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・無くても大丈夫だと分かる、たくさん無くても大丈夫だと気づく

(ものの整理、手放し)

 

 

・何さえあれば大丈夫か分かる

(必要なものを選ぶ)

 

 

・ここじゃ無くてもいいと気づく

(ものの定位置、家具の配置の変更)

 

 

・自分の使い心地がよければOK

(収納方法、収納場所)

 

 

・相手にも相手の心地よさがあると知る

(家族や同居人の使いやすさ、好みを知る)

 

 

 

まとめると

「思い込みが外れる」

 

 

 

めんどくさい悲しい

しんどい悲しい

疲れる悲しい

 

 

 

そんなイメージがあるかもしれないけど

「片づけ」をはじめると

案外、力が抜けて楽になれてくる。

 

 

一部の例を書いたまでですが

上に書いたこと五つは

生き方そのものに繋がるから

 

 

家の片づけ、部屋の片づけをしてるうち

頭が、心が、人生が整ってくる。

 

 

特に人との関わり方、付き合い方が楽になる。

これは私の体験談だからですけど

個人的に、そこがおすすめポイントニコニコ

 

 

ただものを捨てたり

見た目を”キレイ”にすることが目的じゃない片づけ、おすすめです。

 

 

 

 

アメブロは思いついた時に

書き留めてるので

 

(いつも洗面所で思いつくのですぐ忘れてしまい、困る。。。)

 

 

これまでの記事を並べたら

説明とか理由を書ききれてないから

書いてることに矛盾を感じるところがあるかもしれない。

 

 

「分かりにくい」という感想を

友達からもらったこともあります泣き笑い

 

 

忘れないうちにここに書いたもの

それらを整理して

noteにコラム的に綴れたらいいな、と思っているものの

 

 

やっぱり

noteを使いこなせなくて止まっている・・・汗

またトライしよう。

 

 

 

 

 

 

 

梅雨の天気が続きます。

車がないと、雨への対応を色々考えます。

車があった頃は本当に便利な生活だったなあ。

 

 

でも、

車があった頃とは違う行動パターンが生まれたり

それまでとは違う部分を使って思考したりするのは

 

 

新しい出会いや気づきがあるだろうし

脳にいい刺激があるかもしれない。

 

 

すると

思ってもみないことに繋がるかもしれない。

そう思うと

人生の広がりを感じることもできるよね。

 

 

何事も

捉えようで楽しめる人生ニコニコ



とか思ったりする雨の日です。



想定外が起こっても

自分では止められない雨と同じ



傘さしたり

カッパ着たり

予定変更したり



できることを見つけて

変えられるものを見つけて

対処して

今週も生きていきましょう。

(と、自分で自分に声かけ)


 

 

 
 

 

 

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「寂しい」

「辛い」

「悲しい」

「虚しい」

 

 

言葉があるってことは

この世に

そういう感情や心の状態があるってこと

 

 

だから

そんな感情になるのは

自然なこと

 

 

長引くと

暮らしに影響が出てくるけど

 

 

だけど

 

 

その感情が自分の中にあること自体は

悪いことではない

なるんだもの

 

 

「早く元気になってね」

 

 

優しい言葉なのに

責めらてる気持ちになる時がある

 

 

私はブログで

ものの見方や捉え方を変えることが

一人で、タダでできること

今すぐできることで

そうすれば生きる世界が変わる

と書いてるけど

 

 

時々そのことが

プレッシャーを与えてるんじゃないかと

自分が弱ってる時、ふと考える

 

 

昨日も書いたけど

休息するタイミングもあるわけで

 

 

何にもできなくても

どうしてもしんどい時は

休息してていい、と

自分にOKしてあげてほしいなと思うし

 

 

やめてもいいし

変えてもいいと

自分で自分に許可を出してほしい

 

 

「そんなことしてる場合じゃない」

「もっと頑張らないとだめ」

 

 

実は一番そう言ってるのは

自分自身だから

 

 

「頑張れ」と命令できるのなら

「休みなさい」と許可も出せるはずだもんね

 

 

そして

 

 

「寂しい」

「辛い」

「悲しい」

「虚しい」

 

 

という

いわゆるネガティブな感情は

消去してゼロにできなくても

しなくていいと思う

 

 

それらを持ちながらでも

人生は楽しむことができるし

生きることができる

 

 

一時期、消してしまわないと

生きていけないかもって

そう思ったことがあって

 

 

だけどなぜか

ネガティブなこと(というか、明るさやポジティブの反対側のもの)が自分の中からなくなっていくのが

寂しく思えたことがありました。

 

 

