memento mori(4)
死亡診断書に記された母の死因は老衰だった。老衰は病ではない。病ならそれなりの外科的・内科的治療が可能だが、老衰に医療はなす術がない。勿論、胃瘻などの延命治療はあり得るが、本人の所謂QOLを考えれば、それは決して望ましい選択ではないだろう。結果、老衰に対しては、命のロウソクが短くなっていくのをただ見守るしかない。これは私にとって実に苦痛であった。着実に死に向かっていく母を眺めながら、「これは危篤と言うんでしょうか」と私は医師に尋ねた。「危篤とは言いませんね。あくまでも自然な流れですから」と医師は答えた。人間に限らず、イキモノは皆やがて死を迎える。それが自然の流れだ。そして人生の苦悩の大半はその流れが自然災害を含めた事故や病で妨げられることから生じる。母の人生には戦争もあったが、それ以外にこれといった大きな事故や病に見舞われることなく、九十六歳まで辿り着かせてくれた自然の流れはやはり僥倖と言うべきだろう。その意味において、母の死は幸福な死、極めて健康な死に他ならない。しかし、「健康な死」とは何か。それは健康のみがもたらし得る自然の流れの果ての死だ。通常、死は健康とは正反対の極にあるもの(死から遠ざかれば遠ざかるほど健康)と考えられているので、「健康な死」という概念は実に不思議な感じがする。尤も、厳密に考えれば、健康のみが死をもたらすのであって、それ以外の通常の死は実質的には「病や事故に殺された」と言うべきだろう。三島由紀夫はこれを「健康の論理」と称している。
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「苦悩は人間を殺すのか?――否。
思想的煩悶は人間を殺すか?――否。
悲哀は人間を殺すか?――否。」
こうした「健康の論理」を三島は不治の病だと言う。病であれば様々な医療を施すことが可能だが、健康には何もすることができない。老衰然り。このイロニーを理解することは至難の業だが、私はそこに不思議な真理が胚胎していると思う。そして、その真理こそ、ユートピアという理想を真に理解するための鍵でもある。ところで、余談ながら、三島と私の母はほぼ同年代(三島が大正十四年一月、私の母は大正十五年二月)の生まれだ。天才三島と無学な我が母を比べるなど噴飯物だが、それぞれの死の比較はユートピアへの道を切り拓いてくれるだろう。すなわち、私の母が「健康な死」を迎えたとすれば、三島はその対極の死を熾烈に求めた、という比較だ。世の中の不幸は一般的に「健康」の欠如に由来するが、ユートピアは幸福を超越していく理想に他ならない。
memento mori(3)
久し振りに目の当たりにする母の現実は過酷なものだった。しかし、それは不思議な過酷であり、依然として現実だとは思えなかった。わずかの間に母は酷く瘦せ衰えていた。年齢を重ねるにつれて肉が蒸発していく感じはしていたが、目の前の母は別人だった。それはもはや九月二十五日にスカイプで会った母でさえなかった。殆ど栄養を摂取していないので当然の結果ではあるけれども、母は骨と皮だけになりつつあった。そこに以前の母の面影はなく、酷い言い方をすれば、私はミイラを連想した。それでも未だ母と会話ができたし、冗談を言って笑い合うこともできた。食事も僅かながら口にしてくれた。それが十月三日時点の母の現状であった。医師からは、母は老衰でこのまま自然に任せるのが一番だと言われた。確かに点滴や胃瘻などの延命措置はあるが、それは徒に本人を苦しめるだけだし、そもそも母自身がそれを望んでいないとのことだった。私としてはできることは全て尽くして、たとい植物人間の状態でもいいから母には一日でも長生きして欲しいというのが本音であった。しかし、それは子のエゴイズムではないかと医師から窘(たしな)められた。私は全てを自然に任せることにした。
