ブログラジオ ♯172 Centerfold | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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J.ガイルズ・バンドである。

フリーズ・フレイム/J.ガイルズ・バンド

¥1,296
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81年から翌82年にかけて
おそらくは超を頭につけて
しかるべきような特大の

大ヒットとなったこのトラック、
邦題を『堕ちた天使』といった。

ちなみに原題のCenterfoldとは、
真ん中にたたまれているものの意で、

つまりは雑誌の大抵
中ほどの辺りに綴じられている

いわゆるグラビア・ページの
ことである。

では何故、そのグラビアが
天使なる語と結びつくのか。

その答えがこの曲のいわば
あまりに革新的とでもいおうか、

一筋縄では行かないというか、
あるいは
食えないとでもいうべきなのか

とにかくそういう、
燦然と輝くという言葉では
あまり表現したくない種類の、


爾来稀に見る
独創的な際立ち方の
秘密だったりするのである。

しかし本当にこれ改めて
相当上手い邦題だと思います。


さて、同バンドの結成は、
実に67年にまで遡る。

バンド名の示す通り、
ギタリストである
J.ガイルズを中心に、

徐々にメンバーが
集まっていった感じで


バンドの全体が
出来上がってきたらしい。

当初はガイルズがヴォーカルを
取っていた時期も
あったようでもあるのだけれど、

やがてシンガーの
ピーター・ウルフと

それから鍵盤の
セス・ジャストマンとが加わり、
ラインナップが整ったところで、

70年にアトランティックから
正式なデビューの
運びとなった模様である。

当初は真っ向から
ブルース・ロックを演る
バンドといった感じの
位置づけであったらしい。

だから、あのストーンズと
比較されるような場面も
少なからずあったようでもある。

まあ正直70年代の
細かなシーンの動向に関しては、

さほど詳しい訳でもないので、
全体にやや歯切れが
悪くなってしまってはいるのだが、

そこはご容赦いただくとして
とにかくだからこの


Centerfoldの大ヒットの段階で
すでにこのバンドは

10年以上のキャリアを誇る
いわば十分ベテランの域に
達したといえるような存在だった。

しかもこの時まで
一度のメンバー・チェンジすら
経験してはいなかった。

それにしても70年といえば、
ビートルズの解散の年である。

また74年頃には
ヴォーカルのピーター・ウルフが


女優のフェイ・ダナウェイと
結婚していたというのだから、
自ずと時代が
忍ばれてこようものである。

ちなみにこの
フェイ・ダナウェイとは、

『俺たちに明日はない』で
ボニー&クライドの片割れ
ボニーを演じていた方である。

いったいどんな縁が
この二人を結びつけたのか、

非常に興味はあったのだが、
今回のリサーチでは
詳しいことは出てこなかった。

いずれにせよバンドはだから
デビューからずっと

70年代のすべてとぴたりと重なる
十年もの長い時間にわたって、

アルバム・リリースが
滞ってしまうようなこともなく、

しかもツアーも
勢力的にこなしていたものだから、

実力と知名度とは
十分にあったといってよかった。


ただし、代表曲と呼べるような
シングル・ヒットに
恵まれていたかというと、

どうやら決してそうでもなかった。

74年にMust of God Lostという
六枚目のアルバムからのカットが
12位を記録してこそいるのだが、

そのほかにはどのシングルも
せいぜいギリギリ
トップ40に入るくらいの

小規模のヒットに
留まっていた模様である。


だから今回の
Centerfoldを含んだ

上にジャケットを掲げた
アルバムFREEZ-FRAMEは

彼らにとって実に
12枚目を数える作品だった。

80年代に入ってからは
二枚目の作品であった模様である。


さて、このCenterfoldだが、
とにもかくにも冒頭の

高音のユニゾンで繰り出されてくる
シンプルで強力なフレーズが、
一発で耳に残るパワーを有していた。

当時はラジオでも有線でも
この曲がかかってくれば、

二小節も聴かないうちから、
あ、またJ.ガイルズ・バンドの
あれだとわかったものである

