yamaotokoのひとりごと -374ページ目

2台のピアノと打楽器のためのソナタ~バルトーク

 今日は、昨晩、いきなり飛び込んできた仕事のために、その前に片づけないといけない仕事を泡食って片づけていました。


 バタバタしながら、景気づけに聴いていたのがこの曲です。


Concerto,  Sonata For 2 Pianos  &  Percussion:  K  &  M Labeque Rattle  /  Birmingham


 バルトーク 2台のピアノと打楽器のためのソナタ。 ラベック姉妹のピアノとシルヴィオ・グァルダ、ジャン=ピエール・ドゥルーエの打楽器

 なお、このCDにはこの奏者たちにサイモン・ラトル、バーミンガム市響を加えた同曲の協奏曲版も収録されています。


 私がこの曲に初めて接したのは、中学生の頃にFMで聴いたときで、確か岩城宏之夫妻+αの演奏だったかと思います。珍しい楽器の組み合わせの曲ながら、聴いていて意外と違和感が無く、すぐに気に入りました。以来、面白そうな組み合わせのCDを見つけると聴いています。


 結構、「現代音楽」っぽい部分もありますが、メロディもしっかりしているので聴いてみると面白い曲です。

 取っつきづらいと思う人は第三楽章から聴くと、ノリの良さで引き込まれるでしょう。


プロフィールの写真を変えました

プロフィール?の写真を変えてみました。


昨年の晩秋に尾瀬で会ったヤマネ君です。


ビジターセンターのトイレのトイレットペーパーの中に寝床を作って冬眠しはじめていました。。。。


yamaotokoのひとりごと

このあと、まわりがうるさいのでどこかに逃げてしまいました。。。。。。ゴメン。

さすらう若人の歌2

引き続き、「さすらう若人の歌」を。


今度はFDの歌唱で。


FDの歌唱による録音はライブも含めるとかなりあり、オケの伴奏では有名なフルトヴェングラーのものの他にもモノ時代のものもあるし、ステレオではクーベリックのものやバレンボイムのものが。ピアノ伴奏盤ではCBSのバーンスタイン、EMIのバレンボイムのものなどそれぞれ面白いものがあるが、今回はライブ録音を。


Lieder:  F-dieskau(Br)K.engel(P)1970 London Recital


ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)  カール・エンゲル(Pf)

1970年2月16日 ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでのライブ録音


 先の2種はいずれも指揮者のものだが、こちらは純粋なピアニストによるものということで興味があり購入していたが、実は今までにほとんど聴いていなかったモノ。


 声は若い!


 それから、録音がライブでスタジオ録音でないので音が生々しい。スタジオのものより響きがややデッドだが、実演の声に近い(当たり前)。


 演奏はFDは完全にこの曲を自分のものにしている感じ。伴奏はバーンスタインほど作り込んでいないが、あれは別格とすればこれで十分。むしろ伴奏が目立ちすぎず、要所要所は締めていて好感が持てる。


 ちなみにカップリングの「若き日の歌」の「うぬぼれ」では唐突に歌唱が終わる感じなので、最後はエンゲルがおいていかれてしまった雰囲気で、ライブならではで面白い。


 リュッケルト歌曲集は4曲のみだが、これも素晴らしい。


 全体にやや饒舌すぎる気もするが、FDの歌唱によるマーラーの歌曲集を堪能できる。


 ごちそうさま。。。

ピアノ協奏曲

矢代秋雄のピアノ協奏曲。


 この曲は、日本人の作曲家の作品の中では、比較的、オーケストラのコンサートプログラムにのぼることも多い曲では。

 

 私が、この曲に出会ったのは高校時代で、私が高1の時の吹奏楽部の3年生の先輩がこの曲が好きで、よくピアノの出だしをピアノで弾いているのを聴いた時であった。何とも言えない不思議なメロディで始まる曲で、先輩も全部を弾けるわけではないので、出だしだけをよく戯れに弾いていたが、それを聴くうちに、全曲に興味をもち、先輩に頼んでカセットテープを借りて聴いた。