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私は母の死を覚悟した。しかし、未だ少し猶予はあると思ったので、十月四日に一旦東京に戻り、当面の仕事の整理をして六日に再び多治見に戻った。母はもう何も口にしなくなっていた。懸命に食事をするように促しても、母は頑なに口を閉ざした。一体どうしてだろう。人は腹が減れば何かを食べたくなるのが自然ではないか。食べたくても食べるものがなければ餓死するしかないが、食べるものがあるのに食べないのは理解できない。カレン・カーペンターのように拒食症に陥る場合もあるだろうが、明らかに母は違う。如何なる意味においても病ではなく、食欲そのものが消えてなくなっていく感じなのだ。それは正に生きる意欲そのものの消失でもある。母の命は自らを燃やして点り続けるロウソクの火であった。落語の「死神」よろしく、私は母の燃え尽きそうな細いロウソクを新しい太いロウソクに交換したかった。しかし母は自分に与えられた細いロウソクのまま燃え尽きるのを望んでいた。「もう迷惑をかけたくないから、このまま往きたい…」そんな母の声を私は確かに耳にした。「もう諦めるしかないですね」と私が傍らの医師に呟くと、「とんでもない。お母さんは天寿を全うされようとしているのです。これ以上、素晴らしいことはない」と医師は言った。十月十一日午後八時頃、母のロウソクは燃え尽きた。
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さて、殆ど誰にも読まれてはいないことをいいことに、私事ばかりダラダラと書き連ねてきたように思われるかもしれないが、断じてそうではない。母の死をめぐる思耕は、あくまでもユートピアに関する思耕に繋がるものだ。その点について、これから明らかにしていきたいと思う。
memento mori(2)
母はずっと元気に生き続ける――私は何の躊躇もなくそう思っていた。事実、母は九十歳になっても自転車を乗り回していたし、8020運動(80歳になっても20本以上自分の歯を保つ)でも表彰されるほど健康だった。そんな母がもはや一人暮らしは無理だと見做されたのは、あくまでも物忘れなどが目立つようになったという認知症によるものにすぎない。だから、認知症の進行にさえ気を付ければ、身体的には軽く百歳を越えて人生を享受できるものと私は信じていた。先に述べたように、コロナ禍さえなければ、母の人生は私が信じた通りになったに違いない。率直に言って、私はもっと親孝行がしたかった。もっと母の人生を楽しいものにしたかった。しかし、古来の格言通り、親孝行したいときには親はなし。たといコロナ禍がなくても、私が自らの親孝行に充足することなどなかったのかもしれない。私は母に少なくとも百歳まで生きて欲しかったけれど、百歳の母の死も結局は今の九十六歳の母の死と同様に不思議な感じがするものと思われる。所詮、どんなに長生きしても、死は不可避なのだ。それなのに何故、私は母の死に不思議な感じを抱くのか。
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繰り返しになるが、母はずっと元気だった。コロナ禍で実際に会うことはできなくなっても、スカイプで私は毎週土曜日に母と会っていた。毎回数分、決まりきった会話で母の元気を確認するだけだったが、結果的に最後のスカイプとなった九月二十五日の母はいつもより饒舌で、私は母の元気を改めて確信したくらいだ。しかし、その時すでに施設の担当者から母の食が最近目立って細くなっていることが告げられていた。振り返ってみれば、その担当者は長年の経験からそうした母の異変を深刻に捉え、母の健康に関する危険信号を私に伝えようとしたのだと思う。しかし、私はそれに気づかなかった。むしろ、母がいつもより元気に見えたことを無邪気に喜び、一時の食欲不振など取るに足らぬことだと気にしなかった。ところが、それは単なる食欲不振ではなかった。数日後、施設から母が殆ど食事を摂らなくなったという連絡が届き、追い打ちをかけるように、掛かりつけの医師からも極めて危険な状態であることを告げられた。事ここに至って私は母の現状を見極めるべく帰省を余儀なくされたが、それでもなお楽観的だった。あんなに元気だった母が急に死を迎えるなんて到底考えられず、私の顔を見れば元気を取り戻し、たちまち食欲も回復するものと高を括っていた。無意識の裡に、私は自分の想念の外にいる母の現実に直面することを避けていたのかもしれない。いつもそうだ。私は自分の想念の外に出られない。そして、自分の想念の外の現実を突き付けられると不思議な感じに囚われる。母の死にまつわる不思議な感じも結局はそういうことなのか。確かにそれもあるが、私は決してそれだけではないと思っている。
memento mori
