ブログラジオ ♯154 Any Way You Want It | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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今週はジャーニーである。
二月に来日するそうで。

エッセンシャル・ジャーニー/ジャーニー

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さて、あの当時はこの方々
前々回のTOTO(♯152)と
一緒に括られるような形で

産業ロックなんて、
決して喜ばしくはない形容を
されていたりもしたものだが、

それでもあの頃、つまり
80年代初頭という時代において、

第二次の進行を粛々と開始した
イギリス勢の圧力の中で、

ヴァン・ヘイレン(♯136)と並んで、
果敢に気を吐いていた

数少ないバンドの一つで
あったことは
たぶん断言して間違いがない。

ポップでメロディアスな
ハード・ロックという形容が

たぶん彼らの音には
一番相応しいのでは
ないかとも思うのだが、

確か昨年映画の方で
『アナ雪』(→こちら)に触れた際、


少しだけこのバンドにも
言及していたのでは
なかったかろうかと思われる。

あのLet it Goを耳にして
一番最初に浮かんできたのは、
実は彼らのサウンドだった。

単純に縦ノリと表現したら
少なからずどころでなく
語弊があるとは思うのだけれど、

アップテンポで同時にどこか
アンセムチックな
ナンバーをやらせれば、

彼らの右に出るものは
なかなか見つかって
来ないのではないかと思う。


いわばシンプルに爽快なのである。

とにかくスティーヴ・ペリーなる
往事のこのジャーニーを支えた
類い稀なるシンガーの

どこまでも伸びていくような
ヴォーカルが

どのトラックでも
最初から最後まで全編を牽引し
疾走していく感じだった。

思えばロゴやアルバムの
アートワークに
一貫して用いられていた

下世話ギリギリに派手で
宇宙的なイメージ戦略も

音楽と微妙にぶれているようで
それでもやっぱり似つかわしくて
なんだかとても独特だった。

一時代を築いたことも
十分に頷ける存在だと思う。


さて、このジャーニーだけれど、
ニール・ショーンという
ギタリストを中心としたというか、

実体は今も変わらず
基本彼のためのバンドだと
いってしまっていいと思う。


このショーン、10代にして
すでに天才の名をほしいままにし、
サンタナのバンドにも参加して、

ソロを任されているくらいの
突出した存在だった。

このショーンの才能に
いわば心底惚れ込んだのが、

当時のサンタナの
ロード・マネージャーを
努めていた人物である。

このハーバートという男が
ショーンのために集めた面々が、


やがてジャーニーなる
形へとなっていったというのが、

いわばバンドが成立した
そもそもの背景のようなものである。

従って、そこにはたぶん、
ショーンのギターと
十分に拮抗できるだけの

テクニックの持ち主で
なければならないといった判断基準が
あったであろうことは明白で、

そういう意味では、
なるほどTOTOの成立と
似ていなくもない気もする。


さて、当初はこの
いわば初期ジャーニーは

アメリカン・プログレとでも
呼ぶべき感じの

インストゥルメンタル・ナンバーを
中心とした方向性を
模索していたらしいのだが、

セールス的には残念ながら
少なからぬ苦戦を
強いられてしまってはいたらしい。

ただこの時期のトラックは、
僕は今なお耳にしてはいないので、
コメントする資格がまるでない。


いずれにせよ
これらが大体74年から
77年頃にかけての出来事である。

そしてこの77年に、
バンドは大きく舵を切る。

編成に専任ヴォーカリストを
加えることを決めるのである。

この時もまた、先述の
ハーバートなる人物が
相当骨を折っている模様で、

そしてもちろん
ここで登場してくるのが
スティーヴ・ペリーなのである。


このペリーは、サム・クックに憧れて、
シンガーになることを
目指していた少年だったのだそうで、

同時期にはもうあるバンドでの
レコード・デビューが
一旦は決まりかけていたものの、

事態がまさに動き始める直前に