それはなんだか

色鉛筆の中から

何色かを捨ててしまうような感じがして

 

 

ポジティブに生きることは

とても健康的なんだけど

そうありたいんだけど

 

 

殺風景さというか

物足りなさというか

これでいいのかな・・・と

自分に対して疑問を感じたことがありました。

 

 

きっとどんな感情も

どんな思考パターンも

結局は私の好みなんだと

だからこその「私らしさ」もあるんだと

(つまり自分でこの生き方を選んでいる)

 

 

それらは必要な「色」で

私の人生の彩りになるんだと思ったのです。

 

 

その人らしさを表すものとして

好きな色(感情や思考パターン)を

無理に捨て去らなくていいのかなと

 

 

その「色」を含む自分を前提に

生きていけばいい

困ったら都度、軌道修正していけばいい

今はそんな気持ちです。

 

 

旅、物語、舞台、歌、絵・・・

いろんな例えや表現ができる「人生」

 

 

この私としての

一度きりの人生を

どんな作品にしたいのか?

最近考え直す機会が多くあります。

 

 

 

 

私は

「綺麗に家を片づけましょう」

「片づけないとダメですよ」

と言いたいわけではなくて

 

 

人生を整え直す手段

自分を取り戻す手段として

片づけやものの整理が使えますよ、という考えです。

 

 

なかなか伝わりにくいんですけど

そんな想いです。

 

 

つらつらと書いたまま

今日は更新しますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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暮らしを良くしたい

新しいことを始めたい

家を片づけたい

 

 

いろんな方法を知って

いろんな本を読んで

相談できる人に相談して

 

 

ここから始めたらいいんだと

小さなことからでいいんだと

今やれることが分かったはいいけれど

 

 

なぜだかやる気になれない

やってみるけど

続かない、気持ちが明るく保てない・・・

 

 

きっとそんな時は

動く時ではないのかもしれません。

 

 

今することは

動くことではなく

「癒す」段階なのではないでしょうか。

 

 

いつだったか

このブログにも書いた気がしますが

 

 

動く前に

置いてけぼりにしてきた自分の心を

迎えに行くように

会いに行くように

見つめてみましょう。

 

 

そこにはあなたの「本音」が

ジッと、膝を抱えて座っているかもしれません。

 

 

本当はあの時辛かった

本当はあの時我慢して言えなかった

本当はあの時こうしたかった

本当はあの時こうして欲しかった

 

 

「今思えば」

 

 

というセリフから始めると

出てきやすいかも?

 

 

心が癒されてないまま頑張ろうとすると

なかったことにしていた痛みが出てくる時がある。

 

 

だけど

なんの痛みだか分からない

そもそも痛いってことに鈍感になってるかも。

 

 

心の状態は

外から見て

他人から見て分からないから

厄介なのだけど

 

 

それって

 

 

怪我が完治しないまま

運動会のかけっこに出るようなもんで

 

 

熱があるのに

マラソン大会に参加するようなもんなのです。

 

 

そんなこと

自分の子どもや友達に

させないよね。

 

 

だからあなたも

怪我が治ってから走ろう

平熱になって体力を取り戻してから走ろう

 

 

いったん立ち止まろう。

 

 

「癒す」とは

ここまで生きてきた自分を労うことでもあります。

 

 

よく頑張ってきたな

よく辛抱できたな

よく黙って続けてきたな

 

 

「今思えば」

 

 

そんなふうに

ここまで走ってきた自分を

労ってみてください。

 

 

自分の生きてきた道を

一番よく知っているのは自分だから。

 

 

「もっと頑張れ!」という

スパルタな声かけをやめて

休息の時間を過ごしてくださいね。

 

 

「すごい」「偉い」

そんな言葉で「褒める」ことができなくても

 

 

「よくやってきたな〜」

 

 

とは言えるんじゃないでしょうか。

声に出すともっと癒されるけど

心の中でも十分。

 

 

今の自分に声をかけにくかったら

昔の自分に声かけてあげてください。

 

 

それは子どもだったあなたかもしれないし

まだ若い頃のあなたかもしれない

去年のあなたかもしれない。

 

 

あなたの中にいる、

癒されずひとりぼっちでまだいるあなたに会ってみてください。

 

 

いずれにせよ

ここまでよくやってきた自分を誇りに思ってください。

 

 

私もそんなふうに

少しずつ、自分を癒しています。

 

 

立ち止まっても

大丈夫。



 

 
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本当は何がしたいんだろう?
このモヤモヤの正体はなんだろう?
この気持ち、まとまらない頭の中を整理したいな。
 