母が他界した。享年九十六歳。この年齢に不平不満を言うことはできないだろう。二十数年前に七十四歳で他界した父と比べても長寿だし、何よりも自然災害や人為的な事故・事件に遭遇して理不尽な死を余儀なくされた人たちのことを思えば、母は実に幸福な死を迎えたと言える。しかし、年々認知症が目立つようになっていたものの、身体的にはずっとしっかりしていたので、私は内心、母の紀寿はほぼ確実だと思っていた。その確信を狂わせたのは、やはりコロナだ。五年ほど前から母はグループホームのお世話になっていたが、コロナ禍以前には定期的に食事やドライブを母と楽しむことができ、それが母にとって長生きする愉しみになっていたと思う。それが全くできなくなり、母の日常生活は徐々に蝕まれていったに違いない。母はコロナに感染することはなかったが、実質的にはコロナに殺されたようなものだ。コロナ禍さえなければ、私は母が百歳になるまで曲がりなりにも親孝行する機会が得られたと今でも確信している。しかし、覆水盆に返らず。今更いくらコロナを怨んでみても仕方がない。これも運命だと諦めるしかないが、唐突に訪れた 母の死は実に不思議な感じがする。「納得できない」ということとも違う不思議な感じについて、少し考えてみたいと思う。
The Best Years of Our Lives
「健康という病」に関連して、図らずもウィリアム・ワイラー監督のThe Best Years of Our Lives(1946)を思い出した。第二次世界大戦が終わって、戦場から復員した三人のアメリカ人の葛藤を描いたドラマだが、私が最初にこの名作を観たのはアメリカで勉強している時だった。そのせいか、色々と考えさせられた。例えば、三人の中では最も年長の中年男は、愛する妻と娘に温かく迎えられ、出征前に勤めていた銀行にも重役待遇で復帰を果たし、比較的順調に戦後生活を始めるが、Last year it was kill Japs, and this year it's make money.と妻に冗談を言う場面には少なからぬ衝撃を受けた。ジャップを殺す毎日から金儲けの毎日へ――そうした日常生活の回復が幸福なのだろうか。確かに、この中年男のように日常生活を取り戻せない比較的若い残りの二人は余り幸福とは言えない。一人は出征中に恋人が変節し、就職もままならない。もう一人は戦争で腕を失い、障害者となった自分を持て余している。そして二人とも、平和を取り戻した戦後社会に取り残されたような疎外感が募るにつれ、戦時中の方が充実した毎日を過ごしていたように思えてくる。勿論、それは錯覚だ。悪夢のような戦場に本気で戻りたいわけではない。しかし、そこには「憎きジャップをやっつけろ!」という明確な目的があり、皆がその共通の目的に向かって一致団結して生きていた日々にそれなりの充実があったことは事実だ。これはむしろ戦いに敗れた日本の復員兵の方により強く感じられる事実だが、勝者のアメリカでも基本的に同じであったことに注目したい。戦争は明らかに一つの病であり、誰しも平和という健康を一刻も早く取り戻したいと願っている。しかし、勝者にせよ、敗者にせよ、やっと辿り着いた平和はニヒリズムを分泌する。平和な日常を満喫できる人が大半かもしれないが、戦後社会に上手く乗り切れない人間もまた少なくないのだ。
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さて、The Best Years of Our Livesという題名がイロニーを孕んでいることは言うまでもない。そもそも「我等が生涯の最良の年」とはいつか。戦争に勝利したアメリカ人にとって、それは当然「戦後」でなければならない。然るに、「戦後」に絶望した人の何と多いことか。繰り返しになるが、敗者の日本にとって「戦後」が絶望であるのは理解しやすいが、勝者のアメリカにとってもそうなのだ。「戦後」は必ずしもThe Best Years of Our Livesとは言えない。何故か。「戦後」に何が欠けているのか。
健康という病
実に罰当りな言い方だと思う。これも先日の朝ドラにあった場面だが、仕事に行き詰って意気消沈している女性が東北出身の同僚に大略次のような愚痴を言う。「これまで私は順風満帆に生きてきて、何かに傷つくという経験をしてこなかった。それが私の駄目な理由だわ。震災で心に大きな傷を負ったあなたには、その絶望から立ち上がろうとする底力が常に感じられる。私に足りないのはそれなのよ。どうしようもないことだけど…」その女性にも不謹慎な発言だという自覚はある。流石に「傷ついたあなたが羨ましい」とまでは口にしなかったけれど、人間として口にしてはならぬ一言だったという後悔が漂う。だから、その場に居合わせた第三者の女性から「それは駄目よ。傷ついて良いことなんて一つもない。深く傷ついて、二度と立ち上がれなくなる人もいるんだから」とたしなめられると素直に反省する。実際、恵まれた境遇に負い目を感じるなんて贅沢すぎる。悲惨な経験など、なければないに越したことはない。しかし、それにもかかわらず、不謹慎な女性の愚痴は偽らざる本音であり、そこには否定しがたい真理があるのではないか。
