ソフィ・カル  | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

おむすびは 

 

雑穀ご飯に刻んだ梅干し

 

玄米ご飯に焼き辛子明太子

 

 

 

 

 

 

ほうれん草も

 

新潟の菊の花『花嫁』も

 

茹でて冷凍してあったもの。

 

 

オリーブオイル、レモン汁、醤油で。

 

 

 

 

 

かぼちゃのお味噌汁は煮干しの粉で。

 

呑み過ぎさんがいるので、

 

いつもより多めの汁を食べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お茶はもちろん

 

ケツメイシ(とレモンバーム)の朝。

 

 

 

11月8日(木)の朝ごはんです。

 

 

 

 

 

明太子は

 

「冷凍庫にあるの知ってるけど、

 

 味見をしたら美味しかったから買ってきた。」

 

・・・という福岡のお土産の分を

 
食べ終えて、
 
 
 
これはその件(くだん)の冷凍庫の分。
 
 
(2人とも好物だから
 
 たくさんあるのは嬉しい悲鳴です。)

 

 

 

私、明太子を焼いて食べる事は

 

(たらこよりも)贅沢なような気がして

 

そうそうないのだけど、たまにはねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな人。

 

直前までその期間が二転三転した出張に

 

今日の0時頃の便で出かけて行きました。

 

 

 

(日本に戻るのは金曜日の早朝。

 

 向こうには1泊だけでとんぼ帰り。)

 

 

 

 

 

 

 

11日(日)のお散歩の時の話だと、

 

アメリカやイギリスなどの出張は

 

(今の自分には)食事が少しきついと

 

言っていました。

 

 

 

美味しい、美味しくない、という事ではなく、

 

(普段から仕事で食べ物をたくさん

 

     食べる事の多い自分には)

 

 滞在する地域によるのでしょうけれど)

 

洋風の食事やステーキなどが続くのが

 

きついのだそうです。

 

 

 

 

和食や麺類(蕎麦やラーメン)が

 

恋しくなると。

 

 

それはたとえ現地にいるのが

 

今回のように1日2日だとしても。

 

 

 

 

 

ごちそうばかりが続いても

 

必ずしも幸せではない。

 

心も身体も。

 

 

でも、

 

せっかく美味しいものを食べるのだから

 

元気でいたいだろうな。

 

3食のうち1度でもお味噌汁とごはんと

 

軽い惣菜なんかを食べられたら、

 

ほかの食事の美味しさもしっかり堪能できる

 

のだろうな。

 

 

 

・・・と、

 

こういう朝ごはんを思い切り

 

肯定してみたりする。

 

 

ふふ。

 

 

 

 

明太子も毎日食べないで

 

ちょびちょび食べてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、私の月曜日。

 

12日(月)はおうし座は

 

「行動力があって意欲に満ちるとき」と

 

あったけれど、

 

全然そんな事はなかった。

 

 

(外に出てしまえば、

 

 歩き回れば気分が変わるくらいだけど、

 

 自分の仕事をやろうとするには

 

 頭が重いなあ・・・と

 

 なんとも都合がいい不調。)

 

 

 

 

でも、

 

かえって土日のほうが意欲的で

 

月曜日の朝は寝不足だったから

 

(また背骨がねじれたり戻ったりを

 

 繰り返す日々で

 

 いたく快調な日とそうでない日・・・

 

 頭痛のある日・・・と波があります。)

 

 

あんまり元気だったらおかしいのです。

 

 

 

そう思いながら夜ブログを書いていたら

 

元気になりました。

 

 

意欲も出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごく元気!」なのと、

 

「すごく美味しい!」のは、

 

大人にとっては、

 

ずっと続いたらおかしいくらいの

 

事じゃないかと思います。

 

 

 

 

 

菊は先日書いたように生で食べる以外にも、

 

 

こうして

 

ほうれん草なんかと混ぜて食べるのも、

 

ただ菊だけで食べるのも、

 

 

両方美味しい。

 

キュキュッと音がなりそうな歯ごたえと

 

独特な香りがいいけれど、

 

飛び上がるほどの味を持つものでないから

 

こその、良さなのかな、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう。

 

 

いわゆる占い・・・運勢での

 

「いい時」と「わるい時」。

 

 

その両方を自分の力、捉え方で

 

(たとえそれが後から俯瞰して見た時

 

 に初めてでも大丈夫。)

 

 

本当の意味での「いい時」に変えられるのが

 

ここでこうして書く事の意味のひとつだと

 

私は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感じた事を

 

こういう風にできる限りの形で

 

紡ぎ出す事。

 

 

それをとにかく続けることで

 

私の「足跡」となったら、

 

ソフィ・カルもびっくり・・・なんて

 

思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、

 

そんなに長く結果が出ない話でなくても、

 

 

暮らしの中で辛かった事も

 

良い事と同じようにしたためて、

 

それが「ここ」の外の世界でもうすこし

 

踏ん張るためになるのなら、

 

 

(そして誰か特定の人をおとしめたり、

 

 自分より下に見るような事ではないのなら)

 

 

今日が最高に「美味しい」1日でなくても、

 

 

プラスマイナスすこし俯瞰して鑑みた結果

 

胃腸を休ませるくらいの「味」の1日だった

 

としても、

 

いいような気がします。

 

 

 

「その人の物語が明日

 

  好転していますように。」と

 

願うだけの魅力があるから、読み続ける。

 

 

そういう関係は、

 

姿形は見えなくても

 

人と人の一つの関係として

 

しっかり成立していると言いたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに「ソフィ・カル」が

 

彼女自身の日記であるがごとく紡いだ物語は

 

虚構も混じっている・・・のですが、

 

 

(それは創造・アートなので。

 

   映画やドラマと同じです。)

 

 

とにかく暗く、怖い印象を受けるからと

 

言って、その行為が正しいか正しくないかを

 

論じるのはナンセンスなのだと。

 

そこに描かれている事以外の

 

バックボーンを大人なら想像できるし、

 

そうすれば彼女自身の存在を

 

否定しなくてはいけないほどではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体調に波のある私ですが、

 

昨日は家で、

 

今日は外で、

 

意欲的にすごせました。

 

 

特に今日は足の感覚がしっかりあり、

 

ソフィ・カルの事を教えてもらって

 

原美術館に観に行ったあの頃の

 

懐かしい風景を気持ちよく

 

たくさん歩く事が出来ました。