【英国王室】ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人) | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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英国王女の娘―ウィンザー城で生まれ祖母ヴィクトリア女王の元、育てられたヴィクトリア・マウントバッテン。(Victoria Alberta Elisabeth Mathilde Marie Mountbatten, Marchioness of Milford-Haven, 1863年4月5日 - 1950年9月24日)

ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人)  

Princess Louis of Battenberg, nee Princess Victoria of Hesse and by the Rhine


初代ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンの夫人。結婚前の名はヴィクトリア・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット。妹たちはロシア皇后になり、娘はギリシャ王子妃、スウェーデン王妃、第2代ミルフォード=ヘイヴン侯爵に。息子は英国王室で名を馳せたルイス・マウントバッテン、孫は英国女王の夫になったフィリップ王子。


ヴィクトリアはヘッセン大公ルートヴィヒ4世と最初の妃であるイギリス王女アリス(アリス・モード・メアリ。ヴィクトリア女王次女)の長女として、英国ウィンザー城で生まれ、3歳まではベッスンゲンで育ち、その後ダルムシュタットに家族で住みます。

彼女は妹エリーザベト(のちのロシア大公妃エリザヴェータ・フョードロヴナ)と同じ部屋に生活し、良い教育を受けました。1878年、ダルムシュタットで大流行したジフテリアに大公一家が罹患し、末妹マリーと母アリスは助かりませんでした。ヴィクトリアは幼い兄弟たちの母親代わり、父の秘書代わりとなります。


アリス フィリップ殿下 母

左がヴィクトリア女王、そして立っているのが娘のベアトリス王女、座っているのがヴィクトリア女王の孫娘ヘッセン大公女ヴィクトリア(女王の次女アリス・モード・メアリ王女の長女)。そのお膝にいるのが娘のアリス

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1884年4月、ダルムシュタットでヴィクトリアは祖母ヴィクトリア女王の紹介により、父の従弟ルートヴィヒ・フォン・バッテンベルク(のちのルイス・アレグザンダー・マウントバッテン)と結婚。

ヴィクトリアはルートヴィヒの従兄ヘッセン大公太子ルートヴィヒと妃アリスの長女であるため、幼い頃から互いを知る間柄でした。

ルイードヴィヒの父アレクサンダーは貴賤結婚をしてロシアの軍人となっていたため、子供たちは下級貴族扱いであり、資産も少なく不本意でありました。

ルートヴィヒ・従兄の妃がイギリス王女(ヴィクトリア女王次女)であったこともあり、そのつてて自然とイギリスへ渡ることを考え、14歳でイギリス海軍に入隊。イギリス王太子アルバート・エドワード(のちのエドワード7世)夫妻の地中海・黒海クルーズに同行したことから、アルバートと懇意にするようになっていました。


アリス フィリップ殿下 母

1979年ヴィクトリアとルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(ルートヴィヒ・フォン・バッテンベルク) 、右後ろがアリス(フィリップ殿下の母)


ヴィクトリア・マウントバッテン
(1911年12月、Photograph of the Battenberg family, signed and dated -December 1911, L.F. Battenberg  by Louis Mountbatten at the age of eleven.)



ヴィクトリアは夫がすでにイギリス海軍の軍人だったこともあり、イギリスで生活するようになった。夫が地中海へ航海に出ると、ヴィクトリアも同行してマルタで一冬をすごしたことがあったそう。彼女は息子ルイスを10歳まで自分が家庭教師代わりに教育した才女で、ルイスは1968年にヴィクトリアを評して、「母は歩く百科事典だったよ。」と語っています。


第一次世界大戦が始まると、夫ルイスとヴィクトリアはワイト島に引退。国民感情を考え、敵国ドイツの姓を名乗るのに不都合となり、イギリス王家は「ウィンザー家」と改名。それにならい、ヴィクトリアたち一家は「バッテンベルク」(バッテンバーグ、Battenberg)から、より英語的な「マウントバッテン」(Mountbatten)に改姓。その3日後、夫はジョージ5世よりミルフォード=ヘイヴン侯爵を授爵されます。


当時既にギリシャ王子アンドレオスと結婚していた長女アリス以外の彼の子供たちは、以後マウントバッテン姓を名乗り、アリスの一人息子で、のちのエディンバラ公フィリップは、王位継承権を放棄して英語名を名乗ることになった1947年、ギリシャ及びデンマーク王子フィリップから母の実家の家名をとりフィリップ・マウントバッテンとしました。

ルイス・マウントバッテンはこの幼いころの下級貴族扱い、ドイツ系として何度も屈辱的な思いをしており、それが後々甥のフィリップ王子をエリザベス王女に引き合わせて王室に影響力を与えたと言われています。


ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人) ヴィクトリアと母で英国王女プリンセス・アリス
princess alice with daughter1863-Victoria, born in April 1863, in the presence of her grandmother, Queen Victoria, is shown with her crinoline-clad mother, Princess Alice




1918年ロシア革命で、ヴィクトリアは妹2人、エリザヴェータ・フョードロヴナ皇帝アレクサンドル2世の五男セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の妻)とアリックス(ニコライ2世の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ )、姪と甥であるオリガ皇女、タチアナ皇女、マリア皇女、アナスタシア皇女、アレクセイ皇太子元皇帝一家らを失います。また長女アリスの義理の母オルガはロシア皇帝ニコライ1世の次男コンスタンチン大公とその妻であるアレクサンドラ・イオシフォヴナ大公妃の長女でした。
ルイス・マウントバッテン

英国ヴィクトリア女王とドイツ人の孫娘たち。

ヴィクトリア女王の次女アリス・モード・メアリPrincess Alice(35歳で死去。この写真を撮ったときには亡くなっている)の娘であるヴィクトリアVictoria, エラEllaそしてアリクスAlixことのちのアレクサンドラ皇后.(L-R) 

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ヴィクトリア女王 孫娘




■エリザヴェータ・フョードロヴナ皇帝アレクサンドル2世の五男セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の妻)
エリザヴェータ・フョードロヴナ
ヨーロッパで一番美しいプリンセスと誉たこともあり、14歳で従兄ヴィルヘルム(後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世)から求婚されるが、この求婚を受け入れなかった。幼馴染だったロシア皇族のセルゲイ大公(皇帝アレクサンドル2世の五男)と結婚。
エリザヴェータ・フョードロヴナ

1905年頃から妹アレクサンドラが皇太子アレクセイの血友病の治癒のためにグリゴリー・ラスプーチンにのめりこむと、エラは皇帝やその母后マリア・フョードロヴナに手紙を送ったり、妹を諌めにツァールスコエ・セローにたびたび出かけたりしていたが、彼女の思いは通じることはなかった。
Elisabeth_Fyodorovna
1917年、ロシア革命が起こると、周囲のものは亡命をすすめたが聞き入れず、翌1918年3月20日に鉱山に送られ、7月18日にチェーカーによりほかの皇族らとともに郊外の廃坑へ突き落され、手榴弾を投げ込まれて殺害された。ある皇族の頭には包帯が巻かれておりエラが最後の力を振り絞って介抱した証だったそう。




■アリックス(アレクサンドラ・フョードロヴナ (ロシア・ニコライ1世皇后)

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ニコライ2世 アレクサンドラ ロマノフ王朝
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ニコライ2世と妻アレクサンドラ・フョードロヴナ
アレクサンドラの遺体はソ連崩壊後に発掘され、DNA検査の結果エディンバラ公フィリップの提供したDNAと一致。

※殺された皇后はフィリップ殿下祖母の姉妹…皇女たちは母とイトコそして殺されたニコライ2世は父とイトコetc (詳しくはこちら⇒

【ロシア帝国・ヘッセン家】ニコライ2世とアレクサンドラ・フョードロヴナ→



(ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の一家 ↓クリック拡大します)
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ニコライ2世 家族 ロマノフ



ルイスは従妹である(ロシア皇帝ニコライ2世の三女)マリア・ニコラエヴナの面影を生涯追い続け、彼女の写真を部屋に飾っていたと言われています。
ルイス・マウントバッテン -

※このストーリーはまた後日ご紹介予定






【ヘッセン大公女ヴィクトリア】
Princess Victoria of Hesse and by Rhine, Marchio  
〔子女〕

・アリス(1885年 - 1969年) - ギリシャ王子アンドレオス妃。エディンバラ公フィリップの母。ヨーク公ジョージ(のちのジョージ5世)とテック公女メアリーの結婚式でブライズメイトとなるなど、幼い頃からイギリス王室の一員として育った。

・ルイーズ(1889年 - 1965年) - スウェーデン王グスタフ6世アドルフ妃。

・ジョージ(1892年 - 1938年) - 第2代ミルフォード=ヘイヴン侯爵。ナデジダ・ミハイロヴナ・ド・トービーと結婚。

・ルイス(1900年 - 1979年) - 初代マウントバッテン・オブ・ビルマ伯爵。エドウィナ・シンシア・アシュレイと結婚。



【アリス ギリシャ王妃】
プリンセス・アリス フィリップ


1921年長女アリスに息子フィリッポスが誕生しますがすでに一家はギリシャで処刑対象。英国王の船でパリに亡命するも、アリスの夫(王子)は愛人を作り家庭を顧みらず、アリスの娘たちは3人共にドイツへ嫁入り、アリスはパリでギリシャ難民の手だすけをしていましたが統合失調症を発症し入院することとなります。