ベーシストが事故死してしまい、

ペリーはそこで一旦、
プロとしてのキャリアを
ほぼ諦めてしまっていたらしい。

ところが彼の歌唱を
収録したデモ・テープが、

偶然にも先述の
マネージャーの耳に
留まるところと相成って、

初代のヴォーカリストと
交代するような形で、

ジャーニーへの参加が
決まったのだということである。

あるいはこの選択にも、
先のハーバートという方の

審美眼みたいなものが、
大きく働いていたのかもしれない。


ペリーの声量と音域とは
なるほど十分に
ショーンのギターとも
堂々と渡り合うのである。

そしてこのペリーの加入後すぐ、
Wheel in the Skyや

あるいは今回のチョイスである
Any Way You Want Itなどの
スマッシュ・ヒットが出始めて、

かくしてバンドは、
81年の大ブレイク作
ESCAPEへと向け、

順調に布石を
打ち始めていったのである。


ちなみにこの時期の重要な楽曲は
ほぼショーンとペリーの
共作としてクレジットされているから、

その意味でもペリーの加入は、
相当大きかったのだろうと思う。


さて、80年前後に起きた
キーボーディストである
ジョナサン・ケインの
ジャーニーへの加入については、

ジョン・ウェイト(♯87)を扱った際に
少なからず触れてもいるのだが、

一応おさらい的に
改めて多少記しておくと、

ベイビーズというイギリスのバンドが、
確か北米地域でのツアーで、
このジャーニーの前座を務めたことがあり、

その際にショーン以下のメンバーが、
ケインの才能を高く評価し、

前任の鍵盤奏者が、
すでに脱退の意向を
明らかにしていたこともあって、

引き抜きのような形での
バンドへの参加が決まっている。

ところがこのケイン実は、
そもそもはシカゴの生まれだそうで、


むしろイギリスのバンドに
メンバーとして

名前を連ねていたことの方が
逆に不思議でもあるのだが、

あるいはハート(♯145)の
結成メンバーが
隣国カナダに突破口を求めたように、

アメリカのレコード会社よりも、
イギリスのマーケットでの方が、

自分のやりたい新しい種類の音楽が
できるのかもしれないとでもいった、
そういう希望があったのかもしれない。


そして結果としてみれば、
このケインの加入が、

あのESCAPEの怪物級の
ヒットへと結実する訳である。

あるいは時代とジャーニーの音楽を
密接に結びつけたのは

実はこのケインだったのかもしれない。
それくらいにも思われてくる。

彼のプレイ・スタイルによって、
ジャーニーの楽曲群が、

極めてドラマチックな仕上がりに
なって行くようになったことは

同作の代表曲である
Don’t Stop Believein’や
あるいはOpen Arms、

もしくは次作FRONTIERSの
リーディング・トラックである
Separate Waysなどを

改めて引き合いに出すまでもなく
十分明らかなのではないかと思う。

三位一体というと大袈裟だが、
だからショーンのギターと、
ペリーのヴォーカル、


そしてケインの鍵盤とが
巧妙に絡み合い
互いを引き立て合うことで、

ある意味80年代の
アメリカン・ロック・シーンの
一つの指標ともなったともいえる、

ジャーニーのサウンドが
ついに完成したのだと思う。

もちろんこういう高音部が
遠慮なく暴れられるのは、

ベースとドラムのリズム隊が
しっかりしていればこその話で、


その意味でもこのジャーニーの
保持していたアプローチは、

基本やはりあのTOTOと
共通するものがあったのだと
いってしまっていいのかもしれない。

まあざっくばらんにいえば、
時代の音だったという訳である。


その後の83年のFRONTIERSもまた、
MJ(♯143)のスリラーに

ついに最後まで一位獲得を
阻まれこそしているけれど

空前といっていいレベルの
大ヒットとなっているし、

84年にはペリーのソロ作品が登場し、
翌年そのペリーは単独で、

あのUSAフォー・アフリカに
参加するなどもしたりして、

なんとなく軋みのようなものを
そこはかとなく感じさせつつも、

80年代の前半を通じて、
このジャーニーというバンドの存在は
シーンの中心に居続けたといえる。



少なからずややこしいいい方に
