ブログラジオ ♯173 I Can’t Hold Back | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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では今回はサヴァイヴァーである。

アイ・オブ・ザ・タイガー~ベスト・オブ・サバイバー/サバイバー

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実はすごいバンドだったの
かもしれないなぁと

改めてちょっとだけ
思い始めていたりもする。

当時TOTO(♯152)やあるいは
ヴァン・ヘイレン(♯136
ジャーニー(♯154)辺りほど、

強烈な印象を残さなかったのは
はたしてどうしてだったのだろう。

顔となるようなギタリストの
不在のせいだったのだろうか。

あるいは最初の大ヒット直後に
起こってしまった

ヴォーカル交代劇の影響も
決して小さくは
なかったのかもしれない。

とにかく今回改めて
データをちゃんと
整理してみて至極驚いた。

このサヴァイヴァー、
82年から86年にかけての
計五年間で実に五曲の
トップ10ヒットを送り出し、


そのほかにも二曲が、
トップ20には食い込んでいる。

しかもこのうちには、
本邦ではたぶん超有名な

映画『ベスト・キッド』の主題歌
The Moments of Truthが
含まれてはいないのである。

むしろ個人的にはこの
The Moments of Truthの方が
あのEye of the Tigerよりも

頻繁に耳にしていたようにも
記憶していたのだけれど、


なるほどそうか、あの映画は
確かに日本向きであったと
いってしまっていいのかもしれない。

これもまたあるいは
釈迦に説法のレベルかも
しれないとは思うのだが、

この『ベスト・キッド』とは
空手がモチーフの
映画だったりするのである。


さて、この方々の代表曲は
なんといっても82年の、

映画『ロッキー3』の主題歌だった
Eye of the Tigerになる。

これは僕も今回裏取りをして
今更ながら
初めて知ったのではあるけれど、

同曲は主演のみならず
監督まで自身で務めていた
シルヴェスタ・スタローン自らが、

サヴァイヴァーを指名して、
制作を依頼したもの
だったのだそうである。

当時サヴァイヴァーは
すでに二枚のアルバムを
発表してこそいたけれど、

まあ売り上げ的には
相当の苦戦を強いられていた。


それでもようやく
セカンド・アルバムから
自身初のトップ40ヒットとなった、

Poor Man’s Sonなる曲がこの時
スタローンの耳に留まって、

上のような話が
飛び込んできたというのだから

最初からそれなりに立った
ある種の音の個性を

造り上げることには
十分成功していたのだと思われる。


そもそもこの
サヴァイヴァーなるグループ、
メンバーのほとんどが

結成以前にほかのバンドでの
レコーディング経験が
少なからずあったらしい。

スタジオ・ミュージシャンとは
いわないまでも、

なるほどそんな意味では
TOTOと比較できる
存在だったのかもしれない。

そしてそういう背景が
あったものだから、

ロック・シーンをなお
生き抜いこうとしている者たちとでも
いったような意味で、

このバンド名が
選ばれたということらしい。

しかしそれにしても
このロッキーの主題歌の
話を受けるのは

もちろんバンドにとって
これ以上はないチャンスだとは
たぶん全員が思っただろうが、

それでも同時に相当な
覚悟なり決意なりが
必要ではなかったろうかと思う。


多分誰も、あの当時、
数年前のシリーズの
最初の一本で流れていた

ビル・コンティーよる
あの『ロッキーのテーマ』以上に、

この作品のテーマに
ぴたりとはまる曲など、

有り得ないだろうと
思っていたのではあるまいか。

いやまあ実際は、
僕がそう思っていたというだけの
ことではあるっちゃあるのだけれど、


でも同意して下さる向きは
きっと少なくはないと思う。

だからまあ、やっぱり
Eye of the Tigerには
なんていえばいいんだろう、

目を見開かされるような思いを
あの頃の僕も抱いたのだと思う。

やればできるって
こういうことかな
みたいな感じである。

何よりもあの開幕直後の
鋭利なギターのパターンである。

