1年前の
同じ日の日記を見てみたら、無邪気にお見合いをしていました。
この一年で、本当に気持ちも考えも変わりました。
でも、もし仮に、来年の今日も同じようにコンカツをしていたとしたなら、
また違う気持ちと考えを持っているでしょうね。
さすがに来年になると、辛いよな。。。。
なんとか状況を打破すべく、新たな一歩を踏み出してみました。
具体的な活動は今週末か来週からになりそうですが、
また積極的に活動して行こうと思っています。
昨日、ある方から「とてもお洒落なんですね」と言われました。
「いや~実は・・・」と、
今着ている服のコーディネートは、会社の同僚にしてもらっていると
告白したのですが、
でもよくよく考えると、同僚に選んでもらったのは、インナーと靴だけ。
それ以外は、自分で選んだものでした。
おそらく、水色のシャツとブルーのジーンズの組み合わせが好評の
要因のように思います。
いずれも、ユニクロだけどね。
心機一転
なんだかんだのわだかまりをすべて吹っ切って、
新天地で再出発を図ろうと思います。
それがいいことなのかどうかは未知数ですが、
今の私には必要な気がします。
思えば、この一年、われながらがんばってきました。
でも、頑張りが足りないのか、いい結果が得られませんでした。
どうして・・・と思うことが多く、今でも思い出すたびに悔しさがこみ上げてきます。
たぶん、私はツイていない面があると思っています。
運を変えるためにも、決断しました。
やっぱりどうしても、一日も早くお相手を見つけたいのです。
傾向
人には、大きく分けて二系統の分類があると思う。
被害者になるくらいなら加害者になったほうがましだ、と考える人と
加害者になるくらいなら被害者になったほうがました、と考える人と。
私は子供のころから、後者だった。
こと恋愛において、幸せを感じるのはどちらなのだろうか。
人に愛される恋愛か
人を愛する恋愛か
たとえ自分の本当の好みではない人であっても、その人からとても愛されたならば、
愛される者として、幸せな恋愛を享受することはできるのだろうか。
それともやはり、たとえ振り向いてくれなくとも、自分の理想をもとめて、
愛する人を追及した方が、幸せな恋愛を享受することができるのだろうか。
されるかするか
本当の理想は、されてする恋愛なのだろうが、
やはりそれは奇跡的なことなのだろうか。
今の私にできることは、される恋愛ではなく、する恋愛。
一途に、懸命に、誠意をもって、相手に好意をぶつける恋愛しか、
私に残された恋愛の道はないのだろうか。
どうして私が今これほどまでに結婚したいと思っているのか、
ざっと見回しても、本当に理解してくれている人はいないように思う。
男なら40過ぎでも結婚できるじゃん
という発言ほど、今の私にとって無意味な文言はない。
朝から
気分が晴れません。
イライラしております。
理由はコンカツ。
どうしてこうもうまく行かないんでしょうかね。
なぜなんでしょう。
どうしてなんでしょう。
悪い霊にでも取り付かれているのでしょうか。
見えない力に妨害されているのでしょうか。
やはり私は、一生独身なのでしょうか。
あるいは、私の結婚はまだまだ先なのでしょうか。
もし、これがなにかの罰ならば、そろそろ勘弁してもらいないのだろうか。
もう、いいでしょう。。
許してください。。。
運命
人生は、すべて偶然の連続なのでしょうか。
それとも、それなりに運命というものがあるのでしょうか。
すべてを理屈 で考えがちな人間が
運命というファンタジーを作り上げただけなのでしょうか。
でも・・・
私の心情としては、やはり、運命はある程度存在してほしい。
自分の境遇に、それなりの理由があって欲しい。
全部が偶然だなんて、さびしいような気がします。
定額給付金が振り込まれました。
これもまた運命でしょうか?
