1928年に産まれたシャーリー・テンプル。
1878年に産まれたビル・ボージャングル・ロビンソン。
ジェフリー・チョーサーの17代目の子孫、いわゆるワスプとして裕福な家庭に産まれた白人の女の子。
機械部品店の店員の子として産まれ、6歳から家計の為にボードヴィルで踊っていた黒人の男の子。
肌の色が違い、更に年の差50歳の二人が出会ったのは1935年。
二人揃ってハリウッドの階段を駆け上がって、映画史上初の肌の色が違うコンビとしてトップにのし上がったのだ。シャーリー・テンプルと言えばビル・ボージャングル。ボージャングルと言えばシャーリーという程馴染んだコンビだけれど、二人が一緒に出演した映画はわずか3本。
たった3本、されど3本。
1930年代には世界最高のタップ・ダンサーと言われ、その誕生日は今でもナショナル・タップ・デーとして残されているビル・ボージャングル・ロビンソンは、「神様はシャーリーを、後に続くものはいない、唯一無二の存在として創った。シャーリーの後、二度とシャーリーのような存在は現れないであろう」と語っている。また、シャーリーもビルとの出演は感慨深かったようで、一緒に映画に出た相手の中ではビルが一番好きだったそうだ。
1935年、テンプルはビルと共演した2本を含めて合計で4本の映画を撮っていて極めて多忙だったとか。撮影の時間も短くてじっくりとリハーサルする時間もあまりなかったらしく、ノーカットのダンスシーンはアドリブも多く含まれていた。
ビルは経験豊かなダンサーとしてたった7歳のシャーリーをリードするのだけれど、このシャーリーも負けずとアドリブを披露する。二人で合わせてダンスする時は、ビルが前もって示し合わせていたやり方でシャーリーの手を握って次のステップを教える事もあったとか。
とんな1935年、二人が共演した二作目の「テンプルの愛国者」には、今でも語り継がれるシーンが特にたくさん詰まってる。
他にも大統領に会いに行く為に路銀を稼ぐア・カペラダンスのシーンも有名。
この二人が再び出会うのは3年後、「農園の寵児」の撮影で。
すっかり成長して10歳になったシャーリーはピアノで自分の歌をメドレーにして弾き語ってしまう程貫禄たっぷり。。笑
貫禄もそのはず、この映画はシャーリーの41本目の映画にして28本目の主演作なのだ。
たった7年のキャリアでこの数字は現代映画スターもビックリ。
この子は小さい頃から仕事を始めたにも関わらず、子供らしくはつらつしていてすれた所が無かったとか。その上幼いなりにプロ意識があり、どの映画に出演するときも台本は隅から隅まで暗記。しかし物を大切にする性分か一切書き込みなんかはしなかったらしい。
それでもダンスや歌のシーンを含めNGは全く出さず「一回取りのシャーリー」と呼ばれていたとか。
5-7歳。幼稚園の年中さんから小学校2年生に上がるまでの年齢で、大人でも難しいステップを踏み正確な音程でこれだけ上手に歌える子役はシャーリーの後には未だ存在せず。。
6歳の時にはアカデミー賞で特別賞を受賞し、この最年少記録は未だ破られていない。
彼女は70年以上経った今でも唯一無二の存在なのだ。
だってこんな事が出来る7歳、もういないでしょう?
私は自分の知る限り唯一シャーリー・テンプルのDVDを集めている20代なんだけど。。
何故私がシャーリー・テンプル映画が好きかと言うと、それは正直よくわからないのである。
毎回似たような筋だから安心する?(テンプルは純真可憐無垢でかわいらしい孤児かかわいそうな身の上の女の子なのだけれど、その状況に臆する事無く持ち前の機転とその利発さ、また才能により必ずハッピーエンドを迎える。そしてそして何故か彼女を助ける優しいおじさんときれいなお姉さんの間には必ず愛が芽生え、たいていテンプルは引き取られて幸せな家庭を築く事になるのだ)
毎回同じ俳優/女優が同じような性格、同じような役割を演じるから集中しなくてもわかりやすい?
いや、やっぱり秀逸なダンスシーンとミュージカルナンバー?
というよりむしろ、祖母が昔言った事が根深く頭に残っているのだ。
終戦後映画を観に行った時深く思ったそうだ、自分たちが貧困に喘いで生きるのに精一杯の時、こんな映画を創っていた国と闘っていたんだ。勝てた筈が無い。
その映画がシャーリー・テンプルものだったとか。
ちなみにおばあちゃんはシャーリー・テンプルが好き。
という事は、この趣向はつまりあれ。。。「すりこみ」か?
