カラヤンと音楽ビジネスについて
先日、尾瀬の山小屋で雨天のため停滞している間に宮下誠氏の「カラヤンがクラシックを殺した」を読了。
氏はカラヤンを、カラヤン個人と言うよりは彼が代表するものとして扱われ、クレンペラー、ケーゲルとの対比で論を進められていた。かなり挑発的な論調ではあるが、なるほどなと思うところもあるし、クレンペラーやケーゲルに関する記述も興味深いものであった。
カラヤンが代表するものというのを考える際に、私が最近気になっているレコード業界のあり方が一つの例として考えられるのではないだろうか。
現在、ユニバーサルという会社にまとまっているが、かつてはドイツグラモフォン、フィリップス、デッカという全く別の企業が存在していた。それぞれの企業が、専属のアーティストを抱え、それぞれ独自のレコードを作り発売していたわけで、そこには企業間の競争意識も多分に働いていたと思うが、結構面白いレコードが作られ発売されていたし、やや古くなった録音に関してもそのレーベルの廉価盤として繰り返し再発されていた。
しかし、カラヤンが1950年代後半にベルリンのポストを得たことで、従来デッカにウィーンの楽団と録音していたのとEMIにフィルハーモニア管と録音していたのに加えてドイツグラモフォンにベルリンフィルとの録音をしていき、
1960年代、70年代はカラヤンがこの3つのレーベルの主力になって次々と録音を残していった。レーベル間での録音するジャンルの使い分けはある程度していたようだが、この状態がしばらく続き、それが、グラモフォンとデッカ、フィリップスが統合するとカラヤンの主要録音の大半をもつユニバーサルという化け物会社が誕生した。
カラヤンの関連商品がここ数年相次いで発売されたが、その陰で、かつては廉価盤として生き延びていた他の演奏家の録音の数々が忘れ去られ、市場から消えていってしまっている。さらに、廉価盤の内容をみても、企業が統合したころはレーベル別に再発していたが、最近はレーベルの枠を超えてまとめて出されている感じで、マイナーな演奏家の録音は急速に忘れ去られていくように見える。
このユニバーサルという大枠のレーベルが、私には「カラヤン」に代表されるもののように感じられる。メジャーレーベルで、だいたいの有名曲をカタログ的に網羅して、「コレらを聴けばある程度はクラシック音楽が分かりますよ」的な売り方をしていることが、画一化され、有名なものにふれれば安心する小市民的な消費者を創造し、再現芸術である音楽のもつ本来の多様性の面の影を薄くすることになっているのではないだろうか。
ファーストチョイスに推すには難があるような演奏も聴き比べの対象としては存在して欲しいし、それを残すことは企業の義務であるように私は思う。また、学校などの音楽の授業で是非、様々な演奏家の聴き比べを行って欲しいと思う。
ユニバーサルだけでなくBMGとソニーやワーナーなどにも傘下おいた過去の遺産の保護と再発をしっかりとやって欲しいし、EMIも東芝が録音している日本の録音で1960年代、1970年代の貴重な音源をぜひ世に出してくれることを願うばかりである。
下山してきました
6月29日より、3泊4日で尾瀬をゆっくりまわってきました。今年は2回目です。
29日は晴れ、30日は午前中雨で午後は晴れ、7月1日は雨時々曇り、2日は曇り時々雨といった天気。
29日は尾瀬の西側にある鳩待峠から入山、尾瀬ヶ原を突っ切り、尾瀬ヶ原東端の見晴地区の第二長蔵小屋に宿泊。この日の尾瀬ヶ原はいい天気で、気持ちのいいハイキング。
この春は雪が少なかったため、花の開花が早まっており、日光キスゲがフライングでさいていたり、普通はまだのバイケイソウが満開になっていたり。時期相応の花としてはレンゲツツジやカキツバタ、ヒオウギアヤメ、それからワタスゲの穂が見頃。
宿近くの草原に来ると、ひたすら足元をみて、小さな花を探していました。お目当てはトキソウ。
朱鷺の羽の色にちなんだ淡い色の花でランの一種。
なかなか見つからないトキソウ。
これも高い山に行かないと見られないタカネバラ。
小屋について、一休みをしていると雨がポツポツ。そのあと本降りに。
翌日早朝は雨。4時に起きたものの、雨では手持ち無沙汰で再び床に。