このフレーズ、結構ストレートな
ロックンロールのラインだと
いってしまっていいだろう。

ほとんどサビと呼んでも
差し支えないような形で、


曲の一番いいところで、
ハーモニカなり口笛なり

あるいはギターなりでも
再び繰り返されてくる。

ただし、ヴォーカルがこれを
なぞってくる箇所はすべて

スキャットともいえない、
NAの音ばかりで処理されている。

なるほど比較すれば
ストーンズのMiss Youの
あの箇所なんかと、


どこか手触りは
似ているのかもしれない。

まあ最近ミックは、
時々あそこにリリクスを
載せたりもしているようだが、

やっぱり何らかの
言葉を載せてしまうには、

あのラインの上下動は
些か激し過ぎるといえよう。

まあそういう訳で
このラインが
あまりに決まっているものだから、

曲の全体も
たぶん彼ららしいといっていい
極めてストレートな

ロックンロールの手触りを
標榜する結果となっている。

明るく軽い、正当な
アメリカン・ロックである。

しかしながら問題は、というか
極めて独創的といっていいのは、

そこに載せられてきている
リリクスの内容なのである。


さてこのあたりでいよいよ
グラビアページの意味が
登場してくることになる。

歌い出しはこんな感じになっている。


あの娘歩くかな? 喋るかな?
いつもみたいに完璧な姿で
現れてくれるのだろうか

クラスの天使はいつだって
そんな具合に僕の腰を
椅子から浮かせてしまったものだった――


ピーター・ウルフの独特の歌唱が
まず繰り出してくるのは
すなわち学校の景色の描写である。


上手いなと思うのは、最初の二行を
いわば描出話法的に
現在形で押し通している点であろう。

そして歌はこのまんま、
あの娘は雪みたいに純粋でさ、
みたいな感じで
学生時代の描写を続けるのだけれど、

ところがブリッジに入った途端、
スケールもマイナーへとチェンジし、

年月に過ぎたことが唐突に語られ、
雑誌をめくっていた話者=主人公が

いきなりそこに彼女の写真を
見つけてしまったという内容が
導入されてくるのである。

おそらくは男性向けの
週刊誌の類であったはずである。

かくして彼はこう述懐する。

My blood runs cold――

いや、確かに、ロックに限らず
よく使われるフレーズなのだが、

こんな場面で登場してきた例は
ほかに目にした試しがない。


そうなのである。

この歌の情景というのは、
学生時代、それもたぶん
中学くらいに憧れていた相手が、

雑誌のヌード・グラビアに
登場しているのを、

コンビニ的な店で
立ち読みしていて
見つけてしまうという、

たぶんそれなりにきついのだけれど
どうにもコミカルな印象を
拭いきれない種類の場面なのである。


念のためだがこの時の彼女の姿は
歌詞を読む限りでは、

ネグリジェ一枚といった程度では
あったらしいのではあるのだが。

しかしそれにしても
はっきりいってこんな心情を

メインのモチーフに
据えて成立した音楽は

古今東西どこを探しても
見つからないのではなかろうか。

たとえば、
たとえ離れていてもいつまでも
気持ちは変わらないとか、

あるいは
生きていることはそれだけで
十分に意味があることなんだ、とか

そんな感じに要約できてしまう
ポップ・ミュージックというのは
それこそ数え切れないはずである。

だがしかし、この曲のキモを
もし日本語で記述するとしたら
たぶんこんな感じになるだろう。

うわ、やべ、俺これ絶対買っちまう。


まあ、歌の最後に
彼自身もそういっているのだが。

だから、そういうことなのである。

歌の間中、この彼はたぶん
店の雑誌売り場の前から
一歩たりとて動いてはいない。

つまり三分半という時間の中で
しかもP.ウルフ独特の
音数の多いヴォーカル・スタイルで
延々と繰り広げられているのは、

主人公の回想とそれから
ほとんど妄想だけなのである。


いや、改めてすごい歌だわ。

ほかに言葉が出てこないや。

しかもまたこの曲のビデオが
歌詞の内容をある意味忠実に
再現してもいたりするのである。

どうやら同曲のヒットには
この映像が相当の
貢献をしていた模様でもあるのだが。

おそらくはあのThrillerが
まずは切り拓いた

当時の流行を反映しての
演出だったのだろうけれど、

本作にもまた、女性ダンサーたちが
数多く登場してきて、
画面を華やかに彩っている。

彼女たちがだから、歌詞の通りに
白いブラウスに赤のリボンタイ、
下はチェックのスカートみたいな感じの