1878年に産まれたビル・ボージャングル・ロビンソン。
ジェフリー・チョーサーの17代目の子孫、いわゆるワスプとして裕福な家庭に産まれた白人の女の子。
機械部品店の店員の子として産まれ、6歳から家計の為にボードヴィルで踊っていた黒人の男の子。
肌の色が違い、更に年の差50歳の二人が出会ったのは1935年。
二人揃ってハリウッドの階段を駆け上がって、映画史上初の肌の色が違うコンビとしてトップにのし上がったのだ。シャーリー・テンプルと言えばビル・ボージャングル。ボージャングルと言えばシャーリーという程馴染んだコンビだけれど、二人が一緒に出演した映画はわずか3本。
たった3本、されど3本。
1930年代には世界最高のタップ・ダンサーと言われ、その誕生日は今でもナショナル・タップ・デーとして残されているビル・ボージャングル・ロビンソンは、「神様はシャーリーを、後に続くものはいない、唯一無二の存在として創った。シャーリーの後、二度とシャーリーのような存在は現れないであろう」と語っている。また、シャーリーもビルとの出演は感慨深かったようで、一緒に映画に出た相手の中ではビルが一番好きだったそうだ。
1935年、テンプルはビルと共演した2本を含めて合計で4本の映画を撮っていて極めて多忙だったとか。撮影の時間も短くてじっくりとリハーサルする時間もあまりなかったらしく、ノーカットのダンスシーンはアドリブも多く含まれていた。
ビルは経験豊かなダンサーとしてたった7歳のシャーリーをリードするのだけれど、このシャーリーも負けずとアドリブを披露する。二人で合わせてダンスする時は、ビルが前もって示し合わせていたやり方でシャーリーの手を握って次のステップを教える事もあったとか。
とんな1935年、二人が共演した二作目の「テンプルの愛国者」には、今でも語り継がれるシーンが特にたくさん詰まってる。
他にも大統領に会いに行く為に路銀を稼ぐア・カペラダンスのシーンも有名。
この二人が再び出会うのは3年後、「農園の寵児」の撮影で。
すっかり成長して10歳になったシャーリーはピアノで自分の歌をメドレーにして弾き語ってしまう程貫禄たっぷり。。笑
貫禄もそのはず、この映画はシャーリーの41本目の映画にして28本目の主演作なのだ。
たった7年のキャリアでこの数字は現代映画スターもビックリ。
この子は小さい頃から仕事を始めたにも関わらず、子供らしくはつらつしていてすれた所が無かったとか。その上幼いなりにプロ意識があり、どの映画に出演するときも台本は隅から隅まで暗記。しかし物を大切にする性分か一切書き込みなんかはしなかったらしい。
それでもダンスや歌のシーンを含めNGは全く出さず「一回取りのシャーリー」と呼ばれていたとか。
5-7歳。幼稚園の年中さんから小学校2年生に上がるまでの年齢で、大人でも難しいステップを踏み正確な音程でこれだけ上手に歌える子役はシャーリーの後には未だ存在せず。。
6歳の時にはアカデミー賞で特別賞を受賞し、この最年少記録は未だ破られていない。
彼女は70年以上経った今でも唯一無二の存在なのだ。
だってこんな事が出来る7歳、もういないでしょう?
私は自分の知る限り唯一シャーリー・テンプルのDVDを集めている20代なんだけど。。
何故私がシャーリー・テンプル映画が好きかと言うと、それは正直よくわからないのである。
毎回似たような筋だから安心する?(テンプルは純真可憐無垢でかわいらしい孤児かかわいそうな身の上の女の子なのだけれど、その状況に臆する事無く持ち前の機転とその利発さ、また才能により必ずハッピーエンドを迎える。そしてそして何故か彼女を助ける優しいおじさんときれいなお姉さんの間には必ず愛が芽生え、たいていテンプルは引き取られて幸せな家庭を築く事になるのだ)
毎回同じ俳優/女優が同じような性格、同じような役割を演じるから集中しなくてもわかりやすい?
いや、やっぱり秀逸なダンスシーンとミュージカルナンバー?
というよりむしろ、祖母が昔言った事が根深く頭に残っているのだ。
終戦後映画を観に行った時深く思ったそうだ、自分たちが貧困に喘いで生きるのに精一杯の時、こんな映画を創っていた国と闘っていたんだ。勝てた筈が無い。
その映画がシャーリー・テンプルものだったとか。
ちなみにおばあちゃんはシャーリー・テンプルが好き。
という事は、この趣向はつまりあれ。。。「すりこみ」か?











