本 喜び 趣味 | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。



本を沢山読む人で

ない私だからの言葉

なんでしょうけど


 
 
 
 
この本は読まない
 
という選択も裏を返せば
 
自分の『好き』を明らかにする。
 
 

そして、そういう

その人が手にする本には
 
その人の『好き』や『趣味』が

表れる。(隠してもダメよー。)
 
 
 


 
 
 
10月
 
大きな人が読んでた本。
 
 
私はこちら。
 

 

 

 

私の方は


初めて手に取る本、では


無いところが、私らしい。



とはいえ

 
久しぶりに読んだ2冊。でも
 
内容は実はあまり覚えてなくて
 
 

 

 

(Kちゃんに送った本でもあり。)
 
 
 
前回は
 
出会えて良かった!と
 
いうような、
 
興奮を伴う喜びがあった。


で、

手元に置けるように買う?

と思ったわけだけど。

つまりは2冊とも

各々の章でビビビ、ときた。
 
 
 
 
 
今回は
 
興奮が無い代わりに1点
 
ピンポイントで内容が
 
心に残った
 
 
『置かれた場所で咲きなさい』
 
 
98%、のエピソード。
 
なるほどなあ、今の私は
 
その通りだと思うよ。


(こころの・・・の方は

 なんともふわふわとした感じで

 読み終えました。なんでかな?)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここからは私のメモ。
 
 
98%・・・は
 
 
人を信じ続けるための方法。
 
だけど、防御策、でもある。
 
自分を大事にする策でもある、
 
と。(私は思う。)
 
 
矛盾してるけど
 
おかしいとは
 
思わない。
 
 
貫くために
 
何かしらの方法を
 
見つけ出されたのよ、
 
きっと。
 
 
本当の強さ、
 
言うなれば強かさを
 
感じました。
 
 
 
 (メモ終了ー。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本。
 
 
ふんわりとした喜びを
 
感じる出会いもいいもの。
 
趣味に合う、というような。
 
 
その本を手に取り、最後まで
 
読み遂げる何かがその人の中にある
 
って事だから。
 
 
 
例えば
 
大きな人が読んだ本、今は
 
私は読まないもんなあ。
 
趣味は歴史。と胸を張って
 
言っておしまいなさーい。


(本人は、無趣味、だと思ってる。

 広く浅く、新しく、の人、では

 あると、所々正反対の私は思う。)


ただ
 
私の趣味は

とりあえずはそこになく


でも
 
小野正嗣さんの本は
 
また別のも借りたい。
 
と思うわけです。




沢山本を読みたいと

努めてみたけど

難しかったです。


寝床で開くと

寝ちゃうのです。

(私にとっては幸せな事!)


てへへ。

それでいいのだ。

(久しぶりに雑誌の方に

 手を伸ばすかな。うーむ

 結局はそれが好きなのかな。)
 
 
 
 

そんなこんなの

 
11月には
 
ふんわりとした喜びを
 
感じる出会いがありました。
 
『 自分をたいせつにする本 』
 
 (私にとっては絵本のような

 雑誌のような、です。)
 
 
何をわざわざ!
 
当たり前の事でしょうに!
 
と、このタイトルに違和感を感じる
 
人には必要ないかもしれないし
 
でも、気づいてないだけかもしれない。
 
 
 
ある方の言葉を借りれば
 
右脳型の人・・・・におすすめ
 
(または右脳左脳併用型)
 
したいかも。
 
 





これまでの本と比べると

読む人を選ばないような

気がします。
 

 
ふんわりとした喜び
 
 
ピンポイントで
 
背中を押してくれる言葉を


兼ね備えているのは

これまでの本と同じで。


(特定の宗教に基づいてはいません、

 というあとがきの言葉がもう

 お約束の感じ。

 お笑いのネタのようでもあり。)
 
 



でも

それは「あの人」の背中も
 
なぜてくれるような・・・と
 
 
お節介を焼きかねないくらい
 
汎用性のある事柄でもあり。


で、読む人を選ばない。
 




お節介かな。

どうしようかなあ。