十分に『ロッキーのテーマ』の
ファンファーレに拮抗する
仕上がりであるといっていいだろう。

なんでもバンドは同作品の
ラッシュか何かをまず貰って

それから曲作りに
取り組んだのだそうで、

もちろんタイトルからして
作中の決め台詞から採られている。

いや、それにしても本当まさに
ロッキーっぽいとしか
形容できないような曲である。


かくしてバンドは
スタローンの期待に
見事に応えたのみならず、

映画のヒットにも助けられ、
というよりはむしろ

曲の方が後押ししたと
いった方がいいのかもしれないが、

とにかくこのEye of the Tigerは
ついに六週の長きにわたって
ビルボードのトップに君臨する
超特大のヒットとなり、

さらには同年のアカデミーの
主題歌賞への
ノミネートまで果たすのである。


最もアカデミーの方は
あの『愛と青春の旅立ち』の前に
苦杯を舐めたらしいのだが。

そういえばあの曲も、
当時相当耳にしたものである。

さらについでに触れておくと、
スタローンは実は、
サヴァイヴァーに依頼する前には、

クィーン(♯33)の
Another One Bite the Dustを
使いたがっていたらしい。

まあ後出しだけれど、
こればかりは

断わられてよかったような気も、
ちょっとだけしないでもない。

このEye of the Tigerが
一時代を彩った
名曲の一つであることは、

たぶんもう断言して
大丈夫だろうと思うし、

そんな一連がなければ、
この曲が世界に
登場してくることも
なかったであろう訳だから。


さて、だけどまあ、それでもなお
今回の僕のチョイスは


このI Can’t Hold Backの
方になったりしてしまうのである。

こちらはやや下った
84年の作品になるのだが、

実はこの曲、
上のEye of the Tigerとは

ヴォーカリストが
変わってしまっている。

三枚のアルバムを
バンドと一緒に作った
デイヴ・ビックラーなる
リード・シンガーが、


何故だかEye of the Tigerの
ヒットの直後に
バンドを抜けてしまったのである。

当時はまあだから、
さほど詳しく調べることもせず、

ヒットに気をよくして
ついソロでやりたく
なっちゃったのかなあくらいに、
どこかで思っていたのだが、

どうやら原因は
咽喉の手術のためだったらしく、

むしろバンド側からの
解雇に近いような
実態だった模様である。

いや、失礼しましたという
感じなのだが
まあそれは措いておくとして、

新たにジミ・ジェイミソンなる
やはりこちらもすでに
ほかのバンドで活躍していた
ヴォーカリストに声をかけ、

このラインナップで
まず最初にリリースされたのが、

前の方で曲名だけ出した
The Moments of Truthだった。

こちらも映画の主題歌だったし、
上でも触れたように
当時も頻繁に耳にしていたので、


ああ、サヴァイヴァーは
ヴォーカル変わっても
健在なんだなあくらいに
個人的には思っていたのだけれど、

ところが実はこの曲、映画共々
アメリカ本国ではほとんど

大コケといっていいくらいの
成果しか上げられて
いなかった模様なのである。

だから84年にこの曲の
収録アルバムである
VITAL SIGNSが出た時は、

ある意味でバンドは
後がないような状況だったらしい。


妊娠兆候というのが
たぶんこの語の本義だと
思うのだけれど、

いや、元気な証拠って
今にしてみれば
意味深なタイトルにも読める。

そしてしかも実は、
リードオフ・シングルだったこの
I Can’t Hold Backは

惜しいところでトップ10入りを
逃してしまってもいたりする。

――最高位13位。

なんとも中途半端な位置である。
決して悪い曲ではないのだが。

しかし、ところがここから
彼らは実に粘るのである。

実際アルバム自体も
すごくいい出来だったことは
間違いはなかったのだけれど、

続いたセカンド・シングルの
High on Youが

I Can’t Hold Backでは
惜しくも手の届かなかった
トップ10入りを軽々と果たし、
最高位8位を記録したかと思うと、


その次に切られた
The Search Is Overが
今度はトップ3目前の

4位にまで上昇する
ヒットとなったのである。

だいたいアルバムからの
シングル・カットは

順を追うごとに
最高位も下がっていくのが
