yamaotokoのひとりごと -376ページ目

写真のフォーマット

今、写真を撮る人は以前よりも増えたようで、これはデジカメの普及によるところが大きい。


デジカメは初期投資がかつては大きかったが、最近ではかなり手頃な価格で高性能のものも手に入るようになり、フィルムカメラと比べてコストパフォーマンスがかなり良くなっている。


フィルムカメラの場合、フィルム代、現像代、プリント代が結構かかり、私も以前は山や寺社巡りの旅行に行くと36枚撮りのフィルムを3日で10本以上撮ることが多かったが、帰宅後に現像代をポジの場合一万円弱は覚悟しておかないといけなかった。これにブローニー(幅6㎝のロールフィルム)のカメラを使うとさらに現像代がかさんだ。花目当ての山行や紅葉目当ての撮影で5日ほど出かけると、35ミリとブローニーであわせると現像代が2万弱ということもざらで、結構いたかった。

しかし、デジカメを使うようになると、フィルムカメラはブローニーだけもしくは35ミリだけになり、現像代は以前の半額ほどに。デジカメ撮影分はフィルム時代よりもコマ数は多いが現像代がなくなり、財布の負担は軽くなった。


デジタルのありがたい点は、他に、撮影直後に確認が出来ることで、以前ならスタジオ撮影などではポラで撮って確認という手があったが、フィールドではなかなかそうもいかないので、現像の仕上がりを待つしかなかった。

それがデジカメは確認が容易なので、ミスに気がつけばその場で取り直しが出来るので、全体としては打率が上がったと思う。


だが、一コマずつの写真と向き合う時間、一コマにかける注意が少なくなってきてしまっていることが気になっている。


そこで、私が写真に興味を持ちだしたころに参考にした本を棚から引っ張り出して眺めていた。



yamaotokoのひとりごと


前田真三(1922~1998)という写真家の写真集。

朝日新聞の日曜版に1993年4月から1年間連載されたものを1冊の本にまとめたもの。

私は、この連載記事を見たときに、新聞に刷ってある写真ながら、色彩の美しさ、構図に目を奪われた。

前田真三はハッセルブラッドという正方形のフォーマットのカメラを多用しているが、フレームの切りとり方、色彩のバランスのは、当時は類を見ないものだったと思うし、その後のカメラマンへ与えた影響は、計り知れないものがあると思う。北海道富良野、美瑛町のラベンダーの咲く丘と時計台のある学校が入っている写真が 数多く残されているので、目にしたことがある方も多いと思う。


シンプルな題材を絶妙のバランスでフレームの中に過不足無く切り取ってある写真は学ぶべきところがたくさんある。また、近景と遠景を望遠レンズを使って距離感を圧縮しフレームの中におさめてあるもの、広大な風景の中に点景をうまく活かしたもの、私にとっては何回見直しても飽きない本である。


完全な模倣ばかりでは駄目だが、自分の中に数多くの写真や絵画のイメージのストックを多くもつことが、自分自身の写真を撮るときの助けになると信じて写真や絵を見る機会は出来る限り多く持ちたいと思っている。

歴史は生きている

 私は、史学科の出身ですが、西洋史専攻で特に興味をもっていたのが中世から近世の東欧史という変わり種なもので、逆にいうと他のメジャーどころの歴史はあまりくわしくありません。


 特に東洋史はあまり知らないので、これではいかんと思いつつ、早何年といったところ。


 今日、とりあげた本は、以前、朝日新聞で連載された記事を再編集した本ですが、結構、面白いです。


 アヘン戦争、日清戦争、日露戦争、辛亥革命、満州事変、太平洋戦争、朝鮮戦争といった私でも知っているテーマをもとに、それぞれの事柄を日本、中国、韓国、台湾の歴史の教科書でどのような記述がなされているか、どれぐらい掘り下げて扱われているかを、その史実に関しての新しく分かってきている事柄もふまえて説明しています。その国での歴史観の形成のされ方や背景が見えて興味深いものです。