 
そんな時は
書く(=書いて外に出して思考の整理をする)のがおすすめです。
 
 
・・・って、
あらためて私が言わなくても
「ですよね」って話しかとは思いますがニコニコ
 
 
 
 
image
 
 
 
 
今はパソコンやスマホに文字を打つことが多くなりましたが、手書きはペンを持つ感覚、筆圧、紙の触感、書いた文字を見る視覚など、いろんな体の感覚を使うのが特徴。
 
 
デジタルでもアナログでも頭の中を言語化する手段としては同じですが、手を使って紙に書く方が脳が活性化されて記憶に残りやすいそうです。
セラピー効果もあるとか。
(確かにそう感じる)
 
 
・ノート1冊持ってカフェに行こう
・ノートに書くと夢が叶う
・引き寄せノート(日記)を書こう
 
 
など、「ノートに書く」ことがブームになった時期がありましたよね。
 
 
今なおそれは「ジャーナリング」と言う表現で引き続きたくさんの人が興味を持つ、期待・希望を抱く行為となっているように思います。私も書くことが好きです。
 
 
 
こんなこともしていますしニコニコ
 
 
 
「ノート術」「ジャーナリング」「◯◯日記」とタイトルに付く書籍がたくさんありますが、書くことが持つ力について印象に残っている書籍は前田裕二さんの『メモの魔力』かも・・・ふとこの記事を書きながら思い出しました。(と言いつつ読んだことがなくてすみません悲しい
 
 

 

 

 
 
で、タイトルに書いた
「ノートに書く」が続けられない理由について。
 
 
私も、私の家族もみんな書くことが好きです。
日記や記録、やりたいことリスト、To Do リスト、振り返りメモなど、夫も娘たちもそれぞれなんらかいつも書いている。
 
 
単に書くのが好き、向いてるということなんでしょう。
反対に書くのが苦手な人もいますよね。
 
 
よく聞くのが、最初の数ページは書くんだけど、その後続かず・・・ほとんどが未使用のノートが家にたくさんあると言うお話。
 
 
片づけのサポートにおうかがいすると、そのようなノートに出会うこともしばしばあります。
 
 
書いてはみるけど続けられない。
書きたいのに続けられない。
なんで???
 
 
その理由の一つが
 
 
書く場所がない
書く場所を決めていない
 
 
ということがあるのでは?と思います。
 
 
それは同時にノートとペンを置く位置が決まっていないのがセットなことが多いかも。
 
 
「三日坊主で終わってしまう」
「書いてみたいけど、どうしても続かない」
 
 
それはあなたが「できない=ダメ」ということではなくて、落ち着いてノートを開く場所がないだけかもしれません。
 
 
 
・書きたい時に、ノートとペンはすぐ手に取れますか?
 
・ノートを開くスペースを、その都度臨時で作っていませんか?
(テーブルの上にあるものをどけてから、空いてる場所で取り敢えずなど)
 
 
 
そして、「ノートを書く」が続けられない理由をもう一つ。
 
 
私も長らく最初の数ページだけ使用したほぼ白紙のノートをたくさん持っていました。
 
 
どうやっても日記などを続けられなかったのですが、2年前からは「ノートに書く」ことを続けられています。
 
 
それはちょっと質のいいノートを買ったのがきっかけでした。
 
 
 
このノートの紙はザラザラしていてちょっと書くときに引っかかりを感じるんです。ツルツルしてない。それが私にとって書き心地がとても快適で。
 
 
たまたまセール品を駅前のお店で見つけて買ったんですけどね。
思わぬアタリ!でした。
 
 
 
image
 
 
 
最初と比べたら書く頻度は減りましたが、2冊目です。
 
 
私の場合は書き心地を優先させたら、書く習慣ができました。
感覚優先のタイプの方にはおすすめかも。
 
 
あなたのそのノートとペン、
書き心地はいいですか?
”イマイチさ”を我慢して書いていませんか?
それだと”おもんないネガティブ”って本当は思ってませんか、退屈に感じていませんか?
  