ヴィクトリアはアリスの病に心を痛め、家庭の不和でパリ、スイス、ドイツ、英国と行き場をなくした孫フィリッポス(のちのエディンバラ公フィリップ)を引き取り、イギリスで養育することに。


夫と死別してからの彼女は第二次世界大戦中に、ケンジントン宮殿に住んでいました。宮殿が空襲に遭ったあと、ウィンザー城に住まいを移し戦後、息子ルイスがインド総督の任務を受諾しようとしているのを知ると、危険だからという理由で最後まで賛成しませんでした。

1947年月9日、イギリス国王ジョージ6世の第1王女エリザベスと孫フィリップの婚約が発表されます。1950年、ルイスの家に滞在中病にかかり、「ここは私が死ぬには良すぎる場所よ。」と言ってケンジントン宮殿に戻り、そこで没します。



ヴィクトリアと娘アリス、アリスの長女マルガリタ

Princess Victoria of Hesse and by the Rhine with


【フィリップ殿下の美しき母 アリス・オブ・バッテンバーグ】

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フィリップ殿下 幼いころ 両親


1921年6月10日誕生
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-エディンバラ公 フィリップ

天使。

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Prince Filip with his father Andrew

天使が生まれました(フィリップ殿下と父)


1923年
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-prince-philip-with-parents-ca-1923


1924年 3歳

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Philip when young.



5歳のフィリップ殿下

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Philip when young.




6歳の王子。セーラー服がよく似合う。殿下はギリシャ王位継承権3位だったとか。
フィリップ殿下 子供時代

Prince Philip, Duke of Edinburgh, born 10th June 1921, son of Prince Andrew of Greece and Princess Alice of Battenburg. Consort of Queen Elizabeth II. Pictured wearing a sailor suit in 1927.



このフィリップ殿下の写真は叔父のルイス・マウントバッテンが写真を撮ったそうです。8~9歳で姉が3人ともドイツにお嫁入りし完全に引き取られたのは10歳ごろのようですが、すで6歳過ぎからフィリップ殿下はヨーロッパで親類の元をたらいまわしにされ、7歳で英国へ一人送られています。(家庭生活が崩壊していたため)
 


フィリップ殿下とご家族

Prince Philip with sisters, Cecile, Margarita, Theodora, Sophie


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Alice with her only son, a certain Phi
母と
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Philip when young.




【9歳のフィリップ殿下。お宝写真♥】

フィリップ殿下 幼いころ 両親

父方のギリシャの伝統的な民族衣装を身に着けて)

1930- Prince Philip dressed in his fatherland's traditional costume


1930- Prince Philip dressed in his fatherland's




13歳の殿下
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-若きフィリップ殿下


完成

フィリップ殿下 女王様も恋

フン、かわいいだろう


 

1947年エリザベス王女とフィリップの結婚式で、エリザベス王女の祖母メアリー王妃とフィリップの母アリス王女が共に並びます。
アリス フィリップ殿下

難聴というハンディキャップを乗り越え、いくつもの言語をマスターし、美貌に頼らず、身分におごらず正しい生き方をしたプリンセス・アリス。

フィリップ殿下の歳の離れた姉たちがナチスとの関係を持ったドイツ系貴族と結婚していたこと等が問題になります。息子は英国側、娘たちはドイツと子供たちが敵同士(自身は英国王室の城で生まれ。ドイツで育つ)であったため、フィリップ殿下の母は中立を守るように戦争中は王族や夫がみな亡命するところ、ひとりギリシャに残り、民のためにつくし自身が食べるものもない中、ナチスから知り合いを守っていました。)結果フィリップ殿下の結婚式には姉たちは招待されず、母は出席。女王の義母、未来の国王の祖母になった後、修道女の道を自ら選びました。


フィリップ殿下 母 アリス

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フィリップ殿下 ハンサム

Prince Philip, the Duke of Edinburgh, rides a monkey-bike at the Royal Windsor Horse Show May 16, 2002 in Windsor, England.



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ひろはな様、コメントで殿下の来日エピソードありがとうございました→

(いつかこのエピソードをお借りして記事を作らせていただきたい!とおもいました。あの徹子さんに気を使わせるほどのジョークを飄々とおっしゃる殿下素敵~。止めないとジョークが飛ぶたびに英国大使館立ちそうで面白いかも...)

シギー様、女性は似ていらっしゃるけどたぶんお顔立ちが違う気がします。調べて分かった時にはご紹介しますね。