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余談ながら、三島由紀夫に「真夏の死」という恐るべき短篇がある。或る夏の日、幼子を海水浴に連れてきた母親はほんの一瞬目を離した隙にその子を波に攫われてしまう。結果、自分の不注意で愛する我が子を死なせてしまった母親は非常な罪の意識に苛まれ、正に地獄の苦しみを味わい続けることになる。しかし、時が心の傷を癒し、やがて平凡な日常が戻ってくる。次第に元気を取り戻した母親は新たな子宝にも恵まれ、その子を連れて再び海水浴に赴く。久しく忘れていた穏やかな時間の流れに浸りながら、波打ち際で遊ぶ我が子を眺めていると、突然、思いがけない衝動に囚われる。もう一度、波が我が子を攫ってくれるのを密かに期待している自分に戦慄する場面で短篇は終わる。--言うまでもなく、私の拙い要約では三島の名作も台無しだが、この母親の衝動はよくわかる。確かに、我が子を喪った苦しみは筆舌に尽くしがたい。しかし、その塗炭の苦しみには平穏無事な日常では決して経験できない生の充実があった。これは単なるマゾヒズムだろうか。一つの病ではある。ただし、健康という病だ。健康を取り戻すことを目的とする医師にこの病は治せない。
善きサマリア人のプラグマティズム
コロナ禍の影響のせいか、最近は医療ドラマが好調で、懸命に患者の命を救おうと頑張っている医師たちの奮闘ぶりが感動を呼んでいる。殊に一刻を争う救急医療の現場では、医師は正に神の如き存在に見えてくる。実際、テキパキと適切な処置を施していくその手腕は神業に等しい。何故、そんなことができるのか。それは医師が人体の二二が四を熟知しているからだ。尤も、人間機械論に即して言えば、医師の神業も自動車などの修理工の熟練技と変わらない。勿論、神の創造による人体と人間が制作した機械とではそれぞれの二二が四の質には雲泥の差がある。しかし、基本は同じだ。おそらく、自動車に修理できない故障などあり得ないだろう。自動車の製作者である人間はその二二が四を全て知り尽くしているからだ。と言うより、人間は自分の知っている二二が四によって自動車を制作したにすぎない。それに対して、人体の治療が自動車の修理のように単純でないのは当然だ。医学は日進月歩で人体の二二が四を解明し続けているが、まだまだ不治の病はある。医師が全能の神ではない以上、完璧な自動車修理工のようになれないのは仕方がない。基本は同じだが、直面する現実が異なる。
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さて、神ならぬ医師たちの人間的悪銭苦闘のドラマに私は理屈抜きで感動する。それは損なわれた人体の二二が四を全力で取り戻そうとする人間たちのドラマだ。私はそこに善きサマリア人のドラマを見出す。医師たちはただ、目の前で苦しんでいる人たちを何とかして救うことだけに集中している。そして、目の前の苦しみとは畢竟二二が四の損傷に他ならない。自然災害、パンデミック、事故、犯罪、と原因は様々だが、とにかく目の前に人体の二二が四を崩した人たちが苦しんでいる。それを救う。そこには打算など一切ない。実に崇高な仕事だと思う。職業に貴賎なしとは言うものの、医師の仕事ほど万人に必要とされるものはない。しかしながら、人間にとっての「本当の問題」は正に「その後」に生じるのではないか。「その後」とは、医師の懸命の働きで人体の二二が四の回復された後、ということだ。確かに、損なわれた二二が四は不幸であり、その回復は幸福を意味する。しかし、その幸福の前提を成す二二が四は「死に至る病」であるニヒリズムを分泌する。果たして、これは杞憂であろうか。医師に代表される善きサマリア人のプラグマティズムは万人に称賛されるが、不要不急の「その後」の問題はやはり等閑視されがちだ。それはそのままユートピアへの等閑視に繋がる。
二二が四を超えるもの
