伊勢宗瑞が小田原城に延々九キロに及ぶ総構えを築いたのには、訳がありました(その完成は曾孫の氏政の時代になってからだと考えられます)。
総構えには防御面とは別の目的もありました。
宗瑞は大勢の職人や商人を城下に集め、初めて本格的な城下町を築いたとされますが、城下が“都市化”すれば、職人や商人になりすました敵のスパイで溢れ返る恐れもあります。
それを防ぐため、彼は城下の出入口に木戸をもうけ、木戸番に絶えず監視させ、怪しい者は捕えさせました。
木戸番の真の任務は防諜活動。いまでいう“公安警察”の役割を果たしていたことになります。
つまり、宗瑞の時代に総構えは、敵国のスパイを城下の“内”から“外”へ脱出させない役割も担っていたのです。
宗瑞ほど諜報活動の重要性を理解していた武将はいないかもしれません。
彼は城下の職人や商人らはもとより、誰かれかまわず諜報活動に利用しました。
『名将言行録』によりますと、
「盲人は無用の者なりといいて小田原領分の盲法師を搦め捕りて海に沈めんとせしかば、盲人皆四方に逃げ散りける」
とあります。そのあと、彼らを「間(スパイ活動)に用いし」と続けています。
つまり、盲人たちを海に沈めるぞというのは敵を欺く手段。
盲人らを諸国へ散らす口実を作り、彼らから他国の情報を入手していたのでしょう。
(つづく)
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