台詞
学生のころ「ある愛の詩」という映画の名台詞の意味をずっと考えていたことがあります。
その台詞とは
「愛とは後悔しないこと」
この言葉を聞いたとき、意味がわからず、ずっとずっと考えていたのを覚えてきます。
そろそろ、放映中のドラマも最終回が近づいて、最後の山場にさしかかってきましたね。
土曜夜9時から放映されている「クイズショウ」も、私が見ているドラマの1つです。
今日、そのドラマにこんな台詞が出てきました。
ともに生きるということは、その人のすべてを抱きしめるということです。
過去も未来も、罪も秘密も、その人のすべてを抱きしめ続けるということなのです。
まさにこの台詞こそ、私が学生時代、「愛とは後悔しないこと」という台詞の意味として、たどり着いた結論そのものでした。
あの人のこんなところがいやだな、とか、
あの人のあんな過去がいやだな、とか。
相手のを「今」だけを、スナップショットとして捉え、それだけに憧れ、その人の他の部分については後悔する。
実はそれは愛ではない。
過去も、そして将来も、その人の人生、生き様全部を、その人そのものとして受け入れること、それこそが愛なのだと。
西部邁という人が言っていた「正当」と「正統」の違い。
憲法が規定する「国民」の真の意味。
そこまでくると、ちょっとこの話の焦点がぼけてしまいますが、私の中では、結局同じことを言っているような気がしています。
キリスト教の「博愛」と、一般的な「恋愛」は、意味が全然違って、どちらかというと、「愛とは後悔しないこと」は、前者の意味のような気がしないでもありませんが。。。。
フランス革命の三大スローガン。
「自由」「平等」「博愛」
最後の「博愛」は、実は、「組合」とか「団結」という意味に近いそうですね。
明治維新を成し遂げる原動力として「博愛」とう誤訳を、故意にしでかしたようです。
って、完全に話がずれてきたな。。。。
ちなみに、「故意」と「恋」の語源は一緒だと、個人的に信じています。
偶然を装った故意、まさに、恋ですよね。
好きな人の帰り道で、偶然を装って待ち伏せしたことって、ありますか?(笑
誤謬
ごびゅう。
日本語らしからぬ読み方に、昔から違和感を持っている言葉です。
ちなみに「不如意」(ふにょい)という言葉を、テレビで、瀬戸内某が発声しているのを聞いたとき、おもろいな、と思ったこともありました。
目的に向かって行動しているとき、その目的になかなかたどり着かない場合、たいてい、手段変更を考慮します。
ってことなので、私のコンカツについても、やはり、考慮しなければならないでしょうね。
つまり、今のやり方には誤謬があるのではないか、と。
相談所に入って、さまざまな経路で、複数の人とお見合いをし、ご縁があった人と結婚する。
私のコンカツを、一言で表現すれば、こうなります。
おそらく、こういうコンカツって、コンカツに縁のない人から見ると、「なに甘えてんだよ!運命の人は自分の実力で探せ、いや、奪いとれ!人から紹介されるのかどうか知らんけど、待ってるだけで、いい人に巡り合えるなんて思ってんじゃねぇよ」ぐらいに思っているんだろうな、と勝手に想像しています。
確かに、確かに、おっしゃるとおりかもしれません。
でもね・・・・
コンカツって、結構、体力も使うし、お金も遣うし、ストレスも多いんだよね。
人にもよるだろうけど、少なくとも、決して楽ではない。
楽しい思いはあまりないし、むしろ、悲しいこと、辛いことの方が圧倒的に多い。
だって、どんなに楽天家でも、さすがに何人もの人から立て続けに断れたら、やっぱり、落ち込むでしょ。
お見合いを申し込むのも結構、労力を使うんだよな。
確かに、PCの画面を見て、クリックするだけといえばそうだけど、ちゃんと時間をとって、毎日のようにPCを眺め、意中の人を探し続けるって、結構、根気のいることだし、しっかりとモチベーションを保たない限り、挫折すると思うんだよな。しかも、その結果がはかばかしくないならば。。。
とはいえ、ナンパまではいかなくても、日々の生活の中で、自力でいい人を見つけて、その人を自分を好きにさせ、結婚してもらうくらいの力量を発揮しなければ、しっかりした大人の男にはなれないのだろうけど。。。
どうすれば、いいんだろ。。。
どうすれば。。。
呪縛
いっこうにはかばかしくない自分のコンカツに、イラダチとオチコミを感じている今日この頃です。
でも、諦めません。
私は、近い将来、必ず相手を見つけてみせます。
最近、よく夢をみます。
自分の悩みをそのまま具現化したような。
見るたびに、なんとなく、心が苦しくなります。
すぐに忘れちゃうけど。
呪縛。
最近の私の頭に占めている単語です。
思い出という呪縛に囚われています。
ドラマ「婚カツ!」
いよいよ終盤に近づきつつありますが、如何せん、中だるみ的な感じは否めないような気がします。
もうちょっと、コンカツにフォーカスした展開にして欲しいのですが。。。
見直し
中学生のころ、一時期、グ~ンと成績が上昇したときがあります。
理由は、塾の復習を欠かさずやったから。
塾で2時間みっちり勉強してから、帰宅して、すぐ同じことを繰り返してやってみました。
そしたら、(当時は覚えが早かったこともあって)メキメキ学力を伸ばすことができ、
塾(地域全体で広範囲に経営していた塾)の中でトップになりました!