「ナポレオンによって植民地(サン=ドマング)に送られたフランス軍兵士は、かつての奴隷たちが〈ラ・マルセイエーズ〉を歌うのを聞いて、闘う相手が間違っているのではないかと声を出して訝しんだ」(スーザン・バック=モース「ヘーゲルとハイチ」)
独立後にハイチと称される地の黒人奴隷たちはフランス革命の精神に鼓舞されて蜂起した。その彼らを鎮圧するためにフランス軍兵士が送り込まれる。「闘う相手が間違っている!」黒人奴隷たちはかつての自分たちだという自覚によって二二が四の壁にヒビが入り始める。しかし、壁は崩壊しない。いや、黒人たちの革命が成就して独立が勝ち取られた時、壁は崩壊したかのように見えた。しかし、フランス革命の時と同様、革命後の混乱を収めるために独裁者の登場が要請され、二二が四の壁もまた修復された。その運命に黒人も白人もない。主と奴の弁証法は空回りし続ける。二二が四を超えるものは常に一瞬の熱狂にすぎない。そこから如何にして一歩を踏み出すか。
二二が四の壁
大地震が起こり、津波が多くの人と建物を呑み尽くす。きわめて悲惨だが、理不尽なことではない。同様に、強風で屋根の瓦が飛ばされて誰かの頭を割る。これも実に気の毒ではあるが、理不尽なことではない。そこには二二が四があるだけだ。二二が四が地震を起こし、津波をもたらす。二二が四が屋根の瓦を吹き飛ばす。ただそれだけのことだ。こうした言い方は不謹慎で、多くの人たちを憤慨させるかもしれない。しかし、それは何故不謹慎で憤慨させるのだろうか。そこには二二が四に巻き込まれた人間の苦悩が考慮されていないからだ。二二が四それ自体は善悪の彼岸にあるものの、そこに人間が関わることで善にも悪にもなる。例えば、農産物を実らせる二二が四は善だが、それを枯らせてしまう二二が四は悪と見做される。そこで人間は善き二二が四だけを発展させて、悪しき二二が四を抑制しようと試みる。しかし、その試みは果たして成功しただろうか。近代科学は善き二二が四を駆使して一応パラダイスを実現したと言えるが、そこには依然として様々な問題が渦巻いていることも事実だ。パラダイスは明らかに限界に直面している。それは二二が四という壁に他ならない。善も悪もない。元々は一つの二二が四だ。この壁のディコンストラクションなくして、パラダイスの限界は超えられない。
微温湯の理想は吐き出せ!
我は汝の行為を知る。汝は冷ややかにもあらず熱きにもあらず、
我はむしろ汝が冷ややかならんか、熱からんかを願う。
かく熱きにもあらず、冷ややかにもあらず、
ただ微温(なまぬる)きが故に、我は汝を我が口より吐き出さん。
(ヨハネ黙示録)
理不尽な世の中はラディカルに変革しなければならない。真面目に働いている人たちが、働けど働けど猶生活(くらし)が楽にならないのは社会が悪いからだ。ぢっと手を見ている場合ではない。しかし、社会の変革とは何か。金持どもを引きずり下ろすことか。不正に金儲けしている悪人は論外だが、大半はやはり真面目に働いて富を築いた人たちであることを思えば、一概に金持を否定することもできない。それも理不尽なことだからだ。そもそも貧しき人々だって、いつかは金持になりたいと願っているのではないか。そこには明らかに二二が四がある。問題は、貧しき人々を生み出す二二が四と金持を生み出す二二が四が相即している、という現実にある。単純に考えてみよう。競争は理不尽なことではない。足の速い者が勝ち、足の遅い者は負ける。逆に、足の遅い者が勝つのは理不尽だろう。亀の勝利は兎の油断・増上慢がもたらした状況の変化によるものであり、別に足の遅い亀が足の速い兎に勝ったわけではない。つまり、足の速い者が足の遅い者に勝つという二二が四は微動だにしないのだ。勝者がいれば、必ず敗者がいる。そして、勝者が増えれば、その分だけ敗者も増える。それが競争社会の二二が四に他ならない。そこに理不尽なことなど何もない。従って、競争社会の変革を求めるならば、あくまでも競争の二二が四を前提にした上で、敗者もまた人並みに暮らせる道を探ることになる。端的に言えば、貧しき人々の公的な救済だ。今のところ、それが唯一現実的な社会変革なのかもしれない。所得を増やし、労働時間を減らすなど、貧しき人々の生活改善を第一に考えてくれるリーダー(政治家)が待望されている。確かに、それによって多くの人たちが中流の生活を享受できるようになれば、そうした生活もまた一つの理想には違いない。しかし、微温湯の理想だ。それでいいのか。