 仕事で教科書は目にしていますが、他国の教科書を見る機会はなかなか無く(以前の勤め先で、在日韓国人の英語や数学の教科書をもとに勉強を教えることになり苦労したことはありましたが。)、私にとっては興味深い本です。まだ、完全に読み切っていませんが、いろいろと参考になることが多い本です。 


 『歴史は生きている 東アジアの近現代がわかる10のテーマ』 朝日新聞出版

交響曲第3番

 今日は、昼から、知り合いの手伝いで写真教室のお手伝い。

 平均年齢60歳以上の写真教室の初心者コース。

 上級者コースの方に旦那がいて、奥さんがこちらに参加のパターンが多い。

 旦那が写真を撮って楽しんでいる間に奥さんは暇なので、といった感じ。

 機材はこちらは全員コンパクトのデジカメ。使い方がよく分かっていない人が多く、私もコンパクトのデジカメはあまり使っていないので細かい機能は分からないが、オバチャン(おばあちゃん)たちは私をマニュアル代わりに使う。。。。。

 中には、新品を持ってきて箱から出してという方も。

 メモリーカードをフィルムみたいなものといったら、日に当ててはいけないと思っていただける方も。

 知り合いのカメラマン曰く、普段、塾や予備校で教える仕事もしているんだから、教えるのは慣れているでしょ!とのこと。

 今日、私が学んだこと。教えてはいけません。細かいことを教えてもまず分かりません。

 あとは、ひたすらほめるべし。

 手ぶれで像が流れていても、「流しどりっていうテクニックがあるけど、まさにこれだね。」


 明らかに逆光で、フレアがすごい場合には、「幻想的ですね!」

 被写体が何か分からない場合には、「前衛的ですね!」

 

 でも、オバチャンたちはすごい勢いで撮りまくっていました。まあ、私の仕事は子守でした。

 今日は家に帰ってきてから安らぎを求めてブルックナーを聴いています。

 若杉弘指揮NHK交響楽団によるブルックナーの3番。これは本当はシリーズ化して全集をつくる予定だったらしいのですが、途絶してしまったみたい。この指揮者のブルックナーはこのシリーズで他に7番があり、あとはザールブリュッケン放送響で2曲ほど入れていたみたい。若杉弘の指揮に最初に触れたのはケルン放送響との来日公演を浦和の埼玉会館で聴いたのが最初。確かブラームスの2番の交響曲とあとは?。あの頃はまだ中学生で、親がチケットをどこかで手に入れてくれたので聴きにいったもの。演奏はほとんど覚えていません。その後、自分が興味を持ってこの指揮者の演奏をきいたのは都響の音楽監督の時代。結構、斬新なプログラムを組み、色々な曲をやっていたので、一時期、定期会員になっていました。 さて、このCDの演奏は。手堅い演奏。1996年2月26日、サントリーホールのライブ録音とのこと。録音は同じ指揮者で都響とのマーラーの全集よりは音のキレが良い感じ。オケのレベルもこちらの方が上で、聴いていて余裕が感じられる。N響から重心の低いズッシリした響きを引き出しているが、マタチッチなどの演奏よりもずっと丁寧。その分、若干、推進力は弱いかも知れないが、これは曲の正確もある。4番や8番あたりだったらまた違っていただろう。正直、この曲で、この指揮者のブルックナーの演奏を云々することは無理。せめて5番、8番あたりをいれてくれていればと思うのだが。コンサートツィクルスは一通りやったのだと思うので、録音は残されているだろうから、日本のレーベル辺りでBMGから買い取って出さないだろうか?



yamaotokoのひとりごと

Mr. Holland's Opus

 Mr. Holland's Opus(邦題「陽のあたる教室」)という映画をご存じでしょうか。少し古い映画なのですが(1995年)、日本でも映画館で上映されていました。

 

 なんてこと無く、ひょんなことからこの映画を上映当時に映画館で観たのですが、不覚にも泣けました。

 いわゆる「でもしか」の音楽教師が、いつの間にか同じ学校で30年以上教鞭をとり、財政悪化のために最後は学校を追われることになり、その最終日にサプライズがあるという、いかにもアメリカ人好みの映画なのですが、結構、引き込まれていきました。