 
ただ自分に合ったアイテムを見つけられてないだけ。
もしくは書く場所がないだけ。
 
 
「ノートに書く」を続けられないのは、そんな理由があるかもしれないです。
 
 
ならば、それを見つける or 作るをすればいいだけなので
 
 
「私はできない人なんだ」と、自分にダメ出しする必要ナシ◎
 
 
ノートに書いて思考や感情を整理したり、日記をつけたいと思っている方、だけど今まで続けられず残念だったと言う方は
 
 
自分に合ったノートとペンを見つけて、落ち着いていい気分で書ける場所を確保してみてくださいね。そしたら続けられるかもしれないですよ。
 
 
そして書きたい時にすぐ取り出せるノートとペンの場所(定位置)作りもお忘れなくです。

 

 
 
 
書く場所を作るための片づけのサポート、できます◎
LINEからお問い合わせください。

 

 

 

 

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何年前のことになるのかな。

正確にはわからないけど、十数年前のこと。

 

 

当時親しくしてた人(仮にAさんとします)に対して私が大変失礼なことを言って、Aさんに不愉快な想いをさせてしまった事がありました。

 

 

その頃の私は「NO」が言えなくて、「やりたい」よりも「やった方がいい」を優先していて、結局無理が生じるパターンが多く

(体調を崩してドタキャンなど)

 

 

それを自分の弱さが原因の一つだと認めず、相手のせいにしていました。

(「断りにくいことを言う方がよくないんだもん」という言い訳を持ってた)

 

 

冒頭の「私が大変失礼なことを言って、Aさんに不愉快な想いをさせてしまった事」も、そんな私の弱さが原因でした。

 

 

私の言動についてAさんから指摘を受けて初めて「ああ、私ってなんて失礼なことを言ってしまったんだろう」と気づいて謝ったのですが

 

 

そのやり取りの中だったのか後日の会話だったのか忘れましたが、Aさんがあることへのアドバイスとして

 

 

「1回絶望したらいいんだよ」

 

 

と私に言ったんです。

(正確には文字でのやり取りで)

 

 

キツくではなく、明るく軽く。

 

 

Aさんの体験を交えて、私へのアドバイスとしてそう言ってくれたんだろうし、悪気が無いにしても

 

 

「絶望したらいいよ」

「絶望するのをおすすめするよ」

 

 

という表現があまりに強烈で受け入れ難くて、その夜過呼吸になってしまいました。

(あの頃の私は本当に弱かった...ネガティブ

 

 

それから私はAさんと距離を置くようになり、お付き合いがなくなっていきました。

 

 

今なら、Aさんが言った意味がわかります。

 

 

「絶望する」というのは

「降参する」という意味だったのだろうと。

 

 

・弱い自分に降参する

・分かってほしいと執着する自分に降参する

・行動に移せない自分に降参する

 

 

本当の自分の姿を直視する、現実を受け入れる、ということだったんだろうと、そこからまた始めればいいと言うアドバイスだったんだろうと。

(それまでもよく私のことを応援してくれてました)

 

 

Aさんは「絶望」を乗り越えて新しい自分になったからこそ、それがよかったからこそ、以前の自分のような私を見て、

 

 

「絶望(降参)したら、リスタートできるよ」

 

 

と伝えてくれたんだろうと。

 

 

だけどそんなふうに捉え直せたのは、数年経ってからでした。

 

 

 

 

「降参する」を英語で言うと

「give up」「surrender」

 

 

最近「surrender」というワードに触れる機会があり、このAさんとのエピソードを思い出したので書いてみました。

 

 

個人的な印象ですが私は「流れに身を委ねる」と言うイメージの「surrender」の方に広がりを感じます。

 

 

いつどこでどんなイメージが自分についたのか分かりませんが、「surrender」と言う言葉を思い出すと、力が緩んで心が軽くなります。何故だかは分かりません。

 

 

何も持たない両手を広げて、海(とかどこかの空間)に浮いているような気持ちになります。

 

 

自分で自分を縛っていた窮屈さから解放されていくような感覚。

 

 

どん詰まり、どうにもならない

頑張っても頑張っても現状が変わらない

 

 

そんな時は「ああ、降参!」と言ってみたらいいかもしれない。

お手上げだ、と。

 

 

もうこれは「surrender」だと。

 

 

 

 

 

<後日談>

 

 

Aさんとお付き合いがなくなって数年後、私はある講演会に参加しました。

 

 

講演会当日、会場の最寄り駅に着いたはいいけどなんだか肌寒くて、ストールか何かを買おうと近くにあったユニクロへ寄ることにしました。

 

 

無事ストールを買って安心できて、急いで会場に向かい、階段を降りて受付のある場所に一歩を踏み入れた瞬間、目の前に立っている人を見て驚きました。

 

 

そこには受付にずらっと並ぶ列があったのですが、私の真正面(ほんっとに目の前)にAさんが並んで立っていたのです。

 

 

私はびっくりしてAさんに声をかけました。

Aさんも同じくびっくりして、「久しぶりだね」となって、そのまま一緒に受付の列に並ぶことになりました。

 

 

Aさんは知人にこの日の講演会に誘われたのだけど、その知人と連絡が取れず一人で先に並んでいたのだそうです。

 

 