朝食後、7時ごろに小屋を出て燧岳の下の山道を歩いて尾瀬沼に。だいたい1時間強で、山を抜け、沼側の麓にある白砂湿原へ。ここの目当てはチングルマとイワカガミ。しかし、チングルマはもう花が終わり綿毛に、イワカガミも盛りを過ぎていて、ちょっと残念。そのかわりヒメシャクナゲとタテヤマリンドウが満開。
尾瀬沼に着いたときはまだ雨。沼尻の休憩所で小屋のスタッフと無駄話をしながらコーヒーを飲み雨宿り。
また、山道を沼沿いに歩いて行くといろいろな花が。
沼沿いに歩いて、次の宿の長蔵小屋につく頃には晴れてきました。
宿に荷物を置いた後、午後は付近の小湿原を散策。
大江湿原、小淵沢田代はワタスゲが見ごろ。大清水平はワタスゲとタテヤマリンドウが見ごろ。
夕方は雲が出てどんより。
翌日は朝から雨。
ひたすら読書。気になっていた宮下誠氏の「カラヤンがクラシックを殺した」と「20世紀音楽」の新書2冊を読破。
どうせ雨が降るだろうと本はいつも数冊持っていきます。
翌朝は雨がふったりもやが出たりといった朝。
まあ、今年2回目の尾瀬で雨に半分降られましたが、1回めの4月末は全部晴天だったので、まだ打率はいいほうでしょう。次は秋かな。
森の歌 ショスタコーヴィチ
さわやかなラテン音楽のあと、少し暑苦しいのを。
発売が予告されていてから気になっていたDVDを本日購入。
1978年のソヴィエト国立交響楽団の来日公演のDVD。
曲はチャイコフスキーの悲愴とショスタコーヴィチの森の歌。
映像はNHKには残されておらず、民間の人が家庭で録画していたのの提供を受けたものとのことで、映像は年代を感じさせるもので音声も?のところはあるが、演奏はなかなか気合いが入っていてすごい熱気のもの。
実はこの年のこの来日公演を私は浦和の埼玉会館で聴いていまして、プログラムはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と悲愴というもの。ピアノはニコライ・ペトロフ。
当時、私は中1で、そもそも生でソ連人を見るのは初めてで、あまり大きくない埼玉会館の舞台の上で巨漢の指揮者とピアニストにオーケストラがひしめき合っていて、ピアノ協奏曲ではただ、圧倒されたことしか覚えていません。そして、この時の来日公演で東京でやった森の歌はテレビで見ました。あのときはバスの独唱の重低音に圧倒されたのを覚えているだけです。。。。
1978年というとまだ冷戦のまっただ中で、2年前に函館空港に最新鋭のミグ25が強行着陸しベレンコ中尉が亡命するというショッキングな事件があり、ソ連という国との関係は?な頃だと思います。
DVDを観ていて、森の歌の児童合唱は東京荒川少年少女合唱隊のメンバーですが、前にオケ後ろに合唱団でいずれもロシアのごついオジさんオバさんにはさまれていて、ちょっと子供たちが不安そうなのが何とも言えません(子供たちの感じや合唱団やオケの人たちの髪型やメガネをみると時代を感じます)。当時は国外で演奏できるのは共産党のお墨付きの方々に限られていたはずなので、森の歌を演奏する姿を見ても、みなさんプロバガンダそのもの!という感じです。
ところで、このDVDの演奏は、スヴェトラーノフのこの曲のCDよりよっぽど良い演奏です。出来れば音声だけをもっといい状態でCDで出してくれればと思うのですが。。。。。ねえALTUSさん!がんばれ!
森の歌は以前は日本でもアマチュア合唱団などがよく挑戦していた曲だったらしいですが、最近では見かけませんね。私も実演を聴いたのはかつて石丸寛の指揮で一回聴いただけです。現在CDもあまり無いかと思います。私が持っているのはフェドセーエフのもの、テミルカーノフのもの(まずまず)、ユーリー・ウラノフのもの(これがいい!)、スヴェトラーノフのもの(ダメ)、ムラヴィンスキーのもの(音が。。。)、ミハイル・ユルロフスキのもの(まあまあ)、アシュケナージのもの(速すぎ)ぐらいです。
曲そのものはイケイケでアマチュア受けしそうな曲だと思いますが、音楽的にも結構面白い曲です。ただ作曲された背景云々の問題があることと、大人の合唱に加えて児童合唱をそろえるのが大変なのであまりやらなくなってしまったようですね。そろそろ政治抜きで純粋にこの曲を音楽として再評価してもいいのでは。
お気に入りのジャズ②
いやー、何ですか今日の天気は?
