてキッチンへに行って、探してもなくて。もっと苦しくなってきて目眩が・・・そしたら携帯が鳴って、でも声がでなくて。私は床に座ってその声を聞いていました。」
彼女は涙を流していた。僕をみてから兄を見て言った。
「彼が私を呼んでいました。聞こえたんです。こっちだよって優しくて温かい方に彼はいました。今度は反対側から別の声が聞こえたんです。私を呼ぶはっきりとした声でした。私はその声の方に歩きだしました。そしたらここにいて・・・わたし、倒れて運ばれたんですね。」
「そうです。今気分はどうですか?」
彼女にティッシュを手渡す。涙を拭きながら彼女は言った。
「頭がクラクラして少し痛いです。」
「では痛み止めを出しておきます。体調はどうですか?」
「あまりよくないと思います。疲れました。」
「思い出すとその時の感情も同時に襲ってくるので疲れてしまうことがあります。でも心配いりません、記憶が戻りつつある兆候です。検査をしましたがどこも異常はないので体は心配はいりません。もう二日ほど様子をみてみましょう。また何か思い出したら話してください。」
「はい。」
「申し遅れましたが、私はユイの兄です。何かあったら言ってください。心療内科の先生が後から来ますのでそちらに相談してもいいです。」
「えっ、お兄さんなんですか?」
「はい、そうです。」
雪さんは驚いて俺を見る。俺は頷く。
「まぁ、何かあればコイツを使ってください。すぐ飛んできますよ。」
「兄さん。何を言うんだよ」
「だって本当のことだろう?」
「もう黙っててよ。あとは大丈夫だから。」
「ほらね、全部ユイがするので心配ないですよ。」
彼女は戸惑った顔をしつつも笑っていた。
>>>>>
「お水のみますか?」
「お願い。・・ユイ君、ずっとここにいたの?」
「はい、昨日の夜はそこで仮眠を取りました。葵ちゃんと千佳さんはお昼にきます。さっきメールしたら喜んでましたよ。」
「そう、葵と会ったのね。」
「はい、話もしました。ママは隠していたんじゃなくて言えなかっただけだから、責めないで欲しいとお願いされました。」
「ごめんなさい。話をするべきだったと今は後悔しているの。本当にごめんなさい。」
「いいえ、僕こそ連絡できなくてすいません。何を聞いていいのか分からなくて、あの日電話したのは会って話がしたかったからです。でも葵ちゃんが話してくれました。自分が傷ついたことよりも僕たち二人の事を葵ちゃんは心配しています。」
「葵はいつも周りを気遣ってくれる優しい子なの。」
「わかります。素直で優しい娘さんですね。話をして分かりました。それと、僕を心配して彼女が話してくれたことがあります。自分のパパは最初の人じゃないと言っていました。そしてパパが誰か知らないとも言ってました。」
「そんなことまで言ったの?」
「はい、たぶんいずれ知る事になると思ったから僕に言ったんだと思います。」
「そう。そうなのね、じゃもう隠し事はないわ。葵のおかげね。」
「はい、彼女のお陰です。本当に素敵な子ですね。笑った顔が雪さんにそっくりです。」
「そう?」
「はい、姉妹に見られますよ。」
「よくあるのよ、お世辞だけどね。」
彼女は笑って答える。
あんなに悩んでいた時間が不思議なくらいに今は穏やかだった。彼女も同じ気持ちだろう。それから2日後に退院の許可でた。会計を済ませこちらへ歩いてくる。
「本当にいいの?治療費だけしか請求されてないんだけど。なんかも仕訳なくて・・・。」
「いいんです。母がそうしたいと言うので。僕が何を言っても病院の事は無理ですから。」
「わかったわ。お母さんにお礼しなきゃね!」
「いいえ、こっちがお礼しないといけないぐらいですよ。葵ちゃんが母と話してくれて嬉しそうでした。あんなに喜んだ母の笑顔は久しぶりに見ました。」
「葵ったらいつの間に仲良くなったのか、本当にごめんなさいね。」
「いいえ、僕こそ母が勝手なことしてすいません。」
「いいの、葵の事だから止めたって無駄よ。毎日メールしてるみたいだけど、お母さん大丈夫かしら?」
「母なら大丈夫ですよ。そのお陰で僕は解放されましたから。」
「そうなの。それなら良かったのかしら。」
僕にほほ笑むその笑顔は、いつもの彼女だった。葵ちゃんがトイレから戻ってきた。
「ママ行く?」
「うん、行こうか。」
「車、取ってきますね。」
「ありがとう。」
俺が返事をしようとしたその時、「雪、雪じゃないか?」と男性の声がした。
俺は彼女の視線の先に目をやった。
マスクにサングラス姿の男性。
その後ろに二人の男性がいる。
雪さんは茫然としていた。きっと彼女は知っている人なのだろう。驚きすぎて動けないようだった。
「雪、久しぶり元気だった?こんなところで会えるなんて驚いたよ。」
雪さんは何も答えない。
黙ったまま。
ただ彼を見つめていた。
彼は隣にいる葵ちゃんに声をかける。
「娘さんかな?」
「はい、葵です。」
「大学生?」
「いいえ、高1です。あのー、ママのお友達ですか?」
「そうだよ、ちょっと待って。」
彼はサングラスとマスクを外した。俺は驚いた。何故なら彼はあの有名な歌手「森本涼」その人だった。
「うそー!森本涼だ!!ママ、友達なの!」
葵ちゃんが雪さんに聞く。彼はマスクとサングラスをかけ直す。
「君は?」
僕を見て彼が聞く。
「あの友人です。」
「そう。」
ホッとしたように見えた。何も話さない彼女に彼は尋ねる。
「雪、ずっと探してたんだ。少し話せるかな?」
彼女は金縛りから解けたように瞬きをする。そして彼から視線を逸らした。
「すいません。急いでいるので失礼します。」
葵ちゃんの手を取り出口へと歩き出す。
彼は慌てる。
「待って!雪、待ってくれ。少し話がしたいだけなんだ!」
声が大きかった。ホールに響き渡り皆がこっち見ている。
「ねぇ、あれ森本涼じゃない?」
「え、うそー。」
「絶対そうだよ、今の声そうでしょう。しかもほら、あの指輪つけてるもん。」
「ほんとだ森本涼だ!サイン貰いたい!!」
あっという間に彼は人に囲まれてしまっていた。マネージャーらしき男性二人が彼の前に立ちはだかる。
そんな様子を振り返ることなく雪さんは歩いていく。葵ちゃんの手をしっかりと握ったまま前を見ていた。俺はその後を追うように歩きだした。
次回、『辛酸なはかない希望』
次回第14話「辛酸なはかない希望」
添付・複写コピー・模倣行為のないようにご協力お願いします。毎週金曜日連載予定。
誤字脱字ないように気をつけていますが、行き届かない点はご了承ください。
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