 あの頃の私には、まだ、バルトークやストラビンスキーで十分に斬新であったのだが、この曲はそれを超えた響きをする部分もあるが、妙に馴染みやすいメロディであったりして、不思議と最初から違和感なく聴き通せた。


 以来、私が、家で聴くことが多かったのは中村紘子の演奏であったが、最近、購入したこのCDもかなり良いと思う。


交響曲、ピアノ協奏曲 岡田博美(P)湯浅卓雄  /  アルスター管 


矢代秋雄 ピアノ協奏曲、交響曲  湯浅卓雄指揮 アルスター交響楽団  岡田博美 (pf)


 このピアニストの演奏は他の曲でも何度か実演にも接してるが、すごいテクニシャンであると共に、かなりロマンティックな演奏をするという印象。指揮者の湯浅卓雄は常任のオケは持たないようだが、日本人指揮者の中では、かなり良い演奏を聴かせる指揮者だと思う。CDで大阪のオケでいれたブラームスやシューマンの交響曲も持っているが、あれらも素晴らしい。


 肝心のこのCDだが、ピアノ協奏曲は期待に違わぬ演奏。この曲の良さを十分に引き出していると思う。やや硬質に感じられるピアノの響きとアルスターのオケの音の絡み具合もよく、オケのレベルも思った以上に高い。勢いで押していくような曲でもないので、音のきれいさがかなり要求されるが、かなり澄んだ響きである。


 日本人作曲家の作品が、日本という枠の中でなく海外のオケの録音で海外のレーベルによって紹介されるというのは実に喜ばしいことだと思う。特定の作曲家の作品だけは海外でもかなり紹介されているようだが、まだまだ優れた作品は数多くあるので、それらが手軽に聴ける状態を作ってくれるのは非常にありがたい。そして、このような状況を支えるためには日本人こそがもっと日本人の作品を聴く必要があろう。




さすらう若人の歌

 今日、7月7日は七夕であるとともに、グスタフ・マーラーの誕生日ということで、色々な方がブログでとりあげられている。


 私も、本日はマーラーの歌曲を。

 ブログを書き始めて、自分の好みの曲を色々考えていくと、とりあげる頻度はともかく、自分は声楽が好きかなということを、 改めて感じている。


 歌に関しては、中学の時に、仲の良かった音楽の先生に誘われて合唱の応援に入ったのをはじめ、高校の時もグリー部の補強で入ったりと、合唱には度々携わってきたが、メインの活動として合唱に関わったことは今までない。


 自分で関わりを持ってきたのはピアノやクラリネットで、吹奏楽や市民オケに少し関わってきた程度。オケや吹奏楽の曲、室内楽曲、器楽曲を聴くのはその関係でずっと続いているが、それとは別に、ふと手にとって聴くことが多いのが声楽曲(合唱や独唱入りの管弦楽曲も含む)である。よくよく考えると、曲そのものの魅力にとりつかれて聴いている曲も多いが、実は特定の歌手の声に惹かれて聴いているのも多い。男声だとヴンダーリッヒ、ヘフリガー、アライサ、フィッシャー=ディースカウ、プライ、スゼーあたり。女声だとシュワルツコップ、ベルガンサ、ベイカーあたりが好みか。


 今日はマーラーの「さすらう若人の歌」を。


 この曲は若かりし頃のFDがフルトヴェングラーの伴奏でいれた盤が名盤として有名で、私も好きだが、今日は敢えて女声のジャネット・ベイカーで。


亡き子をしのぶ歌、リュッケルト歌曲集、ほか ベイカー(MS)、バルビローリ&ハレ管、ニュー・フィルハーモニア管


デイム・ジャネット・ベイカー、サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団 1967年録音

他に、亡き子をしのぶ歌、リュッケルト歌曲(5曲)が入っている1時間強のアルバム。


 この歌曲集は男声だと、自分の青春と重ねて歌う人が多いのかなとおもうが、女声の場合はどうなのか。この盤のベイカーはこの録音をした頃はまだ若かったと思うが、比較的ゆっくりのテンポで丁寧に歌っていて、2曲目の「朝の野辺を歩けば」と3曲目の「私の胸の中には燃える短剣が」の性格の対比が際だっている。