日中、仕事で出かけていましたが、なんでこんなに暑いの?
首都圏は猛暑日だそうで。。。。。まだ6月だぞ、コラ!
と、怒ってもしようがないので、今日はコレ
トッキーニョと渡辺貞夫のメイド・イン・コラソ。
ハイ!脳天気な曲です。夏になると私はよくラテン系の曲を聴くようになりますが、その中でもこのアルバムはかなり気に入っています。
40分弱のアルバムで今のCDの基準からすると短いのですが、心穏やかに幸せな気持ちにさせてくれる音楽が10曲入っています。ブラジルのトッキーニョのヴォーカル、ギターとナベサダのサックス、バックバンドの演奏ですが激しい曲はなく、そこそこノリのいい曲やメロディアスな曲がいろいろです。
アバドの9番
今晩は、Mr.Mさんのブログ に触発されて、アバドの9番を。
クラウディオ・アバド指揮ベルリンフィル
この指揮者のマーラーを意識して聴き始めたのは実はまだ最近のことです。
私の中でマーラーのバイブルはバーンスタインの2種の全集、テンシュテットの全集、ベルティーニの全集、ノイマンの全集あたりで、そこに単発でワルター、バルビローリ、クレンペラー、ミトロプーロス、クーベリック、シノーポリの演奏が入ってくる感じ。
アバドの9番は以前に知人から借りてウィーンフィルの録音を聴いたときはほとんど記憶に残らなかったが、このベルリンフィルとの演奏はそれから比べるとだいぶ進化(深化)した感じ。ガンの手術をした後とのことだが、精神的な悟りというか曲に対する見通しが深まり、全体的にいじっているけど無理がない演奏という感じ。一人の指揮者が十数年の間に変化した例としては面白いのかも。
さらに進化するとどうなるのだろうか?
無伴奏チェロ組曲のサックス版
今日もバッハを。
清水靖晃
テナー・サキソフォンによるバッハ:無伴奏チェロ組曲全曲(2CD)
私は、バッハの器楽曲が好きで、特に無伴奏ヴァイオリンの作品と、無伴奏チェロの作品、チェンバロ曲が好きです。
オリジナル?の楽器で演奏する形態も良し、現代の楽器による演奏も良し、はたまた他の楽器に置き換えての演奏も良し。
ヴァイオリンの曲やチェロの曲をチェンバロやギターなどで弾くのはよくあるが、管楽器でやるのは大変。
ヴァイオリンの曲とくらべるとチェロの方が、まだ管楽器でも取り組きやすいのか、私が知っているだけでもこのCDのようにサックスで演奏するもの、リコーダーによるもの、ホルンによるものがあります。
管楽器だと重音が出せないので、旋律線の一筆書きのような演奏になります。
さて、このサックス版はテナーサックスによる演奏。組曲第1番の1曲目は、かつて車のCMで使われたこともあしますが、耳に心地よいものです。
この録音は意図的に残響過多の場所で残響を多めに録音されているが、重音ができないことの不満を和らげています。チェロと比べると音域が上下に足りなく、特に低音域はやや物足りなさを感じる部分もありますが、概ねよく出来ています。擦弦楽器ならではの、音が出る瞬間の独特の雰囲気は違うが、こちらはこちらで、独特のタメがあり、この味わいも面白いと思います。
ヴァイオリンソナタ集
マーラーの次に、バッハを。
ヴァイオリンソナタ集全6曲 BWV1014~1019 レオニード・コーガンとカール・リヒターの組み合わせ。1972年の録音。
私は、弦楽器は全く弾けないので、よく分からないが、このコーガンのソナタ集はコーガンを聴くのか、リヒターを聴くのか悩むところ。どちらも雄弁であり、微妙に方向がずれている感じ。どちらも自分の音楽を確立している奏者だと思うが、その自己主張が強く、なにか食い違いがあるような感じ。
この曲集は、ソロヴァイオリンのソナタとパルティータ集と比べると私の中では聴く機会が少なく、持っているCD
このコーガン、リヒターの盤とグリュミオーとジャコッテのこの盤だけ。
ヴァイオリンソナタ集全11曲 BWV1014~1023 アルテュール・グリュミオーとクリスティアーヌ・ジャコッテの組み合わせ。1978年、1980年の演奏。6曲にあとから付け足している。
こちらは完全にグリュミオーを聴く盤。きれいな音。コーガンは細い音でもないがやや鋭い音であるのに対して、グリュミオーは、こちらも細い音ではないがきつさは無く、心地よい。
