混沌とカオス
混沌は、あくまでも混沌でしかない。
そこから何かが生まれるとしても、
混沌=所詮、ただの混沌である。
「映画祭自体は作品ではない。」
「プロデュースする側として、もっと冷静になった方がいい。」
「やりたい事はわかるが、今は実績を作る時だ。」
「単なるオナニーの押し売りだ。」
「観客を呼べなければ意味がないし、映画祭として成り立ってゆかない。」
~という様な“ちば映画祭”に対して廻りの声があります。
大切にしている人達からの声であるが故に、自分自身真剣に受け止めて答えを出そうとするが、
正直、ワカラナイ・・・
う~ん、そいじゃ、原点に立ち返ろうってんで、考えをまとめてみました。
ちば映画祭は、独自の初期衝動を繰り返し、
乱立する混沌にドップリと依存した希薄なモノを不要とする意義を共有する為にある。
ちば映画祭は自発的な表現手段である。
だからして右へ倣えする必要はない。
なんか説教臭いのは嫌いだし、うまく言い表せる言葉はないものかと、
ない頭で浮かんだのが、「東京大虐殺」なる言葉。
様々な情報が溢れ
誰しもが安直に上っ面の情報だけを手に入れ、あまりにも容易に大切なコトを語りやがる。
絶対数ってヤツが自分が必要としているモノであるのか?
イヤ、違う。
絶対に違う。
本当に意義のあるモノを見えにくくさせているのは何なのだろうか?
自分自身もそうなのではなかろうか?
イヤ、違う。
絶対にそんなモノにはなりたくない。
その為の表現手段であるのだ。
腐敗した偽モノに対しては、不要だと言わなければならない。
必要ないと示さなければならない。
コレハタタカイデアル
もちろんテメエ自身との
自分自身に対して少なからず影響を与え続けてくれる
すべての本当に意義のあるモノに対しての自分なりの最大限の答えを出す。
ちば映画祭は、自分にとっての表現手段であります。
白い虫
白い虫・・・
タイヤにはびこる“通称タイヤ虫”に白いタイプが存在した!!
以下がその写真である。
↓ ↓ ↓
○で囲ってある所にヤツはいるのだが、いかんせん不鮮明である。
この白い虫は、赤い虫と同じ形なのだが、そのサイズが赤い虫と比べデカイ!!!
しかも一本のタイヤに一匹の割合でしか生息してないようである。
もしかしたら、ウジャウジャとはびこる赤い虫は、この白い虫から生まれてくるのかも知れない。
きっと白い虫がメスなのだと思う。
はびこる赤い虫は、その子供か、はたまたメスに群がるオスなのであろうか?
一本のタイヤに作られる小宇宙
通常の一台の車には4つの小宇宙が形成されているのだ。
車が動き、タイヤが回りはじめた時、この小宇宙はどうなるのだろうか?
この白い虫を捕獲しようと手を伸ばした瞬間知ったのだが、
何と、この白い虫は飛び跳ねるのである。
赤いヤツラはセコセコとタイヤの上を逃げまどうしかないのだが、
この白いヤツは、飛び跳ね向かってきやがる。
追い詰められた白いヤツは手ごわいでござる。
ヤツラは、油断してると、人の体に小宇宙を形成するかも知れない。
寄生された人間は奇主となって人生をまっとうするしかないのである。
そして気がつくと奇主の体は、車のタイヤとなっている。
そしてタイヤとして組みかえられ転がり続けて消耗してゆく。
赤い虫
車のタイヤにはびこる赤い虫・・・
これは何という虫なのだろうか?
仕事上、車のタイヤを見る事があるのだが、
車のタイヤの上に決まってヤツラはウジョウジョとしている。
個人的には寒い季節より、暑い季節の方が繁殖している様に感ずる。
屋外のパーキングに停めてある車のタイヤには必ずこの赤い虫がいる。
鮮明に写ってはいないがコレがその赤い虫である。
動きが素早く決まって集団でウジャウジャしている。
昨日、嫁さんの母親の墓参りに行ったのだが、
なんと、その虫は墓石の所にもウジャウジャとしていた。
なんじゃコレは:@★;::-、:★”#!!”#☆
一瞬、もしかしたらこの虫は自分しか見えないのか・・・?
なんて思ってみたり・・・
そんな危惧を感じながらも嫁に聞いてみると、
『ダニじゃないの・・・』と一言。
『あ~ダニねぇー・・・』って、ダニって肉眼で見えるんすか?
しかも何で赤いのか?
何者なのか?
そこに組織的陰謀があるのか?
でもヤツラはどうやって繁殖するんでしょうかねー?