 実は、この映画を観てだいぶたってから、この映画のDVDでもないだろうかとおもい昨年、さがしてみたのでしたが、大昔にVHSはでていたようなのですが、その後、無かったのであきらめていたら、今年になってDVDででていたのです!店頭でたまたま見つけたときに、即買ってしまいました。

こんばんはこのDVDをこれから観ようかなと思います。


陽のあたる教室

大地の歌

 マーラーの交響曲の中で「大地の歌」という曲は、最初、耳にした頃(高校生の頃)は、あまりピンとこなかった。

 しかし、大学の頃から段々、興味が出てきて、色々な演奏を少しずつ聴くようになった。

 ワルターNYPのステレオ盤、バーンスタインのVPO盤、IPO盤、クレンペラーNPO盤、カラヤンBPO盤あたりがその頃聴いていたもの。

 大学を卒業する(した)頃に初めて、耳にしたのがピアノ伴奏による演奏。これは実演で、国立音大のホールでサヴァリッシュのピアノによるもので、歌手が誰であったかは失念したが、たしか日本初演(世界初演?)。指揮者のサヴァリッシュのピアノ演奏は既に聴いたことがあったが、この曲のピアノがオケの色彩感をどこまで表現するのかに興味がありきいたことを覚えている。感想は、圧倒されたことを覚えているが、正直、細部がどうかなどは

全く覚えていない。(20年以上前なもので。)

 で、その後に入手したのがこのCD。


大地の歌(ピアノ伴奏版)ファスベンダー(Ms)モーザー(T)カツァリス(p)


 シプリアン・カツァリスのピアノでブリギッテ・ファスベンダー、トマス・モーザーの歌唱という盤。

 

 カツァリスというと、私が最初にこの人を知ったのはリスト編曲のベートーヴェンの田園交響曲のレコード。たしか高校生の頃で、FMのクラシック番組でリクエストか何かで放送したのを聴いて「何じゃこりゃ」が最初の感想。

当時はグールドの運命や田園は聴いていたが、あれはグールドの演奏で、ベートーヴェンの交響曲とは全くの別物。ところがカツァリスの田園はかなりオケの演奏に近い感じ。また、ピアノの音が独特(マークアレンとかいうやつ)。これで、このピアニストに興味を持ち、以後、機会があると録音を集めた。

 私が大学にいる頃か出た頃にカツァリスががんばってベートーヴェンの交響曲を全曲録音。これらは、いまでもたまに聴いている。


 さて、大地の歌のこの演奏は、よく弾いていると思うが、なにかドロドロした感じはなく、かなりさわやかな大地の歌。歌は2人ともうまい。


 バーンスタインがこの曲をピアノで弾いていたらどうなっていたろうか?

 

組曲第三番

 今日は、管弦楽組曲第三番です。


 というと普通はバッハを考える方が多いとおもいますが、今回はチャイコフスキーで。


 チャイコフスキーは生涯に交響曲を7曲(6番までの番号付きとマンフレッド)書いているが、その途中で創作に行き詰まっていた時期に、4曲の管弦楽の組曲を残している。


 今日、演奏会などで耳にする機会が多いのは最後の組曲第四番、モーツァルティアーナ。

 この曲は、モーツァルティアーナという題がついていることからも分かるとおり、モーツァルトの色々な曲のテーマをもとにした曲の寄せ集め。全部で20分ほどの曲だが、何か聴いたことがあるメロディーが多く(当たり前)、なじみやすい。

 

 今日取り上げる組曲第三番は、四曲の中では一番長く、全部で40分前後かかる。

 この曲は4曲からなり、第1曲がエレジー、第2曲が憂鬱なワルツ、第3曲がスケルツォ、第4曲が主題と変奏となっている。だいたい第1曲が10分前後、第2,3曲が5分前後で、最後の第4曲が20分前後かかる。この第4曲をディアギレフがバレーにつかったこともあるようで、この曲だけを独立して演奏することもあるみたい。


 私がこの曲の存在を初めて知った(聴いた)のは高校生の頃。FMラジオのクラシック番組で聴いたのが最初。その時に、親しみやすいメロディーに心を奪われ、レコード(LP)をさがして、手に入れたのがFMで聴いたのと同じ、マゼール指揮ウィーンフィルの演奏。今CDで売られているのはこんな感じみたい。