なってしまいはするのだけれど、

最初の解散前の
最後の作品となった
86年のRAISED ON RADIOでは

メンバーとしてクレジットされるのが、
ショーンとペリー、そしてケインの
三人きりとなってしまっていた。

そしてこの作品からちょうど十年間、
ジャーニーはついに
活動休止状態へと突入してしまう。

この間にケインとショーンとは
それこそケインのかつての盟友である


ジョン・ウェイトを
リード・シンガーに迎えた

バッド・イングリッシュなる
バンドを立ち上げて、

全米トップにまで昇り詰める
When I See Your Smileなる

シングル・ヒットを
放ってもいたりするのだけれど、

まあこのグループは短命で
消えてしまったようではある。

今になってみれば実は、
ショーンがウェイトに
借りを返すような意味も

多少はあったのだろうかと、
ちょっとだけ思わないでもない。

そして残念ながら
スティーヴ・ペリーと
ジャーニーとの関係は

今現在ではほぼ
修復不可能といっていいくらいに
決裂してしまっているらしい。

ちらちらとウェブ上で
拾える情報からわかる限りでは、


96年に再結成を果たし、
アルバムを発表こそするのだが、

同作に伴うツアーの際に、
深刻な体調不良のため
ペリーの側から何度か

日程の順延を申し入れたという
経緯があったらしいのである。

しかしながら結局は
他のメンバーたちが焦れて、

速やかな手術かあるいは
代理のシンガーを立てての
ツアーを容認するか、みたいな


二択を迫ってしまったらしい。

いや、これは怒るよなあ。

当然ながら交渉は決裂し、
以来ペリーはほとんど

マスコミなどに登場することさえ
せずにいたらしいのだけれど、

近年20年振りに
ソロ・アルバムを完成させる
予定であると
アナウンスしているようではある。


一方その後のジャーニーは
それでも瓦解してしまうことはなく、

まずはタイケットなるバンドの
以前のヴォーカリストを

リード・シンガーに迎えて
活動したりもしていたようだが、

現在はアーネル・ピネダなる
フィリピン出身のヴォーカリストが
フロントを努めている模様である。

ちなみにこの方そもそも本国で、
ZOOなるバンドを組んで、


それこそこのジャーニーの
コピーをやっていたらしいのだが、

その動画がまさに
ショーンその人の目に留まり、

スカウトされて
ジャーニーに加入したのだという。

割とこの辺り、
かつてのペリーや
ケイン加入の経緯を
思い出させてくるものがある。

ショーンなのかそれとも
マネージメントなのかは
さすがに断定はできないが、


相変わらずなんというか、
強引な印象である。

まあでも、そういうある種、
ゴーイング・マイ・ウェイと
いってしまってもかまわないような

バンド・サウンドの完成への欲求に
ある種妥協や遠慮がないところも、

このニール・ショーンという人が
類い稀なミュージシャンであることの

その証左の一つとして
数えるべきであることは
たぶん間違いないのではないかと思う。


さて、今回のピック・アップである
Any Way You Want Itなる曲は

ジャーニーのいわば最初の出世作で、
ペリー加入後、ケイン加入直前に当たる

80年のアルバム
DEPARTUREからの
スマッシュ・ヒット・ナンバーである。

だから今回ジャケ写が
ESCAPEでも
あるいはFRONTIERSでも

なくなってしまったのは、
このチョイスの故である。


ジャーニーのサウンドとしては
やはりこの二枚が
頭一つではなく抜けているので、

これから手に取られる方は
このどちらかが
やはりいいのではないかとは思うのだが、

まあでも曲単位ではやっぱりこれなので。

さて、このAny Way You Want It、
あるいは「お気に召すまま」の
邦題の方が今もなお
通りがいいのかもしれないが、

一時期は朝の情報番組の
オープニングに
使用されていたりもしたので、


耳にすれば、ああ、あれかと
思い当たる方も
少なくはないのではないかと思われる。

いってしまえば極めてシンプルで
タイトなロックンロール・ナンバーで、
聴けばいつも元気にしてもらえる、

そういうタイプのトラックである。

ちょっと素っ頓狂なくらいの
わかりやすいギターのリフと、

