私はずっと、起業とは「自分の夢を形にする方法」だと考えてきました。

 

 

私自身、これまでいくつかの会社を立ち上げ、経営しています。

それらはまさに、自分の存在意義を体現する場であり、私の能力や情熱を全力で注ぎ込む対象でした。

社員たちの生活を預かり、社会からの期待に応え続けることで、強い責任感とやりがいを感じながら日々を過ごしてきたのです。

私が会社に存在することで、皆が安心し、仕事が進み、結果として組織が成長する。

そんな環境の中で、私は自己実現を果たしてきました。

 

しかし、先日、ある会社からM&Aの打診がありました。

その会社を弊社で吸収してほしいという申し出で、対価は求めず、ただひとつ、創業者である会長に売上の3%を今後も支払い続けるという条件付きでした。

その条件を目にしたとき、私はふと考えました。

会社とは、自分が情熱を燃やしながら動かすものでもあるけれど、自分がいなくても動く会社になっていた場合、「資産」としての側面も持ち得るのだと。

となると、自分の代わりに、仕組みや人材、ブランドが機能し、継続的に価値を生み出す存在へと育て上げることもまた、経営のひとつの形なのです。

 

私はこれまでの経営を振り返り、「自分のための経営」も決して間違っていなかったとは思ってます。

それは、自分の存在意義を深く感じられる、極めて充実した生き方です。

しかし同時に、「資産」となる会社経営も必要だと確信しました。

会社を単に経営するのではなく、会社そのものを資産として育て、譲れる、残せる存在にしていく。

そのような経営に取り組むこともまた、経営者として新たな目標になりえるのかもしれません。

 

起業には、2つの大きな柱があります。

 

ひとつは、情熱や目的を原動力にした起業。

自分がやりたいこと、社会に届けたい価値を形にするために会社をつくる方法です。

もうひとつは、構造や資産を意識した起業。

会社を将来の資産としてとらえ、収益性や仕組み、再現性を重視しながら運営していくモデルです。

この2つは相反するものではなく、両方を併せ持つことで、より豊かで安定した経営が実現できます。

 

自分のために情熱を注げる会社を持つこと。

そして、将来のために資産として成立する会社を持つこと。

この両輪を手にすることができれば、人生そのものが大きな意味を持ちます。

だからこそ、これから起業を考える人にも、どちらか一方ではなく、両方の視点を持ってほしいと願っています。

 

今すぐ全てを実現する必要はありません。

ただ、自分の人生を豊かにする手段として、起業という選択肢を真剣に考える価値は、間違いなくあると思いますよ。
 

投資について人に教えることがあるのですが、よく耳にするのが「なんでこんな株を買ってしまったのか」「あの時に売っておけばよかったのに」といった後悔や、自分を責める言葉です。

確かに、投資は上がることもあれば下がることもあります。

そして、誰しも利益を出したいという思いから、損をしたときに強い喪失感を抱くのは自然なことです。

しかし、そのときに本当に大切なのは、過去を悔やむことではなく、今この瞬間に立ち返って「これからどうするか」を考えることです。

 

 

過去の出来事はどれだけ考えても、どれだけ悔やんでも、変えることはできません。

損をしたという事実や、間違った判断をしたという結果は受け入れるしかありません。

その上で、必要な反省をし、次に同じ間違いを繰り返さないようにすることこそが、経験を意味あるものに変える鍵となります。

 

後悔にとらわれて思考や感情を消耗させても、状況が好転するわけではありませんから。

むしろ、冷静さを失い、次の判断まで曇らせてしまう危険が高まります。

 

この考え方は、投資に限った話ではありません。

例えば、起業の世界でも同じことが言えます。

ビジネスをしていれば、思い通りにいかないことや、他者の影響を受けて不利益を被ることもあるでしょう。

取引先が突然倒産して、売掛金が回収できなくなるといった事態も現実に起こったりします。

そのとき、「なぜあの会社が倒産したのか」「なぜこんな相手と取引してしまったのか」と悔やんでも、失ったお金は戻りません。

たとえ債権が残っていたとしても、回収できる金額はほんのわずかであることがほとんどです。

それならば、さっさと気持ちを切り替えて、今ある状況でどうやって資金を回すか、どうやって次の道を切り拓くかを考える方がはるかに意味があります。

 

このように、「常に今を起点に考える」という姿勢は、投資でも起業でも同じく重要なものです。

そして、もっと広く言えば、私たちが日々を生きていくうえで、非常に現実的で、本質的な思考であるとも言えます。

過去の出来事に縛られても、未来に対して正しい一歩は踏み出せませんから。

それこそ時間の無駄です。

 

未来を変えるためには、今この瞬間から何をするかに集中するしかありません。

 

そして、やってしまった失敗は、それを糧として次に活かすことで、その失敗は価値ある経験に変わります。

だからこそ、自分の判断を振り返り、必要があれば修正し、そして次の判断に活かすという循環を作ることです。

大切なのことは、同じ轍を踏まないこと。

その繰り返しが、自分自身の思考力を鍛え、結果としてよりよい判断につながっていきます。

 

この考え方は、年齢や立場にかかわらず、すべての人にとって大切な考え方だと思います。

たとえそれが小さな一歩であったとしても、「今」に意識を向けて進むことで、やがて大きな成果や変化を生むことができるでしょう。

 

先日、近くのスーパーにお米を買いに行ったとき、棚が空っぽになっていました。

価格が高いだけならまだしも、商品自体が手に入らないという状況は本当に困っちゃいますよね。

 

仕方なくSNSで「お米が手に入らないよ〜(涙)」と投稿してみたところ、全国各地の知人たちから次々に「うちの近所にはあるよ」「よければ少し送ろうか」という温かいメッセージが届きました。

いや〜、人の善意に触れて、本当にありがたかったです。

 

 

でも、ちょっと思ったのは、FIREを目指すと、つい必要以上の支出を避け、所有物を減らし、生活を合理化しちゃいますよね。

それ自体はとても有意義な取り組みだと思いますが、その過程で気づかぬうちに、人付き合いまで「削減対象」にしてしまったりはしていないでしょうか?

 

人付き合いで、外食に行かない、贈り物を控える、イベントを避ける…など、それらは確かに支出を抑えることはできますが、同時に人との関わりを希薄にしてしまいます。

でも、人は一人だけでは生きてはいけない以上、人とのつながりはお金では得られない“資産”のようなものです。

困ったときに声をかけてくれる人がいるということは、何にも代えがたい安心感をもたらします。

ただ、すべての人間関係を無理に維持する必要はないと思います。

人付き合いには当然コストがかかりますし、自分にとってストレスになる相手との関係は、かえって生活の質を下げてしまうことになりますからね。

 

だからこそ、ポイントは「損得ではなく、無理なく関われる人とだけ付き合う」ことです。

 

どれだけ多くの人と関係を持っているかではなく、自分の気持ちに正直に、「この人とは損得じゃなく、無理なく関われる」と思える相手とのつながりを、自分のペースで育んでいけばよいのです。

その人数は、自分の身の丈にあったもので構いません。

 

FIREというライフスタイルは、経済的な自由を得ることを目指しますが、その自由を心から味わうには、人との温かな関係が欠かせないと考えます。

合理化しすぎて孤立してしまえば、せっかく手にした自由も、どこか味気ないものになってしまうのではないでしょうか?

だからこそ、人とのつながりを意識して保ち続ける努力も必要な気もしています。

 

“自分らしく、無理なく、温かく”——そんなふうに人と関わりながら、自立した暮らしを築いていくこと。

それこそが、私が考えるFIREの本当の豊かさだと思っています。