組曲第3番 マゼール&ウィーン・フィル、組曲第4番 アンセルメ&スイス・ロマンド管 アンセルメ指揮スイスロマンド管による組曲第4番とのカップリング。

私が現在持っているCDはこれら。


 ドラティ指揮ニュー・フィルハーモニア管による全集


[チャイコフスキー:組曲「全曲」]組曲第1~4番 ヤルヴィ/デトロイト交響楽団 ヤルヴィ指揮デトロイト響による全集


管弦楽曲集 ボールト&ロンドン・フィル、他  ボールト指揮によるロンドン・フィルによるチャイコフスキーの管弦楽曲集。

                組曲は第三番のみ。



交響曲全集、管弦楽曲集 アバド&シカゴ交響楽団(8CD)  アバド指揮シカゴ響の交響曲全集。

                組曲は第1,3,4番でMTT指揮ロンドン響。これは交響曲が目当てで買ったらついて    

               いたという感じ。


 今日、聴いていたのはドラティの盤です。

 第1曲のエレジーは弦楽器の切ないメロディー、第2曲の憂鬱なワルツはワルツのリズムに乗って今ひとつ盛り上がらないちょっとけだるい曲、第3曲のスケルツォは管楽器の目立つ快活な曲、第4曲の主題と変奏はまず、アンダンテでテーマを提示し、そのメロディを色々と楽器や調をかえ変奏しながら最後に第12変奏は華やかなポロネーズで終わる。


 チャイコフスキーはけだるいメロディもいいが、実は、ポロネーズを書かせると良い曲を書く人だったと私は思うのだが、いかが。


では。

弦楽四重奏曲第1番 「我が生涯より」

 今日はこちらのCDを。


『わが祖国』全曲、歌劇『売られた花嫁』全曲、祝典交響曲、他(10CD)

 

 最近はやり?の激安ボックス。10枚組で2510(HMV店頭)。中古店だと1000円前後。


 「我が祖国」全曲、「売られた花嫁」全曲、「ダリボル」全曲の他管弦楽曲、ピアノ曲と室内楽曲がセット。


 我が祖国とオペラ2曲は少し古いモノラルのもの(我が祖国はターリヒの1941年盤)で、他はステレオ。難は色々な音源からの寄せ集めなので、ピアノ曲はダブりが多いこと、室内楽はトラック数が少ない(1曲に1つ!)ことなど文句を言いたいこともあるが、お値段がお値段なので許してしまう。。。


 この中で10枚目のCD、ヴァイオリンとピアノの「我が故郷から」、弦楽四重奏曲第1番「我が生涯から」、弦楽四重奏曲第2番の3曲が入っているのを、今日は繰り返し聴きながら仕事をしていた。


 スメタナの時代のチェコはハプスブルク家のオーストリアの支配下にあり、1848年のいわゆるフランスの二月革命のあと、オーストリアやドイツで三月革命が起こり、ドイツの統一が議論されるようになる。その際に問題になったのがゲルマン民族のみのドイツをつくるか、他の民族も含めたドイツをつくるかであり、そのことはプロイセンが盟主となるかオーストリアがなるかの覇権争いに結びつく。ドイツ統一のための憲法制定会議(フランクフルト国民会議)が開かれた際に多民族による大ドイツ主義を主張する弁者としてチェコの歴史かで政治家でもあったパラツキーが演説し、スメタナもそこにいたとされる。

 このような歴史的な動乱の中でスメタナは我が祖国や9曲のオペラを書いているが、これらは民族色が濃く、愛国心を鼓舞するような曲が多い。それに対して、二曲の弦楽四重奏は晩年にスメタナが聴力を失った直後(梅毒が原因?)の作品で、個人的、内省的な性格が強い。「我が祖国」も聴力を失ってからの作品のようだが、あの管弦楽の色彩感は頭の中だけでなせる技なのか?ベートーヴェンの「田園」と同じか?