不思議なことにその後もAさんは一緒に参加するはずの知人と会うタイミングがなく、結局私とAさんは隣同士で席につく事になりました。

 

 

講演会が始まると、自分の夢について隣の人とシェアする時間がありました。

 

 

ワークとして、その夢を叶ったと想定して、隣の人にお祝いを言って「ハグしてください」とお題のようなものが出ました。

(夢のワークとハグは別の時間だったかもしれない、記憶が曖昧)

 

 

私はAさんに自分の夢を話し、Aさんも夢を私に話してくれました。

初めて知る夢でした。

 

 

そして「おめでとうー!!」と喜びながら交互にハグをするという展開に。

(楽しかった)

 

 

Aさんに申し訳ないことをした

ごめんなさい

そして、善意を受け入れられず黙って離れてしまってごめんなさい

 

 

そんな気持ちが残ってたから

 

 

喧嘩してたわけじゃないから仲直りではないのだけど、Aさんは心が広いから気にしてなかったかもしれないけど、私の中の固くて重いものが溶けた時間でした。(ハグをするなんて、なかなかない展開だと思う。。。)

 

 

Aさんはバッタリ会った最初から、何もなかったように以前と同じように私に接してくれました。

帰り際には「一緒に写真撮ろう」と言ってくれて、ツーショットを撮ってお別れしました。

 

 

もし、私がストールを買いにユニクロに寄らず、そのまま会場に向かっていたら、きっと受付に並ぶAさんに真正面で会うことはなかっただろうし

 

 

Aさんが知人に誘われなかったら、そしてAさんがもし知人と一緒に参加していたら、私はAさんと隣同士で座らなかったわけで、夢を語り合って予祝しあってハグすることなんてなかったわけで。



いろんな偶然の重なり。

Aさんは私に学びを渡してくれたのかな、と思ってます。

 

 

長くなりましたが

以上、そんな不思議な出来事があったという後日談でした。



 

 

 

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「はじめてかっこいいと思った」

 

 

なんとなくの会話の中で娘が言ったそのひと言。

あるミュージシャンのパフォーマンスに対する感想でした。

 

 

有名な方なので知っていたし歌も聴いたことはあったけど「すごい人なんだなあ」という印象だけで詳しくは知りませんでした。

 

 

娘も同じだったと思います。

 

 

なので彼女がそんなことを言うのが珍しいのもあり気になって、数日後、そのミュージシャンが出演した娘が見た番組の配信を見てみたのです。

 

 

すると・・・

「心が震えるとはこういうことなのか」というくらい感動して、そんな自分にとても驚いて。(びっくりだった)

 

 

歌を聴いているうち、自分が望む在り方に気づき、本来そう望んでいたことを思い出しました。

 

 

その在り方はとてもとても理想的。

やっぱり、理想。

 

 

今の私には簡単にできない生き方と思ってしまうんだけど

 

 

そう在りたい、そう生きたいと求める心が自分の中にあるんだと思うと

 

 

そんな自分の「心」「望み」が、今の私の拠り所となりました。

 

 

常にそこと繋がればいいと思うと安心するのです。

 

 

 

 

ここ1ヶ月ほどある事に対処することに一生懸命で、体も心も思考も止まってしまう日が多くあり「ああ、無理していたんだなあ」と気づいたのがいつだったか。

 

 

ベースになっていたのは私が長く使ってきた「ちゃんとしなければならない」という自分に厳しい考え方(思考の習慣)でした。

 

 

対処しているうちは一生懸命なのでそれに気づかない。



いろんな場面でその思考習慣が出ていたと気づいたのは、ひととおり落ち着いた後。

 

 

毎回こうなってしまうけど、渦中にいるときはなかなか気付けないもので。

 

 

重いと感じても、苦しいと感じても、必要だと言い聞かせて厄介な思い込みに育ててしまったこと(無意識に)

 

 

親だから、子どもだから、仕事だからなど、「◯◯だから〜しなければならない」と自分を苦しめる重い思考をしてしまうのは

 

 

そういう価値観の時代で生きてきたこと・育った環境は大きいと思うけど、時代と環境(親)のせいにしたまんまで人生終わっても仕方ない。

 

 

いい加減手放したい、だってもう私は50代です泣き笑い

 

 

 

 

あの歌を聴いてからわかったこと。

 

 

本当は手放したいのに手放せないのは、今まで使い慣れた考え方に代わるもの(新しい考え方)を見つけられてないからなんだと。

 

 

でも、私はそれを思い出したから、本来の自分が望む在り方・生き方に少しずつ移していけばいいんだけど、すんなり移行するのはやっぱり難しい。

 

 