 この盤の魅力はベイカーの歌にももちろんあるが、バルビローリの伴奏も素晴らしい。バルビローリが交響曲を全曲録音しておいてくれればよかったのに、と思うのは私だけではないだろう。


 このあとFDの歌も聴きたくなってきたので聴こうと思う。

 


「冬の旅」管弦楽版

今宵はリートを。


 シューベルトの歌曲集の中で、いわゆる三大歌曲集というと「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」だが、この中で、普段、好んで聴くことが多いのは「美しき水車小屋の娘」。この曲集はいろんな声域で歌われるが、私はテノールが一番好きである。ヴンダーリッヒ、シュライヤー、アライサあたりのCDをよく聴く。バリトンになるとフィッシャー=ディースカウやプライ、スゼーのものか。


 今日は「水車小屋の娘」ではなく「冬の旅」を聴いている。この曲の演奏ではハンス・ホッターの名演をはじめ男声の低音域の歌手のものがやはりしっくりくる。女声のアルトによる演奏も聴いたが、少し世界が違ってしまう。

男声ではハンス・ホッターのものだと「絶望」「孤独」といったネガティブの側面が強く出てくるが、そこにフィッシャー=ディースカウやプライのものだと悟りのポジティブな「諦観」を感じることがある。


 この曲集の演奏でFDにしろプライにしろピアノ伴奏者が異なるものを数種聴いているが、今夜は少し毛色の違う管弦楽版をプライの演奏で。


 プライはシューベルトのリートを管弦楽版で今までにもRCAに録音しており、それらはリスト、ブラームス、オッフェンバック、レーガー、モットル、ベルリオーズ、ブリテン、ウェーベルン、ヴァインガルトナーといった人々の単発的に編曲したものを集めて録音していた。


 今回のCDは日本の鈴木行一が全曲を編曲したもので、もともと1995年に岩城宏之指揮オーケストラアンサンブル金沢の演奏会で先の色々な編曲者によるリートを集めたコンサートをプライがやった際に、「冬の旅」の中の数曲を鈴木行一が編曲したものもとりあげられ、プライが気に入り、全曲をプライと岩城、OEKで初演する運びになり、ドイツで催されたコンサートのライブ録音がこのCDである。



(Orch.accompaniment)winterreise:  Prey,  岩城宏之  /  O.ens.金沢


OEKの自主制作CD 1997年10月7日、ミュンヘンでのライヴ録音。


 原曲はピアノ伴奏の上でどちらかというと淡々と歌っていく感じの曲集なので、伴奏が出しゃばらないことが必要だが、しかし完全に歌唱の影に隠れてしまっていてもいけないので難しいところではある。この編曲はそこのところはうまく出来ていると思う。先人たちの他の曲の編曲では、完全に伴奏が歌に勝ってしまっているものもあったが、この編曲はうまく歌を引き立てている。


 歌唱はもちろん手慣れたもので上手い。ただ、やや声の衰えが感じられるのは致し方ないか。この演奏の時でプライは70歳の少し手前辺りだったはず。この演奏をもし全盛期のプライやFDが歌っていたらどんな演奏をしたのだろう?

英語で読む! 日本の歴史を決めた公文書

 進学塾や予備校で講師の仕事をしていて、江戸時代末の日米和親条約、日米修好通商条約などの話をするときに、常々思っていたのが、当時の日本人はどれだけその内容を理解していたのだろうか?ということ。


 日米修好通商条約は歴史の授業では、日本に関税自主権がなかった、相手国の領事裁判権を認めていたという点で日本にとって不平等な条約であったと教えている。このことを教える際に、なぜその点が日本にとって不利なのかを結構丁寧に説明をしないと、生徒が分かってくれないことが多い。今の生徒たちが理解するのにも結構大変なのだから、ましてや江戸時代の日本人が、どれだけこの内容を理解していたのかは、はなはだ疑問な点である。


