『ADHDから見たADHDの人』
今日は厨房の女性と二人きりで仕事をした。その女性は、とてもバタバタしていて、私から見て、ADHDか、それに近い何かの人だった。目の前の一つの仕事をこなすのにも、意識があっちこっち飛びまくってて机が散らかっていくばかりで何一つ進まない私は「大丈夫です」「深呼吸しましょう」「焦らず目の前の事を一つ一つやりましょう」「私も焦りやすいから分かりますよ」と、ゆっくり声をかけてみたけど(普段、自分にかけてる声掛け)「はい!はい!」って返事をされて、更に力んでいくのが見て取れた。なんとなく分かる。多分、「大丈夫ですよ」も彼女の耳には「ミスをするな」に聞こえている。もしくは届いていない。私がそうだから。私が目の前の人の状態から今の仕事の姿勢になるまで色んな考え方やモノの見方の修正をしてきてるのでどれを伝えたら良いか、と一瞬、考えたけどそれは、聞かれるまでは答えちゃいけないような事だな、と思った。なので、私がこの状態の時、どんな風にして欲しいか考えた。どんな風にしたら混乱が減るか。今私ができる事は彼女が混乱しないように一つ一つ、順番にタスクを渡していくこと。(そのぶん私が処理する内容が増えるけど)そして少しでも緩んでもらうことだ。緩んでもらうには、私が緩んでいる必要がある。だから、落ち着いて、ゆっくりした。そんな時に、イレギュラーが起きた。私しか対応できる人がいない。イレギュラーに少し焦り出す自分をメタ認知して、あえてストレッチしたり「どうしたもんかな〜」と緩く独り言を言ったりして余裕の状態にした。必ず最善の道があるのでその最善を探して動いた。自分にも抜けがないか、確認もし続けた。(監視ではなく確認。このニュアンス大事)ADHDの人と、多分ADHDの人しかいないフロアで、どうにか仕事を一山越えた。私は客観的に見て優しかったと思う。だけど彼女のために優しかったのではなくて、自分のためだ。【定時までに帰りたい。】【いま目の前にある状況を、そつなくこなして疲れないようにしたい。】【トラブルは未然に防いでダメージのリスクを減らしたい】【自分に誇りを持ちたい】【あとあと楽になるように、混乱しないように、先に処理できることは処理しときたい】【気持ちよく仕事したい】全部自分のためだ。自分が仕事の抜けを沢山だした時の、ダメージを知ってるからだ。全部自分のためだけど、それでも優しくあれたと思う。こんなにも落ち着いて仕事をさせてもらえた事、人に合わせることができたことが嬉しい。「ありがとうございました」と言われた時にちゃんと私も「ありがとうございました」と思えた。ほんの10%くらいは「チクショウ焦ったじゃんか!」という気持ちもあったけど、それも人間らしくてよかろう。残りの90%はやっぱり「気持ちよく仕事させてくれてありがとう」なので。優しさの循環ってこういうことで良いのではないか。