と、一通りの自慢話をしたところで、本題です。
例によって、コンカツ。
コンカツにおいて、復習はありませんが、見直しはできます。
コンカツの見直し、それは、自分自身の見直しでもあります。
自分自身を客観的に再確認する。
ってとり早い方法は、他人に自分のことを聞くこと。
意外な評価結果が返ってきたりします。
が、しかし、
利害関係が絡む人からは、本当の評価は期待できません。
当たり前ですが。
さて、そこで問題となるのが、カウンセラーは果たして利害関係者に該当するのかという点です。
カウンセラーのとって私は、お金を払ってくれるお客さんです。
なので完全に利害関係者です。
無碍なことは、決して言ってきません。
現に今のカウンセラーさんは、私がどんなに粗相をしても、怒りを表すことなく、穏やかに対応してくれます。
とはいえ、メールの文面からなんとなく怒っているのがわかったりしますが。
一方で、カウンセラーは私をどうにか結婚させることにも利害を絡ませています。
お見合い活動しかり、成婚しかり、いずれも料金が発生しますから。
と、ここまで文章を書いていて気がつきました。
カウンセラー当人の思惑はともかくとして、結婚相談所にとって、もっとも都合のよいお客さんは・・・
在籍期間が長く、かつ、頻繁にお見合いをしてくれる人か。。。
結局、この日記の中で書こうと思っていた結論というのは、
カウンセラーには、私に対して、もっともっと厳しいことを指摘して、1日も早く結婚成就が出来るように指導してくれるといいな、ということだったのですが・・・・
それは、結婚相談所にとって必ずしも利害に合致した行為ではないのか。。。。
なので、今回の結論を急遽変更します。
理想の商売というのは、売り手と買い手がお互い得をするような商売だと思う。
いわゆる「Win Win」の関係。
たとえば、買ってもらってありがとう、売ってもらってありがとう、お互い満足満足という関係。
確かに結婚相談所も、入会してくれてありがとう、お見合いしてくれてありがとう、結婚してくれてありがとう、という利害を追及し、また、お客である私の立場としても、いい人にめぐり合わせてくれてありがとう、ということになり、「Win Win」関係は成立しているように見えるが・・・・
でも、相談所からは、入会してくれてありがとう、お見合いしてくれてありがとう、でも、いずれ結婚するとしても、すぐには結婚しないでね、しばらくお見合いを続けてね。だって、その分、お金が入るし。
ってことも考えられる。
う~ん、考えてみればいろいろ相談所にとっての、思惑的な損益分岐点はいろいろありそうだ。
で、今回の結論。
Win Winの関係は、普段の人付き合いでも通用する考えだと思う。
たいていの人は、無意識にWin Winの関係を築く方向に努力すると思うのだが、中には、Win Lose関係を画定することにエネルギーを燃やす人がいる。
個人的な偏見だが、そういう人は意外に女性に多い。
サルの世界では、「マウンティング」という行為があり、絶えず集団の中での序列を示威する行為を返すそうな。
どうして、そこまで、「敵対」すること、違った言い方をすれば、「自分の好みをはっきり表面にだすこと」を行うのか。
私のお相手は、Win Winの関係を目指す人が・・・・いいな。
急いてはことを
し損じる
まったくもって上手くいかないコンカツに、我ながらイラダチを禁じえません。
カウンセラーは、ちゃんとお見合いを出来ているし、あとはいつ運命の人をめぐりあえるか、時間の問題ですよといつも言ってくれるのだが、私自身の心境としては、とてもではないが楽観視することができない。
自分で言うのもなんだが、外資系会社勤務というマイナス要因はあるものの、年収もそこそこあるし、背丈もそこそこあるし、結婚相手としての世間一般的な基準は十分クリアしているように思うのだが。
それでも、お見合いにまで行かないということは、やはり・・・・顔か。
整形でもしない限り、こればっかりはどうしようもないが。
身だしなみや髪型で、印象は変わるかもしれないが、やはり、大元はなにも変わらんし。
ううううううう、どうしたらいいんだ。。。