学生然とした出で立ちで
登場してきたかと思うと、

問題のネグリジェ姿はもちろん、
ウルフが曲中で
セーターにも言及すれば
その格好になったりする訳である。


実際この時、同ビデオの撮影は
中学だか高校だかの
本物の教室で行われたそうで、

そしてこのダンサーたちは、
ロケ現場にほど近い、
ダンス・スクールの
学生さんだったのだそう。

演出なのかそうでないのかまでは
さすがに定かではないのだが、

この彼女たちの群舞も
MJ(♯143)やあるいは
マドンナ(♯141)辺りの

同時期の映像作品のように
きっちりと決めるつもりなど
どうやらさらさらなかった様子で、


むしろどの動きも
ぎこちないといった形容の方が
より相応しい感じで、

その点もまた曲の内容に
極めて相応しい種類の
ノスタルジーを誘ってくるのである。

途中でネグリジェ姿のまま
オチャラカとか始めるし。

それからこの内容はやや
下世話に過ぎるかもしれないが、

後半の短いブレイクの直後
飛び込んでくるスネアの表面が

映像では何故か、
牛乳になってしまっているのは、

まあ九分九厘そういった
仄めかしであるのに違いない。

だから、やっぱり
買っちゃったってことですね。

いや、こういうのを
いうだけ野暮という訳ですが。

ある意味ぎりぎりですね。


さて、かくしてこのCenterfoldは
計六週という長きにわたって
ビルボードのトップに君臨し、

押しも押されぬ彼らの
代表曲となったのである。

ただ、それがバンドにとって
本当に幸運だったのかどうかは
正直疑問符をつけざるを得ない。

というのもこのアルバムの後、
不動のラインナップを
誇っていたといっていいこの六人から、

よりによってフロントの
ピーター・ウルフが
脱退してしまったからである。


詳しい経緯はわからない。

でもソロ作品を聴く限り、
別にJガイルズでやっても、
全然いい種類の音楽じゃないかと

僕でもそんなふうに感じたことは、
そこはかとなく記憶している。

パフォーマンスのスタイルは
まったくそのままだったから。


あとついでながら僕にとって
このJ.ガイルズ・バンドが
特別に印象深い存在であるのは、

あの『ダンス天国』を
生まれて初めて耳にしたのが

彼らのヴァージョンに
よってだったことである。

これもまたスキャットというか
歌詞のないラインが
極めて印象的なトラックで、

わかる人にはわかるだろうと信じて
もう文字にして書いてしまうが、

ナーナナナナー
ナナナナーナナナーナナナー
ナナナナーってやつである。


たぶん聴けばすぐわかる。

原曲はウィルソン・ピケットだと
この前までずっと思っていたのだけれど、

実はクリス・ケナーという方が
62年に発表したものが
オリジナルなのだそうで、

しかもその後65年に
カンニバル&ザ・ヘッドハンターズなる
メキシコ系のグループが、

あのナナナナーの箇所を
付け加えて完成したのだそうである。


いや、いろんな歴史が
思わぬところに
見つかってきたりするものである。


ではそろそろ締めの小ネタ。

でも今回はなんだかちょっと
文字にしてしまうのがやや寂しい。

上でも触れたように
ピーター・ウルフの脱退を受けた
残りのメンバーは、

そのままの編成で一枚だけ
アルバムを発表するものの

以降はほとんど解散に近い
状態に追い込まれてしまっていた。

その後十年余りの時を経て、
99年頃から散発的に
再結成といっていいのか、

またメンバーのほぼ全員が揃って
ステージに立つことを
繰り返してきてはいた
様子だったのではあるのだけれど、

ところが12年前後に、
よりによってJガイルズ本人が

参加しない状態でのツアーが
この名前のまま実施され、


これが結局ガイルズ側からの
訴訟という事態にまで至ってしまい、

そのまま今度はガイルズ本人が
ほぼ脱退という形に
なってしまっている模様である。

自分の名前を冠した
自分のいないバンドというのは

本人にしてみれば
相当居心地の悪いものだろうとは
それはさすがにそう思うのだが、

でもウルフやセスの側からすれば
自分たちの名前はやっぱり
これしか有り得ないだろう。


何故ガイルズがその時の
ツアーに参加しなかったのか、

あるいは健康上の
問題だったのかどうかも

今回は十分なリサーチが
できないままではいるのだけれど、

いずれにせよなんだかやっぱり
ちょっとやるせない話である。

いやまったく、いろんなところに
いろんな物語があるものである。