微温湯の理想は吐き出せ! | 新・ユートピア数歩手前からの便り

微温湯の理想は吐き出せ!

我は汝の行為を知る。汝は冷ややかにもあらず熱きにもあらず、

我はむしろ汝が冷ややかならんか、熱からんかを願う。

かく熱きにもあらず、冷ややかにもあらず、

ただ微温(なまぬる)きが故に、我は汝を我が口より吐き出さん。

(ヨハネ黙示録)

 

理不尽な世の中はラディカルに変革しなければならない。真面目に働いている人たちが、働けど働けど猶生活(くらし)が楽にならないのは社会が悪いからだ。ぢっと手を見ている場合ではない。しかし、社会の変革とは何か。金持どもを引きずり下ろすことか。不正に金儲けしている悪人は論外だが、大半はやはり真面目に働いて富を築いた人たちであることを思えば、一概に金持を否定することもできない。それも理不尽なことだからだ。そもそも貧しき人々だって、いつかは金持になりたいと願っているのではないか。そこには明らかに二二が四がある。問題は、貧しき人々を生み出す二二が四と金持を生み出す二二が四が相即している、という現実にある。単純に考えてみよう。競争は理不尽なことではない。足の速い者が勝ち、足の遅い者は負ける。逆に、足の遅い者が勝つのは理不尽だろう。亀の勝利は兎の油断・増上慢がもたらした状況の変化によるものであり、別に足の遅い亀が足の速い兎に勝ったわけではない。つまり、足の速い者が足の遅い者に勝つという二二が四は微動だにしないのだ。勝者がいれば、必ず敗者がいる。そして、勝者が増えれば、その分だけ敗者も増える。それが競争社会の二二が四に他ならない。そこに理不尽なことなど何もない。従って、競争社会の変革を求めるならば、あくまでも競争の二二が四を前提にした上で、敗者もまた人並みに暮らせる道を探ることになる。端的に言えば、貧しき人々の公的な救済だ。今のところ、それが唯一現実的な社会変革なのかもしれない。所得を増やし、労働時間を減らすなど、貧しき人々の生活改善を第一に考えてくれるリーダー(政治家)が待望されている。確かに、それによって多くの人たちが中流の生活を享受できるようになれば、そうした生活もまた一つの理想には違いない。しかし、微温湯の理想だ。それでいいのか。