これまでのわたしは
留学
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風邪かも→医者1回目→悪化→医者2回目→入院
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採血→白血球おかしい→転院→白血球26万個発覚→白血病の疑い
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骨髄穿刺(マルク)→慢性骨髄性の白血病の疑い→白血球を下げる日々
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やっぱり慢性骨髄性白血病でした→まじですか→退院だね→まじですか
でした。
病院側は、早く家族が迎えに来て、できるだけ早く日本へ…
と思っていたようですが、
この記事
で少し、一方日本(大学・実家)では?と書きましたが…
まず、家族は入院した時点で大パニック。
更に今すぐこちらへきてください!と言われ超大パニック。
更に更に「娘さんは白血病の疑いが…」で母倒れる。
更に更に…
と、
今回はその続きです。
時系列どおりに書きます。
目次の記事は向こうでの私の記事に飛びます。
◎私→月曜・マルク のとき◎ |
向こうの朝、日本は夕方?
マルクの際、怖くて国際電話する。
その後のお母さん(を始めとする実家)は、
私が泣きながらパニックだったため、
結局なんの検査?骨髄ってどこ?それで何が分かるの?
という感じだったらしい。
母親は怖くて、何も調べられなかったらしい。
更に、倒れる寸前だったため、妹が大学の授業放棄(?)して、
実家に帰ってきたのもこのころらしい。
そして私の大学もまた、えええ?!?という状況になっていた。
送り出すときの私は、ウキウキわくわく、元気いっぱいだったから、
こんな展開に(それも留学に送り出してすぐ)なるなんて、思いもしなかったそうだ。
↑これは私も家族もみんなそう思った。
私の妹や親父は、完全に誤診だと思っていたらしいし、
(この二人は今でも私のことは普通の扱い…←)
私にも
「白血球って、風邪引いたりしたら一時的に増えるかもしれないんだってさ」
って言ってました。
このときまだ私は自分の白血球が1万とか2万じゃなく、
通常の26倍、26万個あるなんて知らなかったので…
多いっちゅーてもちょっとやろ?
やっぱひっどい風邪ひいてたんや…と思ってましたし、
家族や大学側・友達もそう思ってたみたいです。
まだ"白血病の疑いがある"と思ってたのは、
日本人医師、最初に入院した病院、転院した病院の人間だけ…
ちなみに私は「血液の病気かも」といわれてましたし、
家族は「ひっどい風邪引いたで血液もおかしくなってもーたんや」程度でした。
結局、家族はいつ白血球が26万個あるって知ったのかな。
多分、火曜・水曜あたり、保険会社or日本人医師or通訳さんからだと思われる。
更に午後、
◎私→月曜・CMLの疑い診断 のとき◎ |
またこのとき、国際電話でお母さんにかけた。
私は、パニック度が
私>>>>>>>>>>母
だと思っていたが、
妹によると、本当に倒れるところだったらしく、確実に母のほうがパニックだったみたいだ。
そのまま母&妹は病気について調べることもできず。
そして、父親が調べたら、
慢性骨髄性白血病は、45-55歳のかたが多いと知り、
違うんじゃないか?
それか全く違う病気か?
違うタイプの白血病か?
と
結局実家は大パニックだったらしい。
更に、医者たちが、
「早急にこちらへ来てください」
と言ったため、
え?
海外GO!?
無理だよそんな急に!
と…
実はそのときはまだ、父親も仕事をしており。
そして母親もパートに出ていて、
更に…妹(都内の大学生)まで?
私は母親onlyでよかったのですが、
母親…今にも倒れそう、外国語何もできない、外国ハワイしか行ったことない
となると
父親…私の病気など全く気にしていない、アフリカに住んでいた経験アリ、そういうことに慣れている
がプラスされ
さらに
妹…なぜかついていく
ことになり…
結局、家族全員来ることに。(そんなにみんないらんて…)
けれど、お金のことでなかなかすぐにはこれない…
となったのだが、保険会社から渡航費が出ることに。
でも私の病気が確実に診断されないと、動けず…
更に、航空券の空きがないなどなど…
私は海外で入院→白血病宣告で、精神ぶっ壊れそうだったので、
ずーっと早く来て!!って思ってました。
(いや、実際かかってしまうんですよね。時間。)
そういえば、周りの入院患者さんの家族が見舞いにきたり、
周りから「いつパパとマミーはくるのか」とか聞かれると辛かったな。
特に、ナースと同じ部屋のおばさんズには
「仕事なんか関係ない。家族がこんな状態ならなぜすぐに来ない。保険など関係ない。普通は自分のお金でも、真っ先に会いに来ることを考える」
と言われ…
まあ、それが彼らの常識なんでしょうが
(キリスト教なのか文化なのか)
いやいや、まず日本島国だし
(飛行機とか船でしか外国行けないし)
どこの国へ行くのも近くはないし、
…というのも、
家族みんなパスポートを持っていなかったので。←致命的…
私だってすぐ来て欲しいけど…
私自身、そんなすぐ来れんもんなあ~
と思ってたので、
彼らの"なぜ家族は来ないのか"押しに
「仕方ないでしょ~そんな簡単じゃないんだよ~」
と思ってました。
そして…
◎私→火曜・水曜 のとき◎ |
このときくらいに、
航空券がとれ、これることに。
せめて、確定診断のときには着いて欲しいと思ってました。
(が実際無理だった)
そして大学側でも、
留学に送り出した生徒で病気、それも入院、
更に白血病、という命に関わる病気にかかった学生は初めてで、
もうすでにこのような事態(白血球26万個・抗がん剤治療始めますよ状態)であり、
私も家族も、日本できちんともう一度調べてほしいということもあり、
帰国を願っていたので、私は家族と合流後、帰国することになりました。
つまり、留学は中断する(中断というか、辞退という形)ことになりました。
…
がしかし、
この火曜・水曜あたり、
私が
「慢性骨髄性白血病って、グリベックっていう薬飲めば、いいんだって。治療変わったんだって。死なないんだって。」
と伝えると
妹と母は、
「え、大丈夫なのっ。」となり…
気分は
海外旅行~~~
といつの間にか目的が変わり
靴とかバック(キャリーケース)とかコートとか買いに行ってたらしい
マジふざけんなぁああああああ~ヽ(`Д´)ノ
私、毎日夜心細くて泣いていたのにーー…←
特に妹はマジでなぜ…きたのだ…
(しかもきても、毎日ホテルでPSP(KH・BBS)やってたし…)
あ、でもきたときに、ラーメンとかみそしるとか春雨ヌードル、やきのり持ってきたのは褒める。←
そして、こっち時間の水曜にもう実家を出てたので
私の確定診断のときには、連絡はもう取れず。
合流してから、話すことになりました。
こっち時間の金曜日の夕方着くことになっていて、
本当は入院している部屋で
「む~すめ~」
「おかあさ~~~ん」
という感じになる予定だったのですが
(※「むすめ」には私の名前が入ります。)
私が急に退院 することになったので、
結局…
ケータイもないのに
私達はどうやって会ったのか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
続きます。