どうしてそれが難しいのかというと、そのために必要なことがあるから。

 

 

それは、

 

 

 

・本来の自分が望む在り方・生き方を信頼すること

 

・本来の自分のまんまで生きていいと、自分に許可を出すこと

 

 

 

ここの”練習”が必要なんだと気づきました。

 

 

 

古い習慣には”実績”があるから、そっちを信頼してしまう。だって今までそれで生きてこられたから。

 

 

ハラハラしながら未知の世界を生きるくらいなら、しんどくても”実績”のある(流れが読める)今までの生き方を続けた方が楽なのかもしれない。



どんな生き方を選ぶかは自由。

だけど私は、

 

 

・本来の自分が望む在り方・生き方を信頼すること

 

・本来の自分のまんまで生きていいと、自分に許可を出すこと

 

 

 

この二つを引きづつき”練習”していきたいな、と、そんなことを思った週末でした。





(離れたところにいる家族が送ってくれた夏至の空)

 

 

みなさんはどんな夏至の日を過ごしましたか?



暑さと湿度に疲れやすくなりますが、体と心のケアを忘れず過ごしたいですね。



今週も穏やかに、たのしく過ぎていきますように。そして、平和に。

 

 

 

 

 

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先週は2年前の初回から続けてご参加くださっている皆さんとの読書会でした。

高槻市のテマヒマさんで場所をお借りしています。

 

 

この日から新しい本(4冊目)でスタート。

 

 

一級建築士 八納創造さんが書かれた『運がよくなる!部屋のつかい方、整え方』を読みながら、部屋と心をととのえていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も書いてますが、この本の中には明るい未来をイメージさせてくれる八納さんの言葉がたくさんあります。

 

 

自分の家に人生を変える可能性があるんだと思える、楽しくなる本。

 

 

「片づけ」って、私はやり甲斐があるし、目的を何にするかで楽しく明るいものになると思っています。

 

 

とっかかりは小さなことでじゅうぶん。

この本にはそんなbaby stepが色々書かれてあって、行動に移しやすい。

 

 

参加されるみなさんの家が、この本を通してお気に入りの空間に近づいていきますように。

 

 

 

お試し参加1名様、お席あります。

次回は7/23(木)です。

お問い合わせ/お申し込みはDMLINEからお気軽にどうぞ。

 

 

読書会詳細はこちらの記事でご確認ください。

 

 

 

 

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味噌あんみつをいただきました。

 

 

白味噌アイス

味噌黒蜜

 

 

お味噌のコクがおいしい。

テマヒマさんは”みそソムリエの作る発酵食品中心のカフェ”です。

お味噌って、おいしい!と毎回思いながら美味しくいただいています。

 

 

 

 

この日は久しぶりにテマヒマさんのOmoiyari Note(思いやりノート)を書きました。

 

 

いつ、どなたとノートを通して会話ができるのかな。

楽しみです。

 

 

Omoiyari Note(思いやりノート)についてはこちら。

 

 

 

 

 

読書会へのお試し参加1名様、お席あります。

次回は7/23(木)です。

お問い合わせ/お申し込みはDMLINEからお気軽にどうぞ。

 

 

 

 

 

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Tomoko さんが開催された

「自由な社会」について考える、小さな読書お茶会に参加しました。

 

 

 

 

 

場所は高槻市にある

シンガーソングライター井波陽子さんのアトリエ

トリピティ音楽教室にて。

 

 

 

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おいしいマンゴースイーツなど色々用意してくださったのに、食べ終えた画像しかなくすみません。。。

 

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Tomokoさんの「小さな読書お茶会」に参加するのは3回目、久しぶりでした。

 

普段なかなかアウトプットすることがない話題(憲法改正についてなど)をみなさんと話せてよかったです。

 

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どうしてそうなるの?

何を目的にしてるの?

 

が、私にはまったくわからない憲法改正案 。

 

 

同じ人間なのに

“その他大勢”って一括りにされて

大切に扱われていない気持ちになる。

 

 

政治に対して

とても残念で悲しくなる。がっかりする。

 

 

(みなさんはどうお考えですか?)

