史伝としての北条早雲には豪快なイメージがあります。
ところが、現実の伊勢宗瑞は吝嗇家でもありました。
宗瑞が遺した有名な家訓(『北条早雲寺殿二十一箇条』)の第四条に
「(前略)手水(ちょうず)をはやくつかふべし。水はありものなればとて、ただうがひし捨べからず(後略)」
とあります。水はタダだと思ってムダに使うなと、わざわざ家訓に残しているのです。
さらに宗瑞の吝嗇ぶりは同時代人も認めるところであった。
越前朝倉家の重鎮・朝倉宗滴は、連歌師の宗長から聞いた話だとして
「はりをも蔵に積むべきほどの蓄仕候」
と述べています。針を蔵に積むほどの吝嗇家だったというから、よほど徹底していたのでしょう。
しかし宗滴は、こうもいっています。
「しかれども武辺につかふ事は、玉をも砕つべう見へたる仁に候由」
いざ合戦となるや、貴重な玉でさえ砕いて使ったというのです。
質素倹約の精神で蓄えをなしていたからこそ、合戦の際に躊躇なくその財を投げ出し、勝利することができたといえるでしょう。
嫡男の氏綱は「亡父入道殿(宗瑞)」について「天性の福人と世間でいわれているが、それはまず第一に倹約を守り、華麗を好まなかったからだ」と記しています。
ケチの精神は、息子へ受け継がれ、北条家の発展を支えたのでした。
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