 2曲の弦楽四重奏のどちらが好きかと問われると時によって異なるが、今はこの1番の方がやや好きか。

 このCDでは1番はターリヒ四重奏団、2番はパノハ四重奏団が演奏(どちらもライブで会場ノイズ入り)。

 

 聴き所は第3楽章か。自身のはかない幸せを回想しているような楽章だが、そのはかなさがよく伝わってくる。

 終楽章のリズムの切れや息の合い方も素晴らしいとおもう。


シベリウスのピアノ曲

今日はシベリウスのピアノ曲を。

シベリウスは私の好きな作曲家の一人だが、聴くのはほとんど管弦楽曲ばかり。ピアノ曲や室内楽曲、声楽曲にも良い作品はあるのだが、昔は日本ではあまり紹介されていなかったが、最近では、手に入れられるCDもかなり増えた。自分も何枚か入手したが、それらの中で、今日は書き物をしながら聴いていたのがこれ。


SPEX


 渡邉規久雄によるシベリウスのリサイタルのライヴ録音。

 キュリッキ op41、5つのスケッチ op114、 フィンランディア(作曲者自身のピアノ編曲)op26、6つの即興曲op5より第5曲、5つのロマンティックな小品op101より第1曲、ピアノソナタヘ長調op12、10の小品op24より2,3,5,9,10番

といった内容。

 渡邉規久雄の父君は言わずと知れたシベリウス演奏の大家であった指揮者の渡邉暁雄。渡邉暁雄の母君はフィンランド人で父君は日本人だったというから、渡邉規久雄はクウォーターか。


 私がシベリウスの作品に親しむようになったのは渡邉暁雄指揮の日本フィルの演奏でシベリウスのフィンランディア、交響曲2番、5番というプログラムのコンサートに私の地元の市民会館で出会ったのがきっかけ。その後、ヘルシンキフィルの初来日のオール・シベリウスのコンサート(東京文化会館)でオッコ・カム指揮で数曲を聴いたり、渡邉暁雄の死後の日フィルの演奏でも色々な曲に接してきた。


 シベリウスの作品は交響曲を見ても1番と7番では作風がかなり異なるが、ピアノ曲をみても若い頃の作品と後年の作品とではかなり趣が異なる。


 このCDの中でピアノ曲の中心としてまずピアノソナタが面白い。メロディーは全く異なるが、曲の持つ雰囲気が私にはなぜか、管弦楽曲のカレリア組曲を思い出させる。3楽章形式で急・緩・急という典型的な構成の曲で、シベリウスのピアノ曲の中では親しみやすい曲だと思う。楽譜を入手したくなった。


 さかのぼって1曲目のキュリッキ。この曲を聴くとこのCDのジャケットの演奏者のさわやかな顔ではなく、よく見かける作曲家の渋い顔を思い出す。帝政ロシアの軋轢にあえいでいた頃のフィンランドの重苦しさを背負ったような難渋な顔をしたシベリウスの写真を目にすることが多いが、この曲や交響曲第4番を聴くとあの顔を思い出す。


 フィンランディアは管弦楽曲をピアノにしたものの楽譜を私も持っているが、弾くのは結構大変。聴くのに限る。


 他の小品集もどれも親しみをもてる演奏だと思う。 


シューマンのピアノ五重奏曲

 シューマンに関して、昔、自分がピアノを習っていた頃に、むちゃくちゃな練習をして手を駄目にしてしまった人、神経衰弱(ノイローゼ)で自殺を図った人といった、あまり良くない逸話を聞かされていたが、その音楽を聴くとやや暗いかなというものもあるが、なかなかどうして力強く、メロディーやハーモニーのきれいな曲が多い気がする。


 この人の作品は色々なジャンルがあるが、管弦楽曲よりは器楽曲、室内楽曲、声楽曲の方が、この人の良さが出ているのかなという気はする。もちろん4つの交響曲や色々な楽器の協奏曲、その他の管弦楽曲も良いし、好きな曲もある。個人的に好きなのは4つのホルンのコンチェルトシュトゥック。15分ほどの曲だが、4人のホルンの名手がいないと(4人のレベルがそろっていないと)駄目な曲なので、なかなか実演に接する機会はないが、CDはちらほらある。また、交響曲だと月並みだが奇数番号の1番と3番が好き。偶数番号も良いが奇数の曲の方が先に馴染みになった曲でもあり、聞いている回数も多いと思う。