 

 

だからって

小さな私には何もできない、と

落胆しそうになるけど

 

 

流されないでいることはできるから

それだけでも続けていきたい。

 

 

そして

 

 

何が起ころうとしているかを

「知る」ことと

自分が望む世界を想い続けることと。

 

 

できればそんな話を

生活の中で身近な人とできたらいいなと思いながら。

 

 

 

 

 

 

金井奈津子さんの

『幸せのための憲法レッスン 』

とてもわかりやすくておすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tomokoさん主催の「小さな読書お茶会」は

2回目があるみたいですので

タイミング合う方はぜひニコニコ

インスタはこちら

 

 

 

 

 

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私が星の話を好きになったきっかけは、石井ゆかりさんです。

 

 

夕方には金星と木星、夜明け前には土星と火星が見えているという、星占い的にとてもメリハリがハッキリした時期です。

見えにくい時間に闘いへの意思や厳しい意志があり、見えている時間にやさしい華やかさがあるというのは、少々皮肉な印象です。

 

 

 

 

という石井さんの昨日のインスタグラム投稿を読んで、

金星と木星が近くに並ぶ空を見てみたいと思いました。

 

月と金星の共演を眺めたのは5月19日

 

 

 

 

出かける予定を

星が輝きを帯びる時間まで延ばすことにして

 

 

外の様子を時々うかがいながら

「そろそろいい時間だ」と思った時に

用事を済ませに出かけました。

 

 

玄関を出てすぐにも

二つの星と暮れていく美しい空は見えたけど

あの場所ならもっと広い空が見えるだろうと

サイクリングがてらそこに向かいました。

 

 

 

 

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小さく輝いてる二つの金星と木星が

真ん中あたりに見えますか?

 

 

 

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↑は左の方に。

とっても綺麗な空でした。

 

 

しばらく眺めて

静かな穏やかな空の壮大さを感じて

そばを流れる川の音を聞いてると

ほんと、自分がちっぽけ。

ちっぽけでした。

 

 

外に放り出された自分を感じ

広さに包まれた後

この景色を背に、駅前に向かいました。

 

 

帰り道はすっかり日が暮れて紺色の空。

さっきより大きくしっかり輝く粒が二つ、

金色のジュエリーのようでした。

 

 

それを眺めながらのサイクリング。

涼しくて、心地いい時間。

 

 

夏至に向かうこの時期の

日が落ちるまでの時間がとても好きです。

 

 

日が長いと、なんだろう

前にも書いたけど

「間に合うよ」って言われてるような

なんかホッとする気持ちになるのです。

 

 

 

金星と木星の接近は

また少しの間、見られそうです。

よかったら、空、見上げてみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こうなったらどうしよう。

ああなったらどうしよう。

 

 

人の心配事は

まだ起きてない未来を憂うことばかり。

 

 

でも、その心配している未来は本当に現実となるのでしょうか。

 

 

私は心配性だし

意識しないとネガティブ一辺倒になるので

 

 

心配事から離れられない時はいつも

「可能性」という言葉を使って考え直します。

 

 

心配事が

 

 

①起こる可能性

②起こらない可能性

 

 

どちらもあるよなあ、と。

この二つに分けると、冷静さを取り戻すことができるのです。

 

 

【今】【現在】という瞬間には

この先起こることも起こらないことも

どちらも決まっていない。

 

 

だったら、決まるまで

結果が確定するまでの時間を

どっちの可能性を感じて過ごしていたい?

 

 

と自問自答します。

 

 

>>> ここからは私の場合の話 <<<

 

 

どっちみち、同じ時間を過ごすのであれば

しんどくない方を選びたい。

(しんどいの、嫌やから泣き笑い

 

 

そして結果、心配事は現実になってほしくない。望んでない。これが私の本心。

 

 

なので

 

 

「流れにまかそう」

「先のアレコレは、その時に決めよう」

「結果、なったらなったでそれが一番良いということ」

「きっとどうにかなる」

 

 

というふうに心配を手放すようにします。

 

 

「絶対最悪な状態になりたくない!」

「対策を考えないと!ガーン

 

と、力むのをやめるのです。

 

 

そして、本来私が感じていたい気分を感じられる方へ自分を向かわせます。

本来私が心地よくやりたいことをやるように方向転換します。

 

 

すると、しんどさは消えていき、【今】というかけがえのない時間を心地よく使えるようになっていきます。

 

 

>>> 私の場合の話、おわり <<<

 

 

 

 

 

「なあんだ、心配するほどのことでもなかった。」

 

 

と、この先安心したいから、もしかしたらわざわざ「ああなったらどうしよう」と考えすぎるのかもしれないですね。そして「やらない」選択をしているのかもしれないですね。

 

 

その選択(心配してやらないこと)が、自分にとって都合が良い時はそうすればいいと思います。

 

 

気づいてなくても”好んで”考えすぎて立ち止まってる場合はありますから。

 

 

だけど私の場合はそれだともう、疲れすぎてしんどくなったのでやめました。

他のことに時間を使おうと思いました。

心配で身も心もすり減らして、減らすところが無くなったのかもしれません(笑)

 

 

 