後半になればなるほど
否が応にも伸びていく
ペリーのヴォーカルが、

まさにこれぞジャーニーと
でもいったような感じである。

たぶん彼らのベスト・トラックの位置は
揺るがないのではないかと思う。

バラードならば確かに
マライア・キャリーもカヴァーした
Open Armsになるのかもしれないが、

今なお僕にとっては
ジャーニーといえばこれなのである。


では今回の小ネタにいく。


実はこのジャーニーは
ちょっと違った意味でも、

僕としては個人的に
非常に特別なバンドだったりする。

いつだったかもちらっとここで
書いてしまっているとは思うのだが、

何を隠そう高校の頃、
彼らのコピー・バンドに
参加していたことがあるのである。

だからまあここから先は、
年寄りの昔話みたいなものなので、


適度に眉に唾でもつけながら、
読み流していただければという
レベルでしかないネタである。

この時僕は生まれて初めて、
いってしまえば
一夏をかけて準備して、

一応舞台の上で
ドラムを叩くという経験をした。

今回のAny Way You Want Itと
それからWheel in the Sky、

それにDon’t Stop Believin’と
Escapeの四曲をコピーしたはずである。

でも四曲で30分はもたないから
あと一、二曲は何か

やったのではなかったかなとも
思わないでもなかったのだが、

ほか何やったんだっけ。

今回テキスト書きながら
必死に思いだそうとしたのだけれど、

ついに自分の記憶に確信を
持てるまでには至らなかった。


いやつくづく、人というのは
忘れていく生き物だよなと思ったり。

まあ言い訳でしかない訳だが。

とにかくまあ、それでその時に
一番気持ちよく叩けたのが、

このAny Way You Want It
だったという次第で、
今なお一番のお気に入りなのである。

だってねえ、Escapeとか
Don’t Stop Believin’とか、
相当面倒臭い
フィル・インの使い方してるんだよ。


この二曲は覚えるだけで
大変だった記憶しかない。

ちなみに僕はどうやら
走るタイプのドラマーでした。

ステュワート・コープランドと
一緒ですなんていったら
怒られてしまいかねないけれど。

いずれにせよもう
30年以上も昔の話ですから、
そこは御寛容賜りたく。

大体スティックですら、
もう20数年触っていない。

でもこういう思い出があるってのは
やっぱりいいことだよなあ、と

この年になると改めて
つくづく思ったりするこの頃です。


だからまあ、今度の来日も
シンガーがペリーであれば
たぶん即断だったと思うのだけれど、

今に至ってもなお
なかなか踏ん切りが
つけられないままでいる。

でもニール・ショーンを
間近で見られる機会も
今後そうあるとも思えないし、


そのショーン本人が気に入って
わざわざフィリピンから
バンドに迎えたのだから、

ピネダなるシンガーも
たぶん彼らの楽曲の
あの音域の広い旋律を

きっちりと歌いこなせるだけの
シンガーであることは
たぶん間違いないのだろう。

――どうしようかなあ。

でも、それでもやはりなお
僕としてはまだ、
あの頃のジャーニーの楽曲群は、


当時それこそ飽きるほど
繰り返し聴いたが故にこそ、

やっぱりペリーのヴォーカルで
耳にしたいと思うのである。

それ以外を聴いてしまうことが、
怖いというか、
非常に失敬なような気持ちになる。

もちろんあの時代を
知っている人は
皆そうだろうとは思うのだけれど。


でも本当、いつかいつかと
いっているうちに

二度と実現不可能な状態に
なってしまうようなことが、

簡単に起きてくる時期に
もう手が届きつつあるのだから、

是非ペリーもそれから、
ショーンとケインの側も

どうにか歩み寄って
もらえないものかなあと、

そんなふうに思う毎日である。


だってあの
ハロウィン(♯117)にだって、

ハンセンとキスクが
復帰したりするんだからと思うと、

ちょっとだけ期待したくなるよね。


レオン・ラッセルの直後には
あのレナード・コーエンまで
鬼籍に入られてしまわれたのだそうで。

いや、この辺りはさすがに二人とも
もう相当の御歳ではあった訳で、
それもわかってはいたのだけれど、


なんかもう、
今年は言葉がありません。