 今日は、シューマンの作品の中で最近、私が聴く機会が増えている、ピアノ五重奏曲。この曲のCDは色々出ているし、自分で持っているのも結構あるが、その中で最近手に入れたのがこれ。


String Quartet.14  /  Piano Quintet:  S.richter,  Borodin.q


 ボロディン四重奏団とリヒテルの演奏(1994年6月のライヴでリヒテルの最晩年のはず)。カップリングはシューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」(1995年)。最近、このCDにバッハやモーツァルトのピアノ協奏曲のCDもつけてタワレコで復刻したのも出ている様子。


 この演奏はリヒテルが79歳の時の演奏。演奏時間はⅠ9'28 Ⅱ9'44 Ⅲ5'14 Ⅳ7'25で、ややゆっくりといったところ。全体にメロディーをたっぷり歌わせ、演奏者が思い入れたっぷりに弾いている感じ。ややリヒテルのテクニックに衰えがあるのかなとも思われるところもあるが、全員が共感をもって曲を慈しんでいる感じが伝わってくる。


 リヒテルの演奏に私が最初に接したのはカラヤンとのチャイコフスキーの協奏曲1番。あの演奏で印象的だったのが終楽章のピアノのメロディを普通はだいたい力ずくで弾くのに精一杯なのかもしれないが、リヒテルは余裕たっぷりでメロディの反復で音の強弱をはっきりと対比させていたこと。そのあとリヒテルでびっくりさせられたのはDGのラフマニノフの2番の協奏曲。あの出だしを普通はだいたいアルペジオ風に弾く人が多いのに、リヒテルは完全に和音として弾いていたこと。あの頃他に聴いていたのがアシュケナージだったので手の大きさの違いをはっきりと見せつけられた感じ。それからEMIに録音していたシューベルトの「さすらい人」幻想曲やソナタ、シューマンのピアノ曲を数曲、マタチッチとのグリーグやシューマンの協奏曲、クライバー(子)とのドヴォルザークの協奏曲。これらはテクニックもそうだが音の美しさに圧倒されたことを覚えている。


 シューマンの五重奏曲の演奏で他によく聴くのがゼルキン(父)とブダペスト四重奏団のもの(CBS)、バーンスタインとジュリアー年重奏団のもの(CBS)。ゼルキンのがかっちりしていて室内楽としてまとめているならバーンスタインのは奔放でどちらかというと協奏曲風。今宵はゼルキンのをこのあと聴いて寝よう。


 

2009年6月の庭

 梅雨に入り、我が家の庭も植物の成長スピードがすごい。雑草がはびこってしょうがないが、そのような中で花を咲かせてくれているものが色々あるので、今日はそれを少し紹介。



yamaotokoのひとりごと-ショウブ

まずはショウブ。

yamaotokoのひとりごと-ツユクサ

それからツユクサ。


yamaotokoのひとりごと-ユリ2

ユリ。


yamaotokoのひとりごと-ユリ1


こちらもユリ。



yamaotokoのひとりごと-アブチロン

これはアブチロン。他に赤いのもあるが、丁度良い花が無いので今回は省略。



yamaotokoのひとりごと-シモツケソウ2

これはシモツケソウ。ピンクの可憐な花がきれいです。



yamaotokoのひとりごと-レモンの子供


番外編でレモンの子供。今年はこれがたくさんついています。さらにまだつぼみがあるので、もう少ししたら実を少し間引きしないと駄目そう。



yamaotokoのひとりごと-インゲンの子供


インゲンの子供。ちらほらと食べられるのが出てきて、食卓にあがっています。



yamaotokoのひとりごと-トマト


 これは桃太郎トマト。他にミニトマトもあり、そちらはもう食べています。



yamaotokoのひとりごと-カボチャの赤ちゃん


最後はカボチャ。昨年食べておいしかったやつの種をとっておいて今年の春にまいたもの。家の西側に日よけとしてゴーヤといっしょに育てています。