こんなタイトルの本があるくらいだから大丈夫なんじゃないかな?と思ったりニコニコ

 

 

 

 

 

 

心配事を抱え続ける時間と体力と心の余裕があって、趣味みたいにそれを続けられたらそれはそれでアリかもですが

 

 

もうこんな生き方しんどすぎる・・・と思っているならば、考え方を変えてみたら良いのではないかなと思います。

 

 

今までと違う日々を過ごしたいのならば、当たり前ですが今までと違う過ごし方をする必要があります。

 

 

ということで、ここで一つワークのようなものを。

 

 

もし、「ああなったらどうしよう」という心配事が本当に起こったとして。

仮に起こったとして・・・

 

 

そしたら

一体何があなたに起きるのでしょうか。

 

 

ああなったらどうしよう。

こうなったらどうしよう。

 

 

実はそう心配したり気にしてる時は、何が起きてどういう状態になるのかを具体的にイメージできてはいないのです。

 

 

いやいや!

イメージできてるんです。

だって、あれが無くなったら、本当に困るんですから・・・

 

 

そんな声が聞こえてきそうですが

だとしたら、

 

 

もし、その心配事が現実となったとした場合の一番最悪な展開具体的に言葉にしてみてください。

 

 

書くことがおすすめ。

文字にすることで、あなたの中から外に出せて、その心配事を客観視できます。

心配事から少し距離ができます。

そこからスタート。

 

 

 

何に困るのか

その困ることは、本当に人生最悪の出来事なのか?

とてつもなく取り返しのつかないことなのか?

 

 

「今というかけがえのない時間」を「いつか起こるかわからない最悪の展開を憂える時間」とトレードしてもいいくらいの最悪度なのか?

 

 

「困りたくない(失敗したくない)」と思ってるのだとしたら、その失敗のスケールって、世界規模、宇宙規模で見たらそれくらいのスケールなんだろうはてなマーク

 

 

ってくらい、試しに面白がって一度考えて紙に書き出してみてください。

 

 

そう深刻にならずに

試しにニコニコ

面白がってニコニコ

 

 

 

 

 

去年、仕事についてある心配を抱えてる知人から「ルコさんだったら、どうする?」と相談されたことがありました。

 

 

私だったら気にするようなことではなかったけど、知人にとったら深刻な悩みのようでした。

 

 

そこで、

 

 

「それを行動に移した結果、何がどうなることが一番の不安なの?」

 

 

と聞いてみたところ、知人は

 

 

「えっと、こうなってああなって・・・」と、彼女にとっての”最悪のシナリオ”をスラスラと話してくれました。

 

 

そしてそのシナリオをひと通り話し終えたところで

 

 

「あ、私って、こういうことを心配してたのか〜。いや、なんか、そんなに怖がることでもないとわかった。」

 

 

とあっさり心配事を手放せていました。

 

 

「実はある人から不安になるようなエピソードを聞いてたから、私もそうなったらどうしようって考えすぎてたんだと思う。」

 

 

と、心配事の発信源(これに気づくの、大事)も見つけて、納得してました。

自分で整理ができたよう清々しい様子でした。

よかった。

 

 

私は何もアドバイスしていません。

 

 

「何がどうなることが一番の不安なの?」

 

 

と、”最悪のシナリオ”を聞いてみただけです。

 

 

渦中にいる時は、本当の不安や本当の望みが見えなくなりがち。

 

 

自分の中だけで心配事を持っているうちは、ぐるぐる頭の中を回るだけで終わる。

一生懸命ぐるぐるさせてるのに、悲しいかな、何も変わりませんネガティブ

 

 

ぐるぐるしていることから一旦、離れてみませんかにっこり

外に出して、自分の目でそれを見つめ直してみるのです。

冷静になれる一つの方法です。

 

 

人に話を聞いてもらうと効果的ですが、聞いてもらうタイミングや聞いてもらえる人がいない時は、一人で最悪のシナリオを紙に書き出してみてください。

 

 

それでも最悪のシナリオへの心配を手放したくないのであれば、あなたがそのシナリオを選んで生きているということです。

 

 

良い悪いもなく、単にそれだけのことなのです。

もう一度言いますね、良いも悪いもなく、です。

どんな生き方をするのかは、人それぞれの自由。

 

 

変わりたいのに変われないのなら

もしかしたら今の生き方に、あなたにとっての何かメリットがあるのかもしれませんね。

 

 

気持ちや感情の整理のヒントになれば幸いです。

 


 

 

 

 

 

 

先週の読書会へ向かう道で見つけた景色。

珊瑚みたい。

新しい緑色が眩しくきれいでした。