 そんなことを思っていた中で、たまたま書店で見つけたのがこの本。


東京書籍 「英語で読む! 日本の歴史を決めた公文書」  薬袋善郎 1,500円



 日米和親条約、軍人勅諭、下関条約、日独伊三国条約、ハル・ノート、ポツダム宣言、日本国憲法の英文(抄)とその対訳、解説が書かれている本で、筆者が英語教育に関わっているので、英文の文法的な解説なども付いている。


 1854年に日米和親条約を締結した際には、オランダ語訳、中国語訳を介してやりとりをしたようだが、これはまず問題がなかったと思うが、1858年に日米修好通商条約を締結した際には、語学以上に国際的なやりとり、外交上の常識といった点が日本にとっては未知の領域であったと思われるので、そこのところのツッコミを期待していたのだが、この本には日米修好通商条約については全く記載がないので、ちょっと残念。


 興味深かったのは1895年の下関講和会議(日清戦争終結)が英語で行われたということ。講和条約の案をめぐって日本、清朝側がともに権謀術数をめぐらしていること。特に、有名な三国干渉は清朝が裏で露独仏に介入を促していたという点が面白い。


 残りはまだ未読。

 英語学習にも面白い本だとは思う。


アダージョ

今宵はabbadoiさん 触発され、マーラーのアダージョ。

交響曲第10番は完成されずに最初のアダージョと他の楽章の不完全な形とスケッチのみが残されており、イギリスのデリック・クックをはじめとする音楽学者たちがこのスケッチをもとに新たな完成版を考察し、それらの版による演奏も最近では色々と聴けるようになったが、未だにアダージョのみを真性のマーラーの作品とする人も多く、論が分かれているところ。

今日、聴いているのはこの10番のアダージョの楽章を弦楽器のみの編成に編曲した版。



ショスタコーヴィチ:交響曲第14番、マーラー:交響曲第10番~アダージョ クレーメル&クレメラータ・バルティカ


ギドン・クレーメル率いるクレメラータ・バルティカによる演奏。


ここ数日、カラヤンやクレンペラー、ケーゲルの演奏を聴き続けており、その中でクレンペラーとカラヤンの指揮でシェーンベルクの浄夜も聴いてきた。その後、今日、このアダージョの弦楽版を聴いていると、相通じるものが感じられるのは不思議なところ。違和感がない。


このアダージョの演奏は弦のみの室内オケの演奏なので、音の厚みは無いが、その分、各声部の複雑な絡みがよく聞こえ、なかなか興味深い。管が混ざると壮大な曲として聞こえるが、こういう編成で聴くのは、ある意味、原曲がカラー写真だとすると、こちらはモノクロ写真といったところ。旋律線のつなぎ方やコントラストのつけ方で曲の構造を見せるもので実に面白い。楽譜が手に入れば両方をよく見比べながら聴いてみたいと思う。


カップリングはショスタコーヴィチの14番の交響曲。こちらも面白いが、これは後日。

ガーシュインのピアノ協奏曲ヘ調

 マーラーの9番を立て続けに聴いた後なので、少し趣向の違うものを。


 ガーシュインのピアノ協奏曲ヘ調。


 先日、タケさんさんのブログ でラプソディー・イン・ブルーの隠れた名盤が話題になっていましたが、

私は、ガーシュインのこのピアノ協奏曲も好きで、プレヴィンのロンドン響やピッツバーグ響の弾き振り盤などをよく聴くのですが、今日はこちらのCDを。


Gershwin Rediscovered Vol.2:  Zizzio(P)


 ALICIA ZIZZOいう女流のピアニスト、MICHAEL CHARRY指揮のブダペスト交響楽団の録音。他にラプソディー・イン・ブルー(ノーカット版)、キューバ序曲、ララバイという内容。


 このCDは現在では廃盤になっているようなのですが(会社がない?)、ガーシュイン再発見ⅡというタイトルのCDで、第1集はオール・ピアノ・ソロのもので同じピアニストで出てました。そちらは前奏曲集、ブルー・マンディ組曲、7つの小品、ラプソディー・イン・ブルー(ピアノソロ原典版)という内容。どちらもガーシュインの曲集としてまとまっているものなのでそれなりに楽しめて聴き応えもあります。