通例というか、普通だった。

だがこの一枚だけは、
ある意味では
まるっきり逆だった訳である。


いや、よくこんなこと
起きたよなあと、
改めてつくづく思ったもので、

今回はあんな
書き出しになってしまった。

いや本当、思い返せば最初から
その名が仄めかしていた通り
相当しぶとい人々だったらしい。


しかしながらバンドは
88年には今度は
ジェイミソンの脱退を受け、
ほぼ解散状態となってしまう。

90年代に入ってからはさらに
このジェイミソンが、
サヴァイヴァーの名前を使って

ツアーに出たり、あるいは
アルバムを発表したりもしてしまい、

お察しの通りこちらも
多少の訴訟沙汰になる。

そもそもこのサヴァイヴァー、
ベースとドラムを
あまり固定することができなくて、

80年代前半からすでにしばしば
メンバー・チェンジが
起きてもいたようで、

なるほどいわれてみれば、
どの曲もなんとなく


ドラムが野暮ったく響く
きらいはあるっちゃあるのだが、

まあそれはとにかく
だからこの時期に一方では

ギタリストと鍵盤奏者とが
それこそあのD.ビックラーを

もう一度迎えて
アルバムを作ったりもしていたらしい。

その後もまあ、いろいろと
すったもんだしたらしいのだが、


先頃13年になって今度は、
ビックラーとジェイミソンの

両方ともをシンガーとして
迎える形で再始動することが
バンドから発表されもした。

しかしながら翌14年八月に
ジェイミソンが急死を遂げて、

どうやらこの話は
それきりになってしまう。

ツイン・ヴォーカルでのステージが
たとえば一度でもどこかで
実現したのかどうかまでは、
今回はリサーチが届かなかった。

I Can’t Hold Backも
High on Youも
非常に好きな曲だったので、

これらを歌ったシンガーが
もうこの世にいないのだなと
思うことはやはり寂しい。

慎んで御冥福をお祈りする。


では小ネタに行く。

今回は久々にバンド名から。


結成当時全メンバーがすでに、
他のバンドでの
活動経歴があったものだから、

ロック界/音楽シーンを
生き残って来たものたちとでも
いった意味で

この名前がつけられたというのは、
まあ本編でも触れた通りである。

ところがよくよく調べてみると
実はこの単語の選択には
もう一つ意味があったのだそう。

1974年に、チェイスという
バンドを率いていた


ビル・チェイスという名前の
トランぺッターが

チャーター便の飛行機事故で
命を落としているのだけれど、

実はサヴァイヴァーの
いわば創設者の一人である

ジム・ピートリックなる
ギタリスト/キーボーディストが
当時このチェイスの信頼を得ていて、

曲の提供なりあるいは
ステージへのゲスト出演なりと
いった良好な関係もあり、

この時のミネソタでのステージへも
参加を打診されていたのだそうである。

スケジュールの調整がつかず、
ピートリックはこのオファーを
断わっていたらしいのだが、

もし受けていればおそらくは
同じチャーター便に乗って

現地へと移動していた
はずだったらしいのである。

この事故ではチェイス本人のほか、
二人のバンド・メンバーが
一緒に命を落としており、


結果としてスケジュールの
調整がつかなかったことが、

いわばピートリックを
生き残らせた訳で、

だからサヴァイヴァーの名前には
そんなある種の
自戒というか自虐というか、

そういった意味合いも
本当はなくは
なかったのだそうである。

でもそういうのはなんとなく
あまりよろしくないのでは
なかったのかなあと
正直思わないでもないのだが、


なんだかこの浮沈の激しい
バンドの歴史を
象徴するような話だなあと
ついつい思ってしまいもした。

ちなみにこのピートリックは、
世紀が変わる前にバンドを離れ、

その後はほぼ自分のバンドで
活動している模様。

今現在も存続している
サヴァイヴァーに名を連ねている
オリジナル・メンバーはだから、

フランキー・サリヴァンなる
ギタリスト唯一人の模様である。

当然のことだが、
Eye of the Tigerのあのギターは

もちろんこの
サリヴァンのプレイである。

だからたぶんこの人が
もっともっと派手だったら、

このバンドはあるいは
押しも押されぬ
ビッグ・ネームの一つに
なっていたのではなかったかと

まあそんなことを考えてしまった
今回のリサーチと記事であった。