今日はちょっと重ためな感じのこと書きます
その前に!!
週末に美味しいものを食べると
幸せってすぐそこにあるんだな、て思う!!
スモークサーモンのガレット
コロンビア産カカオ70%のアイスショコラショー
どっちも美味しかったぁ
下の本↓↓↓に書いてあった、「食べることでエネルギーを上げる」という概念を得て
めっちゃ味わうことに集中したら幸せになったのでした
では、ここから先は重たいの 笑
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今、通っているサロンさんで教えてもらった本を読んでます
私の家族の話をしたときに
「自分が、自分の家族のもとに生まれた意味とか、
もしかしたら分かることがあるかも」って。
中盤にさしかかり
両親が成し遂げられなかった、人生をよりよく生きることを
自分が受け継いで統合していくことが自分の生きる使命であるような
感じの事が書いてありました。
うちは両親は早いうちに亡くなり。
母へのわだかまりは、多分ない。愛してくれたし良い関係だったと思う。
強いて言うならもっと人を頼って弱音吐いた方がよかったな…
父は私が12歳の時に亡くなってて、12歳ならそれなりに記憶がありそうなものなのに
父と過ごした記憶を、ほとんど思い出せない。別に単身赴任してたとかそんな事情もなく
毎日同じ家に過ごしたはずなんだけど。あまり喋らない人だった、かな…??
父が亡くなった日のことは覚えている。朝起きたら父がまだ寝たままで
私が学校から帰ってきたら母から「亡くなった」と聞かされた。
私は、悲しいと思わなかった。泣かなかった。悲しいってどういうことなのか分からなかった。
好きとか嫌いも良く分からなかった。
今日、本を読んで父の記憶に集中していたら
ふと、小さい頃に父に可愛がってもらっていた事が頭に浮かんだ。
父は己のヒゲを私の顔にうりうりとこすりつけて私が嫌がるのを笑っていた。
父は私にディズニープリンセスの映画を良く買ってきてくれていた。よくいる普通のお父さんだった。
それで気付いた。私は父の死に「悲しい」と感じることを、閉じていた。
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子供のころ、母が外出しているとき、もし母が帰って来なかったらと急に不安になり
帰ってきた時に私が泣いたことがある。
母が亡くなった年、なぜか「いつ自分が死んでしまうか分からないんだから」という発言が多くなり
亡くなった日、なぜかご馳走を作っていて、なぜかを聞いても「うーん…」という返事で、その後、急死した。
脳血管系なので、自覚したり予知できるようなものではなかった。
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私は大事な人はみんな自分の元からいなくなってしまう、という
なんだか良く分からない根本的な恐怖を持っている。
父があの年で亡くなることも、母があの年で亡くなることも、先に決まっていて、
私はもともと、感情を感じにくいように閉じていたのではないだろうか、と今日思った。
なので、少ないながら、父から受けた愛情の記憶を探り出して、
自分に「悲しい」と思うことを、心を開いて、許してみた。涙が出た。
母が亡くなった時も悲しいとは感じていなかったので
それを悲しい、と感じるのは去年末くらいかな、amicalして体から出てきて、もう完了してたので
父のほうは、今日やっと向き合えたのだと思う。
軽くなった…とかっていうよりは…
心に体温が宿った感じがします。
依存や自己憐憫の投影ではない、本当に人を大事にして愛していくことをするために
必要な過程だったんじゃないかって気がする。父と母の、観念とか私との関係性というより、
「死」という記号と、それと私が向き合えるようになること、
私があの家に生まれた意味だったんじゃないかなぁ…
人として、人らしく、心を開花させていくこと…