 ピアノ協奏曲ですが、結構テクニックがいる曲のようですが、このピアニストはなかなかリズムのキレがよく、オケも東欧のオケなのでどうかと思いましたが、音がさほど重くなく良い感じです。曲の雰囲気はラプソディの拡大版と思えばいいでしょうか、30分強なので、ラプソディの約2倍の長さで3楽章形式になっています。

 

 ガーシュインやグローフェ、コープランドといった、やや古いスタイル?の20世紀の作曲家の作品は、ともするとクラシックの中では軽く見られる傾向がありますが、演奏するにはかなり高度な技術が要求され、内容的にも魅力のある曲が多いので、もっと日本でも聴かれてもいいのになあと思います。

カラヤンの9番

 昨日に引き続き、カラヤンについて考察を。


 カラヤンは、同じ曲を生涯に何度も録音しなおしているものが多く、たとえばベートーヴェンやブラームスの交響曲は録音の方法やメディアの変化に合わせて録音を繰り返していたのはよく知られていることだと思う。


 カラヤンのレパートリーを狭いと考えるか広いと考えるかは意見が分かれるところだと思うが、カラヤンのレパートリーの中で占めるマーラーの作品はさほど多くはなく、中心的なレパートリーであったとも思えない。交響曲の中で録音を残しているのは4番、5番、6番、9番と大地の歌のみで、9番以外は録音も一種しか残されていない。


 今日はその9番を久しぶりに聴きなおした。

 カラヤンによる9番は最初が1979年11月から80年9月にかけて録音され、二回目は1982年のベルリン音楽祭のライブ録音。

マーラー:交響曲第9番(1979-80)、シェーンベルク:浄夜 カラヤン&ベルリン・フィル(2CD) 1回目 Ⅰ29'04 Ⅱ 16'41 Ⅲ 13'24 Ⅳ 26'41


交響曲第9番 カラヤン&ベルリン・フィル(Live) 2回目 Ⅰ 28'10 Ⅱ16'38 Ⅲ 12'45 Ⅳ 26'49


 主要なレパートリーでもないマーラーの9番を、なぜ2年ほどの短い間隔しかあいていないのに再録音したのかが興味深い。

 1回目の録音をする直前の1979年の10月に、バーンスタインが生涯でただ一度、ベルリンフィルを振り、マーラーの9番をやっており、これもライブ録音が発売されている。

交響曲第9番 バーンスタイン&ベルリン・フィル Ⅰ 27'37 Ⅱ15'59 Ⅲ 12'04 Ⅳ 26'12


巷では、カラヤンの1回目はバーンスタインの影響が強すぎてカラヤンにとっては不本意な内容であったから2回目の録音を出したという話もあるようだ。カラヤンの2回の録音を聞き比べてみると、1回目はただ流している感じがあり、カラヤンの作為はあまり感じられない。また、よくできているが推進力はあまり強く感じられない。それが2回目になるとカラヤンの方向性がはっきりしているのと推進力が強く感じられる。カラヤンの解釈では、1,4楽章の緩やかな楽章と2,3楽章の速い楽章の差をあまり強調させず、よくカラヤンの演奏について言われているが、流線型の滑らかな感じに仕上げている。


 バーンスタインはカラヤンと比べて楽章間の対比がはっきりしており、全体にカラヤンよりバーンスタインの方がこのベルリンの録音では速いが、3楽章の速さが際立っており、その分、4楽章がゆったりときこえる。

 カラヤンは全体のまとまりを重視しているのに対して、バーンスタインの演奏は特定の旋律線を強調したりして作為が相当感じられるが、破綻をきたすギリギリのところで踏みとどまっている。


 カラヤンはスタジオ録音ではつぎはぎをかなりやって完成させていたが、晩年の演奏はライブ録音が中心となり、その死後は1発録りのライブ録音が次々と発掘、発売されてヒットを飛ばしているのは皮肉か。