カラヤンの9番 | yamaotokoのひとりごと

カラヤンの9番

 昨日に引き続き、カラヤンについて考察を。


 カラヤンは、同じ曲を生涯に何度も録音しなおしているものが多く、たとえばベートーヴェンやブラームスの交響曲は録音の方法やメディアの変化に合わせて録音を繰り返していたのはよく知られていることだと思う。


 カラヤンのレパートリーを狭いと考えるか広いと考えるかは意見が分かれるところだと思うが、カラヤンのレパートリーの中で占めるマーラーの作品はさほど多くはなく、中心的なレパートリーであったとも思えない。交響曲の中で録音を残しているのは4番、5番、6番、9番と大地の歌のみで、9番以外は録音も一種しか残されていない。


 今日はその9番を久しぶりに聴きなおした。

 カラヤンによる9番は最初が1979年11月から80年9月にかけて録音され、二回目は1982年のベルリン音楽祭のライブ録音。

マーラー:交響曲第9番(1979-80)、シェーンベルク:浄夜 カラヤン&ベルリン・フィル(2CD) 1回目 Ⅰ29'04 Ⅱ 16'41 Ⅲ 13'24 Ⅳ 26'41


交響曲第9番 カラヤン&ベルリン・フィル(Live) 2回目 Ⅰ 28'10 Ⅱ16'38 Ⅲ 12'45 Ⅳ 26'49


 主要なレパートリーでもないマーラーの9番を、なぜ2年ほどの短い間隔しかあいていないのに再録音したのかが興味深い。

 1回目の録音をする直前の1979年の10月に、バーンスタインが生涯でただ一度、ベルリンフィルを振り、マーラーの9番をやっており、これもライブ録音が発売されている。

交響曲第9番 バーンスタイン&ベルリン・フィル Ⅰ 27'37 Ⅱ15'59 Ⅲ 12'04 Ⅳ 26'12


巷では、カラヤンの1回目はバーンスタインの影響が強すぎてカラヤンにとっては不本意な内容であったから2回目の録音を出したという話もあるようだ。カラヤンの2回の録音を聞き比べてみると、1回目はただ流している感じがあり、カラヤンの作為はあまり感じられない。また、よくできているが推進力はあまり強く感じられない。それが2回目になるとカラヤンの方向性がはっきりしているのと推進力が強く感じられる。カラヤンの解釈では、1,4楽章の緩やかな楽章と2,3楽章の速い楽章の差をあまり強調させず、よくカラヤンの演奏について言われているが、流線型の滑らかな感じに仕上げている。


 バーンスタインはカラヤンと比べて楽章間の対比がはっきりしており、全体にカラヤンよりバーンスタインの方がこのベルリンの録音では速いが、3楽章の速さが際立っており、その分、4楽章がゆったりときこえる。

 カラヤンは全体のまとまりを重視しているのに対して、バーンスタインの演奏は特定の旋律線を強調したりして作為が相当感じられるが、破綻をきたすギリギリのところで踏みとどまっている。


 カラヤンはスタジオ録音ではつぎはぎをかなりやって完成させていたが、晩年の演奏はライブ録音が中心となり、その死後は1発録りのライブ録音が次々と発掘、発売されてヒットを飛ばしているのは皮肉か。