ただ、バッハはこんなにロマンチックなのか?という疑問が。
バロックヴァイオリンで演奏する奏者だとまた違う演奏になるのだろうが、それもバッハの本来の姿かというと、私にはよく分からない。
再現芸術としての音楽は、作曲者自身の録音が残されている場合にはその作曲者がどう考えていたかがある程度はわかるが、録音も無く、作曲者自身の愛弟子の系統もないとわからない。作曲家に関する文献を読んでも言葉で音を表現するのは難しいので後世の人間にはその本当の姿は想像するしかない。
まあ、そこが面白いのだが。
子供の不思議な角笛
仕事で、小中学生向けの時事問題の解説を書いています。
今回のテーマは冤罪。足利事件が話題になっているのでとりあげることに。
しかし、このテーマは難しい。冤罪そのものは問題だが、ともするとその事件が冤罪として被疑者が無罪になった場合に、本来の事件は迷宮入りになってしまうことが大半。足利事件にかんしても菅家さんの無罪は確定しても足利事件の解決にはならない。
日本の冤罪の多くは警察当局の取り調べや証拠収集、証拠の認定に問題があるが、今回の足利事件で菅家さんや支援する弁護士たちが、警察に取り調べの可視化を求めているが、捜査に支障が生じるということで取り調べの録画は一部のみにとどめるとのこと。でも、これでは変わらないのではないだろうか。
免田事件や数多くの冤罪事件が過去にもあるが、今回の足利事件までの時間の経過は何だったのだろうかと考える。
こんなことを考えたりメモを書き付けながら、今日聴いているのはこのCD.
マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウの独唱にヴォルフガング・サヴァリッシュのピアノによる1976年8月7日のザルツブルグ音楽祭のライブ。
この2人の組み合わせはフィッシャー・ディースカウの引退直前の来日公演でシューベルトの「水車小屋」全曲を聴いた。このコンサートは、当時の私の懐(今も対して変わらない)には清水の舞台から飛び降りるような覚悟を要するものだったが、行って良かった。フィッシャー・ディースカウの実演に接したのはこれだけだが、舞台上の姿勢の良さ、一曲ずつ詩に対する思い入れが感じられる表情づけなど今でも覚えている。また、伴奏のサヴァリッシュとのさりげないアイコンタクトのやりとりが私の席からでもよく見えた。
さて、CDだが、このプログラムを一気に歌いきるのは大変なのだろうが、それを感じさせない熱演だと思う。
この曲をこの組み合わせで実際に聴いてみたかったと思う。
お気に入りのジャズ①
私は、音楽に関してはいわゆるクラシックを聴く頻度が高いが、他のジャンルもそこそこ聴いています。
今日は、ジャズを。
私にとって、ジャズの最初は、小学生の頃にテレビで観た映画の「ベニー・グッドマン物語」や「グレン・ミラー物語」。
中学時代に耳に入って来る機会が多く、好きになったのが日本の渡辺貞夫や日野皓正。高校時代に聴くようになったのが、デイヴ・グルーシン。
大学時代に聴くようになったのが、ピアニストのビル・エヴァンス。
私の大学時代の友人の一人が、ビル・エヴァンスの熱烈なファンで、よく彼のアパートで色々と聴かされました。
ビル・エヴァンスの録音は膨大な数があるが、その中で、お気に入りなのがこれ。
WHAT’S NEW フルートのジェレミー・スタイグ、ベースのエディ・ゴメス、ドラムスのマーティ・モレルとの録音。
7曲で40分弱という短いアルバムだが、結構ノリのいい、セッションが繰り広げられている。
フルートのジェレミー・スタイグについては、このアルバム以外では知らないが、お世辞にも音がきれいとは言い難いが、ピアノとの絡みがいい。4曲目に有名な「枯葉」AUTUMN LEAVESが入っているが、これがなかなか良い。
① STRAIGHT NO CHASER ② LOVER MAN ③ WHAT'S NEW ④ AUTUMN LEAVES ⑤ TIME OUT FOR CHRIS ⑥ SPARTACUS LOVE THEME ⑦ SO WHAT
1969年の録音