入院~一方日本では?~ | 白血病だって100まで生きてやる。

白血病だって100まで生きてやる。

21歳で慢性骨髄性白血病と診断され、2年以内に分子遺伝的寛解達成!
留学先で風邪で入院し、採血したらまさかの白血球26倍(26万個)。
すぐにマルク(骨髄穿刺)でその日のうちにたった一人で外国語で病名告知されました。

これまでのわたしは


留学

風邪かも→医者1回目→悪化→医者2回目→入院

採血→白血球おかしい→転院→白血球26万個発覚→白血病の疑い

骨髄穿刺(マルク)→慢性骨髄性の白血病の疑い→白血球を下げる日々

やっぱり慢性骨髄性白血病でした→まじですか→退院だね→まじですか


でした。


病院側は、早く家族が迎えに来て、できるだけ早く日本へ…

と思っていたようですが、


この記事

入院中~ありえねー海外の入院部屋編~

で少し、一方日本(大学・実家)では?と書きましたが…


まず、家族は入院した時点で大パニック。

更に今すぐこちらへきてください!と言われ超大パニック。

更に更に「娘さんは白血病の疑いが…」で母倒れる。

更に更に…


と、

今回はその続きです。

時系列どおりに書きます。


目次の記事は向こうでの私の記事に飛びます。


◎私→月曜・マルク のとき◎



向こうの朝、日本は夕方?

マルクの際、怖くて国際電話する。


その後のお母さん(を始めとする実家)は、

私が泣きながらパニックだったため、

結局なんの検査?骨髄ってどこ?それで何が分かるの?

という感じだったらしい。


母親は怖くて、何も調べられなかったらしい。

更に、倒れる寸前だったため、妹が大学の授業放棄(?)して、

実家に帰ってきたのもこのころらしい。


そして私の大学もまた、えええ?!?という状況になっていた。

送り出すときの私は、ウキウキわくわく、元気いっぱいだったから、

こんな展開に(それも留学に送り出してすぐ)なるなんて、思いもしなかったそうだ。

↑これは私も家族もみんなそう思った。


私の妹や親父は、完全に誤診だと思っていたらしいし、

(この二人は今でも私のことは普通の扱い…←)


私にも

「白血球って、風邪引いたりしたら一時的に増えるかもしれないんだってさ」

って言ってました。


このときまだ私は自分の白血球が1万とか2万じゃなく、

通常の26倍、26万個あるなんて知らなかったので…


多いっちゅーてもちょっとやろ?

やっぱひっどい風邪ひいてたんや…と思ってましたし、

家族や大学側・友達もそう思ってたみたいです。


まだ"白血病の疑いがある"と思ってたのは、

日本人医師、最初に入院した病院、転院した病院の人間だけ…


ちなみに私は「血液の病気かも」といわれてましたし、

家族は「ひっどい風邪引いたで血液もおかしくなってもーたんや」程度でした。


結局、家族はいつ白血球が26万個あるって知ったのかな。

多分、火曜・水曜あたり、保険会社or日本人医師or通訳さんからだと思われる。


更に午後、



◎私→月曜・CMLの疑い診断 のとき◎



またこのとき、国際電話でお母さんにかけた。

私は、パニック度が


私>>>>>>>>>>母


だと思っていたが、

妹によると、本当に倒れるところだったらしく、確実に母のほうがパニックだったみたいだ。


そのまま母&妹は病気について調べることもできず。


そして、父親が調べたら、

慢性骨髄性白血病は、45-55歳のかたが多いと知り、

違うんじゃないか?

それか全く違う病気か?

違うタイプの白血病か?


結局実家は大パニックだったらしい。


更に、医者たちが、

「早急にこちらへ来てください」

と言ったため、


え?


海外GO!?


無理だよそんな急に!


と…

実はそのときはまだ、父親も仕事をしており。


そして母親もパートに出ていて、

更に…妹(都内の大学生)まで?


私は母親onlyでよかったのですが、


母親…今にも倒れそう、外国語何もできない、外国ハワイしか行ったことない


となると


父親…私の病気など全く気にしていない、アフリカに住んでいた経験アリ、そういうことに慣れている


がプラスされ

さらに


妹…なぜかついていく


ことになり…


結局、家族全員来ることに。(そんなにみんないらんて…)



けれど、お金のことでなかなかすぐにはこれない…


となったのだが、保険会社から渡航費が出ることに。


でも私の病気が確実に診断されないと、動けず…

更に、航空券の空きがない

などなど…


私は海外で入院→白血病宣告で、精神ぶっ壊れそうだったので、

ずーっと早く来て!!って思ってました。

(いや、実際かかってしまうんですよね。時間。)


そういえば、周りの入院患者さんの家族が見舞いにきたり、

周りから「いつパパとマミーはくるのか」とか聞かれると辛かったな。


特に、ナースと同じ部屋のおばさんズには


「仕事なんか関係ない。家族がこんな状態ならなぜすぐに来ない。保険など関係ない。普通は自分のお金でも、真っ先に会いに来ることを考える」


と言われ…


まあ、それが彼らの常識なんでしょうが

(キリスト教なのか文化なのか)


いやいや、まず日本島国だし

(飛行機とか船でしか外国行けないし)

どこの国へ行くのも近くはないし、

…というのも、

家族みんなパスポートを持っていなかったので。←致命的…


私だってすぐ来て欲しいけど…


私自身、そんなすぐ来れんもんなあ~

と思ってたので、

彼らの"なぜ家族は来ないのか"押しに

「仕方ないでしょ~そんな簡単じゃないんだよ~」

と思ってました。



そして…



◎私→火曜・水曜 のとき◎



このときくらいに、

航空券がとれ、これることに。


せめて、確定診断のときには着いて欲しいと思ってました。

(が実際無理だった)


そして大学側でも、

留学に送り出した生徒で病気、それも入院、

更に白血病、という命に関わる病気にかかった学生は初めてで、

もうすでにこのような事態(白血球26万個・抗がん剤治療始めますよ状態)であり、

私も家族も、日本できちんともう一度調べてほしいということもあり、

帰国を願っていたので、私は家族と合流後、帰国することになりました。


つまり、留学は中断する(中断というか、辞退という形)ことになりました。





がしかし、


この火曜・水曜あたり、

私が

「慢性骨髄性白血病って、グリベックっていう薬飲めば、いいんだって。治療変わったんだって。死なないんだって。」

と伝えると


妹と母は、


「え、大丈夫なのっ。」となり…



気分は

海外旅行~~~ラブラブ



といつの間にか目的が変わりむかっ


靴とかバック(キャリーケース)とかコートとか買いに行ってたらしいむかっ



マジふざけんなぁああああああ~ヽ(`Д´)ノ



私、毎日夜心細くて泣いていたのにーー…←


特に妹はマジでなぜ…きたのだ…

(しかもきても、毎日ホテルでPSP(KH・BBS)やってたし…)


あ、でもきたときに、ラーメンとかみそしるとか春雨ヌードル、やきのり持ってきたのは褒める。←



そして、こっち時間の水曜にもう実家を出てたので

私の確定診断のときには、連絡はもう取れず。


合流してから、話すことになりました。


こっち時間の金曜日の夕方着くことになっていて、


本当は入院している部屋で



「む~すめ~」


「おかあさ~~~ん」


という感じになる予定だったのですが

(※「むすめ」には私の名前が入ります。)



私が急に退院 することになったので、


結局…


ケータイもないのに

私達はどうやって会ったのか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


続きます。